馬鹿みたいだけど、夜の公園で誰にも邪魔をされないまま話をするというシチュエーションがなんだかたまらなく好きだった。遠くの街角の明かりが埋もれそうな、黒塗りされた景色に私達ふたりだけが浮いていて、捨てられたのか拾われたのかさえよく分からない状態だ。握り締めたブランコの鎖は氷みたいに硬く、時々風に混じって鉄臭い匂いが漂ってくる。鎖が揺れるたび、ギチギチと鈍い音が辺りに響いた。


「いやー、またこうなっちゃうとはなあ」

千石の口から、溜め息とともに軽く言葉がぽろりとこぼれる。私に向けられているのか、それともただの独り言なのか。刺々しい真冬の空気に、それは少しも馴染まない。靴の底で砂を蹴ると、乾いた音が辺りに広がるだけだった。どこか遠くに視線を投げ出して、またひとつ溜め息を夜の中に溶かしている。千石。少し手を伸ばせば、その柔らかい髪に触れられそうだった。

「そりゃあ、俺もフラフラしてるけどさ。呼び出していきなりバチーン!は、ないと思わない?」
「まあ、状況によるとしか」
「浮気はしてないよー」
「彼女置いて他の子と遊びに行ったのが、どー考えても悪いよ」

暇を潰そうと携帯の画面をつけたり消したりするたび、千石の頬に貼られた湿布が白い光によってぼんやり浮かび上がって見える。感傷に浸っていても、千石はいつもと変わらず饒舌だ。きっとその喉の奥には、弁というものが存在していない。蓋がなければ、どうしようもなかった。あれって浮気だったのかなあと、またまた千石の口からぽろりと軽く言葉がこぼれていく。それを拾う気力もなかなか湧いてこなくて、足先から容赦なく吹き抜けた風に私は思わず身をよじるだけだった。

「彼女が嫌がったら、浮気なんじゃない」
「うう。手厳しい」
「私だって、彼氏があっちこっち目を向けてたら嫌だよ」
「…そうだよねえ、うん。なんであんなことしちゃったんだろ」

千石の言葉は、瓶に詰められたこんぺいとうが逆さに振られて呆気なくこぼれていくさまと少し似ている。重みがなく、簡単に軽い音を立てて地面に落ちていくところがなんだかすごく似ているような気がした。千石清純という、こと女の子に関して途端にぺらぺらと薄くなってしまう男の性格を、その口振りがよく表していた。普段決めるところはしっかり決めるくせに、女の子が関わると、どうしてこうも脳みそが明後日の方向へと弾けてしまうのか。

「元カノも、キミと同じような考えだったんだろうなあ」
「いや、大抵の女子がそうだと思う」
「え、前に付き合った子は結構気にしてなかったよ」
「…へえ」

一緒にお出掛けしたそのお相手の子は、どうやら他校の生徒らしい。隣のクラスの彼女とせっせと愛を育む裏でナンパして引っ掛けたんだと、反省しているのかよく分からない顔で背中を丸めながら千石は吐露する。馬鹿だと思ったけれど、もう突っ込むのも面倒くさい。私が黙ったままでいれば、千石は勢いよくこちらに上体を向け、何か言いたげな顔をしてみせた。雨に濡れた犬。一瞬頭に浮かんで、すぐに消した。そんなひ弱なものじゃない。

「あのね、今更信用ならないかもしれないけど、ほんとに彼女がいるときは、俺も浮気しないんだよ」
「ふーん」
「あ、嘘だと思ってる!ほんとのことだから、これ」

ブランコが鈍く音を捻り出しつつ、千石の体を優しく揺らす。色があまり見当たらない公園に、住宅街の窓から漏れる明かりがぽつぽつと顔を出していた。あまりの寒さに足先も縮み上がる。千石の浮気に対する基準って、寝たかどうかなのだろうか。口数の減った私を慮ってか、少し黙った後、どこか別のとこへ移動する?と申し訳なさそうに小首を傾げて聞いてきた。

「別のとこ?」
「うん。だってほら、風も冷たいし」
「今から行って、どこか空いてるかな」
「ファミレスとか、カラオケとか」

この時間、周りの家から夕食の団欒の声が漏れるこの時間帯に、私達中学生を快く受け入れてくれる優しい場所があるだろうか。千石がいれば問題なくするりと入り込めてしまうような気もするが、チキンの私はそんな明るいところへ行って万が一補導されたらどうしよう、としか考えられない。身近な公園とそういった人目につく場所では、大きな違いがあるように思えてしまう。そして、そういった場所に行くよりもこうして静かに公園で話を続けるほうがいい、とも思ってしまう。繋がっていた視線を切って、私は俯きながら口を開く。

