「……だれ、オマエ」
「私? 空井薙! そっちは?」
勢いのままにそう聞けば、緩く垂れた瞳をまん丸にして、それから少しだけ眩しそうに瞬きをされる。ぶっちゃけて言えば「何でお前なんかに名乗ンなきゃいけねーの?」くらいのことは言われるかもしれないと覚悟していた。けれど、その問いは存外素直に返されることとなったのだ。
「はいたに、らん」
「……はいたにりんどう」
「へぇ、すてきな名前!」
幼児特有の舌足らずな発音でも、綺麗な名前だな、と感じたことは覚えている。綺麗な顔には綺麗な響きの名前がくっついてくるモノなのか。それとも彼らが──紙面上のキャラクターであるが故なのか。
なんとなく覚えている生まれる前の記憶なんてモノは、どう足掻いてもなんとなくでしかなかった。正直、この時点でも既に曖昧だったのだ。今でこそそれなりに回せると自負している頭だって、ソレが幼女サイズのモノであればたかが知れていて。つまり、それ以上のことは考えられなかったというわけだ。
「ねえー、何か今日めっちゃいい匂いしない? どっち?」
「アハ、やっぱり?」
「良かったじゃん兄ちゃん。昨日店でめちゃくちゃ悩んで──痛い痛い痛い!!」
「竜胆は一旦黙ろうなー?」
「ごめんって! マジで痛えから離して!?」
なるほど、この香りは兄の方の香水であるらしい。何がなんだか分からないうちにアイアンクローを掛けられてしまった弟の方に、よく分からないながらもそっと両手を合わせる。今日も顔の良い幼馴染兄弟の仲が良さそうで何よりか。
もしもじゃれ合いが過ぎて死んでしまったとしても、骨は兄の方が拾うと思うから放置しておくね。これでいて、この兄は結構弟のことが大事なのだ。ここには少し見れば分かるでっかい愛がある。眼福です。本当にありがとうございます。
「ちょ、薙! オマエ何手合わせてんの!? 助けろよ!」
「いやー……ってかさ、それ香水だよね?」
「相変わらず躱されてンなァ? 竜胆」
「兄ちゃんマジで八つ当たりやめて」
「いや聞けって。人のこと無視してまで喧嘩すんな。ってかどこの香水?」
「ナイショ♡」
「そっか」
「何ー? そんなにオレの香水が気になるワケ?」
「ウーン、そりゃあね、いい匂いだし。にらちゃんのイメージにも合うからさ、ちょっと気になっちゃって」
「……ハ?」
「え?」
それまで普通に、いつも通り和やかに会話をしていたはずの空間に奇妙な沈黙が落ちる。水を打ったようなというか、重苦しいというか、ドン引きされてるというか。ともかく、お世辞にも心地の良い沈黙ではなかった。何だろう。別段おかしな発言をした覚えはないのだけれども。
中学生にして香水を日常的に使う幼馴染には、香水の話なんて普段からしていた。幼少期から関わるうちに積み上がっていった、私の中での「灰谷蘭」と「灰谷竜胆」のイメージに合わなかったら、そのことも普通に伝えている。だから今更「その香水イイじゃん」と褒めたところで驚かれる筋合いはない、はずだ。
天下のカリスマ兄弟に「お前にその香水は合わない(意訳)」と言ってしまう女も大概だとは思うけれども。それはそれ、彼らは幼少期から共に過ごした私には甘いから。こちらもその様に接しているのだ。
正直、面が良い人間に好意的に接してもらえるなんて、もうそれだけで気分が良い。面も良いし私への対応も神。居るだけで私の気分を上げてくれる。いつまで経っても最高に大好きな幼馴染だ。それはいくら六本木のカリスマ兄弟だと言われていようが、人を殴り殺して少年院にブチ込まれていようが変わらないことだった。
ただ──いくら灰谷蘭が気分屋だとしても、急にこんな空気にされるのは心外なのだ。顔の良さだけでは流石にカバーできないことだってあるのだから。
「なあ、薙……」
「なァに?」
しばらく固まってた幼馴染達だったけれど、どうやら弟の方が戻ってくるのが早かったみたいだ。私の体内時計で2分28秒。体内時計なので多少の誤差はあり。それにしても長かったな。
「まさかとは思うけど、"にらちゃん"って……兄貴のこと?」
「ウン。他に居なくない?」
「……マジで?」
「マジで」
「クッッソだせえ。今すぐやめろ」
