織田作と定食屋の常連客。悲恋。


「ねえ、辛いよ」

 いつもの其れに、答える者はもう居ない。


 ▽


 織田作之助は、私の行きつけの定食屋で知り合った、少し変わった青年だった。彼は私と同じくその店の常連であるらしく、店主に親しみを込めて織田作ちゃん≠ニ呼ばれていた。友人からもそう呼ばれているらしく――私は会ったことはないのだが――話すようになってからは私も彼の事をそう呼ぶようになった。織田作は可笑しな男だった。迚もそうは見えないのに物凄い天然で、何度私は彼の言動で笑ったことだろうか。織田作はこの店のカレーが大好きなのだと、よく語っていた。其れは目の前に店主がいるからと云う、安っぽい世辞ではなくて、本当に、心から思っている台詞だった。正直に言うと私は特にカレーが好きな訳ではないし、此処のは少し辛すぎるとも思う。だが織田作が此処のカレーが好きだと云うから、私は何時も、ついフラッと此処に立ち寄ってしまう。店主からはニヤニヤと「青春だなあ」と云われた。其の意味を織田作は理解していなかった様だけど、私は理解して、つい自覚してしまって、顔を赤くしたのは記憶に新しい。私は織田作之助と云う人が好きだった。

「織田作、本当に此処のカレー好きだね」
「上手いだろう」
「一寸辛いかな」
「其処がいいんだろう」
「そりゃあ、辛くないカレーなんてカレーじゃないけど」

 そう文句ばかり垂れる私に、織田作は薄く笑みを浮かべて「お前は好きなのかそうじゃないのかよく分からないな」と肩を竦めた。だから何度も言うように、別に私は特別カレーが好きなわけじゃない。嫌いなわけじゃないけど、毎日食べたいかと言われれば否だ。
 それでもつい、「好きに決まってんじゃん」なんて下らない虚勢を張ってしまうのは、店主への安っぽいお世辞なんかじゃ無くて、ただ織田作と同じ感覚を、嘘でも共有して居たいからだ。
 きっと鈍い織田作が、其れに気付く事は無いのだろうけど。

 織田作は孤児を五人、養っているらしい。子供達の分の生活費を店主に渡して、此の定食屋で預かって貰っているのだとか。週三で此処に食べに来ている上、其れはキツイのではと思いつつも何も言わない。私は織田作の職業を知らない。もしかしたら、私が想像もつかない程の金額を稼いでいるのかも知れないし、矢張り厳しい所もあるのかも知れない。私は織田作のそう云う部分には立ち入れないし、立ち入れるとも思っていない。只週三回、こうして肩を並べてカレーを食べられるだけで、織田作と話せるだけで、十分幸せだ。
 そう、其れだけで、幸せだった。

 織田作が、定食屋に来なくなった。
 子供達も、と或事情で何処かに移動させたらしく、此処には居ないらしい。織田作と連絡の取れない店主にも織田作や子供達が何処に居るか判らないらしい。何処行ったのかねぇ、と、店主の呟き。私は答えずに、カレーを一つ、頼んだ。

「………京ちゃん…」

 店主が気の毒そうに私の名前を呼んだ。グッと奥歯を噛み締めた。そう云えば、織田作は私の名前を知っていたのかな。呼んでくれた事、あったっけ。思い出して、泣きそうになる。すると扉が開き、誰かが入って来た。

「居らっしゃい………ん? …あんた確かこの前の……」

 店主の言葉に、私はふと外方を見た。私には見覚えの無い人で、怪我をしているのかそこら中に包帯を巻いた、綺麗な顔の男の人が立っていた。目が合って、私はフッと目を逸らす。泣きそうな顔を見られたくなかった。然し其の人はコツコツと靴音を鳴らして此方に近付いて来た。

「…貴方が、真辺京さん、ですか?」

 綺麗な笑みを浮かべ、其の人は私の隣に座った。誰だろう、訝しげに其の人を見ながら、そうですけどと頷く。其の人はそれににっこりと微笑んだ。「私は織田作――織田作之助の友人です」其の言葉に私はガタッと椅子を大きく揺らして反応した。其の人の胸倉を掴み、食い気味に問うた。

「っ、織田作のっ、居場所を知ってるの?」
「……ええ」
「どっ、こに、」
「亡くなりました」
「っえ…?」
「殉職、しました」

 眼の前が真っ暗になるという現象を、初めて体験した。然し其れに感動する余裕は無くて、私は其の人に縋り付く様に崩れ落ちた。涙は出て来なかった。

「殉、職………って、なんで」
「これ以上は織田作の意向で云えませんが……私は織田作の最期の言葉を伝えに来ました」
「最期の……言葉?」
「はい」

 其の人はしっかりと私を見据え、云った。

「京とカレーを食べるのが好きだった。有難う=v

 莫迦野郎。


 ▽


 伝言を伝えた其の人は直ぐに帰って行った。私はと云えば、暫く其処で茫然とした後、先程頼んだカレーを食べた。

 嗚呼、辛い。

「ねえ、辛いよ」

 頬を、滴が伝った。何時もの其れに、彼はもう二度と応えてはくれないのだ。

ひとりぼっちで食べるカレー

SANDGLASS