恋なんてしなさそうな鉄仮面が諏訪さんに猛アタックする話。
「大丈夫か? 落ち着いて息吐けよ」
とん、とん、と、優しく背中を叩くその手に、優しい声に、私は、呆気無く、一瞬で恋に落ちた。
▽
「諏訪さん」
「あ?」
諏訪洸太郎は、不意に名前を呼ばれて、後ろを振り返った。振り返った先に立っていたのは進学校の制服を着た少女で、その少女に特に見覚えのなかった諏訪は顔を顰めて首を傾げた。
「こんにちは」
「お、おう…?」
ペコ、としっかり斜め45度の角度で頭を下げられて、諏訪は思わずたじろいだ。顔を上げた少女の顔を改めて見た諏訪は、やはり見覚えのないその顔に首を傾げるばかりだ。少し幼い、こう言ってはなんだが十人並みの容姿。首の真ん中辺りで切られた短い髪は癖一つなく、触ると柔らかそうだ。しかしそんなものより気になったのは、少女のありえないくらいの無表情さだ。目は死んだ魚の目と言っても遜色ないほど感情の色が見えないし、口も眉も、ピクリとも動きやしない。いっそ人間味を感じさせない目の前の無表情な少女に、諏訪は冷や汗を流した。
諏訪が少女を少し警戒していると、ふと、少女がもう一度諏訪の名前を呼んだ。慌てて、少し大袈裟に返事を返す。挙動不審な諏訪に向かい、やっぱり少女は無表情に、言った。
「好きです」
恥じらいも、緊張も、本題である好きという感情すら感じることのできない一言だった。ただ一言、たった四文字で告げられたその気持ちは、少女の様子も相まって、真実のようにはまるで聞こえなかった。
「…は?」
そう、たっぷりと間を開けて、諏訪は漸く声を漏らした。ポロ、と咥えていた煙草が口から落ちてしまった。諏訪の隣でずっと黙っていた堤が、諏訪にそれを知らせた。煙草は危ない。
「あ、わ、悪い」
「諏訪さん、この子知り合いなんですか?」
「いや、知らねえ」
我に帰った諏訪は落とした煙草を拾い携帯灰皿に突っ込みながら、はっきりと否定した。そう、諏訪は彼女のことを、知らない…はずだ。多分。はっきりと否定された少女はああと思い至ったように、またあのきっちりした礼をして、顔を上げた。
「すみません、初めましてではないですが、名乗ったことはないです。真辺京、と言います。宜しくお願いします」
「お、おう……よろしく…」
どうやら初めましてではないらしい。諏訪の頭の中に、疑問が湧く。恐らく記憶の隅にも残らないようなちっぽけな出来事でもあったのかもしれないが、少女の姿を見て、そのちっぽけな出来事を思い出すことは出来なかった。「悪い、どこで会った?」と手掛かりを得られるか聞いてみれば、少女は素直に答えた。
「以前、人気の少ない廊下で蹲っていた私を、介抱してくださいました。その節はどうもありがとうございます」
「介抱…? 人気の少ない……? …あ、もしかしてお前あん時の…」
「思い出したんですか? っていうかそんなことよく忘れてましたね諏訪さん」
「いや、そん時こいつの髪長かったし…」
言い訳にもならない言葉を並べて、諏訪は額に手を当てた。言われて、諏訪は漸く少女――真辺の事を思い出した。そういえば先日、蹲って体調の悪そうだった高校生を介抱した。まさか、彼女がその時の高校生だったとは。
「思い出していただけたようで嬉しいです」
「ああ、悪いな。あの後大丈夫だったか?」
「はい、無事家に帰れました。諏訪さんのお陰です」
ありがとうございます、と、真辺はもう一度あのきっちりした礼をして、顔を上げると、真っ直ぐに諏訪を見上げた。やはり表情のまるでないその顔に、諏訪は若干の恐怖を覚える。「それで、なんですが」真辺が呟くように言う。
「諏訪さんが好きです」
