清廉潔白な悪党娘
「メイくん少しよろしいかね?」
「はい?」
ロロの呼びかけに応え振り向いた少女の腕の中の魔獣は口元に大量の食べかすを付けていて、彼女たちが花の街を満喫していることを表していた。
「ロロさん……? な、なにかご用ですか?」
ぎゅっと魔獣を抱きしめた芽唯は気まずそうな……粗相をやらかしたかと不安がる子供のように顔を曇らせる。
腕の中の魔獣もロロを警戒するように大きな瞳をさらに大きくしてこちらをじっと見つめている。
「少し話がしたかっただけだ。そう警戒することはない。……君さえよければあちらの生菓子を共に食すのは如何だろうか。日持ちしないので持ち帰ることはできないが、この街自慢の一品でね」
「えっと……」
「食う! なんだ、オメーいいやつじゃねぇか! それなら子分を少しくらい貸してやってもいいんだゾ!」
渋る芽唯とは裏腹に、魔獣の方があっさりロロの提案に喰いついた。何か言いたげに開かれた芽唯の口はすぐに閉じ、代わりに一拍置いてから「しょうがないなぁ」と魔獣の頭を撫でながら零す。
少女と魔獣の関係は実に不思議だ。もちろん、この少女が魔法士養成学校であるナイトレイブンカレッジの生徒であることが一番の不思議だが、何故魔力を持たないただの少女がメラメラと青い炎を揺らめかせる魔獣を従えているのだろうか。
軽く雑談を挟みながらお目当ての商品をいくつか買って店前の席に着いた二人と一匹の間に沈黙が流れる。
どうぞ、とロロが促せば魔獣は喜び菓子に手を付けるが、芽唯は未だにロロの顔色を窺っては目を泳がせている。
「あの……お話って……」
「なに、緊張することはない。君が学園に在籍している理由を根掘り葉掘り聞こうなどと無粋なことは思っていないよ。言うなれば……そう、興味本位というやつだ」
「興味本位……ですか」
こてんと少し首を傾げた芽唯はようやく菓子の包みを開く。きつね色のそれから漂う香ばしい匂いに隣の魔獣が鼻をひくひくと動かしては少女と菓子を交互に見る。そして、それと同じように芽唯も菓子とロロを交互に見ていた。
よく似ているなどという本当の世間話は隅に置き、ロロはさっそく本題を切りだす。あまり遠回りなやりとりは好きではない。
「学園生活で困ったことは? 魔法などという恐ろしい力をもつ者に囲まれ、怖い思いや嫌な経験をしてはいないかね」
「してない、とは言えませんね。色々とありましたから……。でも、いい人に巡り合えて怖いと思ったのと同じくらい……ううん、それ以上に魔法は素敵な力だと思う機会に恵まれました」
「素敵な力……」
忌々しい響きを思わず繰り返してしまったロロは口元にハンカチを当て芽唯から視線を逸らすと己の分の菓子を狙っている魔獣にそれを差し出した。
「お、オレ様にくれるのか?」
戸惑う姿を見下ろしながら頷けば魔獣が目を輝かせる。本当にいいのかと窺う姿はまるで小さな子供のようだ。
「もうグリムったら。ありがとうございますロロさん」
「いや、花の街の良さを知り、気に入ってくれたのならなにより」
まるで母親のように微笑むこの少女は、置かれた環境に随分と感覚を汚染されてしまっているらしい。
彼女の境遇を聞いたときにはもしやと思った。魔法など恐ろしいだけだと、この世界から失くしてしまった方が良いと、彼女なら自分と同じ答えを持っているのではないか。そんな淡い期待を抱いていたが幻想はあっけなく打ち砕かれてしまった。
生まれた時から当たり前のように魔法と共に生きていた者ならまだしも、分別のつく年齢になってから初めて魔法に触れた少女すらも毒されてしまうとは、魔法とはなんて恐ろしい力なのか。
