カラン、と客の来店を告げる鐘が鳴り、反射的に顔を上げる。ここは老年のマスターが経営する路地裏の小さなカフェだ。
ホールは私一人、キッチンはマスターが一人。私のシフトが入っていない日と時間帯は、マスターが全て一人で店を回している。そんな人数で回るのか、という疑問も当然湧くけれど、実際にやってみると案外回せてしまうものだ。
そもそもの話、ここに店があることに気付く人自体が少ないのだろう。客は常連さん以外にほとんど来なくて、来たとしても基本的に疎らだ。席がいっぱいになったところなんて見たことがない。
バイトを始めたての頃、本気で赤字を心配したら、マスターに笑われてしまったこともあった。まあ、未だにクビを切られていないということは、バイト一人を雇い続ける余裕はあるのだろう。詳しいところは知らないけれども。
そんなうちの店に、最近になってよく来るようになった人が居る。袈裟を纏った、大柄な男の人だ。
人じゃないものを連れてる人は街中どこにでもいるけれど、それに気付いていて、なおかつ連れ歩くことを許容しているように見えた人は初めてかもしれない。当然、彼も人の目があるときは何もないように振舞ってはいる。
"それ"が皆には見えないらしいことに気が付いたのは、果たしていつのことだったか。物心ついたときから視界の端に必ず映る、あきらかに人ではない何か。
幼い頃、無意識に目で追っていたときに、親に何かいるのかと聞かれて。"それ"について見たまま聞かれたままのことを言ってみたら、もの凄い顔をされてしまったこともある。
親から初めて向けられた、私が"それ"を見ているときと同じ様な、化け物を見るかの様な顔。それが私に向けられてしまったことが、幼心ながら耐えられなくて。脇目も振らず大泣きしてしまったことを、今でもよく覚えている。
──そうだ、その頃からだ。それ以来、"それ"が視界に入り込んできても、何も見えていないフリをすることにしたのだ。
だから私は、例え私と同じものを見ていそうな人が居ても、一生懸命に見えないフリをしている。二度とあの顔が私に向けられないように。二度とあんな思いをしないように。私の心を、守るために。
「いらっしゃいませ!」
「ウン、こんにちは。今日も良い日だね」
「ふふ、そうですね。今日もおひとり様ですか?」
「そう、こんないい店誰にも教えたくないからね」
「ウーン……喜んでいいのか迷いますね」
最早恒例となっているやり取りをしつつ「こちらへどうぞ」と席へ通す。店の奥のボックス席、外の景色が見える、一番落ち着ける場所だ。
「……ふふ、君、毎回このやり取りするね。飽きない?」
「すみません、人数の確認はマニュアルなんです」
「真面目だねえ」
「数少ない取り柄なんですよ。お冷お持ちしますね」
「ありがとう」
そういえば──とても今更ではあるけれど──"それ"らにも、お冷はお出した方がいいのだろうか。
ーーー
"おひとり様"なのに、毎度キッチンからの視線が通らない奥のボックス席に通される。夏油は何も言わない。
2021.1.29(2025.11.20改稿)