ようやく戻ってきたらしい兄の方には、本当に不快なときに見せる顔をして眉を顰められる。心外だな。愛着を持って呼んでいるというのに。
「えー……可愛くない? "にらちゃん"。我ながら結構気に入ってるんだけど」
「1ミリも可愛くねえし冗談抜きでだっせえ。二度とその呼び方すんな」
「酷いなァ」
「オマエのセンスの方が酷えんだよなー?」
「うっそ、そんなに?」
「そんなに。言っとくけどコレはマジ」
「ええ……んじゃあ、何て呼べばいいのさ」
私としては、もうしばらくはずっと「にらちゃん」呼びをしていたつもりだった。だから何を今更──とは思うものの、一応のお伺いは立てておく。渾身の可愛いあだ名をボロクソに言われたあたり、こちらが新しく呼び方を決めても却下される可能性が高いからだ。
「……蘭様で」
「蘭様?」
「ウン」
「おっけー、蘭様ね」
「ちょっ……と待って、一旦ストップ。薙はそれでいいの?」
灰谷蘭から言われた通りにそう呼ぶと、隣で聞いていた灰谷竜胆からはもの凄い顔を向けられた。驚愕、唖然、絶句、お前ソレで良いのかよ。表情から読み取れるのはだいたいこの辺りだろうか。最後に関しては普通に言われたが。
呼び方に関しては、まあ、正直識別できれば何でも良いのだ。内心は未だにフルネーム呼びが多いのだし。かつては、なんて綺麗な名前なんだろう、としばらくフルネームをそのまま口に出していたくらいなのだ。確かあのときは、幼さの残るちょっと微妙な顔で嫌がられたっけ。曰く、他人みたいな呼び方をするなと。だからこその親しみを込めたあだ名を付けたというのに。
「……ちなみにオレのことはなんて呼んでるのか聞いていい?」
「にりん」
「ダッハッハ!!!!! "にりん"て!!!!!! オレのよりやべー!!!! ハハハ!!! げほっ!!!」
「ちょっと、蘭様笑いすぎ」
「本当にやめて。マジでダサい」
「は? みりんみたいで可愛いじゃんか」
「ごめんどこが????」
「んフッ、しかもどっちかってーと味醂じゃなくて二輪だよな」
これまた、灰谷竜胆につけたあだ名は不評だったらしい。失礼しちゃうな。
そんな心情のままにムスッとした顔を向けても、何故かぺしょぺしょに耳を垂らした灰谷竜胆からは「その顔したいのオレなんだけど……」なんてことを言われてしまった。何言ってんの、どう考えても渾身のあだ名を笑い飛ばされた私の方が可哀想だろうが。
「じゃあにりんは何て呼ばれたいの。竜胆様? 蘭様と合わせるなら竜様?」
「……普通に竜胆で」
「えー……つまんな」
「ぶフッ……! 竜胆言われてんぞー?」
「変なあだ名で呼ばれるよりつまんないって言われる方が百倍マシ」
「アー……まァ、そりゃそうだな」
「……エ、そんなに?」
「なァー、薙チャン」
「なァに? 蘭様。ちゃん付けなんて珍しいじゃん」
「今日いつものバー来ねえ?」
「ハイ未成年飲酒。お疲れ様でした、お帰りはあちらの扉です」
「はァ? オレさっき来たばっかなんだけど?」
「そういえば重役出勤だったね。流石カリスマ、格が違う」
「オマエそれは流石に馬鹿にしてんだろ」
久々に学校に来て言うのがそれかよ、と白い目を向けている間にも、灰谷蘭からは心底不思議そうで──文字通り何を言っているのか分からない、なんて顔を向けられている。そんな顔をしていても相変わらずの美人、眼福である。とりあえずとしてマリア像にでもするように手を組んで祈っていれば、灰谷蘭手ずから組んでいた手を解かれてしまった。
無言のままに私の手で遊び始めた幼馴染にくふくふと笑っていると、急にはっとした様子で手を離される。どうも、話をしていたことを思い出したらしく。珍しくも至福の可愛い灰谷蘭タイムは終わった様だ。
「つーかさァ、未成年飲酒は薙もじゃん? 何で来ねえの?」
「誘うな誘うな。こちとら禁酒中なの」
「禁酒? オマエが? 何で?」
「なんとなく……?」
大した理由もないけれど、それでも私と灰谷蘭はまだ高校生で。つまり圧倒的に未成年なのだ。つい前世の癖でタバコとお酒を楽しんでいたら、まさか幼馴染もノリノリでノリにノって来るとは。しかも、ひとつ年下の弟まで連れて来るとは思わないだろう。