「……仮にもナイトレイブンカレッジは男子校だ。魔法士以前に女性である君にとてもじゃないがいい環境とは思えない」
「あはは、まあそうなんですけど……。それもいい人のおかげでなんとかなった、って言えばいいのかな?」
「そのいい人とは一緒に来た学友の中に?」
「えーっと、もちろん彼らもなんですけど、学園に残してきた人で凄く素敵なご縁を頂けて……」
照れくさそうに頬を染め、ようやく笑った芽唯の姿を見るにただの友人というわけではなさそうだ。
察するに、恋人……と言ったところだろうか。
「君は……」
「あららー、メイくんなにしてるんスか?」
「⁉」
背後から急に声をかけられ肩を跳ねさせたロロが振り向けば、獣の牙がまず視界に入る。
ギラリと光を反射するそれは、今にも獲物目掛けて突き立てられそうな異様な雰囲気を放つ。
「ラギー先輩! ロロさんがお話がてらおすすめのお菓子を教えてくれたんですよ」
あっ、と嬉しそうに声を跳ねさせた芽唯が笑いかければラギーと呼ばれた少年は目を眇める。
「ふぅん……確かに美味そーッスね」
芽唯がスッと差し出せばラギーは受け取った生菓子を口に放り込む。そのままバリバリと音を立てて咀嚼すると空いていた席に腰を下ろした。
「それで何の話?」
「魔法は怖くないのかーとか、男子校で不便じゃないかーとか。うちの学園の人なら誰も聞かなさそうなことですよ」
「ちょっと、それオレらが無神経みたいな言い方!」
「そんなことは言ってないですよ」
くすくすと笑いだした芽唯はよほどラギーに心を開いているのだろう。ロロと話していた時とはあからさまに雰囲気が違う。彼女の言う良縁の一つに彼も含まれているのだろう。
「魔法が怖い、ね。ロロくんはそう思ったことがあるんスか?」
「私の話は別にいいだろう。彼女にも言ったが興味本位の質問に過ぎない」
「ふーん。オレは便利とも思うし、厄介だとも思うかなぁ。自分で使うにはいいけど相手に使われるのはすげー面倒」
目を細め、道を行きかう人々を眺めたラギーは残っていた菓子にまた手を伸ばす。
「オレみたいなスラム育ちのハイエナは『こんなすげー力、オレだけが使えたらいいのに〜』とか思うわけッスよ。実際スラムにはオレ以外使える奴はいなかったし」
肩を竦めたラギーはそこで大きくため息を吐く。魔法の力を過信して、なにか大きな痛手を負ったのだろう。
与えられた力を自分だけの特別なものだと思い込み。それが自分に牙をむくなど思いもせず。過信と共に身を滅ぼす。力などなければ初めからそんなことは思いもしないだろうに。
「ま、実際にはオレよりすげー奴なんてごまんと居て、そんなすげー力を持ってる人でもどうにもならねぇことに腹を立ててるくらいには世の中不公平なんスけど。ね、メイくん」
「なんでそこに私に話を振るんですか?」
「いやー、この話はメイくんからしてもらわなきゃ」
「もしかしてレオナ先輩の事言ってます……?」
ぷくりと膨らんだ頬が赤く染まる。
「レオナ、とはレオナ・キングスカラーのことかね?」
「お、さっすがレオナさん。有名人」
夕焼けの草原の第二王子。マジフト選手として中継に映ることもある男の姿が脳裏に浮かぶ。
「もしや彼が君の?」
「……は、はいっ。お付き合いさせてもらってます」
信じがたい。けれどにやりと笑うラギーと頬を染めつつ嬉しそうに笑う芽唯を見ればそれが真実だと納得せざるを得ない。
世間の評価を鵜呑みにするわけではないが、彼に関してあまり良い噂は聞かない。
事前に渡された生徒情報から思想を魔法に毒されていない清廉潔白な少女かもしれないと思い、話をしてみたくて声をかけたが、それ以前に厄介な獅子の歯牙にかかっているではないか。
