--愚かしき者



(一度目、)
「好きですと言ったら、怒りますか?」

自分なりに決意しての言葉では、あった。何時までも抱えているには大きくなりすぎたので、いっそ口に出してしまいたかった。如何に恐ろしい心地を味わうことになろうとも、そうして何かを得ることがなくとも。

「さて…何を対象とした話かにもよるが」

こちらを見もしない。ただ、興味の欠片も無いと言うよりは、何処か張り詰めたものを感じる声色ではあった。歓迎されていないことは痛い程にわかっていた。それでも、貴方を慕っているのです、と。

貴方は目を伏せて、そして開いて。億劫そうにこちらを見やる瞳の色からは何を読み取ることも出来ない。けれども、僅かに何かが揺れたような、そんなため息を零していた。
そしてただ一言――「愚かしい」、と。

この時の話はこれで終わり。終わらせたくて告げたのか、何かを求めて告げたのか、今でもわからないけれど。とにもかくにも、この時は呆気なく終わったのだ。
…消えきらなかった心を残して、ひとまずは。




(二度目はなくて、)
消えなかった心を、大きくしないように。緩やかに穏やかに、いつか忘れられるように。
そう願いながら日々を過ごしていたのに、舞い戻った貴方はどうにも、日に日に優しくなっていくように思う。

憂いを掻き消すべく、忙しない日々を駆け抜けていた。世界の為、妹の為、集った者たちの為。貴方はいつも、全てを見据えて立っている。それでも、以前に比較すれば…僅かながらに心安らぐ日もあったのだろう。

張り詰めたような嘲笑ではなく、妹を、義兄を、誰かを、皆を、そして時折私を、見つめて――名を呼んで、穏やかに笑い、労る。そんな姿が、少しだけ増えていた。
柔らかい色という抽象的な表現は、まさしく今の貴方の瞳の色を言えばわかりやすいのだろうと思った。

「ナーザ様、その…何か?」
「ああ…いや、何も」

そして私は、その色と目が合う度、嬉しさと――やめてくれという懇願とで、心のうちで悲鳴をあげる。そんなことでは、どうにも好きなままでいてしまうので。
凛とした姿も、穏やかに笑む姿も、何もかもが慕わしいのに。増してやそれを己にも向けられては、とても困るのです。愚かと断じられたままの私になってしまう。

「すまない」等と言いながら、何故か目を伏せた姿に目を逸らす。

同じ轍を踏んではならない。視線が向くだけで震える程に嬉しいと舞い上がる無様を、晒してはならない。この心を告げる愚行は、もうしない。しない。…させないで。
だから心の内でだけ、かつてと同じ言葉を繰り返し続けている。




(同じことだと、諦めたから)
穏やかな姿が増えたとはいえど、しかし、あくまで僅かながら。いつもは限りがある時間の中で出来る限りを為そうとするが故の無茶も少なくなかった。その身が文字通り砕けてしまうのでは無いのかと、少しだけ空恐ろしく思った時すらある。

「ナーザ様、少しお休みになりませんか」
「そのような暇はない」
「貴方が倒れては元も子も無いではないですか」
「多少の無茶は通る身体だと知っているだろう」
「でも」
「くどい。時間などいくらあっても足りぬのだから、俺の事など二の次で良い」
「…でも、心配なんです。二の次になんて」

それで、この時は特に、明らかに看過できない姿になっていて。
大きな傷さえ無いものの、到底これ以上は無視できないと。
ほんの少しだけ食い下がって、ほんの少しでは足りなくて。
彼の義兄や妹ならばもっと上手くやっただろうが、二人は共に不在であったし、私には他にどうすれば良いのかわからなかったのだ。だから勢いのままに。

「…大切です。私、貴方のことが、自分の命よりもずっとずっと大切です!慕わしいと思っているから…だから無理は、やめて欲しいのです」
「…お前、それは」
「お叱りならば必ず受けます。目障りだと言うなら、終わる時には、或いはその前にでも、必ず消えます。けれど今、せめて一端の仲間としてだけでも、僅かに情けをかけて下さるのであれば、どうか…少しだけでも、お休み下さい」

どうすればいいのかわからないけれど、とにかく休んで欲しかっただけなのに。いらないことまで言ってしまった…気がする。きっと貴方からすれば面倒な部下の我儘に過ぎなくて。でも、どうか出来るだけ長く、この世界に貴方を留めておきたい。そう願っているのは私だけではないはずだから。その為にも、どうか。

――ややあって、深深とした溜め息が聞こえて。

愚かしいと言われた、かつてを思い出した。やっぱり余計なことをした。二度目はないと己で戒めたのに。じんわりと恐ろしい心地になって、ぎゅうと目を瞑った。ああ、やってしまった!

「今回は、俺が悪かったな。焦り過ぎたようだ」
「…ぇ、え」
「顔を上げてくれ。…怖がらせたか」

幾分落ち着いた声色に請われ、恐る恐る視線を上げた先。ばつが悪そうにこちらを見ていた彼が、次いで眉を顰めた。持ち上げられた右の指先が私の目尻に触れる。驚いて目が開くと同時に、気づいていなかった何かが頬に流れて…嫌だ、そんなつもりはなかったのに。

「すまなかった。だから、泣いてくれるな」

不器用ながら、掬い取るように。硬い指先でなぞられる箇所が燃えるように熱く感じた。先程まで、どこもかしこも冷えた心地しかしなかったのに。

「わたし…わたし、ちゃんと、けしますから、きえます、あきらめるから…だから、だから」

優しくしないで。必要以上に優しくしないで。貴方が愚かと呼んだこの気持ちを、これ以上育て上げないで。
そう言わなければならないのに、嬉しくて苦しくて堪らなくて、それ以上何も言えずに目を閉じた。この方は今、一体何を考えているのだろう。




