とある兄弟との話


 船はもうじき賢者の島に予定通り着港する。
 その船首付近から陸を見下ろした男は、見るからに何もなさそうな小さな街に深くため息をついた。両端に魔法士養成学校を有するこの島にはそれ以外に名所と呼べる場所もなく、特産品と呼べるようなものもない。……あえて言うのであれば学生達がそれに該当するのだろうか。
 兎にも角にも、旅行と称して尋ねる場所には不釣り合いなこの場所に男が来たのには訳があった。
 それなりの魔力を有した彼の家系は何代も前の当主が事業で成功し地元では有名だった。しかし、それなり故にロイヤルソードアカデミーやナイトレイブンカレッジから迎えの馬車がやってくることはなかったが、それでも血に対する矜持というものを持てる程度に人生の勝ち組であると男は自負している。
 数百年に渡り続く家系図に魔法士と呼ばれる者は一人もおらず、この島とは縁もゆかりもなかった。
 そんな彼の家に強い魔力を有した男の子が生まれた。彼の弟だ。
 幾何か歳が離れた弟は今年度ナイトレイブンカレッジに入学した。迎えに来た黒い馬車に自分のことのように胸が高鳴ったのを男は今でも覚えている。それと同時に、自分の胸にあの色を写し取ったかのようなどす黒く重い感情が芽生えたことすらも、明確に。

「さて、と……。あいつはどこだ」

 まるで心臓にナイフを突き立てられたかのように溢れ出る黒いそれ。しかし、それでも男は弟に対して愛情を持っていた。どくどくと、脈打つごとに滴るものからは目を背けた。
 今日はそんな愛しい弟と数か月ぶりに会う約束を交わした大切な日だ。
 汽笛を鳴らしながら港に到着した船から降ろされる積み荷たち。その中に紛れ、賑わう人々をかき分けながら男は手紙と一緒に送られてきた手書きのメモをスーツの胸ポケットから取り出した。
 目印となる建物を見つけた男は、道具も使わずに引かれた線は歪んでいるが、地図としての役割は十分に果たしてくれそうだと安堵の息を漏らす。現在位置さえ分かってしまえばあとはこちらのものだ。
 ここからでも見上げればその断崖を視認することが出来るナイトレイブンカレッジには普段は関係者以外は入れない。あちらに直接向かうことが出来るのであれば迷うこともなかっただろうが、弟と会う約束をしたのは街にある小さなカフェだった。
 すれ違う人々が時季外れのよそ者の姿に興味本位で視線を向ける。その度に男は慣れた様子で笑みを返し、時折道を尋ねながら順調に路地の奥へ奥へと進んでいた。

「ねぇ………う思……?」
「……様はこっちの方が……っぽいって……ゾ」

 路地を曲がると進行方向からかすかに聞こえる声に男は顔を上げる。店先に並んだ陶器のカップを手にとっては首をかしげる少女が鈴音のような声を転がしながら肩に乗った魔獣に声をかけている。

「やっぱり、私は緑かなって思うんだけど」
「黄色じゃねぇのか?」
「寮の色はそうだけど……」

 ひらりとスカートが揺らめく。
 黒を基調としたその制服に見覚えがあった男は数度瞬きを繰り返した。
 揺れるスカート、まろやかな体のライン。男とは違う高く柔らかな声。
 どこから見ても女性だ。女生徒だ。
 しかし、あれは弟が通うと知って調べたナイトレイブンカレッジの制服によく似ている。あそこは男子校のはずだ。
 手に取ったカップを台に戻した少女は男の視線に気づいたのか、こちらを見やる。
 不躾に視線を送り続けた自覚のあった手前、何も言わずに目を逸らすのも気が引けた男は小さく頭を下げると少女に近づいた。

「こんにちは、お嬢さん」
「こ、こんにちは……」

 突然見知らぬ男に声をかけられれば警戒もするだろう。震える少女の声に男は自然と笑みを零す。胸の前で握られた小さな手にきゅっと力が込められている。

「驚かせてしまったかな?」
「えっと……あの……」
「怪しいものじゃない、って言ったら余計怪しいかな?」

 肩の魔獣と目を合わせて眉間に皺を寄せた少女から次の言葉は出てこない。
 完全にやらかしてしまった、そう自覚した男は早々にこの場を立ち去るべきだと理解はしていたが思うように足が動かない。
 困り果てハの字に下がり切った眉、編み込まれて綺麗にまとめられた髪。怯えた小動物のように震える大きな瞳。