眉間に深くしわを寄せたロロは露骨な溜息こそ控えたが、細められた視線から嫌悪が隠しきれていない。
「ああ、すまない。私はそろそろ別の方たちの様子を見に行かなくては」
わざとらしく時計を見やり立ち上がる。つられて腰を上げようとする芽唯に片手をかざして動きを制す。
「まだグリムくんが食事を楽しんでいるようだし、同校の先輩と一緒に楽しんだほうが良い思い出になるだろう。私のことは気にしないでくれ」
では、と足早に二人と一匹から背を向けたロロは人ごみに紛れると深く息を吐く。
「力を持っていてもどうにもならないことがある? 世の中不公平? そんなの当たり前だろう。それよりも、こんな力など初めからない方が良いに決まっている」
力が、魔法があるからこそ、ロロの中では未だにあの日の炎がくすぶっている。
紅蓮の花よ。救いの鐘よ。その力で、早く人々を救わなければ。
「ロロさん、行っちゃいましたね」
なんだったんだろう。首をかしげた芽唯と同じくラギーも首を横に捻った。
「メイくんと話したかったみたいだけど、まさか一目ぼれとか」
「えっ⁉ そ、それは流石にないですよ!」
芽唯が慌てて首を横に振ればラギーがケラケラと笑いだす。
「冗談冗談! 仮にマジだったらそんな相手と二人っきりにしたなんてレオナさんにバレたらオレがやばいんで!」
「二人っきりじゃねーんだゾ!」
「ああ、はいはい。二人と一匹ね」
いまだにもぐもぐと口にお菓子を詰め込むグリムを適当にあしらうとラギーは芽唯に向き直る。
「で、ほんとーになんもなかったんスね」
「心配しすぎです。ただの交流会先でいきなりそんなことありえませんよ」
「どうだかなぁ。君、結構変なのひっかけやすいし。人も人魚も妖精も。なんで目を離してたって怒られるこっちの身になってほしいッス」
「うっ……」
じとりとラギーに睨まれ、胸を押さえた芽唯の脳裏ではいくつかの事件が過る。
ただ普通に想いを寄せられるくらいならまあいいだろう。心に決めた人がいるのだと断ればいい。もちろん、話が通じるような相手なら……だが。
思い出してしまった嫌な出来事たちを振り払うように頭を振って、ロロが消えた人ごみへともう一度視線を向ける。
「だ、男子校に女生徒が通ってるのが心配だった、みたいな感じですよ」
「なにそれ。保護者じゃあるまいし、学校も違う人間に関係なくないッスか?」
「あはは……、まあそうなんですけど。でも、なんとなくそういう視点の方が近い人なのかも」
ノーブルベルカレッジの生徒に話を聞いているとロロのことを大層慕っていることが少しの交流で伝わってきた。生徒会長をしている彼を褒めたたえない生徒はいなかった。
ナイトレイブンカレッジで言うなれば寮長と同じような立ち位置だろうか。少し違うとすればこちらの学校にはその立場の人間が七人いるが、彼は一人でその立場を背負っている。
多少他の生徒よりも大人びて、他者を見る視点が異なっていても不思議ではない。
「どちらかと言えば、お兄ちゃん……?」
少し年の離れた兄が妹の学校生活を心配するような。そんな言葉を投げかけられた。
いじめられてないか、イヤなことはされてないか。何かあったら兄ちゃんが守ってやるからな。
あいにくと一人っ子なので芽唯には無縁だが、元の世界の友人に実際にそんな兄弟関係の子が居た気がする。
「知り合ったばっかの相手がお兄ちゃんって……。メイくん、男兄弟ならもう引くほどいるでしょ」
「え?」
「トレイさんとかリドルくんとか、同い年ならエースくんデュースくん。うちのジャックくんやエペルくんだって友人という名の兄弟みたいなもんじゃないッスか」