そういえばそうだった、と本気で忘れかけていた本題に、諏訪は頭を抱えた。
▽
真辺京の告白から、しばらく経った。諏訪と真辺との関係に、変化という変化はない。…というわけではないが、あの告白から恋人になっただとか、諏訪が真辺を意識するようになっただとかいう、そういった恋愛的な変化は見られなかった。強いて言うなら、二人が一緒にいる時間が増えた、ということだろうか。
あの後、困った諏訪はとりあえず自分にどうして欲しいのか、真辺に聞いた。すると真辺はそんなこと考えてもいなかったとばかりに目を瞬いて、首を傾げた。
「…私は諏訪さんに…? どうして欲しいんでしょう」
「俺に聞かれても困る」
「ですよね。…どうして欲しい…」
「ええと、恋人にしてほしいとか、そういうのじゃないの?」
隣で聞いていた堤が苦笑しながら助け舟を出した。真辺は堤の言葉にああ、と頷いて、「それです」と諏訪を見上げた。
「それってなんだよ」
「恋人にしてください」
はっきりと言われた諏訪は、罰が悪そうに頭を掻いた。「悪いけど」とやんわり断りを入れる諏訪に、真辺は首を傾げた。
「どうしてですか?」
「は?」
「どうして、駄目なんですか?」
「どうして、ったってなあ…」
「理由がないなら諦められません。どうしてですか?」
「あー…」
無表情のまま、まっすぐに迫られて、諏訪は目を逸らす。やはり怖い。しかしまさか無表情が怖いとも言えず、どうしたものかと頭を悩ませた。
「…あー、まだ高校生だろ、お前?」
「あ、そういうのいいです。そういうの抜きで」
「何でだよ!! 重要なことだろ!?」
「たとえ私が高校生だからダメなんだとしても、そうなると私が卒業すれば済む話ですし、それに健全なお付き合いをする分には法律上なんの問題もありません」
「……あー…」
あっという間に論破されてしまい、頭を抱える。さてどうしたものか。もう一度、真辺の方を見る。相変わらず死んだ目は怖いが、真摯にこちらを見つめてくるその瞳にきちんと答えないのは、なんだか不誠実な気がした。
「…やっぱり悪いけど、よく知らない奴とは付き合えねえよ」
「………」
真辺は諏訪を見上げたまま黙り込み、ギュッと拳を握った。ここまで言えば流石に諦めるだろうと踵を返そうとした時、服の裾が少し下に引っ張られた。
「っ? …なんだよ」
まだ何かあるのか、と真辺の方を見れば、やはりまっすぐにこちらを見てくる真っ黒い目と目があった。
「よく知らない奴と付き合えないなら、私のことを知ってください。好きなんです。諦めたくない」
…そう、諏訪が熱烈な告白を受けて、数日。真辺はまだ諦めていない。どころか、諏訪にしつこく付き纏うようになった。二人が一緒にいる時間が増えた≠ニいうよりも、真辺が諏訪に付き纏うようになった≠ェ正しい。正直諏訪は辟易としていた。
「諏訪さん、おはようございます。好きです。付き合ってください」
「おはよう。無理だ、悪いな」
そんな出会い頭に告白されて、振る日々が続いていた。やはりその数日間も、真辺の表情が動くことはなかった。告白を信じていないわけではなかったが、あまりにも動かないその表情に疑いの気持ちがないわけでもなかった。真辺は、本当に自分のことが好きなのだろうか。
辟易としながら食堂に入ると、先に来ていた堤が諏訪を見つけて手を上げた。
「諏訪さん、おはようございます。真辺さんも」
「おう、おはよう」
「おはようございます、堤さん」
すっかり真辺が諏訪の隣にいることが当たり前のようになってしまった。なんだか地味に外堀を埋められていっているような感覚に頭を掻いて、しかし何も言わずに注文して適当な席につく。真辺は隣に、堤は向かいに座った。
「あれ、真辺さんそれだけ?」