「あの、貴方は……?」

 止めはこの声。

「……少しだけ、話がしたいんだけど……いいかな?」

 なんてことはない一目ぼれに、男自身が一番動揺していた。

◇◆◇

 弟と待ち合わせをしていた喫茶店に彼女と連れたって来店した男は浮足立っていた。
 幸いなことに愛弟の姿はまだ見えず、多少なり時間を神は自分に与えてくれたのだと気持ちが大きくなる。

「メイさん、好きなものを選んでいいよ。もちろんグリムくんも」

 グリムを連れた彼女を奥のソファー席へとエスコートする。
 こればかりは両親からの厳しい躾に感謝した。どれだけ緊張しても手足も口も勝手に動く。つまらないと思っていたパーティーは今日の為の予行練習だったに違いない。

「えっと……お兄さん……」
「名前で呼んでくれていいのに」
「……クラウさん、フォンくんと待ち合わせしてるんですよね? 私、居ない方がいいんじゃないですか?」

 最初こそ警戒されたが、ナイトレイブンカレッジに弟が居ることを特徴を交えて話せばなんと彼女は同じクラスだという。道すがら自己紹介を済ませた二人は、見知らぬ他人から学友の兄と弟のクラスメイトという関係に変わっていた。

「大丈夫、どうせあいつは後一時間くらいは来ないよ」

 弟には遅刻癖がある。芽唯もそれを知っているのか、納得したように頷いた。

「だから、その間オレの話し相手になってほしいんだけど……ダメかな?」

 これでも社交場ではそれなりにモテてきた。人好きのする笑みを浮かべながら少女の顔を覗き込む。

「……私でよければ」
「オレ様は美味いもんが食えればなんでもいんだゾ」

 頬を赤らめこそしなかったが、返事は悪くない。彼女の隣に腰を下ろしたグリムも彼女をこの場に留めるのに一役買っているに違いない。腹を空かせた魔獣にご馳走をチラつかせることでこの場に呼び込むことに成功したクラウは、毛むくじゃらの彼が恋のキューピッドに見えていた。
 好意を断りすぎることは逆に失礼に当たると彼女は知っているのだろう。何度目かの断りの言葉を跳ねのけると渋々と言ったように首を縦に振ってくれた。

「フォンは学校ではどんな感じ?」
「そうですね……。この間、上級生と合同授業の時に誰よりも先に調合品を提出してました」
「……それ、完成度は?」
「えっと……」

 彼女の癖なのだろう。言葉に詰まると必ず「えっと」とついて出る。そんなところも可愛いなと口角が上がってしまうが、可愛い弟の話をにこやかに聞く兄……に見えているだろうか。別段隠すことなく彼女をじっと見つめ続けた。

「……その薬品、先生は敢えて言わなかったとおっしゃってましたが、ある程度丁寧に煮込む必要があるらしいんです。適度な速さで混ぜて、鍋の様子を見ながら次の材料を入れる」

 メニュー表をグリムに渡し、前に垂らした毛先を弄り始めた芽唯はその日のことを思いだしているのだろう。
 途切れ途切れに紡がれる言葉はクラウに光景を想像させるには十分だった。

「一年生は手際よく作業を行えるかを、上級生は指導能力とタイミングを見計らうことが出来るかを問われる授業だったんです。どちらが欠けても上手く混ざらない。フォンくんが提出した薬品は瓶の中で完全に分離して層を作ってました」
「あいつらしい。想像出来るよ」

 くつくつと喉を震わせて笑えば芽唯も安心したように頬を綻ばせる。

「君はどうだったんだい?」
「え?」
「参加してたんだろう? 魔力が無くても魔法薬なら作れるはずだ」

 目を丸くする芽唯はまさか自分のことを聞かれるとは思っていなかったんだろう。

「……私は、指導してくれた先輩が優秀だったので」
「へぇ、その先輩とは仲いいの?」
「そう、ですね。とても良くしてもらってます」

 言葉を選ぶように芽唯の返事は歯切れが悪い。

「もしかしてさ」
「オレ様これにするんだゾ!」

 もう一歩深く追及しようとしたが、直前のところでグリムに声を遮られる。
 輝く瞳の奥では既に目の前のご馳走は紙の上の幻想ではなくなっているのだろう。
 仕方がなく片手を上げて店員を呼ぶと二人と一匹分の注文をする。
 その間も早く食べたいと騒ぐグリムを宥める芽唯を盗み見る。
 世話焼きで、説明も分かりやすい所から頭も悪くはないだろう。同級生の兄というだけで相手を信用してしまうお人好しな部分はたまに傷だが、やはり見込んだ通りの女性だと思う。