「別に、このままでもいいけど」
「そう?ごめんよ。なんかいつも」
「はいはい」
「そうだ、俺ちょっと飲み物買ってくるよ。少し待ってて」


こういう配慮はできるのに、千石はどうして。立ち上がったときの反動で、ブランコの板が激しく揺れた。鎖の重なり合う音が耳に刺さる。少しずつ小さくなる背中を、私はなんともいえない気持ちでただただじっと見つめるしかない。夜の公園に、今度は私ひとりだけが浮いている。虚しいと、そこまで思うことはなかったけれど、何をすべきか分からなかった。


千石が私の携帯を鳴らすのは、決まって彼女や好きな子と何かあったときなのだと、私はすっかり学習してしまっている。今から出てこれる?と突拍子なく連絡がきても、呆れつつ、それを跳ね除けることはなぜだかとてもできなくて、毎度毎度やれ彼女と別れただの、次は誰が可愛いだのと雑談に付き合わされることがほとんどだった。長い友人関係の中で、千石との間に引かれた妙な一線は、だんだんと分厚く頑固なものになっているような気さえしている。いろんな女の子と距離を詰めてとんとん拍子に仲良くなるのを、ただじっと、それこそ路傍の石のように私はたくさん見つめてきていた。千石が変わらない限り私も変われないと、変に意地を張っているのかもしれない。よく知っているようでよく理解できていないはずだ。お互いに。



「はーい、どうぞ」

目の前で薄く微笑む千石が、ココアの缶をやんわりと差し出してくる。そっとそれを受け取ると、冷えて感覚の弱まった指先にぬくい熱が痺れるように広がっていった。ありがとうと言えば、驚くくらい優しい表情で私を見つめ返してくるから、うまく視線を合わせ続けられなくなってしまった。ブランコの前に並ぶ柵にもたれて千石は自分の飲み物に口をつける。

「…なんか俺ってさあ、どうしようもないよね」
「そうだね」
「でも、そんな俺を見捨てないでいてくれるから、嬉しいよ」

こんないじらしい言葉も、今まで何度聞いてきたことだろう。あまりの軽率さに少し呆れてしまうが、言われるたびに心のどこかで嬉しがっている自分もいるから、そっちにも呆れてしまって本当にどうしようもない。私はただ苦い顔をして、じっと目の前の男を見つめ返す。黙ったままでいると、千石はまるで別人のように落ち着いて見える。本当にまともになったとき、私達のこの時間も終わるかもしれない。

「これ飲み終わったら、帰ろっか」
「もう愚痴はいいの?」
「うん。聞いてくれてありがと」
「そう」

さっきとはまた違うへらっとした笑みを浮かべられると、私の肩からも力が抜けていく。ぎゅっと両手で包み込んだココアの缶は、あまりに細く頼りない。これを飲んだら帰る。そう先に牽制されてしまえば、後はその言葉の通りにするしかない。普段は簡単に女の子を誘うというのに、いつもいつも私とはなぜかほんの少しの距離をとって、ちゃんとしたフリをしてくるこの男。どんな気持ちで呼び出しに応じているのかなんて、きっと想像すらしていない。ココアを口に含む。甘ったるい味が舌の上に燻った。

「いい友達を持てて、俺ってば、ラッキーだなあ」
「ほんと、大事にしてくんなきゃね」
「うんうん。大事にするよ、絶対」
「その前にまず、彼女泣かしちゃだめだから」
「うっ」

もしかしたら、この距離感も千石の優しさなのかもしれない。変な所に連れ込むことも、自分の部屋に呼ぶことも、簡単にできるはずなのに、ただの一度だってしてこないのだから。自分で自分にそう納得させることしか、今の私にはできなかった。


夜の公園の空気がたまらなく好きだ、と思う。こうしてふたりで話していると、日常とは切り離されてゆらゆらとどこか漂っている感覚になれる。そして、お互いの表情を微かにしか確かめられないから、安心して言葉を返すことができる。本当に、私がどういう気持ちでこの寒い中家を飛び出してきたのか、少しくらいちゃんと考えてみてほしい。