※現パロ※転生記憶有り長谷部※男主※
長谷部と元主の友情話。


 俺がそいつと出会ったのは、高二の春の事だった。

「ある、じ」

 そいつは俺を見て、信じられないものをみたような顔でその単語を口にした。ある、じ。あるじ。主? 何言ってんだと首を傾げながら、俺はへらりと笑ってみせた。

「えーと、長谷部? だっけ? 俺、真辺京。よろしく、仲良くしような」
「…っ、」

 俺のその挨拶に、そいつ――長谷部は何故だか傷付いたような、ショックを受けたような顔をして俺を見た。どうしてそんな顔をするのかさっぱり分からなくて、俺に長谷部を紹介してきた共通の友人、光忠の方を見た。説明を求める俺の顔に光忠はただ苦笑を返して、首を横に振ってみせた。なんなんだ一体。俺は改めて長谷部を見上げた。椅子に座ったままの俺をただジッと見つめる長谷部。俺もどうしていいか分からないので、長谷部の顔をじっくり見上げてみることにする。灰汁色の綺麗な髪に、紫色の澄んだ瞳。全体的に整ったその容姿は異性からもモテるのだろうなと推測できる。光忠も綺麗な顔をしていて異性からとても人気があるので、なんだか俺の周りは美形が多いなあ、となんとなく思った。
 長谷部は暫く俺の顔を見て、す、と目を逸らした。そして眉を寄せ、苦しそうな顔で手を差し出してきた。

「……長谷部だ。よろしく、頼む」

 人見知りなんだろうか。
 それが、俺の長谷部に対しての第一印象だった。


 それから俺と長谷部の交流は始まった。長谷部は少し人見知りというか、口下手?なのだろうか、まあそんな一面はあるものの、やはり光忠が紹介してくれただけあってとても良い奴だった。いや、というかとても世話焼きなところがあると思う。ものぐさな性格の俺に、長谷部は文句を言いながらもよく世話を焼いてくる。日直の仕事がだるい面倒くさいと文句を吐けば引っ張って俺を連れて行き、長谷部も仕事を手伝ってくれたり、自分の飯を買いに行くのが面倒で机に伏せていた時は仕方ないといった顔で手作りだという弁当を分けてくれた。あまりに美味しいその弁当を夢中で食べたら、次の日俺用に弁当を作ってくれた。長谷部は物凄い世話焼きで、そしてとてもいいやつだ。
 だけど少し、気になることもある。

「この煮付け美味いな!」
「っ、」
「…、? 長谷部?」
「……あ、いや。えっと。そうか、ありがとう」
「? お、おう…」

 時々、長谷部は俺に対してこんな反応をする。苦々しく、悲しそうな、どうしようもない現実を受け止めようとしているような、そんな顔をする。泣きそうに歪められるその顔を見るたび俺は戸惑って、どうしたらいいか分からなくなる。甲斐甲斐しくこうして世話を焼いてくれるし、弁当まで作ってくれるのだから、嫌われてはない、のだと思うのだが。しかしこの反応を見るたび、自信がなくなってしまう。
 どうして長谷部はこんな顔をするのだろうか。思えば出会った瞬間からだった。俺の顔を見た瞬間、長谷部は苦しそうな顔をした。涙を堪えるような、そんな顔を。
 俺は長谷部を友達だと思っているが、長谷部が実際のところどうなのかは、よく分からなかった。

「おい、真辺。起きろ、おいこら、真辺」
「ん゛ー…」
「下校時間だ。燭台切も待っている」
「んー、はせべ…?」
「そうだ長谷部だ。早く起きろ」

 ぺし、と軽く頭を叩かれて、俺はまだ覚めていない頭を持ち上げる。誰もいない教室は夕焼け色に染まっていて、午後の授業開始からずっと眠りこけていた俺はそこからの記憶がないことに絶句した。ああ、やっべえ。普通に爆睡してた。

「あーねみー…」
「寝過ぎだ馬鹿者」
「はは、ひでー。まあそのとおりだけど」

 段々と覚めてきた頭を振って、意識を覚醒させる。そうして、改めて長谷部の姿を捉えた。
 夕焼けのオレンジ色が、長谷部の灰汁色の髪の毛も陶器のように白い肌も染めていた。美形はこういう姿も絵になる。俺は笑って、つい口にする。