 さて、どうやって彼女を落とそうか。

 定期的に島を訪ねる理由はある。
 けれど、彼女に会ってもらう理由はない。
 所詮はクラスメイトの兄でしかない自分と芽唯の道が交わることは、今日という偶然を逃してしまえば次に訪れるのはいつになるだろう。いや、この出会いは偶然なんかじゃない。運命に違いない。だとすれば、運命の糸とやらを手繰り寄せるだけでいい。
 誰も止める者が居ないクラウの思考は、自分の都合のいいようにすべてを解釈し続けた。
 本当は約束の時間なんてとっくに過ぎている。弟が遅刻すると見越して一本遅い船に乗ってきた。遅刻をしたのはクラウの方だ。
 だというのにフォンがこの場に姿を現さないのは『しばらく来るな』というクラウからのメールに従ったに過ぎなかった。
 兄からのメールを不審に思い、もしかしたら近くまで来ているかもしれないが、彼女と共に居るのを見れば弟は大人しく時間をどこかで潰すだろう。あれは自分と趣味がよく似ている。もしかしたら、フォン自身も芽唯に多少なり好意を寄せているのかもしれないとクラウは思っていた。
 可愛い弟の恋心を踏み潰すのは気が引ける。なんて、優しい言葉はクラウからは決して出てこない。彼もまた、相応の魔力があればナイトレイブンカレッジに選ばれたであろう人材だから、と言えば話は早いだろうか。
 運ばれてきた小ぶりのケーキに喜ぶ芽唯とグリムはお互い頼んだものを分け合うようだ。
 カトラリーケースを彼女の取りやすい位置に置いてあげれば礼と笑顔が向けられる。

「クラウさんは何頼んだんですか?」
「オレは長旅で腹が減ったからステーキを頼んだんだ。焼けるまで暫くかかるんじゃないかな」
「そうなんですね。先に食べ始めちゃって大丈夫ですか……?」
「いいよ、遠慮なんてしないで。グリムくん、我慢できそうにないじゃない」
「じゃあお言葉に甘えますね」

 グリムが食べやすいように切り分けたケーキを彼の皿に移す姿はまるで子供の面倒を見る母親のようで、気の早いクラウは彼女との未来が明確なビジョンとして浮かぶ。緩む口元を悟られないよう、誤魔化すように顔を横に向けた。
 その時、クラウの眼前に分厚い壁のようなモノが現れた。
 辿る様に上に視線を移せば、スッと目を細め自分を見下ろすやけに顔の整った男と目が合った。

「……誰?」
「……それはこっちの台詞だ」

 投げかけた疑問を下らないと一蹴するように男は深く息を零した。

「レオナ先輩……?」

 食器の擦れる音が鳴りやんだと思えば芽唯が知らぬ名を呼ぶ。きっとこの男の名なのだろう。

「メイさん、知り合い?」
「えっと……」
「……知り合いねぇ。そうだな、お前よりは互いのことをよく知ってるぜ?」

 ソファー席に座っていた芽唯を奥へ押しやり、レオナと呼ばれた男は彼女の隣に腰を下ろした。

「どうしたんですかレオナ先輩。今日は忙しいって言ってたじゃないですか」
「……お前は少し静かにしてろ」

 獣人属の特徴を有した男は長い尻尾で彼女の顎をつつっとなぞる。くすぐったさからか身を震わせて視線を落とした芽唯の表情はクラウの位置からはわからなかった。
 テーブルに肘をつき指先で頬を支えると、レオナは値踏みをするような視線をこちらに向ける。いや、実際に目の前のこの男はクラウという人間の価値を見定めているのだろう。
 「失礼な」と口に出したいのに、彼の持つ高圧的なオーラに気圧され自然と背筋が伸びる。
 ごくり、と唾を思わず飲み込めばやけにその音が耳に響いた。
 場の空気を読めないのか、読まないのか、かちゃかちゃと食器で音を奏でながら食事を進めていたグリムがさりげなく芽唯のケーキを奪ったが誰も咎める者はいない。

「レオナ、くんは……」

 彼女とどういう関係?と聞きたかった口を閉ざす。サマーグリーンの瞳が発言を許してくれなかったからだ。
 肘をついたのと逆側の指先がカツンッとテーブルを叩く。
 カツン、カツン、カツン。
 秒針が時を刻むように、規則正しく鳴るその音が何を示しているのかはわからない。
 けれど、問いかける権利があるのはお前ではないと、男の視線は告げている。

