おままごと


※行為を匂わせる描写有り


65u、1LDK。
これがわたしの世界の広さになってから約2ヶ月と4日。学友とキャンパスライフを送っていたあの日々の記憶がもう遠い昔のようだった。

「ただいま。名前?」

わたしの名を呼ぶテノールが玄関の方から聞こえてくる。ああ、またこの時間がやって来てしまった。

「名前、返事を……ああここにいたのか」

185cmはあろうという大男。切れ長の目に男性にしては長い黒曜のような髪。わたしの世界を圧縮した張本人。彼は自らを夏油傑と名乗った。
わたしはこの男との面識はほとんどない。
小中一貫校、高校は女子校。飲み会や合コンも面倒くさいから行ってない。大学でもあんな名前の目立つ男性は見たことない。だから本当に知らないのだ。心当たりすらない。
大学の学園祭、わたしのサークルの出店に商品を買いに来た一般の客。わたしがその時お会計の担当だった。ただそれだけ。特段会話をしたわけでもない。
学園祭が終わって1週間程後、わたしは彼に再会した。再会と言っても、家の近くの道ですれ違っただけ。わたしは気が付いていなかったが。

声は向こうからかけてきた。わたしのポケットからレシートが落ちたと言って律儀にも渡してくれた。確かにわたしはスーパーで買い出しに行った直後だったし、そのレシートに書かれていた商品はわたしが買ったものだったので一言お礼を言ってそれをポケットにしまって、一人暮らしのアパートに帰る。
同じ日、同じ店、同じ商品を買ったレシートがもう一枚ポケットから出てきて青褪めた時にはもう何もかもが遅かった。

「駄目じゃないか。私が帰る時は連絡を入れるから必ず玄関で迎えてほしいとあれだけ言ったのに」

気がついた時にはもうわたしは箱庭の中だった。
一度も名乗っていないのにわたしの名を当てた彼曰く、わたしたちは前世で恋人同士だったがわたしが若くして死んだのだと言う。わたしは何も知らない、家に帰してほしいと叫ぶと彼は悲しそうに眉を顰めて、それはできないと言う。もうわたしを失いたくないと言う。そんなことを言われたって、もし本当にそうだとして、今のわたしは今のわたしでこの人を知らないし、関係だってないのだ。
だが、何を言っても彼は「ゆっくり思い出してくれればいい」と穏やかにわたしの頭を撫でるだけだった。

「言うことを聞けない子にはお仕置きをしなければね」

彼はよく仕置きと称して恋人同士のする諸々をわたしに強いた。あるときは口付けを、あるときは共寝を、またある時はそれ以上を。
外にこそ出られないが、ここでの生活に於いて不自由することはなかった。寧ろ彼は物をよく与えてくれた。
皮肉なことに、彼の言う“前世の私”の好みはぴったりわたしの好みであった。
外に出してはくれないくせに、毎日のように違う服が用意されている。
ただ同時に、彼はわたしとの間に一方的に取り決めを設けた。彼からの電話は2コール以内に出てほしい、彼がいる間は一回以上は名前を呼んで欲しい、彼が帰って来るときは玄関で待っていてほしい、エトセトラ、エトセトラ。
そしてそれらが守られないと、“お仕置き”が執行されるのだ。幾ら嫌がっても、「これで思い出すかもしれないから」と覚えてもいない前世を持ち出してくるのだ。
まるでわたしは彼好みのお人形であった。彼の住居というドールハウスの中で彼好みに着せ替えられ、動かされるお人形。

「ああ名前、どうか泣かないで。君が泣いていると私も悲しい」

こんなやり方をせずに、彼の言う“前世のわたし”の面影ばかり見ずにわたしと向き合ってくれたなら、きっとわたしもこの男を好きになれたはずなのに。

「愛してる……名前、愛してるんだ……」

こうしてわたしは今日もこの1LDKの箱庭で人形になる。