恋入りの飴玉
(オーエン視点、夢主は魔法舎のお手伝い魔女)
ㅤその女は時々、悲しそうな目をした。僕は悲しい目も罵声も大変なことも大好きだけど、そいつがする目は気持ちが悪くて大っ嫌いだった。両目を繰り出して、瓶に詰めて隠してしまいたいくらいに鬱陶しい。誰かの名前を呼びたがる声も、誰かの名前を思い出したがる表情も、ぐちゃぐちゃに潰してやりたくなる。
「あの、オーエン」
「何?」
「何って……あの、」
ㅤ僕を引き留めた賢者様はびくびく怯えながら、僕を見上げた。
ㅤふぅん、僕が怖いの。どうやって不安にさせてやろうかな。どうやって怖がらせてやろうかな。おまえはどうしたら僕を悪者にするのかな。
ㅤわかりやすくて馬鹿な人間たちは面白い。何を言ったら怒って、何を言ったら不安になって、何を言ったら怯えるのか、手に取るようにわかるから。目の前の人間をどう絶望させてやろうかと考えていると、びくびくしてる人間は声を震わせながら囁いた。僕に話しかけた理由なんてどうでもいい。ただその声が聞きたかった。
「オーエンは恋をしてるんですか?」
ㅤああ、恋。恋ね。僕が? 誰に?
ㅤほら、予想できてない話は大嫌いだ。僕に主導権がない話はもっと。
「恋? 恋って? 賢者様は恋をしてるの? いつ? 誰に? おまえを必要としている奴なんて一人もいないのに? おまえが恋をしたって意味ないよ。必要なのはおまえじゃなくて、〈大いなる厄災〉から世界を助けてくれる“賢者様”だけだもの。必要なのはおまえじゃなくて、おまえの役目だけだもの」
「違います……! 私は、ただ……っ、あの子に、恋をしてるのかと思っただけです!!」
「は?」
ㅤ大っ嫌い。イライラする。予想できない話はいやだ。腹の中がぐるぐる動いて、べたべたにジャムが塗られたビスケットもどろどろのチョコレートがかかったケーキも不味くなりそうだ。さっき食べたトレスチェスだって、吐き出したくなる。だから賢者様が見たほうを、あの女が南の奴らとへらへら笑っている姿を、見たくもない。
「おまえ、殺されたいの」
ㅤひ、と悲鳴を上げた賢者様は真っ青になって、僕が殺した人間たちみたいな顔をした。ああそれでいい。それでいいのに、気持ち悪い。ピーナツバターとクリームと、シロップに浸したパンケーキを食べたいと思っていたのに、何も食べたくない。
ㅤ僕はあの女が大嫌いだ。嫌いで、鬱陶しくて、ガラス玉みたいな、舐めたら舌がとけそうなくらいに甘そうな飴玉みたいなあの両目が大嫌いだ。触ったらマシュマロみたいにやわらかそうな、雪みたいに白いあの肌が大嫌いだ。
ㅤ僕は大嫌いなんだ。前の賢者の名前を、必死に思い出そうとする馬鹿なあの女が、あの男を見かける度に悲しそうな目をしていたあの女が、うざったくて鬱陶しい。
「オーエン……」
「殺すよ」
ㅤああ、もしかして。あの女は、前の賢者に恋なんてしていたのか。だから泣いてたのか、だから寂しいって言ってたのか。
ㅤそれってとても、吐き気がする。
ㅤ馬鹿なあの女は真夜中の中庭にいた。だから部屋に連れ去ってやれば、怯えたような顔で僕を見た。気分がいい。僕を怖がる、少しも信用してないこの顔が大好き。こいつは弱い弱い、南の魔女だ。今すぐ目を繰り出して、食ってやればもうあの目を見ることはない。
ㅤやっぱり甘そうだ。どこもかしこも、食べたら幸せな気分になれそうなくらい甘そうだ。トレスチェスより甘いかな。ぐちゃぐちゃの赤いジャムみたいな味がするのかな。目の前でおまえを食べてやったらどんな顔をするのかな。
「前の賢者様に恋してたんだ?」
「……っ、ちがう」
「馬鹿だね。おまえになんて、興味ないのに」
ㅤぽろぽろ落ちる涙が大嫌い。砂糖水みたいに甘そうで大嫌い。前の賢者様にばかり、見せてたくせに。
「本当に好きだった? 好きってどんな気持ちだった? ねえ、教えてよ。好きな人の名前も思い出せない、南の魔女さん。恋ってどんな気持ちだった? 前の賢者様に犯されたかった? それとも恋をしてる自分が好きだっただけ?」
ㅤ違う、と頭を振って否定するくせに、身体を震えさせて僕のベッドに座り込んだ。甘そうな涙を舐めたら、もっと身体が震えて面白い。髪を引っ張って指でいじってやったら「やめて」と呟いて面白い。
ㅤ押し倒して食ってやったら、どんな絶望を見せてくれるのか気になった。どんな顔で僕を見上げて、どんな声で泣くのか気になった。
「や、やだ……」
「素敵だね。前の賢者様の名前も忘れて、これからどんどん忘れてくんだよ。ねえ、教えてあげようか? 賢者様は他の女を愛したことも、他の女を抱いたこともあるんだよ。おまえじゃなくて、おまえとは違う女を抱くんだよ。だっておまえには興味ないから。だっておまえはただの他人だから。ねえ、悲しい? 寂しい? 苦しい? それとも、憎い?」
ㅤこんな顔が、僕は大好きだ。僕を見つめて、泣きじゃくる顔が一番かわいい。「やめて」「いや」そんな言葉ばかりを繰り返す唇が真っ赤なベリーみたいに甘そうで、濡れてる両目がきらきら光る飴玉みたい。
「ん……っ」
「甘くない」
ㅤ唇を味見してみても甘くはなかった。さっき舐めた泪も甘くなかった。こいつはどこを食べたら甘いだろう。
「可哀想だね。あんなに好きだったのに置いてかれて」
「いや……」
「可哀想だね。あんなに好きだったのに名前すら忘れて」
「いや……!」
「いつかは、忘れるんだよ?」
「いや!!」
「声も、言葉も、全部。跡形もなく、忘れるんだよ?」
ㅤ僕の言葉をどんな気持ちで聞いているだろう。僕の目をどんな気持ちで見上げているだろう。人間もこの女も、わかりやすくて脆くて単純だ。少しひび割れた場所から、どんどん壊れてく。
「忘れちゃえばいいんだよ」
ㅤ耳元で囁いたら、女は笑えてくるくらい瞳を揺らした。脆くて弱い、南の魔女。甘えたがりの、一人じゃ生きられない魔女。恋心を壊して、何もかもわからなくさせることなんて人を殺すくらい簡単だ。
ㅤもっと絶望させたい。もっと泣かせたい。前の賢者様だけを想うこの女を、粉々に壊してしまいたい。
「忘れちゃおうよ」
「あ……」
ㅤねえ、ともう一度囁いたら、間近で目が合った。そのまま押し倒してやったら、抵抗はしなかった。試しに首を噛んでみたら、赤い痕がついた。
ㅤ──酷くして。小さな声で、消え入りそうな声で、女は言った。
「いいよ。うんと優しくしてあげる」
ㅤだってそのほうが、泣いて、叫んで、傷ついてくれるでしょ。僕はきみの、僕に傷つけられて僕のために泣く姿が大好きだよ。