私は据え膳じゃない!

「あ゙ー……最ッ悪……」

 よくある任務だった。山奥の祠、そこに集う無数の低級呪霊と親玉一匹。それをきれいさっぱり祓うおしごとだ。

 いつも通り、雑魚を祓いつつ親玉を叩く。途中髪を纏めていたゴムが切られたが──ここまでは、正直いつも通りだ。稀によくある。
 何なら、こうなることを念頭に置いて、仕事ではお気に入りを身に付けないまである。死ぬときくらいは好きな物に囲まれていたい気持ちも山々だが、個人的には、お気に入りが仕事如きで壊れてしまう方が耐えられないのだ。

 それで──今回に限れば、いつも通りでは終わらなかった。

 親玉を叩いたその一瞬で、それまで低級に紛れていたクソ呪霊に体を吹っ飛ばされた。元の呪力の大きさからして、低級だったことに間違いはないはずだ。けれど何か、きっと何かのきっかけがあったのだろう。きっかけも何もなく一気に呪力が膨れ上がってたまるかよ。
 とはいえ、これもまだ、稀によくある程度のことだった。問題はここから。吹っ飛ばされたときの勢いでヘドロ状の呪霊の一部が口に入り──あろうことか、飲み込んでしまったのだ。

 それから、やけに体の奥が熱い。

 それは高専に戻り、一通り任務の報告を終えても全く収まる気配はなかった。仕方ないからと普段はきっちり上まで着ている短ランを脱ぎ、カッターシャツも腕を捲り、襟元から数えて上二つのボタンを開ける。
 そこまでして、寮までの道のりを夜風に当たりつつ歩いてみたところ、ようやく多少の熱は逃げてくれた。──それでもやはり、どうにも熱い。

 ついでに口の中はあの呪霊の味でいっぱいだ。そして冒頭の言葉である。マジで最悪。アイツ本当に殺してやる。もうとっくに祓い終えた以上、改めて殺せないのが本当に怠い。殺意のぶつけ先が欲しい。

 苛立ちを抑えきれず、ガラも悪く舌打ちまでして。それからゆっくり、一つ息を吐いた。

 確か、夏油が前にちらっと、呪霊は"吐瀉物を処理した雑巾の味"がすると言っていた気がする。なるほど言い得て妙。確かにそんな味である。
 そんなものをよくもまああんな涼しい顔をして毎回食べられるな、とも思ったが、それはそれ。常であれば直接私には関係がないので、正直興味は薄かった。──それがまさか、自分も食べる事になろうとは。予想外の最悪すぎて、次に夏油に会ったらちょっと優しくしてやろうかな、とすら思ってしまう。

 とりあえず何か、口直しになるものが欲しい。何か冷たい飲み物でも買いに行こうか。強炭酸と暴力的な砂糖の味でどうにかなってくれないかな。正直なってくれなさそう。だとしても、何もないよりはマシか。
 そう思って、自販機のある寮の共有スペースに足を向ける。術式のためにコレを続けなければいけない夏油は、口直しとして何かを飲み食いしていたのだろうか。正直本気で興味がなくて、びっくりするほど記憶にない。

「えー……コーラないじゃん……」

 高専内にあるからか、品揃えが最悪なことは重々承知していた。が、正直コーラくらいならあると思っていた。ド定番だし。見通しが甘かったかな。普段自販機とかほとんど使わないから……。
 他に炭酸……は、残念ながら見当たらない。どうしようか。目に付いたのは水だったが、それならわざわざペットボトルで買わなくても良い。水道から直で飲む。どうせ今は味の違いなんか分からないのだから。クソがよ。

「その声……空井?」

 ──唐突に背後から聞こえてきた声に、思わず肩を跳ねさせる。完全に一人だと思って油断した。めちゃくちゃな独り言をかなり言っていた気がする。聞かれていないと良いな。

「……ああ、夏油じゃん。どうしたのこんな時間に」

 振り返って視線を上げると、そこには明らかに部屋着であろう同級生、夏油傑が立ち尽くしていた。どうやら寝れなくて飲み物を買いに来たらしい。

 ──そうだ、夏油じゃん。いいところに来たな。

「そういえばさ──」





「夏油じゃん。どうしたのこんな時間に」
「ちょっとね、眠れなくて」

 隣の部屋の悟がうるさい、という理由もあったけれど、そうでなくとも今日は普通に寝付きが悪かった。いつも通りの平坦な声で「そうなんだ」と相槌を打つ同級生──空井は、相変わらずだった。相変わらず、こちらへの興味がまるでない。

「それより、普段と印象が違うね。一瞬誰か分からなかったよ」
「ああ、髪とシャツ?」
「そうそう。いつもは髪もきっちり結っているし、制服も気崩さないだろう」
「あ〜……これね……」

 ちょっと任務でしくって、なんて笑う空井は、やはりいつも通りに見える。話しかけられたら会話もするが、何を考えているかはさっぱり分からなくて──いや、少し辛そうか?