「長谷部は夕焼けがよく似合うな」

 長谷部は大きく、目を見開いた。そうして小さく、音もなく、長谷部の唇が何かを形作った。あるじ。そう言ったように、見えた。最初に言った、あの言葉。
 長谷部の紫色の瞳から、ぽろ、と雫が零れ落ちた。これには俺も慌てた。どうして泣くんだよ、どうしたんだ、なんで。慌てる俺に長谷部はハッとして、首を左右に振った。何でもない。拒絶するように呟かれ、俺はそれ以上何も言うことができなかった。

「目に、ゴミが入ったんだ。すまない」
「…そっ、か」
「行こう、燭台切が待っている」
「…ああ」

 長谷部の後をついていく。長谷部が何を思って俺と一緒にいるのか、さっぱりわからない。長谷部は俺が嫌いなのか、そうでないのか。友達だと、思ってくれているのか。そうなら、何故苦しそうな顔ばかりするのか。聞きたいことは沢山ある。だけど、俺は何も言えなくて、黙り込んでいた。


 ▽


 俺には、前世での記憶がある。前世で俺は、へし切長谷部≠ニいう刀の付喪神――刀剣男士として、審神者≠ニ呼ばれる主のために、働いていた。
 俺には生まれたときからこの記憶があって、主への忠誠心が根強く心に染み付いていた。俺の主はものぐさで、俺がいないと靴下の場所すら分からないようなどうしようもない御人だった。だが仕事は面倒だと文句を垂れながらもきちんとこなしていたし、俺達刀剣のことを人一倍愛してくれた。現世の俺は主に会ったことはないが、俺は今でも主への忠誠を忘れて居なかった。
 俺の生まれた時代はとても平和な時代だった。大きな争いごとはなく、子供の安全は最低限保証されている。俺は主と同じ人として生まれ、また長谷部≠フ名を授かった。長谷部国重≠ニいうのが、俺の今の名だった。

 高校に上がって、俺は前世で友人だった燭台切に出会った。燭台切光忠≠ニその変わった名のまま現世に生まれ落ちたらしいそいつには、俺と同じく前世の記憶があるらしかった。燭台切とはクラスは違ったが、同じ委員会に入ったらしく、その集会で会った。燭台切を見て驚いた顔をした俺を見て、燭台切は俺が記憶を持っていると気付いたらしい。分かりやすいよ、きみ。なんて言われて俺は怒ったが、確かにその通りかもしれないなんて後で思った。気を付けなければいけない。
 それから何度か燭台切と会いつつも、クラスが違うので大した交流は持っていなかった。だがある日――高校の一年も終わろうとしていたある日――燭台切から、話したいことがあると呼び出しを食らった。改まって珍しいな、と首を傾げながらも、俺は指定された喫茶店へと向かった。既に来て座っていた燭台切は、俺を見て人当たりのいい柔らかい笑みを浮かべながら手を振ってきた。俺もそれに手を上げて返し、燭台切に近付いた。

「悪いな、待ったか」
「いや、大丈夫だよ。こっちから呼び出したんだから、気にしないで」

 燭台切は笑みを浮かべたままそう言って、俺にメニュー表を差し出してきた。俺はそれを首を横に振り断り、店員を呼んで珈琲を一つ頼んだ。
 椅子に座り、俺は燭台切を見据えた。

「それで? 話とは何だ」
「せっかちだね」
「茶化すな。わざわざ呼び出したんだ、何か大事な用なんだろう」
「うーん、まあ、そうだね」

 はっきりしない燭台切の態度に眉を上げると、「怒らないで」と苦笑いされる。「早く言え」促すと、燭台切は苦笑を浮かべたまま、切り出した。

「長谷部くん。きみは、主に会いたいと思うかい?」

 その問いに、俺は大して驚くことはなかった。記憶がある者同士、こうして主の話が出てくることは不思議なことではない。ただ、こうしてわざわざ呼び出してまでその話を切り出したのには、違和感を感じた。俺は怪訝な顔で答えた。