堤が真辺のお盆を見て言う。真辺は頷いて、ちらりと諏訪の方を見た。
「…諏訪さんが、細い子が好きだと仰るので」
「…は?」
「え? そうなんですか?」
「いやそんなこと言ってねえぞ俺は」
本当に覚えがなくてそう否定すると、真辺は首を傾げて「言いましたよ」ときっぱり言った。
「以前、好きなタイプの話をしていたとき聞きました」
「好きなタイプ?」
「はい、小柄で、礼儀の正しい子が好きだと。あと、髪は短いほうが好きだとも言っていました」
「あー」
そういえばそんな話をしていた。あれを聞いていたのか。あのときは確か、堤と笹森と小佐野と一緒に食事をしていた時だっただろうか。言い出しっぺは小佐野で、急に恋話がしたくなっただとか唐突な理由だったと思う。
ああと納得して、もしやと改めて真辺を見る。最初に会ったときは長かったはずの、今はすっかり短く切られてしまった髪。まさかこれは、自分の好みに合わせて切ったのではないのだろうか。それに加え、告白してきた時から気になっていた嫌に堅苦しい話し方。勿論元来のものもあるのかもしれないが、それも自分の好みに合わせてきたというのか。
そう思うと急に恥ずかしくなって、諏訪は思わず額を抑えた。
「それでダイエットしてるの?」
「はい、私の背丈はおおよそ平均並みなので、諏訪さんの仰る小柄な女の子≠ノなるには、後は痩せるしかないなと思いまして」
おいおい、やめろ。諏訪は思わず耳を塞ぎたくなった。だったまさか自分の好みにここまで寄せているとは思わないじゃないか。
「…あれ? でも」
「え?」
「あのとき諏訪さんが言ってた好みって、もう一つあったよね」
「…ああ」
二人の会話に、諏訪は顔を上げる。数日前の会話を思い出して、あ、と声を漏らした。
「笑顔の素敵な人、ですよね」
「うん……えっと」
堤が少し言い淀むと、真辺は心底不思議そうに(表情自体はまるで動いていないのだが)首を傾げた。
「…え? 私、笑えてないですか」
絶句した。カラン、と持っていた箸がお盆の上に落ちる。笑……って、
「ねーよ!!」
「えっうそ」
「嘘吐くか!! お前初めてあった時からぴくりとも表情動いてねえんだよ!!」
「す、諏訪さんちょっと落ち着いて…」
堤に止められて、熱くなっていた諏訪はハッと気付いて咳払いをする。真辺はショックを受けているのか、俯いて何も喋らない。しまった言い過ぎただろうか。諏訪は反省する。
「…あー、えっとな」
「諏訪さん」
「っうお、」
声をかけたところで、パッといつもの無表情が顔を上げた。
「どうですか、笑えてますか」
「………」
無言で首を横に振った。若干顔が死んだのは許してほしい。おかしいですね、と首を傾げる真辺の表情はやはりぴくりとも動かない。お前の表情筋はどうなってんだとツッコみたくなる。
諏訪は考え込んでいる真辺をもう一度見やって、あー、と頭を掻く。真辺が顔を上げた。
「そんな無理して俺の好みに寄せる必要もねえだろ」
「…でも」
「その髪とか、せっかく綺麗なんだから伸ばせよ勿体ねえ」
そう言って、癖のないその短く切られた黒髪を手で掬った。思っていた通り、柔らかい髪だ。
真辺はしばらく固まって、勢い良く顔を逸らした。触っていた髪を振り切られ、諏訪は驚く。そうして自分のやっていたことの恥ずかしさに気付き、赤面する。
「あ、あーいや、今のは」
「嬉しいです」
「!」
「また、伸ばします。絶対」
そう、言って。振り向いた真辺の顔には、確かに、本当に微かに、微笑が浮かんでいて。
「………っ」
思わず、勢いよく顔を逸らした。向かいで堤が生温かい目で諏訪を見ていた。こっちを見るなと言う余裕などない。
「(笑えるのかよ!!)」