(――だから、もう一度だけ)
全て終わって、彼は結局消えなかった。魂と同じ姿に戻って、定められた期限の中で再び生きる。これを幸と呼ぶか不幸と呼ぶかは私に決められることではなかったけれど、私の心に限って言うのであれば、これは限りなく幸せなことだった。貴方にまだ、添うことができるかもしれない。添えなくとも、 貴方が生きているのならば、それだけで私は幸せだと思えた。
私は結局、私の心を消すことは出来なかったけれど。もうこれは仕方ないのだと諦めることができたから、だから、今。

「ウォーデン様、怒らないで聞いてくださいね」
「さて?事と次第によるが」
「怒られるとは、思うのですが」

いつかと似たような言葉だなと、つい笑ってしまった。
けれど、あの時はそもそも目線すら合わなかったのが、今はからかう様な笑みさえ浮かべてもらえている。随分と変わったものだなぁと嬉しくなって、限りなく寂しかった。

――最後には消えると約束したから、これはきっと、本当に最後になる。
月の移住も、祖国の復興も、貴方はきっとやり遂げる。私一人に代わる人間はもうたくさんいる。皇家に相応しい血筋の貴人たちも、存在を取り戻している。これ以上は、私では決して貴方を想っていてはいけない所まで、この世界は辿り着いてしまったから。

「好きです。好きでした、ずっと、いつまでも…心だけはお慕いして、いたかった」

この想いは、私が抱くことを許されない想いになってしまったから。消せなかったこの心と言葉を、今日を最後に、遠くへ捨てに行こうと思う。

「…これで最後にしますから、どうぞ、叱ってください」

恐ろしい心地になるのだろうと、そう思っていた。けれど、予想に反して穏やかに凪いだ心がある。ああ、今回は本当に私も覚悟を決められたのかもしれない。怒らないでと言いながら、叱ってくださいだなんて我儘、付き合わせてしまって申し訳ないけれど。僅かに深く吐息が漏らされる。ああと目を伏せ、彼が身じろぐ衣擦れの音を聞いて、言葉を待って――。

「……俺のこの姿は、そこまで嫌いだったか?」

何の話だろうか。
戸惑って顔を上げ直すと、思いの外近い距離。緋色の髪を揺らしながら、もう一言が落とされる。

「姿が変わったからか。最後などと、」
「…え?」
「だから怒れというのか。それはお前のせいでは、無いだろうが…だが、いや、」
「すみません、あの、ごめんなさい、何の話ですか?」
「…違うのか?」

俺のこの姿を好かぬから、最後にするなどと言い出したのかと、と。幾分沈んだ面持ちの彼に驚愕した。そんな、とんでもない。確かに姿形は変わったけれど、どちらもずるい程に整った姿をしておいて何を言い出すのか。むしろその姿を見た時、何度目かの好きを覚え直してしまったのに。

「なら何故だ。俺のことをこの先好かぬという理由はなんだ」

言葉だけ聞くと随分な内容だ。けれどどうにも、これは何かおかしくはないか。

「いえ、あの。私、いつかの時に、約束しました。きちんと消えるか、或いは諦めるからと」
「何を」
「その…貴方を、好きでいることを。貴方のご迷惑になるから、諦められないのなら、居なくなりますと。いつかの休息の、その後に」
「そんな約束は…いや、待て、本気だったのか。そうか」

額を抑えて微かに呻いている。「そもそも何故、迷惑などと。いや、俺のせいか」、云々。あの、と恐る恐る声をあげ、最終的には押し黙った彼の様子を伺った。何度目とも分からぬ溜め息を吐いて、彼はついに私を見据える。何とは知れぬ何かが揺らめく瞳の色に、少しだけ後退り。

「何処にも行くな。まだ、此処にいてくれないか」
「え」
「甘んじていた己が悪いのは百も承知だ。だが、もう一度だけ機会が欲しい」

いつの間にか握られた片手が熱い。

「貴方を…まだ慕っていても良いと」
「そうであれば、嬉しい」
「で…できません。それは好きです、けれども。もう、祖国の貴人方がいらしますでしょう?凡人が貴方の周りでそのような事を申していては、やはりこの先迷惑にしかなりません」
「それは…全てを否定はしない。だが、それでもだ」
「で、も」
「頼む」

ゆら、ゆら、ゆらと。光るような瞳が熱い。だって今まで、そんなこと。

「最初の俺は、愚かしいと断じたのだったか」

そうです、と、声の出ないままに囁いた。貴方に告げた私が悪かったのだけれど、それはもう、呆気なく終わったことです。

「都合のいい事を言うぞ。今すぐに忘れてくれ、或いは怒ってくれていい。あの言葉は、きっと今の俺に向けられるべきだったのだから」
「ウォーデン、様に?」
「そうだ。それに苦しむとは、きっと思っていなかったのだ。己を自制しようと思っていたのに、何せ結局、呆気なく絆されてしまったのだから」

都合の良い言葉が聞こえた気がする。火照った頬に添えられた大きな手が、やっぱり熱い。なんで、どうして。いったいなんで。どうして、そんな。疑問と単語ばかりがぐるぐる回って、遂に一言だけ、「いつ、」とだけかすれた声が吐き出された。他にも言いたいことはたくさん、たくさんあるはずだったのだけれど。
聞き取ったらしい彼が、自嘲するように、困ったように、意地悪く。けれどとびきり優しく見える瞳で微笑んだ。

「――きっと、もう随分昔の話だ」


***

今年のナーザ様の日用に慌てたやつです

お題メーカー利用させて頂いてました。
【7月3日のお話は
「好きって言ったら怒る?」という台詞で始まり「もう随分昔の話だ」で終わります。】


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