 何も気が付いていないうちは変わらない様に見えたが、一度気が付いてしまえば違和感だらけだった。よく見ると頬は赤く火照っているし、眉も下がっている。何より色気が凄い。
 片側だけ耳にかけた髪、うっすら紅潮した頬、普段は短ランに隠れて見えない首筋から鎖骨のライン。誰だ、この空井を『いつもと変わらない』とか言ったのは。そんな節穴な目はくり抜いてしまった方が良い。

 いや、まあ──眠れなくて起きてきただけだったが、いいものが見れたな。これならぐっすり眠れそうだ。

「そういえばさ、呪霊を食べたあとって体調に変化とか出たりする?」
「呪霊によるけど……って食べたのか!?」
「ウン、すっごい味すんね」

 そんな空井から聞こえてきた声に、一瞬耳を疑った。目をくり抜くだけでは飽き足らず、耳まで削ぎ落とす必要があるのかと考えて──流石にないな、と冷静になった。ドライすぎる同級生の珍しい姿を見て浮かれているらしい。
 鉄面皮を今にも吐きそうな表情に歪め、時折「オェ……」なんて嘔吐く様な声を漏らす。そうしてそのまま会話を続ける空井は、なるほど確かに、私が呪霊を食べた後にしたい顔をしていた。

「体調の変化って例えば……どんな感じ? 慣れていないなら硝子に診てもらった方が……」
「や……どうしようかな。まだそこまでではないはず……」

 妙に歯切れ悪く「今日居ないんだよ、家入」と言う姿に、場違いにも、やっぱり色気がとんでもないんだよな、と思って。流石に悟られないように「今はどうなの?」と聞いてみると、少し唸った後で、それはもう嫌そうに口を開いた。

「身体が、熱い」
「……へぇ」

 となると、珍しく自販機前に居る理由も、口直しついでに冷たいものを摂取する為か。なるほど──なるほど。これは。

 まずもって、呪霊や呪物は基本的に猛毒である。器を始めとした耐性のある体以外では、摂取した瞬間に全身から血を噴き、悶え苦しんで死ぬ。或いは、呪霊や呪物に自我を乗っ取られて、元の人間としての自我は即刻死ぬ。後者は特に受肉と呼ばれる現象だ。
 しかし、彼女にはその様子が見受けられない。器と成れる程耐性があるわけではなく、即座に命を落とす程耐性がないわけではない──と、見るのが妥当だろう。

 硝子が不在であるらしい今、念の為悟に見てもらうべきではあるが──

「ねえ空井……空井薙」
「あ……?」
「その熱を逃がす方法に心当たりがあるんだけどさ、」

 刹那、しばらくの間怠そうに伏せられていた視線が持ち上がる。呪霊のせいで熱に浮かされた瞳は、薄く涙に濡れていて。なおかつ、これ以上なく純粋な期待に満ちていて。思わず、喉が鳴りそうになった。

「知りたい?」

 その熱で気を違えそうな瞳のままに、緩やかな動きで頷かれる。とうとう耐えられなくなって、唇の端を強く噛んだ。少なくとも悟に見せるまでは耐えてくれよ、私。

「じゃ、こっちにおいで。歩ける……というか、立てるかい?」
「ン……」
「……無理そうだね」

 「ちょっと抱えるよ」とだけ声をかけ、くたりと力が抜けてしまった空井を抱き抱える。ゆるりと首元に巻きついた腕と、無意識なのか、首筋に擦り寄る頭に脳みそが沸騰しそうになって──間違っても焼ききれてしまう前に、全速力で男子寮まで駆け込んだ。

「──悟!! 出て来い悟!!」
「うるっっっっせえなマジで!!!!」

 自販機に行く前に着けさせたヘッドホンを耳から外した悟が部屋の扉を開ける。「今良いとこなんだけど!?」と言われたが、どうせシューティングゲームのスコアで私に負けたのが悔しくてコソ練していただけなのだ。取り合わず、両手で抱えた空井に視線を向けて。「見ろ」と言えば、ようやくその存在に気が付いたみたいだった。

「……コイツ、何か変なモン食った?」
「呪霊を少し飲み込んでしまったみたいでね」
「いつ?」
「どうだろう。下の自販機で十五分くらいは話してたけど……任務先から帰ってくる時間を考えると、もう少し経っているはず」
「……にしちゃあ、軽傷すぎるな」
「放っておいたら死ぬとか」
「ない。十五分以上経っててコレなら普通に耐性あるな」

 私の腕の中に大人しく収まる空井を見ていた蒼い瞳が自分の方を向き「水分取らせてほっとけば治る」と言い切って。ようやく、ホッとした。

「念の為に、硝子、呼び戻した方が良いかな」
「ま、その方が安全っちゃ安全・・だけどな。正直反転術式でどうこうできるモンでもねえし」

 空井に戻していた視線がもう一度己の方を向き「念の為って言うなら、見ておくだけで大丈夫」と言って、それからぐるりと上を向いた。気持ちは、分かる。

「傑さあ、それよく平気で居られるな」
「正直そろそろ、ね。ヘッドホンは着けたままにしておいてくれよ」
「無理そうだったら俺が見るけど?」
「ははは、させるかよ」

 命に関わる事態にはならないらしい、と聞いてからは、心配が秒速で大敗した。「邪魔して悪かったね」とだけ言い残し、足早に自室へと戻る。

「げと、」
「うん」
「ごめ……迷惑かけて、」
「──いいよ」

 全部呪霊のせいなんだ。だから君は、なんにも気にしなくて良い。



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2021.2.12(2025.11.20改稿)