「フォンの兄貴らしいな?」
「え、あ……あぁ、君も弟を知ってるのか」

 一瞬何を言われたのかわからなかった。罪人を裁くかのような厳しい視線とは裏腹に、彼の言葉は他愛のない世間話ではないか。

「あァ、知ってるぜ。せっかちで話をろくにを聞かねぇ。おまけに初めのうちは右を向けと言えば左を見る捻くれたガキだった」
「天邪鬼な所があるからな……」

 他人に敷かれたレールを嫌がる弟は、魔法士という実家では稀有な才能を生まれ持ったがゆえに少し傲慢な部分があった。時には兄である自分すら見下し、思春期に入るころには到底手に負えなくなっていた。カレッジからの迎えが来たときは、嫉んだのと同時にあれから解放されることを喜んだものだ。

「……大方、手綱を握るのに苦労してたってところか。弟がどんな才能を持っても兄貴ってのはそれを認めたがらねェからな。自分には来なかった馬車はさぞ眩しく見えただろ」
「なっ……!」

 鼻で笑うレオナの表情はよく知る弟と重なった。

「き、君にそんなことを言われる筋合いはない」
「ハッ……、とうに弟に見放された男は良く吠えるもんだ」
「見放され……え?」

 俺が弟に、なんだって……?そんな言葉を飲み込んでクラウはレオナをじっと見る。

「なんでもねぇよ。見たところ、お前は家業を継いだのか?」
「あぁ、長男だからな……」

 当然だろう、と頷けばレオナは一瞬目を伏せる。
 その様子にレオナの隣に座っていた芽唯が少しだけ動いた気配がしたが気のせいかもしれない。

「随分ご立派なお兄様だ」
「お褒めに預かり光栄だよ」

 決して友好的な言葉には思えなかったが、年下であろう学生に売られた喧嘩を買うほどクラウは青くはなかった。ひらりと交わして大人としての余裕を芽唯に見せつけようという魂胆もあり、冷静に捌き切った。……つもりだ。
 本当は背中に冷や汗が流れるほどに居心地が悪い。この男は一体何者だというのだろうか。
 気持ちが焦る、喉が渇く。
 極度の緊張状態に陥ったクラウは、このままではいつか呼吸も出来なくなりそうだと喉に違和感を覚えた。締め上げられているような、首筋に手を当てられているような、命を狙われているという感覚に他ならないそれは、自然と息を荒くする。
 カツン、と思い出したようにテーブルが音を鳴らす。

「どうした? 苦しそうだなオニイサマ」
「……ちょっと、店が暑いみたいだ」

 苦しい言い訳。それでもしないよりはマシだと、首元のネクタイを少し緩める。パフォーマンスの一環だったがこれで息苦しさが和らぐのを期待した。
 カツン、カツン、カツン。
 レオナが音を鳴らすたびに苦しさが増していく。
 いつの間にかグリムは食事を終えており、店内に響くのは店主が焼く肉が奏でる肉汁が弾ける音色と、レオナの指先が放つ乾いたリズムだけになっていた。
 ごくりと唾を飲み込んで、喉を少しでも潤す。呼吸をするたびに乾いていく自らの中が水分を欲している。いつからここは乾燥した大地になったのだろうか。砂漠か、サバンナか。じりじりと身を焦がす得体の知れないものは、既にクラウの喉笛に手をかけている。
 長すぎる時の流れに時計を確認しようと視線を動かした瞬間。ふと、レオナの唇の角が持ち上がる。

「メイ」

 名を呼び、彼女の腰を引き寄せるとレオナは一段低い位置にある芽唯の頭に己のそれをすり寄せる。
 見せつけるように行われるスキンシップは、控えめな彼女には耐えられないのではないだろうか。

「せ、先輩」

 そらみろ、頬を赤らめ彼女は拒絶を……。

「くすぐったいです」

 ふふっと愛らしく彼女の声が転がる。
 レオナのその行動に慣れているのか、迷うことなく自身からもすり寄る姿はどこをどう見ても、ただの先輩と後輩の姿ではない。
 二人の関係を問いかける言葉は噛みしめた唇が檻のように行く手を阻み、喉の奥に閉じ込められた。
 指先が、唇が、彼女の髪を弄ぶ。
 何を言われたわけでもないのに、息を殺しながら二人の様子を見ることに罪悪感ではなく恐怖が湧いてくる。
 自分などが視界に入れることを許されないと、何故かそう強く思う。

「……す、こし、出るよ。弟がそろそろ近くに来ているかもしれない」

 咄嗟に出た言葉は震えていた。

「あァ、それが良いと思うぜ」

 さりげなくテーブルの片隅に数枚のマドルを置いて席を立つ。
 目を閉じ、笑顔で彼の寵愛を受けている芽唯は気づかないだろうが、レオナはクラウの意図を察したのか怪しげに光るグリーンの瞳で弧を描く。しなった弓のようなその形に言い知れぬ不安を覚えたクラウは鞄を手に取り店を出る。
 扉を閉める直前、カツン、とまたあの音が響く。少し大きめの音を立てて閉めたことは許して欲しい。どうにかして、あの音をかき消さなければ今にも叫びだしてしまいそうだったからだ。