いや、まあ、私がいなくてもお酒と煙草はいずれやるようにはなっただろうけれども。自分がきっかけで喧嘩以外にも手を出すようになったとは考えたくないのだ。存在が教育に悪い。
「あーあ、せっかく珍しいウイスキー入ったのに。薙がいらねえってンなら全部オレが飲んどくワ」
「あ゙ーっ……」
「……揺れてる?」
「ノーコメントで」
「はは、何だソレ」
しっとりとした音楽が流れる薄暗いバーで、アンニュイに煙草を蒸してグラスを傾ける灰谷蘭と灰谷竜胆なんて色気の塊でしかないのだ。見たいに決まっている。
まだウイスキー自体が苦手なくせにカッコつけてロックグラスを傾けている辺り、かなり可愛いなとも思うのだ。見たいに決まっている。そんな姿を見せてくれるのであれば、大手を振って着いて行きたいのだけれども。コレはそういう話ではなく。
「……竜胆も来るけど?」
「っ、あー……マジ? 竜胆も来るなら行こうかな」
「ンっとにさァ……薙チャンってマジで好きよな。竜胆のこと」
「顔がね……可愛いので……」
「ハ? 顔ならオレの方がかわいーだろ」
「蘭様の顔が中性的な可愛いさなのはそりゃそうなんだけどさ、竜胆みたいな骨格からして普通にゴツい男の子がふとしたときに見せる可愛さがたまんないんだよ。分かる? 分かるよね? お兄ちゃんだもんね? 弟の可愛さなんて誰よりも分かってるよね」
「……相ッ変わらず竜胆の話になると急にめっちゃ喋るよなー? オニーチャン妬いちゃう」
「アハ、適当なこと言ってんなよ」
「……はははっ、バレてら♡」
最近幼馴染の顔を見ていないなと思ったのは、もう十年近く前のことだった。そのときはまだ、あまり気にしていなかった。
元より兄の方は気まぐれであるし、兄弟揃って二度も少年院にブチ込まれたときだって、私には何の連絡もなかったから。出所後は当然のように顔を見せに来ていたから。今回もまた、どうせそのうち気が向いて会いに来てくれるだろうと、何の根拠もなく考えていた。
それでも、一人で大学に入学して、一人で大学を卒業して。大学のブランドで大企業に就職して。それから数年経っても、彼らがあの綺麗な顔を見せに来ることはなく。そこでようやく、捨てられたのかと思い至ることができた。
捨てられたといっても、文字通りに飽きられて捨てられたということはないだろうとも思えた。何せ弟はともかく、兄は私のことをこの上なく気に入っていたのだから。
他の女には許さない距離を許し、他の人には見せない眩しそうな顔を向けて。いつだって自然体で気まぐれな灰谷蘭が
私が顔を褒める度に嬉しそうな顔をして、それでいて、どこか不満そうな顔をしていた灰谷蘭が。少年院から出所した後でも、一番に
昔みたいにカッコつけて、なんてことのないようにシレッと会いに来るか。それとも、エベレスト級のプライドをかなぐり捨てて縋ってくるか。
時折街中で視線を感じつつも、それまで気長に待ってやろうとすら思っていた。未だ独り身の社会人生活の中で、この上ない楽しみのひとつでもあったのだ。
そんなことを考え始めてからも、実に数年が経った仕事終わり。いつかに弟を連れて入り浸っていた場所とよく似た雰囲気のバーに足を伸ばし、ロックグラスを傾ける。そんな場所で──どうも、見覚えがあるような気もする青年を見かけた。
幼馴染とは違う系統の綺麗な顔の青年には、会ったことはないはずだった。それでも、綺麗な白髪を持つカタギに見えない彼のことは知っているような気がして。
「お兄さん見ない顔だね」
「……ナンパか?」
「そうかも?」
「女は間に合ってる」
「アハ、別に体貸してくれって言ってるわけじゃないよ」
「フーン?」
「……どうも一人は寂しくてさ、一杯だけ付き合ってよ」
かつての灰谷蘭が、少しだけ痛そうに飲んでいたウイスキーを水のように流し込んで。そういえばと名前を名乗れば、訝しげな顔をした青年も「九井」と名乗ってくれた。やはり記憶の奥に引っかかる名前だ。
「九井……ここのい……ノイさん?」
「……何だ、知り合いに同じ苗字の奴でも居たか?」
「え? いや、君のことだよ。あだ名何が良いかな〜って」