「会いたい。当然だ」
「……そっか」

 燭台切は目を伏せた。綺麗な顔をしている奴は、それだけでも大層絵になる。燭台切は続けて言った。

「…主に、記憶がないとしても?」
「、」

 言葉に詰まった。記憶がない。俺や燭台切が当然のように記憶を持っていたので、そんなことは考えもしなかった。主に、記憶がないかもしれない。考えたくもないことだ。だが。もし。もし、そうだとしても。

「俺は、主に会いたい。会わねばならない」
「…随分と、義務的な言い方をするね」
「…、そんなことはない」
「…まあいいや。うん、それなら良いんだ」
「何故急に、そんな事を聞くんだ?」

 首を傾げ疑問に思っていたことを問うが、燭台切は薄く笑って「すぐに分かるよ」と言うだけだった。俺は不満気に燭台切を睨むが、まあすぐに分かるというのなら、その内分かることなのだろう。諦めて、たった今運ばれてきた珈琲に口を付けた。


 燭台切の言っていたことの意味は、すぐに明らかになった。燭台切は主を見つけていた。それも、記憶のない主だ。主…と、呼んでいいのかすら、危うかった。燭台切に紹介された主は、記憶が抜け落ちているというそれだけで、別人のように見えた。
 最初は燭台切が気づいていないだけで、もしかしたら主は記憶があることを隠しているんじゃないのか、と思った。しかし、燭台切が分かりやすい≠ニ評した俺の反応を見ても、主は不思議そうな顔をしただけで、記憶を持っているようには見えなかった。記憶がなくとも会いたいと言ったのは自分なのに、酷く、泣きたい気分になった。

 主…真辺京は、見た目も中身も、俺の知っている主そのものだった。酷くものぐさで、俺が促さなければ何もしようとしない。ただ促せばやらねばならない仕事は面倒くさいと言いながらもきちんとこなすし、自分で動くことができる。そういうところは記憶がなくとも前世の主そっくりで、いつも、複雑な心に押しつぶされそうになる。
 ある日のこと、真辺が飯を買いに行くのすら億劫だと言って、起きない時があった。起こしても面倒だから昼飯は抜きでいい、とまで抜かす。俺は前世でよく近侍をしていた世話焼きの性か、つい弁当を分けてやってしまった。記憶のない主に複雑な思いはあれど、やはり俺はこいつに甘いのだ。
 真辺は、俺の作った煮物を食って美味いと顔をほころばせた。逆に俺は、顔を強張らせた。その煮物は、主も前世、好きなものだと言っていたから。俺の反応に、真辺は困ったような反応をして、俺の名前を呼んだ。俺は戸惑いながらも、ありがとう、と言葉を返した。やはり真辺は、困惑しているようだった。
 また別の日、真辺が昼から放課後までずっと眠りこけていた日があった。そのうち起きるかもしれない、と下校時刻ギリギリまで待ってみたが、起きない。確か燭台切も外で待っていると言っていた。恐らく女子生徒に絡まれて退屈はしていないだろうが、これ以上待たせるのも気が引ける。
 俺は息を吐き出して、真辺を揺り起こした。

「おい、真辺。起きろ、おいこら、真辺」
「ん゛ー…」
「下校時間だ。燭台切も待っている」
「んー、はせべ…?」
「そうだ長谷部だ。早く起きろ」

 軽く頭を叩いてやると、真辺は寝ぼけ眼で俺を捉えた。前世の俺だったなら、主の頭を叩くなど考えられなかったことだ。
 真辺は「ねみー」とひとりごちながら首を横に振った。寝過ぎだ、と注意すれば、ヘラっとなんでもないように笑う。またそれが、前世の主と重なって、酷く辛かった。
 真辺は暫くぼんやりと俺を見ていた。そうして、なんでもないように、呟いた。

「長谷部は夕焼けがよく似合うな」

 大きく、目を見開いた。主の、前世の主の言葉が、重なって聞こえてくる。長谷部は、夕焼けがよく似合うな。以前、前世で言われたことがある。鮮明に頭の中に蘇る。
 少しして、真辺が慌てだした。どうして泣くんだよ、どうしたんだ、なんで。困惑して俺に近づいて来る真辺に首を傾げて、そうして、ようやく俺が泣いていることに気付いた。ああ、情けない。主の、こいつの前で泣くなんて。ハッとして、首を横に振った。なんでもない、と、拒絶した。