「じゃあラギー先輩も?」
「オレにとっては王様の大事な子! ……って〜言いたいところだけど、感覚的にはスラムのちびの面倒見てるのにちょっと近いかも」
「ふふ、ラギーお兄ちゃんですね」
満更でもなさそうに笑うラギーは芽唯の後ろに何かを見つけたのか後方に向かって手を振りだす。
「みんなー! こっちッス! メイくんとグリムくん拾ったンすけど一緒にまわってもいいッスよね」
一班だったか、A班だったか、それともスター班だったろうか。思い出せない班名を必死に手繰り寄せながら、芽唯も残りの班員に向かって手を振った。
◇◆◇
時が巡り巡ってナイトレイブンカレッジへ帰宅してから少し経った頃、芽唯の元に大量の荷物が送られてきた。
オンボロ寮宛のそれを必死に運んできたゴーストは出ない汗を拭いながら文句を言って溶けるように消えて帰った。
残された荷物の山を前に困り果てた芽唯に差出人に覚えはあるかと問い詰めたレオナが息を吐く。
「それで、なんで生徒会長サマがお前にこんな荷物を送ってくるんだ」
「私だって知りませんよ!」
「まさか噂の紅蓮の花の種が仕込まれてるとかじゃねェだろうな」
グルルと喉を鳴らしながら匂いを嗅ぐレオナは果たして種の匂いをかぎ分けることが出来るのだろうか。
眉間にしわを寄せたままのレオナが躊躇いながらも封を開ければ、中に入っているのはなんの変哲もない菓子箱だ。
「あ、これ確かグリムが美味しいって絶賛してたお店で売ってた気が」
見覚えのあるデザインはロロが勧めてくれた店のモノだった気がしなくもない。
「ん……? 手紙が入ってるな」
「ほんとだ。『是非皆でわけてくれたまえ』……皆って交流会に行ったメンバーってことでしょうか」
「そいつが起こした騒動はさておき、他校の教師の信頼を得て生徒を手元に集められる程度には常識的な対応を知っている。これは詫びってところだろ」
さっそく一つ開封したレオナは念のためか、数度匂いを嗅いでから菓子を口の中に放り込む。
特に感想はないのか、ふぅんと目を細めた後、足元をうろちょろしていたグリムに箱ごと菓子を受け渡すともう一度荷物の山を見る。
「……菓子が入ってる箱は参加者と引率の教師。それにクロウリーの分ってところか」
「お菓子以外のモノもあるんですか?」
「子分、早く開けてくれ!」
「はいはい」
グリムの肉球では開けづらいパッケージだった為、彼の代わりに開けてあげようとしゃがんでいた芽唯はグリムの相手をしながらレオナを見上げる。
「ほとんどの箱はその菓子と同じだな。というか、ちゃんと宛先がそれぞれの寮になってるのになんであのゴーストは全部ここに置いていきやがったんだ?」
他寮宛になっている荷物を仕分けているのか、レオナが大半の箱を魔法で玄関先へと移動させる。
ぐにぐにと眉間の皴を指でほぐしながらまたため息を吐いたレオナが残った一箱を見下ろした。
「それは……?」
「お前宛」
「私? 私宛のお菓子はあの箱ですよね」
「そっちは毛玉と連名だったが、こっちは本当にお前宛だ」
机の上に残された開封済みのモノとはまた違う箱の宛先を覗きこめば確かにそこに記されているのは己の名前だけ。
ぱちくりと瞬きを繰り返した芽唯は首をかしげる。ロロがわざわざ自分だけ別途贈り物をしてくる理由がわからない。他のモノより少しだけ小ぶりの箱はあまり重さもないが何が入っているのだろう。
スマホで誰かと連絡を取っていたレオナが顔を上げたのを見計らって談話室に移動しソファに並んで腰かけると、先に置いてあった菓子箱に必死に手を伸ばしていたグリムを脇にどけたレオナに促され手に持っていた箱を机の上に置く。
