ぱち。と、目が覚めると、一番最初に見えたのは白い天井だった。ぼんやりとその見慣れた天井を見上げて、小さく嘆息した。また、駄目だったのか。ぽつりとつぶやいた声は声にならずに空に消えていく。起き上がろうとして、体が動かないことに気づいた。どうやらベッドに縛り付けられているらしい。気づいて、もう動こうとするのを止めた。手首が少しジクジクと痛みだして、動くのも億劫だった。それから何をするわけでもなく、ぼんやりとその真っ白い天井を見上げていた。どうしようもなく、退屈だった。それ以外の苦痛はなかった。
どれくらいそうしていただろうか。退屈な時間は過ぎるのが遅いというので、多分そんなに時間は経っていない。ガラッと扉が開いて、人が入ってきた。誰が来たかなんて顔を見なくても分かっていた。
「京」
名前を呼ばれて、私はやっぱりな、とひとりで納得した。無言で返して、寝たふりをしようと目を閉じる。近づいてくる気配がする。ベッドの横で、立ち止まる。
「寝たふりしても分かるぞ」
「……」
やっぱり無駄か、と黙って目を開けた。目を開けると、変な髪型に端正な顔立ち。幼馴染の嵐山准がそこにいた。
「毎回毎回、よく来るよね」
「ばか、当たり前だろ。何言ってるんだ」
「他の子みたいにもう見捨ててくれていいんだよ」
「京」
名前を呼んで咎められて、私は黙った。嵐山はこういうことを言われるのが大嫌いだ。今のこれは冗談じゃないけど、冗談でもこういう話をすると、昔から泣きそうな、怒ったような顔で私を見る。まさに、今みたいな。って、あれ。
「なんで泣いてんの」
「友達が自殺して、どうして泣かないと思うんだ」
「でももう、五回目だよ」
「ばか、六回目だよ」
あれ、そうだっけ。少し首を動かして傾げてみせると、睨まれてしまった。大人しく黙った。
私は昨日――時間軸が分からないので昨日かどうかは分からないが、多分昨日――自殺をした。で、失敗した。これが五回…じゃない、嵐山が言うには六回目。自殺して失敗して、病院に送り込まれる。そんなことをもう六回も繰り返していた。六回、私は勇気を出して死んだのに、死ねなかった。この世はなんて残酷だ、なんて。
「また、嵐山が邪魔したの」
「助けたんだ」
「頼んでないよ。自殺ってさ、自分を殺すって書くんだよ。自分で自分を殺そうとしてるんだから、本人がそれを望んでるんだよ。止めなくていい殺人なんだよ」
「ひどい暴論だな」
一蹴されて、黙り込む。暴論じゃなくて正論の間違いだろう。自殺しようとしてる人を助ける、ってよく聞くけど、違うと思う。自分から死を選んでる人を助けた≠ネんて、とんだエゴだ。余計なお世話、だ。こんなの助けなくていい。助けてくれなくていい。
「もうほっといてよ。私の様子なんか見に来なくていいし、死ぬのを止めてくれなくていい。お見舞いにも、来なくていい」
「いやだ」
「もう辛いんだよ。お父さんもお母さんも、友達もいない世界で生きるのは」
先日、私達の住む三門市に近界民という化物が侵攻してきた。私はその日友達数人を家に招いて遊んでいた。家にはお父さんもお母さんもいて、近界民が家を壊す直前まで笑って楽しく過ごしていた。でもそれが壊れたのは一瞬で、皆、近界民に踏みつぶされて、瓦礫の下敷きになって死んでしまった。近界民に連れ去られた人もいたみたいだけど、それならまだ生きていてくれてる、って思えた。でもお父さんもお母さんも友達もみんな、全員私を残して死んでしまった。どうして同じ場所にいた私がひとり助かってしまったんだろう。いっそのこと、私も一緒に死んでしまえたら、みんなの死体を見ることも、瓦礫の下敷きになった足の痛みを感じることもなかったのに。しばらく沢山泣いた。泣いて、泣いて、泣きわめいて、ふと気づいた。だったらいっそのこと、私も死んでしまえばいい。