「目に、ゴミが入ったんだ。すまない」
「…そっ、か」
「行こう、燭台切が待っている」
「…ああ」

 真辺は困惑した表情のまま、俺の後ろをついてくる。俺はそれを背後に感じながら、グッと拳を握った。主との、前世での約束が、頭に蘇る。

『なあ、長谷部。もし、もしも、俺達が人間として来世、生まれ変わることが出来たら、俺と、今度は…』

「………」

 以前、俺とこいつが会う前、燭台切に呼び出された日。あの時、俺は主に会わねばならない≠ニ言った。燭台切はそれを、義務的な言い方≠セと言った。あの時は否定したが、その指摘は、決して間違ったものではなかった。俺は、もう一度主に会わなければならない理由があった。

 俺は、主との約束を果たさねばならなかった。


 ▽


 長谷部と出会って、半年が過ぎた。長谷部は相変わらず世話焼きで、だけどどこか一線を引いている節がある。俺は長谷部を友達だと思っていて、長谷部はきっと俺のことを嫌ってはいない。ただ、俺のことを友達だと思ってくれているかどうかは、分からない。そんな微妙な関係が、出会った頃から続いていた。

「なあなあ、長谷部」
「、なんだ?」

 今日も長谷部の作ってきてくれた弁当をつつきながら、俺は長谷部に話しかけた。光忠は先生に呼ばれたとかで今はいない。

「長谷部の下の名前って国重って言うんだな。滅茶苦茶かっこいいじゃん」
「そうか? ありがとう」
「それでさ、長谷部のこと下の名前で呼んじゃダメか? 結構付き合いも長くなってきたしさ、そろそろ俺の事も下の名前で…」
「いやだ」
「……え、」

 まさか断られるとは思っておらず、俺は言葉を切って、長谷部を見た。長谷部はまたあの、時々見せる苦しそうな顔をしていて、俺はまた何か、長谷部の中の地雷のようなものを踏んでしまったことを理解した。でも、何故だろう。どうして、名前で呼ばれるのが嫌なんだろうか。俺はただ、長谷部ともっと仲良くなりたくて。それとも、嫌われていないとは思っていたがそれは勘違いで、やっぱり俺は長谷部から好かれていなかったのだろうか。

「…すまない。これからもそのまま、長谷部、と呼んでくれ」
「…ああ、分かった。なんか、ごめんな」
「いや、俺も、すまない」

 それから光忠が戻ってくるまで、無言で食事をしていた。


「なあ、光忠」
「ん? なんだい? 京くん」
「長谷部ってさ、名前で呼ばれんの苦手なのか?」

 長谷部が移動教室で居らず、俺と光忠で同じ授業のとき、俺は思い切って光忠に名前のことを聞いてみた。長谷部はもしかしたら、名前で呼ばれるのが苦手なのかもしれない。嫌われてない、という前提を置いて考えてみた結果、そんな答えが浮かんできたのだ。問われた光忠は首を傾げ、なんの話?と話の詳細を求めてきた。俺は以前あった事を話した。光忠はああと頷いて、苦笑を浮かべた。

「あの気まずい空気の昼休みのことか」
「あの時は悪かった」
「いや、それは良いんだけどね。そっか、名前呼びの提案ね」

 光忠は納得したように頷いて、そうして俺の方を見て、答えた。

「決して悪い意味じゃないから嫌な意味に受け取らないで欲しいんだけど」
「ああ」
「きみに――京くんに名前を呼ばれるのは、長谷部くんは特に嫌がるかもしれないね」
「それを嫌な意味じゃなくどう受け取れっていうんだよ」

 あまりに酷い光忠の答えに、俺はがっくりして項垂れた。睨むが、光忠は笑顔で受け流す。くそ、この伊達男め。呟くと、少し驚いた顔をして、「光栄だな」とまたキラキラとした笑顔を浮かべた。ばーか、嫌味だよ。通じろよ、ばか。