酒場だしそんな感じのノリで良いでしょ、と笑えば、ある程度アルコールを入れているらしいノイさんは、細身の体格からは想像し辛い程に豪快に笑った。どうもお気に召してもらえたらしい。
「ははっ……はー、久々にこんなに笑ったワ」
「そんなに気に入った?」
「や、別にそこまで」
「アハ、なんだそれ」
「笑って悪かったって。まさかノイの方取られるとは思わなかったんだよ」
「へえ?」
それから少し話をして、約束通り本当に一杯で切り上げた。途中で話に食い付いてきたノイさんの方には、なんとなくまだ話したそうな雰囲気はあったけれども。「約束だからね」なんて言って笑えば、ノイさんは少し笑って。「良い女じゃん」とだけ言い残して、その日はそのまま別れたのだ。
「よォ、空井サン」
「あれえ、ノイさんじゃん。この店気に入ったの?」
──まあ、数週間後には再び同じ店で飲むことになったが。
反社会的勢力、梵天。大将も死んで、サウスも死んで、他にもたくさん死んだし、たくさん殺した。そんなオレら兄弟は、仲間と共に大将が遺したマイキーに着き、表の世界に別れを告げたのだ。それもひっそりと。
返り血と硝煙に塗れたそんな中でも、オレを大型犬のように可愛がってくるひとつ年上の幼馴染が──兄貴が見るからに大事にしていたあの幼馴染が居ないことに、寂しさを感じたことはあった。態度と口のデカさでオレらとの体格差なんてない様にも錯覚していた、何も告げずに表の世界に置いてきた、あの女の子のことを思い出して。久々に会って話してえな、と思ったこともあった。
──あったが、しかし。
「あ゙……!?」
「あ? 何だよ灰谷弟。急にデカい声出しやがって」
「何で薙が居んの!?」
「……あー、そういやオマエら知り合いだっけ?」
「そうですね。……エヘ、来ちゃった♡」
「『来ちゃった♡』じゃねえんだよな……!?」
廊下ですれ違った九井の隣を歩いていて、面倒そうな顔のままで「オレの新しい部下だ。ヘッドハントした」と紹介された女は──どこからどう見ても例の幼馴染だったのだ。いや、何でだよ。
オレらがこっちに来てからは普通にいいところの大学に行って、デカい会社に就職もしたはずだろ。彼氏は誰も続かなかったみたいだけど、それでも普通に、陽のあたる場所で人生を謳歌していただろ。流石に巻き込めないと思った兄貴が──必死の思いで置いてきたはずだったろ。
薙を置いて行ってからの兄貴は、薙と同じ銘柄の重い煙草を吸うようになって。薙が好んで飲んでいたキツい酒を、薙が居ない場でも飲むようになって。昔に褒められた香水を変えず、背格好が薙に似た女ばかり引っ掛けるようになった。薙本人に手を出したことは、ついぞ一度たりともなかったというのに。
そんな兄貴が
兄貴にだけ見せる蕩けた顔で笑う薙に「かァわいいねえ」とか言われて、一瞬で機嫌が直って。薙が居なくなったらまた荒れる。一連の流れが完璧に想像できてしまった。薙ならば確実に言うし、兄貴だって、薙が九井の部下だと知れば確実に引き抜こうとするはずだ。
誰がそれを止めるんだよ。オレしかいねえだろ。──そんな感情で、思わずドデカい溜め息を吐いてしまったことは仕方がなかったのだ。
「え、その溜め息サイコー! 色気に拍車がかかっ……りましたね!」
「はは……! 変わんねえな、オマエ」
「やっぱ後暗いことしてたらダークな色気も加わるんですかね? いやー……良いな、最高。よーしよしよし」
「クッソ、マジで何も変わってねえ……!!!」
幼馴染だとはいえ、仮にも新入りが、幹部の頭をわしわしと撫で回して。兄貴がじわじわと絆された、気の抜けた陽だまりみたいな顔でへにょりと笑い──本当に嬉しいことのように「生きててくれてありがとう」なんてことを言った。そんな年上の幼馴染に、強く出られるはずもなかったのだ。
「へえ、マジで仲良いんだな。や、話には聞いてたが」
「そりゃあそうですよノイさん! なんてったって幼馴染なんで!」
「ぶっ……! エ、何? 相変わらず何でそこ取んの??」
「ノイだ。オマエらが呼んだら殺すからな」
「しかも受け入れてんのかよ……!!」
