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 観念と覚悟は異なる。だが、悲しいかな、大抵の悲劇が人を襲う時、多くの人にはどちらかを選択する時間もないまま悲劇に咀嚼され嚥下されて終う。 それを運命と呼ぶとは、なんと無責任な話か。第三者、対岸に住む者であるからこそ言ってしまえることなのだ。 それに気がつくのは、大抵自分がその「運命」の主人公になった時なのだが。  #name#は思わず息をつめて目を閉じた。だがしばらく待っても怖れた暴虐は降ってはこなかった。 代わりに耳に入り込んだのは、かすれた笛のような音とごぼごぼという呻き声。 酷く嫌な気分がした。 思わず目を見開いた、その開けた視界でぱっと赤いものが散った。幽かな音を立てて壁に飛んだそれは粘り気を持って、埃っぽい壁から街路へと滴り落ちる。 まったく状況が飲み込めない、否飲み込むべきでないと精神の鳴らす警鐘の足元。がくん、と膝をついた気配がある。 硬直した#name#の目の前で、まるで全ての糸が一気に切れた傀儡人形のようにごとん、と。白目を向いた男が血泡と血煙りを噴きながら膝から崩れ落ちるところだった。 男はそれきり動かなくなる。 滑稽なほどに余りに呆気ない一連の事に、#name#を扇状に取り囲んでいた男たちの動きまでもが止まっていた。 #name#の肩を掴もうと腕を伸ばしたまま、永遠に脱力した遺骸の真後ろ。頭巾を目深に被った無表情の男がいつの間にか立っていた。その腕が何気なく伸びる。 「……あ?」 間の抜けた声に続いたのは破壊音。安っぽい煉瓦を積み上げただけの塀は、叩きつけられた男の頭であっさりと崩壊する。 もうもうと立つ埃と塀の向こう側からの悲鳴が上がる頃になって、男の動作の意味がようやく頭に溶け込んだのだろう。 罵声が弾けた。 緩慢に男が振り返る。此方には背を向けた形で。背中に履く刀が見えた。独特の曲線を描く、あれは――。 どくりと心の臓が跳ねた。先程までのものとはまた別の種の恐怖が肌の表面で跳ねている。 あと一歩、二歩、否もっと遠くへ退きたいと思うのに膝が動かない! 神学者風の白い姿、その下の無表情。 聞き覚えのある低い声が邪魔だと呟いて、すらりと腰の剣を抜いた。 彼だ。 直感的に感じたからではない。確かに彼だと判った。 見えるのは顔の下半分のみだが、感性や感情の読めない真一文字に引き結ばれた口元。 そこから発せられる身を切られるような空気には確かに覚えがあった。 金物同士がぶつかり合って、歯の浮くような音と小さな火花が散る。 数を頼りにふり下ろされる刃の数々は一瞬の接点で体勢を崩され、また赤い飛沫と悲鳴が飛んだ。 怖ろしくて目を逸らしたい。だと言うのに怖ろしくて目が離せない。 怖い。 怖い、怖い。 怖い怖い怖い! 飛び散る赤、どす黒くぬら光る刃が翻ってまた次の血糊を呼ぶ。喉には何か重いものが詰まったようで、悲鳴は愚か呼吸すらどこか遠くにあるようで。 崩された塀の向こう側が大通りであることに気がついたのは、彼が――アルタイルが剣を鞘に収めた時だった。ようやく複数の気配が大通りから走ってくる気配もする。 白い団服には返り血ひとつついていないらしい。また、ぞっとした。 彼の足元には破落戸だった遺体があんなにも倒れているのに! 白い影が此方に歩を踏み出した。ただそれだけのことなのに、自分でも大袈裟に感じられるほど肩が跳ね上がるのが分かった。 死ぬのだろうか。そんなことをふと思う。 大通りのほうから駆けてくるのは、顔見知りの自警団たちのようだ。だが目の前の人物との距離は五歩もない。 涙声のような呼び声も聞こえた。あれは、うちの家人だろうか。 おかしな話だ。今際に思い浮かぶ人などいない筈ではないのか。 あと三歩。 「おい、何をしている!」 一歩。 ――酷く、苛ついたような鋭い囁きが頬の横を通り抜けた。 「少しは悲鳴を上げるくらいのことをしろ。」 振り返ると丁度#name#を挟むような形で、白い後ろ姿が自警団たちとすれ違ってゆくところだった。 「#name#さま!」 温かな手に視線を元に戻すと心配げに涙ぐんだ家人の目と出会う。 そこで、#name#はようやく悲鳴のような呼吸をした。