「やっぱ俺、嫌われてんじゃねーの」

 思わず、弱気なことを呟く。「違うから、安心しなよ」と光忠。とどめを刺してくれた奴が何をいけしゃあしゃあと。もう二度とお前のことなんか信用するもんか。ばーか。


 それから暫く、やはり俺と長谷部は変わりなく、どっちつかずな関係を続けていた。相変わらず、俺を嫌っているのかそうじゃないのかよくわからない反応。だけど世話は焼いてくるし、弁当は作ってくれるし、なんなら長谷部のほうから話しかけてくる回数のほうが多い。長谷部が何を思い、どうして俺と一緒にいるのか分からないまま、もうすぐ一年が終わろうとしていた。

 とある日のこと、俺は風邪を引いて、家で寝込んでいた。携帯を開き、光忠と長谷部とのグループを開く。ごめん、たいちょうくずした、やすむ。漢字変換する気力もちゃんとした文章を考える思考力もなく、俺はそれだけ打って送信した。今俺と長谷部と光忠の三人で調べもの学習をしている最中なので、休むと迷惑をかけてしまう。まあ、俺がいなくとも大した打撃にはならないかもしれないが。そう考えて、思わず笑みを浮かべた。あの二人だけで、調べものなんてすぐに終わってしまいそうだと、そう思った。そう考えたらなんだか少しだけ寂しく思えてきて、目を閉じた。風邪を引くと、弱気な事ばかりが頭を巡る。大丈夫、大丈夫だ。
 寝て覚めれば、頭もスッキリするだろう。
 俺は目を閉じて、意識を手放した


 カチャ、と隣に何かを置いた音で目を覚ました。微睡みの中、すぐ近くに人の気配がする。「かあ、さん?」と小さく呟いた。確か母さんはパートに出かけていて居ないはずだが、何でいるんだろうか。人影の動く気配がして、「悪い、起こしたか」と母さんよりもずっと低い声がして、驚く。ハッキリと目を開けると、そこには灰汁色の髪のイケメン――基、長谷部が座っていた。
 更に驚いて、起き上がる。頭にズキンと痛みが走った。

「っ痛」
「急に起きるな。粥を作ったから、食べるならゆっくり起きろ。ああそうだ、勝手にキッチンを使った。一応お前の母親に電話して、許可はもらっているが」
「え、あ、ああ……それは、いいんだけど」
「それと少し部屋を掃除したぞ。お前の部屋は少々汚すぎる。本当に物を片付けられない奴だな。病人がこんな部屋にいては、良くなるものも良くならない」
「ご、ごめん。…いや、まって。なんで長谷部がここに、」
「見舞いだ。家は燭台切に聞いた。お大事に、だそうだ」
「そ、っか」

 熱で朦朧とする頭で何となく理解した俺は、長谷部の作ってくれたお粥を食べる為に姿勢を整えた。お見舞い、来てくれたのか。心配してくれたのが嬉しくて、顔を綻ばせた。

「ありがとな、長谷部。滅茶苦茶嬉しい」
「……ああ」

 長谷部も薄く笑って返してくれた。笑った顔は初めて見たかもしれない。嬉しい。

「締まりない顔だな」
「へへ、だって嬉しいよ。風邪引いてる時ってさ、不安ばっかり押し寄せてきて、一人だと心細いんだ」
「………」

 長谷部は何も答えずに、目を伏せた。またそれがなんだかとても苦しそうに見えて、酷く泣きたくなった。なんで、なんでそんな顔するんだよ。なあ、長谷部。近付いたと思ったら、また離れていく。もどかしい。俺は、ただ。俺はただお前と。
 粥を何口か食べると、なんだか急激に眠気が襲ってきた。

