01

 あ、私転生してるわ。

 あまりにも軽く思い出した前世の記憶が脳内で上映されるのをぼんやりと流し見ながら、私は一先ず呆然と座り込む母の背を撫でた。
 それに対して何か反応を示されることはない。まあ、無理はないかと私は角度的に見えないテーブルの上にあるだろうそれを睨む。

『借金したので返済よろしく!』

 そう、殺意しか湧かない紙切れ一枚を残したのは、残念なことに今世の父親であった。

 


***




 小春紫こはるじ暇、六歳。
 真新しいランドセルを揺らす私は誰がどう見ても立派な小学生だが、その実中身は二十代の女である。
 死因は恐らく失血死。前世における最期の記憶はキラリと光るナイフと半狂乱の女性(確かバイト先の先輩)だった。
 ちなみに、卒論を出した帰りのことである。前世の私は泣いていい。

 そんな感じで思い出した前世ではあるが、今の私に前の私の記憶がインストールされたからといって特別何かが変わるわけでもなく。
 あの日から情緒不安定な母を宥めすかし、私は今日も元気に学校に通っていた。

 
「………………ねっっむ」

 わけがないんだよなあ、これが。
 くあ、と大きな欠伸をひとつ溢し、目尻に浮いた涙を拭う。目が合った先生が心配そうに眉を下げたのがわかったが、精神年齢を考慮してしまえば簡単すぎる授業は私の眠気覚ましとして機能することはない。ので、申し訳ないが多少のうたた寝には目を瞑ってもらいたいところである。
 
 父親の蒸発から早一ヶ月。昼夜を問わず鳴り響く電話はもとより、いなくなった父に縋る母の声は私の睡眠時間を着実に削っていた。
 愛の深い母にとって、父に捨てられたことへの衝撃はかなり大きかったのだろう。「私の何が悪かったの?」「お金を返せばまた戻ってきてくれるの?」とさめざめ泣く母が落ち着くまで話を聞いているのだから、私の現在の睡眠時間は小学生とは思えないほど短いものとなっている。気分は夜泣きする赤ちゃんをあやす母親だ。

 幸運だったのは、我が家の稼ぎ頭が両親健在の頃から母だったことだろうか。これで専業主婦であれば、今頃目も当てられないことになっていた。働けない子どもと無職の母親に背負わされた借金とか字面があまりにも悲惨すぎる。

 今の私が高校生だったらバイトできるんだけどなあ、とぼんやり考えていれば時刻はすでに放課後だ。
 帰り支度を済ませたランドセルを背負い、向かう先は下駄箱……ではなく図書室である。
 借金取り立ての電話が鳴り響く中で過ごせるほど私の耳は都合よくできていない。つまるところ、帰宅時間を遅くするための暇潰しだ。
 
 そんなわけで最近の放課後ルーティンは、秒で終わらせた宿題を横に興味を引かれた本を読むことだった。のだが――。

「うーん、マジかぁ」

 すべての荷物を出しても一向に見つからない筆箱に溜息を吐く。どうやら教室に忘れてきたらしい。
 取りに行くのが面倒だが筆記用具がなければ宿題も儘ならないため、私は渋々重い腰を上げた。地味に教室まで距離あるんだよなあ。

 というのもこの学校、途中で生徒数が増えたのか低学年と中高学年で校舎が分かれているのである。図書室があるのは西校舎、一年生の教室があるのは東校舎。しかもどちらも校舎の端に位置しているときた。本の虫の小一にあまりにも優しくない設計だ。
 ま、この年の子どもなんて外遊びが中心かと自分の小学生時代を思い出しながら廊下を歩く。窓から射し込む西日の眩しさから逃れるべく、各教室の壁に貼られている展示物を流し見ていた。

(お、まだ人残ってる)

 その過程で見えた教室内に、男の子と担任らしき女性の姿を見つける。私の記憶が確かなら、彼女は二年生の担任だったはず。
 思った通り、通り過ぎがてらちらりとクラスを確認すれば「2-3」と印刷されたプラスチックの札が扉の横に下げられていた。ちなみにその隣が私が在籍する1年1組である。
 教室に入って自分の机を確認すれば、のりやハサミと一緒に取り残された筆箱を引き出しから発見した。

 小学一年生にしては珍しいペンポーチタイプのそれを掴んで帰ろうとすれば、ふわりと視界の端を何かが掠める。
 視線を投げればどうやらベランダに続く窓が開けっ放しになっていたようで、カーテンがゆらゆら揺れていた。
 掴んだ筆箱はそのままに窓を閉めようとそちらへ足を向ける。少し重いそれによいしょ、と力を込めようとしたところであった。
 

「だからッ、あなたが好きなのよ御影君!」


「えっ」

 聞こえてきた言葉に、思わず手を止める。アナタガスキ……あなたがすき……あなたが、好き…?
 それが一般的に告白の言葉だということは理解できていた。というか、理解できているだけに私の脳は情報処理を拒んでいた。え、だって隣にいたのって男の子の他は先生しか……。

 ごくり、思わず唾を呑み込む。中途半端に開いたままの窓から身体を出し、禁止されているベランダに足を着けた。
 そろそろとしゃがんで移動し、一番声が聞こえるところで止まる。どうやらこちらもベランダに続く窓が開いていたらしく、そっと覗き見れば残念なことに男の子と先生しか見当たらなかった。

「あの、そんなこと言われても困ります」
「やっぱり年の差が気になる?」
「いや、そうじゃなくて」
「でもそんなもの、愛の前には関係ないと思わない? それにほら、大人として御影君のことリードできるし。いろいろと、ね」