「開けますよ?」
「待て、魔法で開ける」
「心配性なんだから……」
テープをはがそうとした手を掴まれた芽唯は大人しくレオナに身を預けるとすぐにマジカルペンが振られて勝手にテープがはがれ始める。
ばりばりと特有の音をさせ、最後は丸まって自らゴミ箱に入っていくテープを見送っていると今度はカタカタと箱そのものが動き出す。
まるで手足のようにパタパタと折り目の入った部位が外側に向かって広がる。思わず箱の中を覗きこもうとすればため息とともにソファに身体が固定される。
「ロロさんのこと信用してなさすぎません?」
「街どころか世界から魔法を失くそうとした男のどこを信用しろって言うんだよ」
「それは……そうなんですけど」
レオナの正論に返す言葉が見つからなかった芽唯は黙って開いた箱を見つめれば、レオナのマジカルペンがまた光りだす。キラキラとした粒子が箱の中身を包み込み、ふわりとそれを浮き上がらせる。
「えっ」
「ふなっ⁉」
ドキッと音を立てて心臓が跳ね上がり、思わずレオナの腕にしがみつく。
燃えるような炎を思い起こさせる花びら。もう二度と目にすることはないと思っていたはずの色彩が芽唯の頬に嫌な汗を伝わせる。
「……木製の模型、か」
「あ、え、……ほ、んとだ」
「びっくりしたー。オレ様、レオナの言う通りロロのやつが本物送り込んできたのかと思っちまったんだゾ」
「もしかしてこれが?」
「……はい。……紅蓮の花、です」
危険ではないと判断したのか。しばらく魔法で浮かせたままじっと観察していたレオナはゆっくりと芽唯の掌に模型を降ろす。
両手で包み込むように受け取った模型を目線の高さに持ち上げた芽唯はいろいろな角度から覗き込むように首を傾ける。
「本当にそっくり……。でも、なんで模型なんて……」
「俺が知るかよ」
「きっとセンセーフコクってやつなんだゾ!」
お菓子を抱えていたはずのグリムが芽唯の膝の上に乗り上げ模型を掴み上げる。
「もしかして宣戦布告って言いたいの?」
「あいつまだきっと諦めてなくて、オレ様たちに予告状のつもりで送ってきやがったんだゾ!」
「それって昨日エースたちと見た映画の話じゃない?」
鼻息を荒くして模型を握りしめるグリムが自信満々に胸を張るが、映画の内容をそのまま今の状況に当てはめているだけだ。
何の根拠もない推理に首をかしげた芽唯がレオナを見やれば「ふむ」と珍しくレオナがバカにすることなくグリムを見つめる。
「お前の話を聞く限り相当執念深い野郎だ。あながちこいつの言うことも間違ってないのかもな」
「だろー!」
褒めろと言わんばかりにレオナの膝に移ったグリムだったが片手で軽くあしらわれ、手に持っていた模型を奪われる。
グリムの手には大きなそれも、レオナの手に乗せるとかなり小さく一瞬本物と見間違えたのが嘘のようだ。
「……あ」
赤い炎を思わせる花をじっと見つめながら考えていると少し薄れた記憶が蘇る。
思わず口を押えた芽唯だったが、レオナに数度肘で小突かれ諦めたように口を開いた。
あの日、街の散策を終え、大講堂に集まった各校の生徒を待っていたのはロロ・フランムが長い時間をかけ用意した魔法植物による魔法そのものに対する反乱だった。
一瞬にして燃え盛る炎のように街に広がった紅蓮の花。
芽唯がトレインらと一緒にそれらを必死に抜き続け、どれだけ時間がたったのかわからない頃。危ないとわかりつつも鐘楼を目指したメンバーの誰かが無事にゴールにたどり着いたことを知らせるように鐘の音が響きわたる。
空気を伝って街全体に広がる音はその名の通り、花の街の、──すべての魔法士にとっての救いとなった。