「はせ、べ」
「、どうした、眠いのか」
「俺、さ……お前と…友達に、なりた……」

 そこで、俺の意識は暗転した。


 ▽


 俺の主は、俺が顕現した時から変な御人だった。

「へし切長谷部、と言います。主命とあらば、何でもこなしますよ」

 顕現した時、俺はそう言って主に頭を下げた。心からの忠誠を、主に向けた。しかし主はそんな俺を見下ろして、言い放った。

「へしきりはせべ? 変な名前だなーお前」

 ピシ、と、思わず笑顔が固まってしまった。

 今からお仕えする大切な主とはいえ、その一言で俺の主への印象はグンと下の方へと下がったことは間違いなかった。俺は名前に少々コンプレックスを抱いている。第一の理由に前の主――織田信長の狼藉が由来であるということは間違いないが、単純にへし切≠ニいうへんてこな名前が、俺自身気にいらなかった。名前のことについては、俺自身思っているし、自分で声に出して言ったりもする。だがしかし、他人に言われると、どうにも腹がたってしまうのはどうしてだろうか。
 しかし今目の前にいるのが俺の今の主であることは間違いない。俺はどうやら主に恵まれないらしい、と小さく息を吐き出す。笑顔を作り跪くと、目の前に立っていた主が俺の目の高さまでしゃがみこんだ。首を傾げて主を見ると、少々不機嫌そうな顔をしていて、俺は困惑する。どうしてそっちが不機嫌そうなんだ。
 困惑しながら主を見上げていると、主の手が俺の頬に伸びてきて、そして――

 グニッ

「っ!?」
「なんっだその顔。止めろ馬鹿」
「あ、あるい!?」
「ははは、言えてないぞー」
「(誰のせいだ!!)」

 頬を左右に引き伸ばされ、突然の奇行に驚きながら主の名前を呼ぶが、はははと笑い飛ばされる。この、と若干殺意が湧いて主を睨むと、にか、と太陽のような眩しい笑顔を向けられた。

「うん、その顔でいい。俺の前では作り笑いなんかするなよ。ストレス貯まるだろ」
「…はあ」
「よし。あーえーと、へし切?」
「…できればへし切ではなく、長谷部と呼んで下さい。前の主の狼藉が由来なので」
「…へえ、そうか。だからさっきあんな顔してたんだな。…前の主? って、織田信長だっけ?」
「ええ。付けたのは織田信長です。…命名までしておきながら、直臣でもない奴に下げ渡す。そういう男だったんですよ、前の主は」

 言いながら、目を伏せた。思い出したら苛ついてきた。眉間に眉を寄せていると、突然主に頭を抱かれて、わしゃわしゃと髪を掻き乱された。

「あっ、主!? 何を!?」
「よーしよし。悲しかったんだなー他の人に渡されて。長谷部は」
「っは!? 違っ」
「よしよし、泣いていいぞー」
「泣きません!!」

 主を押し退けて、また睨む。なんなんだ、この主は。しかし俺の睨みに主はまたニカッと笑って「じゃあ長谷部、よろしく、仲良くしような」と手を差し出してきた。俺は困惑やら戸惑いやら、色んな感情が頭を渦巻く中、とりあえず差し出された手を取った。

「…御随意に」


 最初、その本丸では主の近侍は当番制で行われていた。来たばかりだった俺には当分その役回りなどやってこず、今日は主の近侍の日だとはしゃぐ短刀たちを見て、少し意外に思った。
 あの主、そんなに好かれているのか。
 正直最初にあまり良い印象を抱けなかった俺には理解出来ず、首を傾げた。どうやら短刀だけでなく、他の刀剣たちにも好かれているらしいあの主。正直違和感しか抱けなかった俺は、思い切って燭台切に聞いてみることにした。

「え? 主が好かれている理由? …ふふ、きみにしては可笑しなことを聞くね、長谷部くん」
「そんなにおかしいか?」
「うん。長谷部くん、最初に主と話さなかったのかい?」
「話した。だから不思議なんだ」
「あー、そっか。主ってば、またアレな言い方しちゃったんだ。…長谷部くん、きみにも近侍がまわってくれば分かるよ」
「………」

 そうなのだろうか。俺は納得出来ずに、首を捻った。最初に話して、主がどういう御人なのかは十分によくわかった。その上で俺は主の好かれている理由がよくわからないのだが、もう一度話して、印象が変わるものだろうか。

 それから巡り巡って、俺の当番の日が来た。主の部屋の前に立って、声を掛ける。「入っていいぞー」と怠そうな声が聞こえる。俺は障子を開けて、部屋に入った。そうして、絶句する。

「…………あ、あるじ…?」
「ん? おお、今日は長谷部か。なんか久しぶりだなあ。ここには馴染めてきたか?」
「え、ええ……お陰様で………いや、そうでなく、これは一体」
「これ?」
「この部屋の惨状です!! 足の踏み場もないじゃないですか!!」

