高校生にもなると、周りも色めきだった話題で溢れてくる。私もそういう話は決して嫌いではなく、誰々がかっこいいとか、誰々が付き合っているとか、友達に混じって話に花を咲かせることが多々あった。特に昼休みや放課後などは時間があるため、遅くまで教室に残ってお喋りを続けることもある。今月の初めにクラスが一新したことで、小さな出会いもそこらじゅうに増え始めたらしい。皆浮き足立っていた。

4月も後半に差し掛かり、少しずつではあるけれど、クラス内の角がどんどん無くなりつつあるように思える。よそよそしさが完全に取り払われたわけではないが、月始めに比べてだいぶ周りとの距離も近い。皆ただ、緊張していたのだと思う。このくらい日数が進めば、自ずと授業の質も変化していく。初めのオリエンテーションなどもなくなっていき、着々と去年の復習から新しい内容へと切り替わる。週明けに迎える実力テストを終えると、次に待つのは遠足だ。

「…インド文明の形成に関し、都市計画のひとつとして沐浴場などが」

買ったばかりのノートに、ペンはうまく馴染まない。午後いちばんの授業は世界史だった。手塚先生が教卓に立ち、教科書を抱えてチョークを生真面目そうに動かしていく。緑地の黒板に並ぶその字はまさに先生の印象そのもので、乱れることなくきっちりと綺麗に並べられている。一生懸命板書を追うものの、こうも午後の陽気にあてられては、なかなか思うように集中できなかった。それは周りの生徒も同じらしく、眠らないように誰もが必死になっているみたいだ。授業内容に関わらず、お腹が満たされているせいか、春の午後はただ眠気を誘ってくる。羽で擽られるようにひたすら気持ちがいい。


私は黒板ではなく、手塚先生を見つめた。あまりに世界史の内容が頭に入ってこないから、どこか目を引くものはないかと、何も考えず視線を漂わせていたのだった。これは手塚先生に限らず、他の授業の時にも私がよくやることだ。女の先生であれば今日の髪型かわいいなとか、おしゃれな先生であれば今日の格好似合ってていいなとか、そういった具合に。

手塚先生の声は威厳があって、とても聞こえがいいものだとしみじみ思う。重みもあり、毅然としたよく通る声をしている。あまりファッションなどに興味がないのか、いつもシャツにカーディガンかセーターだけれど、それもすっきりとよく似合っていた。何かの時に年齢の話を聞いたことがある気がする。確か、27とかその辺りだったはずだ。

「では、ここまでで質問のある者はいるか?」

先生の声が、一瞬で空気を引き締める。水面を撫でるみたいに真っ直ぐ空気を整えて、生徒達に落ち着き払った視線を向けてくる。崩れかけていた格好の男子も即座に姿勢を正し始め、私もぼうっとする頭を押さえ、背筋に力を入れた。

「ないようであれば、本日はここまでとする。以上だ」

学級委員が周りを小さく見渡したあと、起立、と号令をかけた。教室内の生徒達が一斉にイスから立ち上がる。また床を擦る音が響いた。礼の掛け声に合わせて頭を下げ、授業は終わりを迎えることとなった。タイミングを見計らっていたようにチャイムが鳴り、先生は自分の手元で教科書類をまとめ始める。周りの生徒達も、続々と席を離れていく。私は今まとめたノートと黒板を何度か見比べて、漏れがないか入念にチェックをした。前から思っていたことだけど、先生はすぐに黒板を消そうとせず、板書の遅れた生徒を少し待ってくれているような気がする。今も時折教室内の様子を見ては、手を止めている。

「いやー、やっぱりこの時間はきついね」

友達が私の机のそばまでやって来て、他の人に聞こえないよう呟いた。率直に眠たいと言わないのは、無意識に気遣いをしているからだろう。他の先生の授業でもこの時間は驚くほどの睡魔が襲ってくる。体育でもあればなおのことだ。ちょっとね、と返せば、友達は小さく笑って私を見下ろす。

「なまえもぼーっとしてたでしょ」
「え、……見てた?」
「顔がぼやっとしてる」

慌てて頬を手で押さえる。血の通いの悪いひんやりとした指先とは対照的に、そこは少しだけ熱を持っていた。一見すれば今の会話には何も他意なんて感じられない。でも私は、なぜか彼女とうまく視線を合わせられなかった。

「顔、ねぼけてる?」
「そうだねー、そんな感じ」
「え、やだな…」
「もう遅いって」

けらけらと笑われる。そんなに酷い顔をしていたのだろうか。意識をしっかりさせるよう、顔を数回そっと叩く。ここのところというよりも、2年生になってから集中力が頻繁に途切れるようになっていた。中弛みの学年と言われている通り、高校生活に慣れきってしまっているせいかもしれない。まだ春だからといって油断は禁物だ。

「怒られないようにしなよー」
「う、うん。そうだね」
「担任の先生だと、怒られたら気まずいし」
「…それは怖い」

黒板はすっかり消されており、いつの間にか教卓からも先生の姿はなくなっていた。いなくなったのを確認して、私は小さく胸を撫で下ろす。先生を警戒してしまう所はまだなおっていなかった。あんな人に怒られたらと想像するだけで、びっくりするくらい恐ろしくなる。両手で顔を隠す私がよほど間抜けだったのか、友達はまた楽しそうに笑った。