芥川と一緒に貧民街にいた仲間の話。悲恋…?


 毎日、朝目を覚ますと、目の前には豪勢な天井が目に入る。私は其れを盆槍と眺めて、もう一度目を閉じる。此の天井を見て必ず思い出すのは、此の生活を与えてくれる切っ掛けになった、兄妹とも幼馴染とも呼べる、彼奴の事。彼奴は、彼は私を置いて行ってしまった。私を此の光の世界に閉じ込めて、私の知らない、闇の世界へと姿を消してしまった。

「………芥、川……」

 彼はもう二度と、私の前には現れない。


 ▽


 芥川龍之介の噺をしよう。芥川は私と同じ貧民街で育った、親を知らない子どもの一人だった。八人ほどの仲間と共に一緒に育ってきた、謂わば仲間、のようなものだった。芥川は感情を持たない子だと仲間たちは言っていた。偶の食にありついた時も、大人に殴られた時も表情をまるで見せない芥川を、仲間たちは感情がない≠ニ。そう言っていた。然し私はそう思わなかった。芥川だって笑うときは笑うし、怒る時や悲しい時は相応の表情を、本当に極稀に見せてくれることもあった。確かに表情は乏しいかもしれないが、芥川に感情がないなんてことは決してなかった。だって私は知っている。芥川が本当は、私や仲間たちの事を大切に思っていることを。
 芥川には不思議な力があった。『着ている服を操る』能力。簡単に云うと、そんな能力だった。天賦の才能、と云うのだろうか。他にも能力を持っている人は沢山いるようだったが、私達仲間内の中では芥川一人しか居なかった。大人たちは芥川の能力を侮り、馬鹿にしていたが芥川の能力が人を殺せるものだと、私達は知っていた。『着ている服を操る』、言ってしまえば簡単な能力だが、私達は芥川の能力が人を殺す場面を何度も見た。何度、盗人の喉笛が掻き切られる場面を見ただろう。私達を守るためだとしても、あの場面は恐ろしかった。
 然し芥川は優しかった。元々体が弱く、更に食糧も少なく痩せていた芥川は、そんな状況にも関わらずよく私に食糧を分け与えてくれたりした。自分だって倒れそうなほど、折れてしまいそうなほど細いくせに、人の事ばかり気にして、仲間を守っていた。芥川のことは少しだけ怖かったが、それ以上に私達は、私は芥川のことが大好きだった。
 然し、ひもじくも幸せだった日々は、決して長くは続かなかった。
 不運にも仲間の一人が、無法者の海賊共が母体たるポートマフィアと荷の受け渡しをする日時と場所を、どこぞより偶然耳に入れてしまったのだ。仲間たちの口から世間へ露見することを恐れた海賊たちは、私達のねぐらを襲い、そして仲間たちを鏖殺していった。
 妹の助力もあり、私と芥川は辛うじて逃げ出したが、芥川も私も怪我を負っていた。普段であれば動くことも出来ないほどの、動けるようになるまで一ヶ月はかかる重症であるはずだった。しかし私と芥川の足取りは軽く、肺が焼けるような息苦しさを訴えいても、止まることはない。私と芥川は、夜を駆けていた。
 この道を走り終えた時、私と芥川は、きっと死ぬ。

 私と芥川は無謀にも、仲間達の仇を討とうとしていた。

 ちらりと、私の手を引き前を走る芥川の姿を見た。その顔は、半分しか見えないが確かに今まで見たことのないほどの怒りに、憎悪に染まっていて、しかしその怒りに、どこか歓喜しているようにも見えた。初めて感情を得た人形のように。初めて得た憎悪を糧に、芥川はこの道を駆けていた。

「死ぬのは、こわ、いか」

 途切れ途切れに、前方から声が聞こえた。驚いて顔を上げて、そうして質問の意味を理解して、首を横に振る。死は怖くない。もう仲間達もいない。それに、芥川と共に死ねるなら。

「だ、い、じょうぶ」

 私も途切れ途切れに、答えた。大丈夫。死ぬのなんか怖くない。
 芥川と共に死ねるのなら、本望だ。


 ―――…しかしそんな私の淡い望みすらも、神様は聞き届けてはくれないようだ。

「今晩は、善い夜だね」

 待ち伏せ場所である林道に出ると、そこに居たのは敵であるはずの無法者の海賊などではなく、細身の、男が一人だけ。
 林道の切り株に、包帯だらけの男がひとり、腰掛けていた。細身の体に黒外套、何かを面白がっているような、しかし退屈しているような目を、私は大きく見開いた目で見つめた。

「何だ……此れは、一体、」

 芥川が呟いた。圧倒されたような声色だった。然し勘違いしないで頂きたいのは、芥川が圧倒されたのが、目の前の男の姿のためではない、ということだ。正確には、男の、足下。無残な躯と成り果てた六人の無法者のたちが、男の足元に転がったいたのである。

「…………ぁ………、」
「、嗚呼すまないね。女の子に見せるものではなかった。ただ、まさか女の子も一緒に逃げてくるとは思わなくて」

 男は私にニコリと笑いかけた。今この場で、その笑顔はあまりに場違いに思えて、恐ろしくて堪らなかった。泣きたくなった。ぎゅう、と芥川の服の裾を掴む。

 男の名は、太宰治と云った。太宰は芥川をマフィアとして、自身の部下へと誘いに来たのだと、云った。芥川は太宰を攻撃した。それを見抜いていたかのように、太宰は芥川の攻撃を避けた。

「聞き給え。勧誘を受けなくとも恨みはしない。たとえ断っても、君の友人たちはこちらで手厚く葬り、君と妹…それとその子が生活に困らぬだけの金子も与えよう。そしてそれきり、君の前には現れないと約束しよう」

 ドクン、ドクンと心臓が煩く鳴っていた。
 嫌な、予感がした。

「だが君に覚悟があるならば、求めるものを与えるよ。無論容易い道ではない。私は君を甘やかす心算はないからね。最下層のこの暮らしがぬるま湯に思えるほどの過酷が待っている筈だ。だが、その覚悟があるなら――」

「っ、あく、たがわっ!!」
「っ、」

 グイ、と、腕を引き、大きく名前を呼んだ。芥川の大きく黒い目が、私を捉える。私は嫌々と駄々っ子のように首を横に振った。

「嫌だ………断れば一緒に暮らせるんでしょ、妹と一緒に、暮らそうよ」
「………」
「おねがい、だから……」

 然し、芥川は腕をつかむ私の手を、やんわりと外した。それが芥川の、答えだった。

 芥川は、太宰に問うた。

『僕が、生きる意味を与えられるか』と。

 私には、きっとそれが出来ない。
 太宰には、それが出来る。
 芥川はきっと、知っていたのだ。


 ▽


 そうして芥川は、私にこの綺麗で明るい生活だけを与えて、どこか、暗闇へと消えてしまった。私はあれから芥川の姿すら見ることなく、今を過ごしている。
 現状が気に入らないなんてことはなかった。ただ、ふとした瞬間、この部屋を見渡した瞬間、彼奴のことを思い出す。

 きっとこんな感情のことを、一般ではかなしい≠ニ云うのだ。

わたしはどうやら悲しいようだ

SANDGLASS