 店から一歩出たクラウは外の空気を胸に一杯吸い込んだ。

「はぁ……はぁ……」

 喉の奥に詰まっていたものが勢いよく吐き出される。

「なんだ、……なんだあの男」

 ニ、三言葉を交わしただけだ。
 しかも、失礼な物言い、高圧的な態度。
 普段の自分なら「無礼な奴だ」と「礼儀がなっていない」と叱りつけているところだろう。
 だが、あの男のオーラがそれを許さなかった。
 カツン、カツンとあの音が鳴るたびに空気に飲まれた。

 ──もしや魔法か?いや、違う。魔法石を使っている様子はなかった。ユニーク魔法の類かもしれないが、使用のきっかけになる条件を満たした覚えはない。

「まるで、王の御前だ」

 そうだ、あれは、あの圧とも呼べる場の支配の仕方は、自分達と同じ立場の人間のものではない。弱肉強食、ヒエラルキーの頂点に立つものにのみ許されたものだ。

「まるで? 違うよ。本当に王の御前だったんだ」
「フォン?」

 木陰からスマホを弄りながら弟が顔を出す。
 木々の隙間から零れ落ちる光はフォンの顔に暗い影を落としている。

「バカだバカと思ってたけど、まさかメイに声をかけるとは思わなかったよ」
「バカっておまえ……」

 言い返そうと思ったが、極度の疲労が頭の回転を鈍らせる。
 辛うじて弟と同じ木陰に入ることが出来たクラウは店先から少し離れているとはいえ、自分たちが座っていた席の窓からよく見えるこの場所にフォンが居ることに全く気付かなかったことに驚いた。
 今も店内ではレオナと芽唯が仲睦まじく、本来クラウが食べるはずだったステーキを分け合っている。

「……あの人のこと知らないんだ?」
「レオナって男のことか?」
「そ、レオナ。レオナ・キングスカラー」

 キングスカラー、どこかで聞いた姓だ。確かどこかの国の王族の──。

「夕焼けの草原の……第二王子?」

 脳裏を情報が駆け巡る。嫌われ者の第二王子。『恐ろしいユニーク魔法を有しているという彼が怖い』と震える彼の国出身のお嬢さんの肩を抱いた日のことが蘇る。

「今は僕の王様」
「おまえの……?」
「サバナクロー寮の寮長なんだよ」

 フォンの左腕に付けた寮章にはあの男と同じ、左目に傷を負った獅子のマークがついている。グレートセブンの一人、スカーだ。

「王様って……ただの寮長だろ」

 随分大げさな言い方にクラウは鼻で笑う。だが、フォンは至って真面目だと表情を崩さない。

「本気で言ってるのか?」
「冗談で王様なんて、僕が言うと思ってるの?」
「……それは」

 ありえない。言葉にしなくとも兄が納得したのだと察したフォンはポケットにスマホをしまうとクラウの手からスーツケースを奪う。

「まったく、あんたのせいで僕は後でレオナさんに謝らないと」
「何を?」
「うちのバカ兄貴が大事な番に手を出してすんません、って。命知らずもいいとこだよ」

 番。…ツガイ。…つがい。

 フォンの言葉が上手く呑み込めず、クラウの頭の中の辞書がエラーを起こしたように何度も聞き取った言葉を繰り返す。
 番……それは確か獣人達の間での伴侶の呼び方だ。
 彼女が番。誰の?あの男の?

「えっ、あっ、えっ⁉」
「やっとわかった?」
「つ、番って。恋人とか、彼女とか、そういうのすっ飛ばして⁉」
「……一応、世間的には恋人だよ。でも、僕たちやレオナさんにとって彼女はもうレオナ・キングスカラーの番なんだ。わかる?」
「全然……」

 弟は一体ナイトレイブンカレッジでどんな文化に触れたのだろうか。すっかり自分と違う感覚で生きるフォンにクラウは思考が追いつかない。
 ガラス1枚隔てた先ではレオナが追加注文をする姿。かなり多めに置いてきたから、その分全て食べてから帰るつもりなのかもしれない。
 既にグリムは特大のパフェの山と戦っていて毛むくじゃらのキューピッドはただの汚い魔獣になっていた。