「あ、ロロさん」
「……メイくん」
交流会を絶対にやりたいという此度の“災害”で一番の功労者であるナイトレイブンカレッジ生たっての希望を叶えるため、後片付けを一人行うロロの背に声をかける。
大講堂に蔓延った紅蓮の花はすべて枯れ落ちたとはいえ、その量を一人で片付けるとなるとどれだけの時間がかかるのだろうか。
「手伝いましょうか……?」
「いや、これは私の不始末だ。それに君も疲れているだろう。交流会まで休んでくれ」
そういうロロの方が疲れ切っているように芽唯には見えるのだが、短い付き合いの中で彼がかなりの頑固者であることはよくわかった。
絶滅したという紅蓮の花。その花に魔力を吸い取られた魔法士はやがて魔法が使えないただのヒトになる。そんな特性を利用しようと思いついたのはいつだったのだろうか。どれだけの月日と努力をこの為に費やしたのだろうか。──そのすべてが無に帰ったのはどんな気分なのだろう。
「魔法、嫌いですか」
「……彼らに私のことは聞いたのだろう」
「まあ諸々……」
亡くなった弟のこと。魔法へ抱いた憎しみ。ロロを凶行に走らせた理由は日記を読んだ面々からなんとなく聞かされた。だから許されるというわけではないが、日中のロロからの問いかけの意味をようやく理解することができた。
「魔法を使える人に囲まれて怖い思いや嫌な経験をしてないか、って聞いてくれましたよね」
「……君は、君自身が認識している通り恵まれている。魔法を良いものと甘受できるのは幸せなことだろう」
「そうですね。って言いたいところなんですけど、凄くひどい目にもやっぱりあってるんで本当はちょっとだけ怖いです。ロロさんは見たことありますか? 瓶からドロドロとした黒い液体を垂れ流してる化け物とか」
苦笑し、芽唯がそう零せば休むことなく手を動かしていたロロが振り返る。
「それは……オーバーブロット、ということかね?」
「そうです。私、入学前に似たような化け物に襲われて、入学してからもちらほらとそんなことが」
ドワーフ鉱山で出会った化け物。そして目の前でオーバーブロットしたのはリドル、レオナ、アズール、ジャミル……。これだけ挙げてもまだ次があるほど芽唯はこの現象と縁があった。
「……それで?」
だからどうしたのだと続きを促すロロの目が若干座っている。彼の中で魔法士とナイトレイブンカレッジの評価がまた少し下がったかもしれないが事実なのだからしょうがない。
「ブロットが溜まってそうなっちゃうのって魔法の使いすぎや、魔法士が精神的に苦しくなった時だって教わりました。ここだけの話、私の好きな人もオーバーブロットしちゃってるんです」
当時のレオナの姿を思い出してしまいフフッと自然にこぼれた笑い声を聞いたロロが怪訝そうに眉を顰める。それもそうだろう。恋人の命が危険にさらされたことを笑顔で語る人間なんてどう考えても理解に苦しむ。
「オーバーブロット自体は確かに怖い現象です。それを引き起こす魔法も。でも使い方を間違えなければ素敵なものであることはロロさんもきっとよく知ってるでしょう?」
「……君は何が言いたいのだね? まさか『だから嫌うなんてもったいない』とでも?」
「逆です。別に嫌いでもいいんじゃないかなって」
「何……?」
きゅっと眉間に寄った皴をさらに深めるとついにロロの手が完全に止まる。彼の足元でちらばる枯れた花びらがどこかの誰かが作った砂の山と重なる。
「私の好きな人……レオナ先輩もロロさんみたいに努力して努力して、それでも世界を覆すことが出来なくて。最後はオーバーブロットしちゃったんですけど、私その姿を見て彼のことが好きだなって思ったんです」
