辻と引きこもり/wt


 二年に上がってから、ずっと左隣の席だけ空いていた。ポツン、と不自然に空いたその席の持ち主のことを、俺は何も知らない。名前も顔も性別すらも、俺は知らなかった。どうしていないんだろう、どうして学校に来ていないんだろう。ぽっかりと空いているその席が無性に気になって仕方がなかった。せめて名前だけでも、と思って職員室まで先生に聞きに行った。今思えば妙なところで行動力を発揮してしまったと思う。

「ああ、空木か。あいつ学年が上がってからずっと無断欠席してるんだよ。まだ大丈夫だが、そろそろヤバイから来てもらわないと…」

 先生が困ったようにそう言った。なるほど、隣の席の子は空木と言う名前らしい。苗字だけなので性別はまだ分からない。女子だったらアウトだ。色んな意味で。
 とりあえず名前と、無断欠席をしていることは分かったので先生に頭を下げて職員室を出ようとした。しかしその前に先生に腕を掴まれて制止された。嫌な予感がする。

「辻、お前ちょっと空木の家に行ってきてくれないか!?」
「は!?」


 ▽


「プリントを届けるだけ、ね…」

 先生に必死に頼まれてつい受け取ってしまった、二年になってから今日まで配られたプリントたち。溜息が溢れる。ああせめて、空木という子が男でありますように。心の中で祈りながら、指定された住所をスマホで調べて空木の家へと向かう。

「えーっと……空木…あ、ここか」

 空木の家を見つけて、立ち止まる。どこにでもありそうな普通の一軒家だ。表札を確認して、インターホンを押す。ああ、まだ顔も知らぬ空木、男であってくれ。祈っていると、扉が開いた。

「はーい?」
「っ」

 出てきたのは四十代くらいの女の人だった。多分お母さんだろう。いや、当然だ。そりゃあ親が共働きとかでない限り、インターホンを押して出てくるのはお母さんだ。そりゃあそうだ。うん。空木が男か女がとかいう以前に、お母さんが女だった。

「どちらさま?」
「あっ、の……えっと、……っ空木、っ、の…」
「あら、佑のお友達?」
「えっ、と」

 どうやら空木の下の名前は佑というらしい。名前だけ聞くと女の子のようでもあるが男の可能性だってまだある。女の子のような名前の男もいるわけだし。うん。淡い望みにかけつつ、しかしもうこれ以上女の人が出てこられたら俺のメンタルが保たないのでそろそろ帰らせてもらおうと思う。

「じゃ、じゃあ……お、れは……これで」
「あら、せっかくだから佑に会っていけばいいのに!」
「えっ、い、いえ、あの」
「さあ入って入って、ゆっくりしていってちょうだいね〜」
「ひっ、え、え!?」

 腕を掴まれて、思わず短い悲鳴を上げた。そのままズルズルと家の中に引きずり込まれていく。いやいや、どんなホラーなんだこれは。怖すぎる。しかし先生とこの人といい、今日はよく腕を掴まれるな。
 階段を上がって、一番奥の部屋の前に連れて行かれた。

「佑〜、お友達が来てくれたわよ」
「…友達?」

 お母さんの呼びかけに、部屋の中から気怠そうな声が聞こえた。中性的な声だ。少し低めの女の子の声にも聞こえるし、声変わりしかけの男の子の声のようにも聞こえる。声だけでは判断しづらい。
 部屋の中で何かがのそのそと動く気配。どうやらドアに向かってきているらしい。足音がドアの前で止まる。そうして、ガチャ、とゆっくりドアが開いた。

「……」
「……」
「……誰キミ知らない」

 空木はそう言うと、バタン、とドアを閉めてしまった。こら!と隣でお母さんが怒っている。しかし俺としてはすぐに閉めてくれて助かった。あれ以上顔を合わせていたらどうなっていたか分からない。

「(お、女の子か…!!)」

 空木佑は女の子だった。髪はボサボサで生気のない死んだような目をしていたが、紛れもない、空木佑は女子だった。つい倒れてしまいそうになる。

「ごめんなさいね、せっかく来てくれたのに」
「い、いえ…」
「でもせっかくだからゆっくりしていってね。私はリビングにいるから」
「えっ!? い、いや俺もうっ…!」

 空木…さん?のお母さんはさっさと階段を下りて行ってしまった。なんでこんなに話を聞いてくれないんだあの人。手を伸ばす動作のまま固まって、溜息を吐き出した。すると目の前の扉が開いて、先程出てきた空木さんが顔を覗かせた。

「人の話聞かないでしょ、あの人」
「えっ、あ、い、やえっと」
「ごめんねうちのお母さんが」
「そっ、…えっと……だい、じょうぶ、です」

 ススス、と少しずつ離れながら、目を必死に合わせないようにして受け答えをする。空木さんはそれを見て首を傾げた。

「人と話すの苦手なの?」
「そ、ういう、わけじゃ」
「じゃあなんでそんな吃ってんの?」
「お、女の子が苦手、で…」
「…それでよく私の家来たね」
「せ、性別知らなくてっ…」

 顔を真っ赤にして答えていく俺を見て、空木さんは少し思案する仕草をして、バタンと扉を閉めた。もう話す気はないということだろうか、と首を傾げていると、扉の向こうから声が聞こえた。

「扉越しならどう?」
「え、あ、うん……大分マシ…」
「そっか。それはよかった」

 扉越しに空木さんの笑う声が聞こえる。なるほど、姿が見えなければ大分話せる。失礼かもしれないが空木さんの声は少し低めで聞きようによっては男の子に聞こえないこともないのでこれなら話せるかもしれない。

「それで、きみ誰?」
「あ、俺は辻って言って……空木さんと同じクラスで隣の席…なんだけど」
「ふーん。何しに来たの?」
「先生から頼まれてプリントを届けに……あ、ここ置いとくよ」
「ああうん、ありがとう」

 なんだか扉越しに会話をするのは不思議な感じだ。というか女子と会話をしているという事実が不思議でならない。

「学校来いよって言いに来たわけじゃないんだ」
「え、いや……その、俺空木さんのことよく知らないし……それに多分教室来てもらってもちゃんと話せないし」
「…ああ、女の子苦手だから」
「うん……あ、でも」
「?」
「隣の席が空席なのは寂しい…かな」
「……、」

 沈黙が返ってくる。あれ、そんなにおかしなことを言っただろうかと少し焦っていると、扉の向こうから笑い声が聞こえた。

「あっははは、何それ」
「えっ、なんで笑うの」
「いやー辻くんおもしろい」
「そ、そう…?」
「うん。…また話したいな」

 ぽつり、空木さんがそう言った。多分相槌の後の言葉は俺に向かって言った言葉ではないのだろうと思う。ぽつりと、つい漏れてしまった言葉。その言葉を聞いて俺も、つい返してしまっていた。

「また来るよ」
「…え?」
「あ、俺ボーダー隊員だから……毎日は無理だけど、絶対また来るから。と、扉越しなら、話せるし」

 そう言うと、また扉の向こうで笑い声が聞こえた。ひとしきり笑ったあと、空木さんは笑いの滲んだ声で「ありがとう」と言った。

「楽しみにしてる」

 こうして、俺と空木さんの不思議な関係が始まった。

SANDGLASS