「レオナさん、忙しい方なんだよ。兄貴も忙しい忙しいっていつも言ってるけど、そんなの屁みたいなもん。今日だって本当は予定があったんだ」

 木陰を飛び出し、クラウが来た道を辿るように進みだしたフォンの背中を慌てて追いかける。
 フォンはクラウが付いてきているのを一瞬だけ確認すると、すぐに興味を失ったのかスーツケースを魔法で浮かし、鞄の中を漁りながら前へと進む。
 弟の為にと持ってきた荷物以外にも個人的な私物が抜き取られるのを、クラウはただ黙って見ていることしか出来なかった。

「僕、ずっとさっきの場所で兄貴を待ってたんだよ。気づかなかっただろ」
「あぁ……」
「だいぶ浮かれてたからね。だけど、こっちは大焦り。バカ兄貴が鼻の下伸ばしながらメイとグリムを連れているってラギー先輩に即行報告したよ」

 誰だよラギーって。そんな心のツッコミを言葉にしなかったクラウは自分で自分を褒めた。
 恐らく己は責められている。弟の中で今の自分は、王様とやらの番に手を出そうとした大罪人なのだ。

「そしたら十分もしないうちにレオナさんが箒に乗って現れた。今日、あの人がどこ行ってたか知ってる?」

 知るわけないだろ。

「夕焼けの草原。ファレナ様に呼ばれてたんだよ」

 それをお前のせいで呼び戻すことになったんだぞ、とフォンの視線が暗に言う。
 ファレナとの面会。本当に王族なんだな、と美丈夫の顔を思い出す。
 あの美しさ、我が国が誇るヴィル・シェーンハイトと並べても見劣りしないのではないだろうか。そういえば、彼もここの学生か。あぁ、見目だけじゃない、才能のある男は魔法だって使いこなすんだ。久方ぶりに相対した弟を前に魔力を持つ人間に対する嫉妬心がクラウの中からあふれ出る。
 彼がレオナ・キングスカラーだったということは、己が感じていた威圧感の正体は獲物を狩る肉食獣のプレッシャーだったに違いないとクラウは気づいた。喉笛をかき切られるかもしれないという恐怖心も、焦りと共に渇いていく喉も、何も間違っていなかった。
 否、何かを間違えば首と胴体が切り離されていたに違いない。
 フォンがペンをひと振りするとほとんど空っぽになったスーツケースの蓋が閉じられ、クラウの手元に戻っていく。

「それじゃ兄貴、お疲れ様。またなんか会ったら荷物運びよろしく」
「オレは運び屋かなんかかよ」

 気が付けば帰りの船が目の前でクラウが乗り込むのを待っていた。別に明日の便に乗ってもいいが、今はとにかくあの獅子の手の届かない所へと早く行きたかった。……そんなところがあるのかはわからないが。

「メイには二度と会わない方がいいんじゃないかな。死にたくなければ」
「……そういうお前はどうなんだよ」
「え?」
「好きだろ、ああいう子。おまえ、オレと趣味一緒だもんな」

 昔は兄弟二人で何でも取り合った。おもちゃも、おやつも、初恋の人だって一緒だった。
 クラウの言葉にフォンは数回瞬きを繰り返すと、困ったように眉間に皺を寄せたかと思えば、泣きそうな顔をしてただ笑う。

「王様万歳。これ、僕らの合言葉」
「どういう意味だよ」
「僕はどっかの誰かさんみたいに馬鹿正直に生きてないの。ほら、帰った帰った」

 背を押す弟の手が以前より大きく感じ、クラウは慌てて振り返る。兄との別れを惜しむことなく既に学園への帰路を歩き始めたフォンは沈む夕日に照らされて、そのまま消えてしまいそうだった。

「……知らない間に大人になりやがって」

 あの獅子が潰した恋心はきっと他にもあるのだろう。甘く熟したそれは齧られることなく潰された。

「今度のホリデー、兄ちゃんが良いとこ連れてってやるからな……」

 その時また邪険にされるとも知らないで、クラウは地平線に沈みゆく夕日に勝手な約束をするのであった。

◇◆◇

「すみませんでした、寮長」
「別に、いい」

 ノック音が聞こえ、足音で訪問者がわかっていたレオナは芽唯を部屋に残した。私室を出たレオナの前ではフォン頭を下げて待っていた。
 入学したての頃の尖っていた彼はどこへ行ったのか、今では従順なレオナの手足の一人になっている。
獣人が多いサバナクロー生には珍しく、輝石の国出身の少年には芽唯と同じ丸い耳が顔の横についていて、談話室で群れていると少しだけ浮いているように見えたのは懐かしい話だ。

「あいつにも知らねぇ男にホイホイついていくなって厳しく言う良い機会になった」
「僕の名前を兄が出したらコロッと信頼しちゃったみたいで……」
「それが駄目だって言ってんだよ」