どうも、微妙な呼び方を許している様子の九井に頭を抱えて。それから飛んできた「蘭様は?」の言葉に顔を上げた。柔らかくて、陽だまりみたいで。それでいて、陽だまりの中にも少しの寂しさと心配を混ぜたような顔をして笑っていたのだ。
──昔、どうして薙を置いていくのかと、兄貴に聞いたことがあった。素直になれない中でも、明らかに他とは区別して大切にしていたのに。ネンショーを出て、一番に会いに行っていたのに。そんなに大事なら、全部を捨てさせてでもかっさらって行けば良いのに。兄ちゃんらしくない、と。
ソレを聞いた兄貴は、呆れたような、寂しそうな顔をして言ったのだ。「オレとアイツの感情は違えの」と。だからアイツは明るい場所で幸せになるべきなのだと。
「兄貴なら……あー、今日はスクラップだっけ?」
「へえ! 返り血とか浴びちゃう感じ? です?」
「……はは! そうそう、そんな感じ」
「えー……うわぁー……かっこいいんだろうなー……」
「ついでに言うと、その後でキッつい酒とかも浴びちゃう感じ」
「ああ……それはお疲れ様ですな……」
表で過ごしていた割に、微妙に倫理観の飛んだ昔と変わらないやり取りをして笑う。薙にとっては他人が内蔵を撒き散らして死のうがどうでも良いのだ。
加えて、殺ったのが兄貴であれば、いよいよ兄貴しか見なくなる。昔は割と隠していたはずだったが、隠しているだけで元々あったモノで。だからこそ、変わんねえなと笑った。
呆れた様に「ただのウイスキーだろ……しかも珍しい銘柄ばっか選んでパカパカ開けやがって……」と言った九井の声を聞いてか、薙は想像の世界に浸ってうっとりと細めていた目を、これでもかというくらいに見開いた。兄貴が眩しがっていた瞳を隠すように、ゆっくりとした瞬きを数回して。それから、仕方ないなと言わんばかりに目尻を緩めたのだ。
やはりコレはどう見ても、兄貴が言うような違う感情ではないはずだった。少なくとも、一緒のように可愛がられていたオレにだって、一度たりとも向けられたことのない感情なのだから。
「……あー、九井? とりあえず頑張れよ」
「何が?」
「兄貴。オマエの部下って知ったらクソほど荒れると思うから」
「……察した。絶対オマエも巻き込んでやる」
「ウッッワ、マジでやめろ」
空井薙
転生ってことは一回死んでるしな〜ぶっちゃけほとんど覚えてないけど〜のメンタルで図太く生きている面食い。幼馴染の兄(弟)のことが特別好き。でないとわざわざ置いて行かれたことが分かっている世界に自分から飛び込んだりしない。
ちなみにこれからの梵天幹部の呼び方はそれぞれ、ボス or マイキーさん(共に自己申告)、ンズさん(三途)、鶴蝶さん(敬意を込めて)、ノイさん(九井)、アカさん(明司)、モチさん(望月)。アカさんの発音は赤さんだし、モチさんの発音はほぼ餅さん。三途に関しては、本人から「サの発音が弱いだけ」だと思われているので結果的に命拾いしている。「ちゃんと発音しろ」とは言われるかもしれない。
灰谷竜胆
横暴で素直じゃない兄貴とやたら肝の座った年上の幼馴染との間でずっと板挟みになっていた可哀想な弟。「生きててくれてありがとう」には少しだけ泣きそうになった。まだ言ってくれる人居たんだ、の感情。兄貴の女(未)感が強いだけで、幼馴染としては普通に好き。
九井一
灰谷兄弟を探しに行った六本木のバーで未来の部下を見つけた。やたら様になっていた女と成り行きで飲んでいるうちに、何の警戒心もなく明かされた大企業でも通用しているらしいスキルに惹かれた結果あちこちを調べ回った。ホラじゃなかった。
何度目かに顔を合わせたときにウチ来ねえ? と誘ったら本当に来てくれた。仕事がかなり楽になってハッピー。なので梵天入りしてからも変わらない微妙な呼び方も許している。
灰谷蘭
あだ名のセンスが死んでいる幼馴染に冗談で「蘭様って呼べ」と言ったら、以降は本当にそう呼ばれるようになって微妙な気分になった兄の方。実は普通に蘭でも良かった。割とマジで好きな女だし呼び捨てでも別に……。幼馴染が自分の顔(と名前)を気に入っていたことは知っている。それだけだろうとも思っている。
今頃元気に裏切り者をスクラップにしている。お供は面食いの幼馴染がいつかに吸っていた煙草。