Eye Drops

夕食の食器を洗い終え、キッチンで伸びをして一息つく。リビングではジュンくんがテレビを観ている。今日放送の歌番組にジュンくんのお仕事仲間である『Adam』の二人と、加えてライバルのアイドルの人達が出演しているらしく部屋には先程から様々なアーティストの歌が流れて賑やかだ。あ、この曲有線で聴いたことあるな。流行りの歌を耳にしつつ私はあることに頭を悩ませていた。
今、ものすごく目が疲れている。目頭を押さえて上下に動かしたり揉んでみたり。こういうときってこめかみを押した方がいいんだっけ。うろ覚えの知識を総動員して軽くマッサージしてみたけれど、改善の兆しは見られなかった。私は眼精疲労が溜まると頭痛がするタイプで、既に頭の片側ではズキンズキンと不快な痛みが主張しはじめていた。酷くなる前に、とコップに水を用意しリビングに戻って薬箱から頭痛薬を取り出す。

「頭、痛いんですか」

ローテーブルの前に座るとジュンくんはこちらに視線を移し、私の手元の錠剤を見つけると声を掛けてくる。

「うん、いつものことなんだけど目が疲れてると頭痛くなるんだよね。会社で一日中パソコンと睨めっこしてるせいかなあ」
「あんた、寝る前によく真っ暗な部屋でスマホ見てますよねぇ。それもわりぃんじゃねぇの」
「うっ、ごもっともで……」

就寝前にベッドの中でSNSをチェックするのが日課の私はジュンくんからの鋭い指摘に頭を項垂れた。正論は耳に痛いものだ。でも寝る前にEdenやEveの公式アカウントを覗いてジュンくんの話題や写真を見ると、キラキラした気持ちになって明日も頑張ろうって思えるんだよ……などという言い訳は口に含んだ頭痛薬と一緒に水で流し込む。ジュンくんは小さくため息をひとつ吐いて、目薬持ってないんですかと尋ねてきた。

「持ってる。でも……あれ苦手なんだよね」

コップに視線を落としたまま白状した。小さい頃から点眼が苦手だ。眼球にまっすぐ水滴が落ちてくるあの感覚が恐ろしくて、反射的に目を瞑ってしまう。昔はお母さんにやってもらっていたけれど、大人になってからはそういう訳にもいかず四苦八苦している。眉をひそめ水の残ったコップをタッピングしていれば、じゃあ、とジュンくんは思いついたように口を開いた。

「オレがやってやりましょうか」
「えっ……ジュンくんに? いや、それはさすがに恥ずかしいというか……」
「オレ、もうだいぶ名前さんの恥ずかしいところは見てるつもりなんですけどねぇ。十も二十も変わんねぇでしょ」
「待って! 私そんなに恥ずかしいところあるの!?」
「どうですかねぇ〜」

ジュンくんは乗り気みたいで、リモコンを操作してテレビを消してしまうと私の側へ移動してきた。本当にやるつもりなのか。

「テレビはいいの? 今観てたじゃん」
「Adamも観ときたかった人達も、もう出番終わったんで。はい、目薬寄越してください」

ローテーブルに置いてあるウエットティッシュを1枚抜き取り、拭いて清潔にした手をずいと差し出してきた彼に観念して薬箱から目薬を出して渡す。ジュンくんは膝立ちになって私の頬に手を添え、上を向かせた。私たちの距離は互いの吐息が顔にかかる程まで近づき、爪が綺麗に切り揃えられた指先が頬を撫でる感覚に背筋が少しだけぞくりとした。

「名前さん緊張しすぎでしょ。リラックスしてください」
「は、はひ……」
「全然聞いてねぇし……まあいいか。さて、いきますよぉ〜」

だって怖いものは大人になったって怖いのだから仕方がない。下まぶたをゆるく押し下げられ、ジュンくんの持つ目薬が徐々に近づいてくる。近すぎてピンぼけの目薬に、思わず目元の筋肉がピクピク痙攣してしまってジュンくんがふは、と笑い声をこぼした。こっちは真剣なので笑わないでほしい。

「目薬じゃなくて……オレに注目」

今なんて……ジュンくんに?
呆気に取られているうちに冷たい滴がぽたりと瞳に落とされ、親指で優しくまぶたを閉じさせられる。冷たい液体がじわり眼球に浸透する感じがして気持ちいい。いいこ、優しい声色に胸が甘く締め付けられるみたいだ。親指が離され反対側へ。もう一度、手元よりもその奥のジュンくんを見て……ぽたり。

「はい終了。瞬きしてみてください」
「おぉ〜……」

何となく視界がクリアになってスッキリした気がする。目薬をさしたおかげというよりも、普段苦戦していた行為がスムーズに終わったことによるところの方が大きいかもしれない。

「すごい! ありがとうジュンくん!」
「い〜え。オレのことちゃんと見えてないと困りますからねぇ」

頭をぽんとひと撫でして目薬を返された。確かにジュンくんの言う通りで、キラキラ輝いている彼のことは一瞬だって見逃したくない。明日の仕事帰りに眼精疲労に効くグッズを買ってこようと頭の中でスケジュールに組み込んだ。もしそれらが効かなかったときは――またジュンくんにお願いしてみるのもいいかもしれない。

2020.05.02
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