 そんなことを言ったらレオナ・キングスカラーの名を知る者などごまんといる。知り合いを語って近づくなど詐欺の常套手段に近いそれを、鵜呑みにする危うさにレオナは胸をやきもきさせていた。
 今日とて、本当は王宮へと彼女を連れていくつもりだった。

 ──レオナの大切な人に私も会わせてくれないか。

 チェカを利用し、順調に埋めていた外堀が功をなし、あちらから芽唯に会いたいとついに手紙を寄越した。
 親馬鹿な兄のことだ、息子が懐いた弟の恋人ともなれば必ず興味を持つと確信していた。
 だが、あまりにも急なことに綿密な打ち合わせをすることも出来ず、現状で王宮に連れて行くのは危険と判断し泣く泣く一人置いていったというのに、別の場所で得体の知れない男に絡まれるなどとは夢にも思っていなかった。
 ナイトレイブンカレッジのトラブルメーカーは今日も健在というところか。
 芽唯が絡むと途端に上手く運ばない物事に頭を抱えるようにレオナは後頭部を掻きむしる。
 クラウ、と言ったフォンの兄。デレデレと鼻の下を伸ばしていたことは気に食わないが本当に純粋に芽唯に好意を寄せていたと思っていいだろう。

「お前にそっくりだな、兄貴」
「え」
「なんだよ」

 かけられた言葉に驚いたフォンに、逆にこちらが驚いた。

「あ、いえ、顔とか全然……じゃないですか」
「そうか? 部分的には似てると思うぜ。鼻筋とか」
「そうなん……ですかね」

 言われ慣れていないのか、戸惑いを見せるフォンにレオナは言葉を続ける。

「まぁ、一番似てんのは女の趣味か」

 ニヤリと口角を上げて言えば、フォンは唇を真一文字に結んで身体を固くする。あぁ、ビビった顔も兄貴にそっくりだ。レオナは自分の瞳がゆっくりと弧を描くのを止められそうになかった。
 芽唯を見るクラウの顔。それは今目の前にいるフォンにそっくりだった。兄弟というのはここまで似るのかと、あの時笑いださなかった自分を褒めてやりたいとレオナは思う。

「あの、その、寮長。僕は……」
「別に好きになったくらいじゃ咎めねぇよ。俺の女はそれくらい魅力的ってことだろ」

 自分だって顔が良いだのなんだのと女に言い寄られることがないわけじゃない。それに嫉妬した芽唯の姿を思い出し、違った意味で顔がにやけたがフォンが気づくことはないだろう。

「兄とは違いますから。……僕は寮長と一緒に居る幸せそうなあいつを見るのが一番好きです」
「欲のないことだ。ま、賢い選択だとは思うがな」

 なにせ、隣に立つのは自分だと言い張るとすればレオナと敵対することになる。初めから勝ち目のない戦いだと気づいて身を引くのも戦略の一つだろう。

「別に、寮長に勝てないと思って諦めるわけじゃないですよ」
「あ?」
「出来ないと初めから決めつけられるのは嫌いだ、って寮長も言ってたじゃないですか」
「!」

 真っすぐな瞳がレオナを見る。曇りのない眼差しは、揺らぐことなくレオナを、そして背後の扉の向こうで彼の帰りを待っている芽唯を見据えている。

「僕が好きになったのは、あんたの隣で笑う彼女だ。いくらバカトリオと騒いでいても、たまに教室で不安そうな顔してたメイから影が消えたのは、植物園で昼食を取るようになってからだ」
「それで……?」
「僕じゃ、そんなこと出来ないってわかるんだ。一緒に飯食って、話を聞いてやって、それであんな風に笑ってくれるならエース達だって同じことをしてた」

 フォンの言葉にレオナは黙って耳を傾ける。よく見ている。それだけじゃない、物事の理由を正しく嗅ぎ取る力がある。

「最初は僕だって、って思って食事に誘おうと思った。けど、その前に気付いたんだ。教室に居るときの笑顔よりも、植物園で寮長と談笑している時の方が好きだって」
「……そうかよ」
「……バカにしないんですか?」
「あ? なんでだよ。よく見て、自分の感情もちゃんと理解してるじゃねェか」

 むしろ、己のことを理解できないまま、ただ感情に振り回されて向かってきていた方が馬鹿だとあしらっただろう。
あの女を隣に置いて、誰よりも輝かせることが出来る自信がレオナにはある。幸せという甘い栄養を目一杯注がれ、第二王子妃として己の横で大輪を咲かす日を誰よりもレオナが待ち望んでいる。

「だ、だから、僕、将来は夕焼けの草原で働きたいんです!」
「……なんの話だよ」
「衛兵でも、護衛でも、事務でも、雑用でもなんでもいいんです!」
「おいおい、落ち着けって」

