自己嫌悪デー

(夢主が社会人で年上)

数ヶ月に一度くらい、自分が大嫌いになる日がある。

仕事は要領よくこなせなくて上司に怒られて、持ってきたお弁当には箸を入れ忘れて、しっかりリストを作って抜けがないかチェックしたはずの日用品の買い物は、そもそも歯磨き粉の存在を忘れていたことに店を出てから気づく。最悪だ。
どうにも上手くいかない日。アパートに着いて扉を開け雪崩るよう玄関に滑り込む。倒れた拍子にドラッグストアの袋からドサドサとシャンプーやら洗剤やら飛び出したけど気にしてる余裕がない。今はひたすら何もしたくないのだ。
ちょっとだけサボってしまおうか。明日のお弁当はコンビニにして……あ、お財布にお金がないからATMへ寄らないといけなかったのを忘れていた。あぁ……。

玄関に寝転がったまま、スーツのポケットからスマホを取り出す。メッセージの通知が二件。一つは田舎のお母さんから。元気にしていますか。名前からあまり連絡がなくてお母さんは心配です。たまには実家に帰ってきてね。
急激に鼻の奥がツンとして、メッセージを表示した画面がじわじわ滲む。なんで私ってちっとも上手くやれないんだろう。手から落ちたスマホがごとりとフローリングに横たわる。もう全部が悲しくて、みっともなくしゃくり上げた。大きな声をあげて泣けなくなったのはいつからだっけ。
感情に身を任せてしばらく涙を流れるままにしていると、突然背後のドアからガチャガチャ音がして心臓が跳ねる。あれ、鍵閉めたよね? カチリとツマミは動いて扉がゆっくり開かれた。

「……こんなとこで何してんすか。電気もつけねぇで」
「……ジュンくん?」

入ってきたのは私のよく知る人で、安心と同時に今いちばんこの姿を見られたくない相手だった。彼には合鍵を渡している。
ジュンくんは私がまだ帰ってないと思ってたようで、一瞬面食らっていたけれどすぐに怪訝な表情になる。成人女性が電気もつけずに玄関で寝転んでいたのだから当然だ。今日行きますって連絡入れといたんすけど、そう言いながらジュンくんは鍵を閉め電気のスイッチを入れる。たしかにメッセージがもう一件来ていたんだった。

「開けた瞬間ビックリしましたよぉ。変なやつに襲われたんじゃないかって」
「はは……ごめん、ちょっと力尽きてた」

鼻をすすりながら腕を引かれて身体を起こす。座っている私を避けて部屋に上がったジュンくんは変装のため身につけていた帽子とマスクを脱ぐと、しゃがんで目線を合わせてきた。

「名前さん、何かあったんですか」
「……うーん、あったといえばあったけど、しょうもないことだよ。今日は全部が上手くいかなくて、自分がダメなやつだって再確認したの。恥ずかしくてジュンくんには聞かせられない」

ジュンくんは年下だけど超売れっ子のアイドルで、テレビや雑誌に引っ張りだこの人気者だ。学生のうちから芸能界で仕事をしているからか、私よりも全然大人っぽい。なんでこんなすごい人と付き合ってるんだろう。一度マイナスに振り切った思考はちょっとやそっとでは戻せなくて、自己嫌悪の無限ループに陥ってしまう。

「はぁ……情けないよね。いい歳した大人なのにさ」

自嘲気味に笑う私をジュンくんの目がじっと見つめる。引っ込んだと思った涙がまたうるうる溢れてきて、目を逸らした弾みにポロリとこぼれた。年上なのにかっこ悪いって思われたかな。今すぐ消えてなくなりたい。

「いいじゃないっすか。そういう日があっても」

ふいに、ポンポンと優しい温もりが降りてくる。俯いた顔を上げれば、ジュンくんが頭を撫でてくれていた。節くれだった指先がぎこちなく涙を拭う。

「オレも仕事でおひいさん……巴日和先輩にダメ出しされまくってヘコんだりする日もありますし、誰だってそうでしょ〜。今は落ち込むだけ落ち込んで、また明日から頑張ればいいんすよぉ」
「……ジュンくんは、優しすぎる……」
「どうも。名前さんの一生懸命なとこオレは好きですけど、あんま気負いすぎても身体にわりぃですよ」

ジュンくんは座ったままの私を抱っこして、あやすみたいに背中をトントン叩いてくれる。これじゃどっちが年上かわかったもんじゃない。だけど今は嬉しくて、私はしがみついて彼の肩を濡らした。

「あ、今なら元気が出るおまじないもつけますけど……どうですかねぇ?」
「おねがいする……」
「りょ〜かいっす」

目、閉じてください。
言われた通りにすれば前髪がかき分けられ、おでこにちゅ、とキスをされる。目を開いた先のジュンくんはちょっとほっぺたが染まっていて、視線が泳いでいた。

「……自分からしといて照れてる」
「うるせぇなぁ……早く元気になってくださいよ」

頭をガシガシ掻くジュンくんが面白くって、思わずくすりと笑う。あ、本当に元気が出るおまじないだったんだ。さっきまで暗く沈んでいた気持ちが、今は少しだけ前を向けた気がした。やっぱりジュンくんってすごい。

「名前さん、晩飯まだでしょ? あるもんで何か作ります」
「いいの? ジュンくんもお仕事で疲れてるんじゃ……」
「もちろんタダじゃねぇですよ。ひとつ貸しってことで」
「え、なんか怖い……」

不敵に笑ったジュンくんが立ち上がりこちらへ手を差し伸べる。その手を掴んで、身体に力を入れて私も立ち上がった。スーツが少し皺になってしまったから、あとでアイロンをかけよう。お母さんにも近いうちに帰るねって返信して。早くいつも通りの私に戻って、ジュンくんにありがとうって伝えたい。

2020.04.27
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