※死ネタ注意※
瀬名泉と幼馴染。暗め。


 君は全部、持っているもんね。

 ふと、そんな台詞が頭の中に浮かんだ。これを言った奴のことは、覚えている。それはもう、鮮明に。言われた時期から、経緯から、全て。

 だって彼女は、幼馴染のあいつは、俺の目の前で飛び降りてしまったのだから。


 ▽


「せないずみ」

 小学校高学年の頃、モデル業で忙しく、あまり学校に通えてなかった俺が珍しく学校に行くと、席替えをしたらしく席が変わっていた。座席表を見て席に行くと、隣に座っていた女子がちらりと俺の方を見て、俺の名前をボソリと読んだ。こちらを見て名前まで呼んだくせにあまり興味のなさそうなその声色と表情に少し苛ついたが何も言わず、俺は席についた。座席表をちらりと見やって確認した俺の隣に、名前と苗字が記されたそれを見つけて、俺は思わず首を傾げた。いくらあまり学校に来れていないとはいっても、それなりにクラスメイトの名前くらいは覚えている。しかしそこに記された名前に見覚えはなかった。よくよく見るとその女子の顔にも見覚えはない。俺は眉をしかめて、「あんた、だれ?」と問うた。その女子自体に興味はなかったけれど、俺の知らないことがあるのが何だか気に食わなかった、のだと思う。その女子は少しだけ俺に似た冷めた目で俺を見た。全てに期待していない、諦めたようなその目は少し俺と違うけれど、でもどこか似ていた。

「てんこーせー」

 一言、そう答えて、ふい、とその女子は俺から顔を背けた。
 てんこーせー。転校生。その単語を頭の中で咀嚼してなるほどと頷く。どうやら俺が学校に来ていないうちに転校生が来たらしかった。しかも、俺の隣で。その女子の正体がわかると俺の興味は驚くほどあっさりとなくなってしまった。正体のはっきりしているものに聞くことはもう、何もなかった。名前も分かっているし、知りたいことは何もなかった。とりあえず、その日のうちは。

 しばらくして、俺は例の転校生が誰かと話している姿を見たことがないことに気づいた。ぼんやりと外を眺めているか本を読んでいるかどちらかしかない転校生は、いつも、ひとりだった。最初の接触であまり社交性のあるタイプでないことは知っていたので、大して疑問は湧かなかった。顔も普通、頭はそこそこいいみたいだけど運動は出来るわけじゃあないようで体育ではいつも肩身を狭そうにしていたし、社交性はない、上にあの冷めた目。そりゃあ友達なんて出来るわけもない。まあそれだけなら、俺が気にかけることもなくただ世渡り下手だと鼻で笑う程度だっただろう。しかし、それだけではなかった。転校生はひとりだった。上に、女子からいじめられているらしかった。

「京ちゃん、気持ち悪い」

 放課後の、夕日の差す教室から、そんな声が聞こえてきた。声の主は教室でよく騒いでいる聞き覚えのあるもので、その声の主が放った名前は、例の転校生のものだった。その転校生への暴言のほかに、ほかの女子の声もいくつか聞こえた。どうやら女子数人で転校生を責め立てているらしい。馬鹿なことをしているな、と頭の端で考えて、ちら、と教室を覗いてみた。予想は当たったようで、教室の真ん中で無表情に佇んで、俯き耐える転校生の姿があった。やはりどこか諦めているような目だと思った。

「…なに、馬鹿なことしてんの?」
「…っ! い、泉くん」

 俺が教室に入って一声掛けると、その数人の女子たちは慌てたように反対側の入り口から出て行った。取り残された転校生は俺の姿をあの冷めた目で捉えて、また俯いて、小さく「ありがとう」と溢してから、転校生も教室から出て行った。
 その日から俺は執拗に転校生に――真辺京に絡むようになった。本ばっか読んでて陰気臭い、本読む暇があるなら俺と話しなよ。空なんか見たって楽しくないでしょ、そんなに見たいなら外行くよ。京は最初戸惑い、怪訝そうな、迷惑そうな顔をしていたが、その内特になにか反応を返してくることはなくなっていった。