 含みを持たせる言い方にぶるりと背筋が寒くなる。小学生に聞かせる台詞じゃねえ。男の子が拒絶していることが唯一の救いだが、この調子だと女教師が既成事実を作ろうとするのも時間の問題だろう。……今から職員室行っても間に合わないよなぁ。

 よし、と自分の両頬を叩く。一旦教室に戻って自然な感じで男の子を連れ出そう。
 思いついた対処法を実践すべく立ち上がれば、窓越しに男の子の両肩に手を置き顔を近づける女教師が見えた。

 
 
「〜〜〜〜〜ッ未成年に手出すならマッチングアプリで婚活してろクソ淫乱教師が!!!」
 
 
 
 反射的に投げた筆箱がばちこーん! といい音を奏でて女教師の顔面に入ったのを見届けるより前に、男の子の手を掴んで1年1組の教室から昇降口まで駆け抜ける。
 乱れた息を整えながら顔を上げれば、そこにいたのは頬を上気させた紫髪の美少年だった。うっわ顔良。小学生にして将来が確約された顔面を持ってやがる。

「あ、いきなり腕引っぱってごめんね。いたくない?」
「いや、だいじょうぶ。てか、助けてくれようとしたんだろ? ありがとな」
「……あー、うん。どういたしまして」

 小二とは思えない返しに一瞬間が生まれたが、少年は特に気にしてないらしい。にっこりと笑う彼に何故だか腰が引けたが、相手は小学生と心の中で唱えて冷静さを保った。

「むかえにきてくれそうな人とかいる? よけいなお世話かもしれないけど、ひとりで帰すのはちょっとしんぱいだから」
「それならばぁやが来てくれてるから…。あ、ついでに送ってこうか?」
「?? ううん、だいじょうぶ。お手間だろうし」

 おばあちゃんのことをばぁや呼びするタイプなのか。初めて聞いたわ。軽く手を振って断る私にそれ以上詰め寄ることはなく、少年は「そっか」とあっさり引いてくれた。年のわりにはずいぶん引き際がしっかりしている。
 
 そのまま当然のようにポケットから取り出したスマホを操作し始めた少年に驚いたのも束の間、数分と経たずに現れた『30秒で支度しな!』の台詞が似合いそうなおばあさまに私は刮目した。すごいな、身長何センチあるんだろ。

「お話は伺いました。玲王坊ちゃまを助けてくださり、ありがとうございます」
 
 首が痛くなるほど見上げてようやく視線の合うおばあさまがぺこりと頭を下げたものだから、私は慌てて両手を顔の前で振った。いやだってそんな直角で頭下げられるほど大層なことやってないし。ていうか坊ちゃま? 坊ちゃまって言った? この人。

 そっと少年を横目で窺ったが、生憎と私にお金持ちとそうでない人を見分ける能力は備わっていない。得られたのは横顔も綺麗だなというなんの実にもならない感想だけである。
 ……あの女教師、この子の顔とお金のどっちに目がくら…ウンこれ以上深淵を覗くのはやめよう。

「後日、改めてお礼に伺いますので」
「あ、お礼ならすでにもらってますのでお気づかいなく」
「あれ、おれなんかやったっけ?」
「え、ありがとうって言ってくれたじゃん」

 きょとんとする少年に同じくきょとんと返せば、驚いたように目を丸くされた。いや、今のが菓子折り持ってお家伺います的な意味だったのは理解してるけど。
 何度も言うがそこまでされるようなことを私はしていないので、菓子折り云々は素知らぬふりして丁重にお断りさせていただきたい。今のタイミングで家来られても、借金取りなのかただの来客なのかわからなくてお母さんが怯えるから逆に困るんだわ。

 ……なーんてことはさすがに言えないのでオブラートにオブラートを包んでどうにか納得させ、彼らの背中を見送った。
 私もそろそろ帰るか、とずいぶん傾いた夕日に背を向ける。薄暗い昇降口はなんだか不気味で、爛々と輝く白目がやけに際立っていた。

(ん? 白目?)

 もう一度、しっかり見ようと強く瞬きをし――私は、すぐにその場から逃げなかったことを後悔することになる。

「……け………な」

 あ、なんか言ってる。なんて冷静に状況を分析し、言葉を聞き取ろうと私は一歩近づいた。そこで初めて、その正体が先程の女教師であることに気付く。
 その黒目と、私の目が、しかと合った瞬間。何故だか猛烈な寒気が私の背中を襲った。

「ふざッけんな、このアマ!!!!」
「!?」

 ビュンッ、私の頬すれすれに振り下ろされた何かを反射的に避ける。恐る恐る眼球を動かして確認してみれば、それは鈍色に光るハサミだった。
 え、は、なに。何この状況。理解が追いつかないまま女教師に視線を移し、コンマ一秒にも満たない素早さですぐさま逸らす。こっっわ。さっきまでのきゅるん♡とした目がどこに行ったのかってぐらい血走ってらっしゃるんですが。なんで? 好きな男(小学生)の前だったから? 恋する乙女なら可愛いままであれよ。

 凶器から意識を逸らさないままじりじりと後退していく。あの少年がまだ学校の敷地内にいる可能性が否めない今、校舎から出るのは悪手だ。かといって校舎内を駆け回れば他の子どもが目を付けられるかもしれない。やっぱここは職員室か…?

 
 
 

【メモ】
 逆上した女教師にはさみで襲われる。逃げる途中で転びはさみを振り被られ、咄嗟に手で握って防ぐ。そこで別の先生が登場し、女教師は押さえ込まれる。
 その後のことはニュースで知るので他人事みたいに書く。暇は母に連れられて千葉に夜逃げ。蜂楽と出逢い幼馴染に。