黙って芽唯の言葉に耳を傾けるロロは不可解そうに片目を眇める。
理解してほしくて話しているわけではない。なんとなく一夜にして夢と努力のすべてが無に帰した彼の姿がどことなく当時の彼と重なった。ただそれだけのことだ。
「レオナ先輩の話をしたときラギー先輩が言ってたと思うんですけど、人生って本当に不公平なんです。でもそれを訴えたところで何かが変わるわけでもなくて、誰かが涙を流しても当たり前のように明日が来るし、人生は続いていく」
母親に会いたくて涙を流しても元の世界に帰ることはできない。
王になりたいと足掻いても立場が変わることはない。
魔法など消えてしまえと願っても叶わない。
「それに屈しないというか……一回ダメだったからって諦める必要なんてないというか。例え嫌いでも利用するのは全然ありで、だから、えーっと……」
「……フッ、もう一度紅蓮の花で街を覆いつくしても構わないと?」
「それは困るけど……。でも、ロロさんがそうしたいと思うならいいんじゃないでしょうか」
「君は……随分ナイトレイブンカレッジの校風に毒されているようだ」
決してロロのやり方を肯定するわけではない。魔法が消えたら困ってしまうし、同じことをするというのならきっと誰かがまた彼を止めるだろう。
けれど、あの日保健室のベッドの上で来年も自分なりに全力を尽くすと笑った、レオナのあの不敵な笑みがどうしても頭から離れない。不屈の思考が刷り込まれてしまっている。
「ラギー先輩曰く学園の人はみんな私の兄弟らしいので、悪影響受けちゃってるのかもしれないです」
一番影響しているのは大好きなあの人なのだが、その姿を思い出しながらくすりと笑って返せば魔力の供給過多で萎んだ紅蓮の花のように少しだけ丸まっていたロロの背中がいつのまにやらピンと伸び、口角が不敵に上がる。
「まったく、悪の巣窟に放り込まれた哀れな少女とばかり思っていたが本人自身がとんだ悪党ではないか」
呆れたように笑ったロロはどこか少しだけ吹っ切れた顔をしていた──。
「ということはありましたけど……」
まさか、と内心思いつつも居たたまれずレオナから目を逸らした芽唯は床に視線を落とす。
「完全にそれだな」
大きなため息を吐いたレオナは紅蓮の花の模型を机に置くと「どうするんだ?」とまた芽唯を小突いた。
「わ、私のせいですか⁉」
「お前が焚きつけたんだろ。どう考えても諦めてないって意思表示じゃねぇか」
宣戦布告。意思表示。グリムとレオナの導き出した答えはどう考えても芽唯が発端だ。
「あれは励ますための社交辞令というか、本気で受け止めるとは思ってなくて」
「なら世界が花で覆われた時、知人としてインタビューでもされたらそう答えるんだな。『まさか彼がこんなことをするなんて思いもしませんでした』よく聞く文言だ」
「レオナ先輩ちゃんと考えてくれてますか⁉」
「考えてる考えてる」
ソファの背もたれに身を預けたレオナにぐっと身を寄せればすぐに腰に手が回される。大きなあくびをこぼす姿はどうにも信用できないが、レオナがそこまで深刻に受け止めていないのならいいのだろうか。
ひやりと背中に冷たいものが走る一方で大丈夫だろうと安堵してしまうのは与えられる温もりのせいか。けれどロロを直接知る人間に相談した方が良い気もしてくる。思考がばらばらでうまくまとまらない。
「ハッ、なに百面相してんだよ」
「だ、だってぇ……。困るけど、もう一回チャレンジするのもありじゃないですかって実際言っちゃいましたし!」
「それぐらい気概がある奴だってことで良い方に受け止めてやれよ」
