影山と『北一の幽霊』の話

「覚えてねえのか」

 その俺の問いかけに、御国は「うん……ごめんいつ?」と本当に分からないという顔で俺を見た。
 ずっと幽霊だと思い込んでいた少女が生身の人間であると聞かされたのは本当につい先日の事。たった今俺は、その中学の同級生との初対面について聞かれている。別にめちゃくちゃ衝撃的な出会いだったかと聞かれればそういうわけではないし、まあ確かに忘れているのも仕方のないことかもしれない、とそうは思うがなんというか。なんだろうこのモヤモヤは。俺はこんなにはっきり覚えているのに、御国は忘れている。
 俺は少し黙って、視線を反らした。

「俺も覚えてない」
「はあ?」

 御国は変な顔をしていた。


 ▽



 ホントのところを言うと、勿論覚えていた。御国を幽霊として認識した日のことは、鮮明に。

 中3の、県予選の決勝の日だった。俺のトスに誰も付いてこなくなって、挙句にベンチに下げられた試合の、夜。ただ我武者羅にボールを上げて、上げて、上げて。かごの中のボールがなくなったのを見て、集めようと足を動かそうとして、しゃがみ込む。今回の試合で、トスを上げた先に誰も居ないという恐怖を味わった。バレーは辞めない。勿論当たり前だ。でも、これからトスを上げた先にまた誰も跳んでくれなかったら。そう思うと心底恐ろしかった。

「………あの、大丈夫?」
「っうわ!?」
「あ、ごめん、なんか体調悪いのかと思って」

 薄ぼんやり、なんだか印象の薄いその少女はそう言って、不思議そうに首を傾げていた。いつ体育館に入ってきたのか、全く気付なかった。少し焦げた茶色の髪に、目がはっきり見える短い前髪が特徴といえば特徴だろうか。人が近づいていたことにすら全く気付いていなかったことに驚いて、俺はパクパクと口を開閉させた。

「バレー部? って、こんな遅くまでやってんだね」
「っ、と、自主練、で」
「ふーん。凄いね」

 聞いてきたくせに興味なんてなさそうに、少女はそう言った。なんだか何にも期待なんてしていないような目が印象に残っている。

「……あんたは何でこんな時間まで」
「…ああ、うん。忘れ物したから取りに来たんだけど。それで、体育館の明かりまだ点いてたから誰かいるのかと思って……」

 ちょっと、気になっただけだと。少女はそれだけ言って、また黙りこんでしまった。俺自身も会話は得意ではないので、沈黙が痛い。俺はしばらく何を言うか迷った末、何故か今日のことについてぽつりぽつりと話し出していた。ついさっき、たった今会ったばかりの奴に何故、とも思ったが、たった今会ったばかりの奴だからこんなことが言えるのだと思った。

「今日……チームメイトと揉めた、つーか、……その、俺のトスを無視されて」
「……え? ああ、うん。トス?」
「スパイク打つときに上げるボール、……でも俺の上げるトスが速すぎて誰も打てねーから、……オウボウ、?すぎる、って、言われて」

 少女はしばらく黙って、「……そっか?」と首を傾げた。まあ……そうだよな。急にこんな話を聞かされても相手が困るだけだ。何やってるんだ。相当今日のことが堪えているということだろうか。

「うーん、よく分かんないけど。なんかいいね、そういうの」
「……は?」

 何を言い出すのだ、と俺は訝しげな顔で少女を見る。人が真剣に悩んでいるのに、いいね、とはなんだ。何も良くはない。少女は「あ、ごめんね」と慌てたように謝ってきた。

「なんて言ったらいいかわかんないんだけど……間違ってることを間違ってる、って示してくれる存在って貴重だよ。そういう存在がいるから気付けることがあるわけだし……ちょっとでも気付いたことがあるから今君もそうやって悩んでるわけだし」
「……、」
「私はそういうのないから、なんかいいね」

 そう言って少女は笑ってみせた。なんとなく悲しそうな、諦めたような、なんとも言えない下手くそな笑顔だったが、なぜかそれが俺の印象に強く残っている。

「あ、じゃあ私そろそろ帰るね、バイバイ」
「え? あ、ちょ……」

 引き留めようと顔を上げた瞬間、もう少女は消えていた。キョロキョロと辺りを見渡し、体育館の外も確認してみたが人っ子一人居ない。夢でも見たのか、としばらく呆然としていたら先生にはやく帰れと注意されたので慌てて片付けをしてその日は帰宅した。

 その次の日、『北一の幽霊』と呼ばれる少女の存在について聞き、俺はあの少女がその幽霊だったのだと知ったのだ。


 ▽


 それから1年弱、その『北一の幽霊』も幽霊ではなく生身の人間の同級生ということが発覚したのだけど。

「……」
「…え、なに? なんで影山にガン飛ばされてるの私?」

 練習の休憩中、ドリンクを渡しに来た御国に思わずガンを飛ばす。
 『北一の幽霊』改め御国千景と同じ部活に入ってそれなりの時が経ったが、やっぱり俺があのときのことを覚えているのに御国が忘れているのはなんだか釈然としない。あれから話を切り出したことはないが、やはり御国はきれいサッパリ忘れているらしく中学の話が出てきたことはない。だからといって本当に別にどうもしないのだが。のだが。

「なんっかムカつくんだよな……」
「ええ? なに? 私なんかした?」
「したっちゃした」
「ええ……??? 理不尽な因縁とかじゃなくて?」
「ちげーよ」

 相変わらず何にも興味がなさそうで、何にも期待していない目をするが、中学で見たときより明るい、というか楽しそうには見える。……気がする。俺もずっと御国のことばかり見ているわけではないしこいつのことはしょっちゅう見失うので気のせいかもしれない。

「……なあ」
「え? なに?」
「お前は『北一の幽霊』、嫌だって言うけど」
「いやそりゃヤでしょ」
「俺はかっこよかったと思う。……前も言った気するけど」
「、」

 御国は驚いた顔で固まっていた。それを置いて、俺は練習に戻ろうと立ち上がる。

「…っと、影山!」
「!、……なんだよ」
「私は今の私のほうが気に入ってるよ」
「、……」

 そうか、と、それだけ返して今度こそ練習に戻る。

 昔の御国の、あの下手くそな笑顔を思い出す。俺は『北一の幽霊』の方がかっこよかったと思うけど、御国が今の自分を気に入っていると言うならそれはきっと、御国にとっては喜ぶべきことなのだろう。


 ――しかしやはり、忘れているのはムカつくのであのときの御国の言葉に少しだけ、ほんの少しだけ救われたと言うのは教えてやらないことにする。

SANDGLASS