 思わず怒鳴ると、主は耳をふさいで迷惑そうな顔をした。

「大きい声出すなよ、寝起きなんだ」

 知るか。
 しかしそんなこと言えるはずもなく、俺はぐっと堪える。とにかく片付けなければ始まらない。「とりあえず片付けましょう」と、とにかく手近な物から片付けていくことにする。しかし部屋の真ん中辺りに座りこんだ主は、どうしたらいいか分からないようで呆然としている。この人は、片付けというものをしたことがないのか。
 溜息を吐き出して、主を外に追い出した。

「一時間ほど短刀たちとでも遊んでいて下さい。片付けができない人に側に居られても、迷惑なだけです」
「お、おう…」

 主が気圧されるように頷いたのを確認して、俺は障子を閉めた。部屋を見渡す。よし、やるか。


 それから一時間ほど経って、主が帰ってきた。何故か泥だらけで帰ってきた主に頭が痛くなった。何をして遊んできたんだこの人は。取り敢えず靴下だけ脱がせて、部屋を見せてやる。先ほどとは見違えるように綺麗になった部屋を見て、大層驚いている。

「おおお……すっげー…」
「全く……出したものはきちんと仕舞う癖をつけてください。でないと先程の部屋のように、足場が失われていくばかりですよ…って聞いてますか」
「うわあ、まじすげー! 畳が見えてる! おおお、久しぶりだなあ畳!!」

 どこに感動しているんだこの人は。というか、久しぶりってどのくらいこの状況だったんだ。呆れてものも言えないでいると、主が俺のもとに駆け寄ってきて、俺の手をとった。

「っ、」
「長谷部おまえ、凄いな! ありがとう!」


 それから俺は、よく主の近侍を任されるようになった。理由は片付けが上手いから∞主に対しても容赦がないから∞もう長谷部がいないと靴下の場所すら分からない≠ゥららしいが、それを聞かされた時は思わず頭を抱えてしまった。靴下の場所くらい把握しておいてくれ。
 相変わらずものぐさでよく分からない、失礼なことをズバッといってしまう主だが、近侍をよく任されるようになってから、なんとなく燭台切の言っていたことが分かったような気がした。

 主は俺達に対して、とても真摯だった。まるで人に接するように俺達を怒り、褒めて、気持ちを分かろうとする。どんな時でも全力で真っ直ぐ、本気でぶつかってきてくれるのだ。
 そんな主と接するうち、主のものぐさな性格にも慣れてきた俺は、他の刀剣たちと同じように、主のことを好きになっていた。近侍をよく任されることで、他の刀剣たちに羨ましがられるのが嬉しかった。近侍であることが、とても誇らしかった、

「長谷部ー、俺の靴下ー」
「この棚ですってば。いい加減に覚えてください。何の為の脳味噌ですか」
「俺の脳味噌は布陣とか考えるためにあるんだからいいの。キャパオーバーで他の事忘れちゃうんだよ」
「それはまた随分と容量の少ない脳味噌ですね」
「はは、ひでー」

 主は笑って、俺の手渡した靴下を履く。次に着物、袴。自分の部屋のことなのに何一つ分かっていない主に場所を叩き込もうと思えば、それは出来る。だが、俺がそうしないのは、なんだかんだと俺が主の頼みを断れず、主に甘いからだろう。それをつい自覚して、笑みを零した。


 それから暫くして、俺が重症を負って戦いから帰ってきた時があった。俺が燭台切の肩を借りて帰ってきたのを見て、主は俺が今までに見たことのないほど慌てていた。

「長谷部!? 大丈夫か!?」
「っ、あるじ……すみません、不覚を取りました…」
「ばっか、んなことどうでもいいんだよ!! 早く手入れ部屋入れ!! 折れるぞ!!」
「っはは、死ななきゃ安い、ですよ…」
「…っ!!」

 主は俺の言葉に絶句して、そして勢い良く頭を殴ってきた。俺の肩を担いでいる燭台切が「止めなよ、長谷部くん本当に死んじゃうから」と慌てている。誰が死ぬか、ばか。

「死ななきゃ安いだぁ!? なら一回死んでみろバーーーカ!!!」

 酷い暴言だ。主は燭台切から俺を奪い取って、手入れ部屋へと連れて行くと、乱暴に放り込んだ。バンッ!!と勢い良く障子を閉めて、俺の目の前に座り込む。そうして、大きく、自己嫌悪するように、溜息を吐き出した。