でも幼馴染の嵐山はそれを許さなかった。一番最初に私が手首を切って倒れているところを発見したのは偶然。毎日泣いて生活もままなっていなかった私を心配して、ボーダーが無料で提供してくれているアパートに三日に一度のペースで様子を見に来ていた嵐山に発見されて阻止されてしまった。二回目からは監視の意味も込めて毎日家に来るようになった嵐山に毎度発見されて阻止されている。一度家に来たあと手首を切っても、一時間おきにかけてくる電話に出ないとすぐに駆けつけてくる。忙しいんでしょ、と言っても嵐山はこの面倒な行動を止めない。私にとっても嵐山にとっても得のない行動を、すぐに止めるべきだと私は何度も思っている。あの日私の家に来ていない、生き残った友達は最初は心配して来ていたけど、三回目辺りからもう呆れて来なくなった。嵐山もそうすればいいのに、毎回毎回、こうして律儀にお見舞いに来る。もう私に構うのをやめてしまえば、お互いに楽に、幸せになれるのに。
「京が死んだら俺は幸せになれない」
「大丈夫、悲しいのは最初だけだよ」
「今の京に言われても何も説得力ないな」
「確かに」
でもたかが幼馴染を、私ごときを亡くしたところで嵐山はきっと、絶対に不幸になんかならない。だって嵐山は家族が一番大切で、その家族はみんなちゃんと生きていて、他にも友達が沢山いてその友達もちゃんと生きている。私が死んだところで嵐山の世界は何も変わらない。幼い頃よく遊んだ、それだけの仲。中学生辺りから昔ほど遊ぶことも話すこともなくなっていった、それだけの仲。嵐山の周りにははいて捨てるほどいるだろうどこにでもいるただの同級生の女子。そんな私がいなくなって、人気者の嵐山の世界がどうして変わるだろうか。
「よく泣くね、嵐山」
「誰のせいだ」
「私のせいか」
「当たり前だろ、ばか」
今日すごいばかって言われるな。ぼんやりとぼろぼろ涙を流す嵐山を眺めて、たくさん泣いていたときを思い出した。大好きなお父さんとお母さん、大切な友達がいなくなったことに絶望して私もたくさん泣いた。たくさん、たくさん、たくさん泣いて、絶望した。泣いたからってみんなが帰ってきてくれるわけでもないのに、たくさん、たくさん泣いていた。一週間くらい、一日中、頭が痛くなってグラグラするくらい泣いた。でも誰も帰ってなんかこなかった。だから、死ぬことを選んだ。そうしたら今度はそれを嵐山が止める。たくさん大切なものを持ってる嵐山が止める。皮肉な話だ。腹立たしい。
「どうしたらほっといてくれるの」
「京が自殺をやめたら、やめる。一時間おきに連絡するのは。ほっとくのはいやだ、会いたいから」
「じゃあやめる。から、もう家に来なくていいよ」
「うそつき」
ぼろぼろと涙を流したまま、嵐山は私のおでこを指で弾いた。動けないのをいいことに、ひどいことをする。
「逆に聞くけど、どうしたら自殺をやめてくれる」
「みんなが戻ってきたら。生き返ったら」
「無理だ」
「うん、そうだよ」
少し、自嘲気味に笑って答えた。
「泣いたって、立ち直って前を向いたってみんなは絶対に帰ってこない。それなら私はみんなと同じところに行く」
「っだから!」
嵐山がその日初めて、いやもしかしたら出会ってから初めて、声を荒げた。少し驚いて嵐山を見る。嵐山は怒った顔で、やっぱり泣いていた。
「どうして、なんで……俺のことは、生き残った友達は、大切じゃないのか……残される苦しさも悲しさも知ってるのに、なんで…」
「……」
絞るような声に、何も言えなかった。大切、じゃないわけじゃない。でもいなくなった人たちも大切だから。どっちかなんて選べなくて、それも苦しくて、だったらいっそ死んでしまえば、って思った。もうなにも考えたくなかった。考えるのも億劫だった。
「たのむから、死なないでくれ」
泣いて、すがるように言われたそれに、やっぱり私は何も答えることができなかった。
私の願いも嵐山の願いも、泣いて叶うものなら良かったのに。

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