 ぐいぐいと迫るフォンに気圧され、珍しくレオナが身を引いた。
 扉に背中が当たり、これ以上後退することができないと悟ったレオナは、目を輝かせ迫る後輩の肩を掴むと少し力を込めて押し返す。

「と、りあえず! 今は兄貴には備わらなかった魔法士としての力を伸ばせ! ……俺の国じゃ近衛兵は女が多いが、魔法士なら性別問わずそれなりに雇ってたはずだ」
「本当ですか!」
「あァ、だから魔法薬学だろうが実践魔法だろうが、何かしら秀でた……」
「僕、頑張ります! 絶対、絶対ですからね!」
「あ、オイ!」

 何度か頭を下げてフォンは走り出す。レオナの制止も聞かずに駆け出した彼には、まずそういう部分を直すべきだと言いたいところだが、もうその背中すら見えやしない。

「ったく……」

 順調に、恐ろしいほど順調に計画は進んでいる。
 芽唯に懐いた甥。嬉々として彼女に遊んでもらった話をする息子伝手に彼女に興味を持った実兄と義姉。そして自分を寮長と慕い、挙句二人並んでいるのが好ましいと、遠回しにそう告げてそれを傍で見たいのだと宣う後輩。
 手駒が揃っていくのは実に好ましい。
 レオナの中で、ラギーはとっくの昔に自分たちの未来図に組み込まれているし、破格の報酬を支払っている己からそう簡単に離れることはないだろう。
 一番の問題は、芽唯自身が抱える爆弾。突然彼女が元の世界に帰ってしまたら、その時連れ戻すすべがなかったら。
 第二王子という立場すら利用し、彼女を囲い、持てるものはすべて利用して己のモノにすると誓った彼女に消えられることがこの計画の最も恐れなければいけない部分だ。
 今日も本当は兄との面会は置いといて、王宮に手掛かりになりそうな資料はないかと探すはずだった。
 ラギーから鬼のようにかかってきた電話に中断されて叶わなかったが、カレッジにあるのとはまた毛色の違った文献たち。ヒントの一つでも手に入らないかと期待していたが、漁ることすら叶わなかった。

「ったく、忙しいったらありゃしねぇ」

 あるものはトドと称し、あるものは怠惰な獅子とレオナを呼ぶ。
 そんなレオナは今日もまた愛しい少女の為、彼なりの忙しい日々を過ごすのであった。




モブが出ているので珍しく補足話

・クラウ
とある兄弟の兄。芽唯に一目ぼれした。一応これでも実業家として家業をちゃんと引き継いで安定した経営をしている。
交際経験はあるが、何故かいつも必ず振られてしまう。
弟と自分を比べがちだが、憎い所も含めて弟のことが好き。
レオナ様と会って死ぬほど苦しさを感じたのは、自分より偉そうな相手と接する機会が父親くらいしかなかったからなのと
彼から明確な敵意と圧が飛んできてたから。
たまに荷物を持ってきては「メイさん元気……?」と聞く程度には未練がある。

・フォン
とある兄弟の弟。同じく芽唯に惚れているが、レオナ様と一緒に居るのを見かけた時異様に高鳴る自分の鼓動にすぐに気づいた。
兄より賢いし、有能。バカだな、と思っているけどちょっと抜けてる兄を別に嫌ってはいない。
今まで交際経験は無し。入学してしばらくの間は芽唯のことを地味に狙ってた。けど、好きな理由に気付いてすぐ諦めた。レオメイのファン。
将来の進路は夕焼けの草原の王宮と決めている。あの人の隣で笑ってる芽唯をずっと見てたい。
傲慢と言われていた鼻っ柱は入学早々レオナ様にへし折られた。王様万歳!

・レオナ様
忙しいといいつつ芽唯との時間はちゃっかり確保する。兄貴をひきずりながら鏡経由ですぐ帰った(兄貴は振り払った)
本当に油断ならねェな……。と、地味にモテる女に気が休まらない。
後日、芽唯を王宮に連れていったら「おねえたん、僕のお嫁さんになって!」というチェカの爆弾発言にブチギレる。

・芽唯
よくわかんないけどご飯奢って貰えてお釣りも自分の財布に入ったので得した日だった。
翌日も休日だったのでレオナ様のお部屋でめちゃくちゃ叱られた。グリムはジャックが預かっている。
フォンと仲が良かったのでよく似たお兄さんも安全な人だと思ったらしい。(レオナ「男はみんな獣だつったろ」)
グリムと選んでいたのはオンボロ寮に置くレオナ様用のカップ。ごたごたして結局買い忘れた。

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