「ホントのホントに本気で言ってます⁉」
胸元に縋りつけばこちらに顔を向けたレオナが眠たそうに眼を閉じる。むにゃむにゃと動かされた唇は音を出さず、じれったくて揺すれば片目だけが辛うじて開かれた。
「またやるなら止めてやるとも言ったんだろ。ならそうすればいいじゃねぇか」
「私じゃ止められませんし……。自力じゃ花の街にすら行けませんし……」
鏡を使えば一瞬のあの場所も、賢者の島からどんな公共交通機関を使えばたどり着けるのかもわからない。地図上での場所ならなんとなく……ギリギリ、多分、もしかしたら。くらいの理解度だ。
対処方法は判明しているから誰かが止めるだろう。という軽い気持ちの発言が最悪の事態を巻き起こしたらと思うと胃が痛みだす。ぐるぐると思考も体内もかき乱されて、目まで回ってきたところで柔い尻尾が頬をかすめる。
「『助けてください、お願いします』って可愛くおねだりできるなら動いてくれる最高の恋人がいるのを忘れちまったなんて寂しいじゃねぇか」
「……可愛くないとだめですか?」
「さあなァ? 案外、どんな頼み方でもお前の事が可愛く見えてころっと騙されてくれるかもしれねぇぞ」
「うーん、そんな単純な人だったかなぁ。世界から魔法を消すなんて大きなことは言わないけれど、悪事も含めて自分なりに全力を尽くすっていう悪い猫ちゃんだった気がします」
「バレなきゃいいんだよ。それを例に出して惚気てきたツケだって言うなら代わりに払ってやるのもやぶさかじゃない」
「じゃあ……もしもの時はお願いしますね……?」
「ん」
レオナのユニーク魔法と紅蓮の花の相性を考えて見ればレオナの方が有利なのは確かだ。規模にもよるだろうが、レオナならある程度花の範囲が広がっても簡単にロロに勝つことも可能なのかもしれない。
縋りつく体勢から身を預けるようにすり寄れば満足そうに頭の上に顎が乗せられる。
サバナクローに選ばれる魂の形。善悪を問わずその考えを肯定し、推奨するようになってしまったのはレオナの影響に他ならない。
「不屈の精神、かっこいいけど……ちょっと困りものかも」
「そういう困った男が好きなんだろ?」
「それだとロロさんのことも好きってことになっちゃうけどいいですか?」
「ダメに決まってんだろ」
間髪いれずに帰ってきた声に少し怒りが含まれる。固くなった声音が面白くて思わず笑い声が漏れてしう。
「ふふ、冗談ですよ。私はただ好きな人の好きなところを自慢してきただけですし。それが悪影響になっちゃったならどうにかしてくれるって優しい恋人も言ってくれたので問題解決ですね」
模型を見た瞬間はどうしようかと焦ったが、レオナがどうにかすると言ってくれたのだからもう大丈夫。別に何の確約があるわけでもないのに、ただそれだけで安心しきってしまう。
「おーおー、そのお優しい恋人サマに感謝しろよ」
「はーい。感謝のしるしに晩御飯はお肉料理でお野菜はちょっとにしますね」
「ちょっとじゃない。全部なしにしろ」
「それはダメです」
「話がちげぇぞ。感謝になってない」
こら、と芽唯を抱きかかえたレオナの胸元で芽唯がくすくすと笑い続ける。
すっかり二人の世界に入ってしまったレオナと芽唯を反対側のソファに座ったまま眺めていたグリムはやっと二袋目の封を切るとお菓子を口に放り込む。
「ロロの奴、きっと今頃噂話のされすぎでくしゃみでもしんじゃねーか?」
まさか諦めていないと示すために送った紅蓮の花の模型を目の前に恋人同士がイチャついているとは夢にも思っていないだろう。
オンボロ寮に住む者なら誰もが見慣れてしまった光景を尻目に、グリムは三つ目のお菓子に手を伸ばした。