「あー、くっそ。最近は重傷者なんか居なかったから、油断してた」
「っ、ある、じ」
「…ごめんな。でも死ななきゃ安いとか、言うな。治るけど、痛いもんは痛いだろ」

 それから主は少々乱暴に、不器用に俺の手入れをしていった。本職に任せればいいのに、変な人だ、と少し可笑しかった。こんな時だが、主からの手入
れが、とても心地よく感じた。


「……あの、主?」
「んー?」
「俺はもう大丈夫なのですが」
「だーめだ。もう少し休んでろー」

 大体の手入れが終わり、俺は何故か、主に膝枕をされていた。何故だ。何でだ。
 困惑しながら、その状況を受け入れていると、ふと、頭上で思い出したように主が話し出した。

「弱ってる時とかさ、一人だと寂しいし、いろいろ考えて不安になるだろ」
「……、」
「俺もな、小さい頃そうだったんだ。風邪引いた時にさ、一人で、ずっと不安だった」

 主、と小さく名を呼ぶ。主はいつもの太陽のような笑顔を浮かべて、俺の頭を撫でた。

「長谷部、もし俺がそうなった時は、俺の傍にいてれな」
「……、」

 俺は胸に手を当てて、微笑んだ。

「主命とあらば」


 そうしてまた、時が経つ。主と、この本丸の仲間たちと過ごして、幾つ季節を過ごしただろう。あれは、そう、確か春のことだ。もう数えることも忘れてしまった、何度目かの、春うららかな日和での事。

「なあ、長谷部」
「はい、なんでしょう。靴下ならそこの棚ですよ」
「ちっげーよバカ! つーか靴下なら履いてるだろ!」
「そこはそのくらい分かると言って欲しかったんですが」

 相変わらず靴下の場所すら覚えていない主に、小さく微笑む。それで、何ですか、と重ねて訊いた。

「あのなあ………夢をさ、見たんだ」
「…、夢、ですか」
「ああ、夢だ。俺と長谷部が人間で、高校生で、友達として、笑ってる夢だ」
「………」

 それは、不思議な夢を見たものだ。俺は少々驚きながら、話の続きを待った。

「なあ、長谷部。もし、もしも、俺達が人間として来世、生まれ変わることが出来たら、俺と、今度は…」

 主が、俺を振り返った。
 いつもの、太陽のような笑顔。

「俺と、友達になってくれないか」


 ▽


「……友達、か」

 粥を食っている最中にまた眠ってしまった真辺をベットに寝かせながら、俺は一人呟く。「友達になりたい」と、そう言葉を残して、意識を手放してしまった。やはり前世の主と、よく言動が被る。勿論、違うところも多々あったりはするが。

「俺は、お前の友人になれていなかっただろうか」

 主との約束を、果たせていると、そう思っていた。しかしどうやら、真辺は俺のことを友達だと思っていなかったらしい。

「…いや、そんな思考にさせたのは、俺の態度のせいか」

 友人として、なりきれていなかった自覚は多少なりともあった。そっけない態度も、どっちつかずな関係も自覚していた。だが、どうしても主と真辺を、重ねて見ることをやめられなかった。

「俺と、友達に。主、貴方はそう言いましたね」

 眠り続ける真辺を見つめ、呟く。

「主命とあらば、どんな事でも俺は貴方の為に動きましょう。ですが」

 言葉を切って、目を瞑った。泣きたくなるほど鮮明に、あの時の、主の太陽のような笑顔が瞼の裏に映しだされた。

「貴方は、主命でないと仰った。嫌ならば断っていいと。これは自分の我儘≠セと」

 主命でなく、俺の意志で貴方の友人になるか選べと、貴方はそう言った。優しくて、残酷な選択肢を、貴方は俺に残した。

「―――俺が、貴方の頼みを断るなど、有り得ない事なのに」

 優しく、微笑む。寝ている真辺の髪を掬って、さらさらと溢した。

 お前が目を覚ましたとき、今度こそ、俺はお前の友達になっていよう。

SANDGLASS