「君は、変な人だね」

 笑っているような、苦虫を噛みつぶしたような、笑うのに失敗したような、そんな顔で京は言った。変とか、アンタに言われたくないんだけど。苦い顔で、俺は京の頭を小突いた。いじめは変わらず続いていたようだったけど、京は相変わらずの無表情で気にしてなんかなかったので、俺も気にしないことにした。京が本気で助けを求めてきたのなら、俺はきっと助けに行くから。
 だけどそれは、その選択は俺にしては珍しく間違えてしまったらしかった。間違えてしまったことを悟ったのは皮肉にも、それから数年後の事になるのだけど。


 ▽


「……入学式は来るんだ」
「なぁに、その顔? 何か不満なわけ?」
「べつに、何も」

 中学は、二人揃って私立を受けた。と言っても偶然偶々、俺の受けた学校と京の受けた学校が被っただけなのだけども。京をいじめていた奴らから逃げるように私立を受験した京は無事受かり、また俺と同じ学校に通うことになった。京の受験の結果報告を受け、俺も同じ所に受かったことを告げると、京は好意的なような、そうでないようなよく分からない顔をして、一言「そうなんだ」とそれだけ、小さな声で返してきた。
 小学校の卒業式に俺は出ていない。仕事で出ることが出来なかった、という方が正しいのかもしれないが、とにかく俺は卒業式には出ていない。先の京の言葉は、そんな俺に対する皮肉のようなものだろう。しかしそんなことを言われたって、俺だって好きで卒業式を休んだわけではないのだから、何を言われたって仕方のないことだ。

「チョーうざぁい」
「……ちょーうざくても、ついてくるんだね」
「なぁに、そんなの俺の勝手でしょ?」

 そう言って笑うと、京は別段興味もなさそうな顔で「そうだね」と小さく頷いた。それに何となく苛ついて、不機嫌そうな顔を作れば「笑ったり怒ったり、君は忙しいね」と肩を竦めてみせた。京は、俺の名前を呼ばない。呼んだといえば、出会った時、確認するように呼ばれたあのフルネームだけ。いつもいつも君は=Aオンリー。意地のように名前を呼ばない。

「泉。Repeat after me?」
「は?」
「い、ず、み。Repeat after me?」
「……なに、急に」
「急にじゃないよ。いい加減呼べって言ってんの」

 京は怪訝そうな顔をしながら、「君変だよ今日」と結局俺の名前は呼ばなかった。意地なのか本当に馬鹿馬鹿しく思ったのかは分からないが、とにかくなんだか、気にいらなかった。
 その後、ここでは京にも友達ができたようで、小学校の時のようにいじめられることはなかった。たまに学校に行った時に見かけた京の態度はあまり変わっているようには見えなかったので、恐らくその出来た友達の心が広かったのだろうと思う。その理論で行くと俺の心も広いということなのだけど。俺が偶に学校に来て京に話しかけても、京の態度はいつも通り素っ気ない。分かってはいるものの、やはり気に食わない。「ちょっとくらい、愛想良くしたらぁ?」と俺の言葉に、素知らぬ顔。ああ本当、ムカツク。

「ねえ君は」
「は? なに?」
「どうして私に構うの」

 安っぽい問いだと思った。自分の存在意義を確かめているような、そのためのハッキリとした言葉を欲しているような、そんな問い。中学三年の春、日直の仕事で残っている京に付き合って、俺も教室に残っていた。京らしくない問いだと思いながら、俺は頭を巡らせた。
 ―――…どうして、と言われると、困る。別に理由なんてない。自分がそうしたいと思っているからそうしているだけだ。その理由を、問われるとなると、これはまた、困るのだが。あの日、京を助けたとき。あのとき、小さな声でお礼を言ってきた京を、守らなくてはと――そう、思って。だから。
 そこまで考えてから、ハッとする。何を、考えているんだ俺は。こんなの、下手したら告白のようなものではないか。冗談じゃない。
 俺は頭を横に振って、頭を巡らせる。他に、らしい理由は―――…

