終幕

「──つまりこういうわけだ」

 万年筆を動かす音が、人気のない部室に響く。
 署名を終えたチカゲは脇にペンを置くと、正面に座るイデアに目を向けた。

「君はもともと…それこそ、シュヴェゾーレン村に招かれるより前にエース氏から相談を受けていた」
 
 ハンチング帽を乗せた探偵のように、人差し指を立てたイデアが言葉を紡いでいく。チカゲは同意するようにひとつ、頷いた。
 イデアは続ける。

「その相談内容から、君はICAMに保管されている異界化報告書の一つに思い至った」

 これも是である。エースの相談とはすなわち、シュヴェゾーレン村――ミカゲ村の夢を見続けているというものだった。チカゲがその相談を受けたのは、エースが生贄候補者として影送りの儀に参加することになる十日前のことである。
 そうしてその相談からニ日後、彼は学園の誰の記憶にも残らず姿を消した。
 否、正確には、監督生とグリムのみが彼の存在を覚えていた。

 イデアは続ける。

「機械音痴の君はアーカイブ化した報告書が見れない。だからあの日、本当だったら君は本部に向かうところだった」
「あら、その前に監督生さんとイデアさんに少しばかりのお願いをしたはずですよ」
「お願い…? あー、あの『相談板での監督生の相談を見つけたら削除してくれ』ってやつでござるか」
「御名答。監督生さんには理由を添え、一筆(したた)めました」
 
 報告書を丁寧に折り畳み終え、チカゲはにこり、と目尻を下げる。
 チカゲが監督生にまつわる妙な噂≠聞くようになったのは、エースが消えた四日後のことだった。監督生が探しものをしているらしい、という不確かな噂はしかし、事実無根のものとして流すには少々気になる点が多かったのだ。
 というのも、監督生と親しい間柄の同級生や上級生が毎日のように同じ話題を挙げていたからである。監督生が探しものをしているらしい、という問いに、早く見つかるといいな、と返す。そんなまったく同じやりとりが二日、三日と続けば、流石に静観しているわけにもいかなかった。

「――魔法士には強い想像力が求められます。魔力に満ち、多くの魔法士候補者が集うこの場所でその者がいない≠ニいう認識を強く想像した場合、果たしてどうなるのでしょうね」
「……まさか、認識が魔力で補強されて現実になるってこと?」

 琥珀色の瞳を見開き、掠れた声を出したイデアに、チカゲは曖昧に笑んだ。
 
「確証はありません。けれども、万が一ということもあります」
「だからチカゲ氏は拙者や監督生氏にエース氏の行方不明を吹聴しないよう、手を回したんでござるか。拙者たちの話を聞いた魔法士(生徒)が、認識阻害を受けたエース氏の存在を否定しないように」

 それにしたって博打すぎるが? とイデアは半目になった。エースの存在を秘匿するということは、彼の救助を表沙汰にできないということである。最悪の場合、彼が本当にいなくなっていた(・・・・・・・・・・・)可能性もあったのだ。

「チカゲ氏だって失敗するルート考えなかったわけじゃないでしょ」
「頭の片隅には常にありましたよ。けれども、エースさんにはこちらを渡せていましたので、然して心配してはいませんでした」

 そう言って、チカゲが懐から親指の爪ほどの大きさの鈴を出す。キーホルダー状のそれはチカゲの手の動きに合わせてちりん、ちりん、と澄んだ音を奏でていた。
 ふと、イデアはその音に既視感を覚える。
 鈴の音。一体どこで聞いたんだ? 確か影が、影がゆらゆら揺れて――…。
 
「……影送りの儀…そうだ、影送りの儀の動画だ! そこで鳴ってたんだよ、ずっと」
「動画に? …きっと、警告していたのですね」

 この鈴は厄除けのお守りなのだとチカゲは言った。シュヴェゾーレン村の夢を見た被害者のうち、魔除けの効果のあるお守りを傍に置いていた者は確認できている限りで誰一人、生贄として選ばれていなかったのである。
 ゆえにチカゲはエースにこの鈴を持たせ、彼が儀式を無事に遂行できるようにしたのであった。

「エースさんは健康上に問題はないそうです。シュヴェゾーレン村での出来事は断片的に覚えているそうですが、心身に不調を来すほどではないと」
「動画見返してて思ったけど、エース氏かなり自我強いよね…。異界に取り込まれてる時点で『自分はこの村の人間』っていう認識になるはずなのに、チカゲ氏たちに協力するような立ち回りはしますわ、エース氏庇った監督生氏にブチギレからのマジレスしますわ。フロイド氏が着てたポンチョも、エース氏のでしょ?」
「ええ。『監督生さんを助けるために』とお話したら、一も二もなくお貸しいただけましたよ」
「はーアオハルじゃんワロタ」

 イデアはやけになって湯呑の緑茶を一気飲みした。若者の青春ツラ、とたいした年の差もないのに口の中で呻く。
 西日が差し込み赤く染まった室内で、音を発するのはイデアとチカゲしかいない。部室と呼ぶには狭いこの部屋は、授業でも使われていない七塔に位置している。活動メンバーがチカゲのみの同好会は、彼が家業の代替として設立したものであった。

「ああ、そういえば。すっかり遅くなってしまいましたが、報告書の件ありがとうございました」

 今思い出しましたとばかりにチカゲは両の手を合わせた。イデアは数秒記憶を探り、スレッドに投下した異界化報告書のことだと検討をつける。
 
「いや拙者ICAMから送られてきたアーカイブそのまま添付しただけですしおすし」
「いいえ。あの資料が手元に欲しかった身としては、イデアさんに橋渡し役を担っていただけて助かりましたから」
「…君も大変だよね、学生の身でICAMの調査員だなんて」

 イデア自身、人ならざるものを相手にする血筋であるため、似た境遇のチカゲに思うところがあった。
 人に害を為すと判じられた霊や怪異を成仏させるために生まれた、陰陽師という職業。チカゲの実家であるアサヒナ家は代々陰陽師の家系らしく、彼も洩れなくその役目を継ぐのだろうことは想像に難くない。
 そのうえ、チカゲが一年生の頃に起きた諸々のことでICAMに目をつけられ、学生の領分を邪魔しないことを条件に彼は調査員の一人となったのであった。

 コンコンコン、とノックが三回。
 突然の来訪者に、イデアがびくりと肩を震わせる。
 チカゲは首を傾げつつも、扉の向こうにいるであろう人物にどうぞ、と声をかけた。

「え、と。失礼します」
「失礼しまーす」
「あれぇ、ホタルイカ先輩じゃ〜ん」

 ちょうど三人の表情が見える順で、扉の隙間からひょこりと顔が出ている。
 仲の良さそうな様子に微笑ましく思ったチカゲとは対照的に、イデアは顔を蒼褪めさせパーカーのフードを被った。

「か、監督生氏とエース氏!? おまけにフロイド氏まで! な、なにゆえここに…」
「あー、今回のことで世話になったんで一応お礼をしに。トレイ先輩にもケーキ持たされちゃったし」
「僕も、いろいろ助けていただいたんで」
「オレは暇潰しぃ」
「あらあら、わざわざありがとうございます。イデアさんもご一緒にいかがですか?」
「あ、拙者もう行きますんで…。お茶ごちそうさま、拙者も今度なんか持ってきますわ」

 大きな体を縮こまらせ、イデアは扉の向こうへと消えていった。
 不思議そうに顔を見合わせる後輩たちに、チカゲは静かに笑ってみせる。

「ようこそ、怪異相談所へ。お茶を淹れるので、どうぞ寛いでいってくださいな」