「―――…カワイソウ、だから」
「……、」
「それ以外に何かあるの?」

 しまった、と、思っても、もう遅かった。何を言っているのかと、自分の口を塞いでしまいたくなった。カワイソウ。そう、確かにそうなのだけど、違う。何かを、まちがえた。
 京はしばらく何も反応しないまま、俯いていた。しかし唐突にパッと顔を上げて、またあの笑うのに失敗したような、変な顔をして「そっか」と頷いた。やはり、まちがえた、と思った。


 ▽


 それからしばらく、俺達の変わらない関係が続いていた。俺が話しかけて、京は変わらない素っ気ない対応。分かっているくせに苛ついて、つっかかる俺。そんな、よく分からない関係が続いていた。

 そんな、とある寒い、冬の日のことだった。もうすぐ受験だということもあって、俺は毎日のように学校に来ていた。行きたい学校でやりたいこともあったので、しばらくはモデル業も休止するつもりでいた。だけれど、受験間近の教室は異常にピリピリとしていて、居心地が悪かった。これなら仕事の合間に勉強している方がよっぽどマシだと思いながら、ちらり、外に目を向けた。

「――…ッ!!」

 ガタン、と椅子を鳴らして、俺は思わず立ち上がった。教師の注意する声が耳に届いたが、頭で理解するまでには至らず俺は考えるよりも先に教室を飛び出した。考えるより先に体が動くことなんて、初めての経験だった。
 どうして。その言葉で頭が埋め尽くされていた。窓から見えたのは、屋上。の、フェンスの外側に立つ少女。あれは。あの、少女は。

「っあのバカ…!」


 ▽


「京っ!!」

 バンッと屋上の扉を開けて入れば、京の驚いたような瞳が俺を捉えた。すると、何故だかふわりと、今まで見たことのない笑顔を、見せた。

「…………何、笑ってんの」
「……いや、来たんだ、と思って」
「……来るに、決まってんでしょ」

 いいから早くこっち来なよ。そう言って手を伸ばそうとすると、京が一歩、後ろに下がった。踵は宙に浮いている状態だ。

「っ、京!」
「……君がここに来たのは」
「、」
「私がカワイソウ≠セから?」

 何を、言っているのかと――考えて、ふと思いいたる。春に、言ったこと。俺の、まちがえた答え。

「ちが、」
「君は全部、持っているもんね」
「、は…?」
「家族も、綺麗な顔も、人気も、賢い頭も、運動神経も、他にも色々、沢山持っているもんね。だからカワイソウな私を助けることができるんだ」

 京は笑ったまま、続けた。

「私はね、そんな君が、羨ましくて憧れで、そして、―――…とても、憎かった」

 ヒュ、と、息を呑む音。自分の喉から聞こえたそれに、自分で驚く。どうして、俺は、こんなにも動揺している。なにか言わなければと、とにかく京を助けなければと、口を開く。

「それで、いいから」
「、」
「いいから、早く、中に入って」
「…………いやだ」

 首を横に振って、京はふわりと笑った。

「―――…ばいばい、せないずみ」
「……っ、待っ、」

 皮肉にも、彼女が最期に放ったのは、彼女と出会って最初に口にした、俺の名前だった。


 ▽


 京が死んでしまったあとで、俺は京の色々なことを知った。京の両親が、幼い頃に亡くなっていたこと、俺のいた小学校に来る前、いじめられていたこと。俺の知らないことばかりが、京の周りを渦巻いていた。
 きっとあのとき、あの、京が、あの問いを投げかけてきたあのとき。きっと俺が答えをまちがえなければ、きっと、京は死ななかったのだろう、と思う。彼女をいじめから救っていれば、彼女のことをもっと知ろうとしていれば。そうすれば、彼女はきっと。
 そこまで考えて、首を横に振った。今更、何を考えたって遅い。彼女は死んでしまった。俺を憎んで、俺を恨んで。

「ねえちょっと、セッちゃん」
「、あーハイハイ」

 俺はきっと、彼女の恨みを受けて、抱えて生きていくのだ。

SANDGLASS