夢でよかった
特徴的な岩山を横目に廊下を歩けば臣下たちが俺の顔を見るなりニコリと笑顔を浮かべてはこうべを垂れる。
「やはりレオナ様こそ王に相応しい」
「思慮深さはもちろん、強力な魔法を使いこなす優秀な魔法士でもある。きっとこの国を導いてくれるに違いない」
お前らの存在など意に止めていないのだと、ただ前だけを見据えて横を通り過ぎればヒソヒソとした話し声が自然と耳に流れ込む。
「ファレナ様は毎日ゴロゴロと歌って気ままに生きて、とても王の器とは思えない」
あぁ、そうだ。
俺はこれが欲しかった。俺と兄貴が正しく評価される世界。
知恵も力も牙も俺の方が優っている。
俺を褒めろ。讃えろ。この国で、この場所で、賛辞の言葉が誰に相応しいものかようやくわかったか!
気分がいい。今にも鼻歌を歌い出しそうなほど胸が躍る。
歩き慣れた王座への道をこんなに気分良く通るのは生まれて初めてだ。
「あ!」
道の先で揺れた人影からふわりと愛おしい女の匂いが漂う。単純なことに俺はそれだけで益々気分が良くなった。
何かに気づいたように声をあげて振り返った女は頬を薔薇色に染めては笑みを浮かべる。愛おしいという感情を俺に与えた女。唯一であり、この先を共に歩むもの。
駆け寄ってくる女を抱き止めようと腕を広げて待ち構えては名前を呼ぶ。
「メ……」
「ファレナ先輩……!」
「は?」
両腕を広げた俺など目に入ってないかのようにメイはするりと俺の横を通り抜けた。何故俺の女が兄貴の名前を声を弾ませ呼んでいる?
「お、おい。どういうことだ」
高揚していた気持ちがいっきに沈む。
ひやりと背中に冷たいものを流し込まれたかのように寒気がする。
振り返れば兄貴の腕に自分のそれを絡めて甘えるような仕草をするメイがいた。しかも、兄貴は当然のようにそれを受け入れ、ナイトレイブンカレッジの制服に袖を通しているなんて、なんの悪い冗談だ。
「おじたん!」
状況が飲み込みきれない俺に畳み掛けるようにチェカが姿を表した。
ニコニコと笑顔を浮かべ、構ってほしいと全身で訴えかける姿は見るだけで疲れるのに今日はどこか他人事のように思える。
ぱたぱたと耳も尻尾も忙しなく動かしたチェカは「おじたん!」ともう一度声を上げると兄貴の足に絡みつく。
「ふざけるなよ……」
笑えない。一ミリたりとも笑えない。
メイが幸せそうに兄貴の名前呼んで、それに応えるように兄貴も彼女に尻尾を絡ませる。
「お姉たん、おじたんのお嫁さんになるんだよね?」
「えっ! そ、その……」
「こらチェカ、メイさんを困らせるなと言っただろう」
「わ、私は、先輩が望んでくれるなら……いいですよ?」
満更でもなさそうなメイがおずおずと兄貴を上目遣いでじっと見つめる。
なんだ、なんだ。
俺は何を見せられてるんだ。
「ほ、本当か……?」
ごくりと呑み込んだ唾の音がやけに響く。
見つめ合う二人は間違いなく恋仲のそれで。顔が近づく。瞼を閉じる。合わせた額を睦まじく擦り合わせる。
やめろ、やめろ、それは俺の女だ!
「あぁ、私は第二王子でよかったよ!」
「なっ……!」
兄貴がそう言ってメイを抱きしめるのと同時に俺の足元がガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
ぽかりと空いた暗闇に落ちていく俺に兄貴が目を細めてこう言った。
「もちろん祝ってくれるよな?」
祝福されるのが当然と言わんばかりに寄り添う二人に喉が引き攣るのを感じた俺は拳を強く振り上げた。
「………っ!」
「わっ! び、びっくりした……」
ふざけるな!そう叫びそうになる喉を押さえて飛び起きた俺の横で何かが跳ねた。
全身汗だくになった俺は肩で息をし、全力疾走した後のように息が乱れている。
「レ、レオナ先輩……大丈夫ですか……?」
「……さい、あくだ…………」
暗闇にすぐ慣れる瞳は眉尻を下げ不安そうな顔で俺を覗き込むメイの姿をすぐに捉えた。
女の細い指が背を撫でる。気遣うように何度も何度も繰り返される動作がくすぐったい。
「あの、先輩すごいうなされてて……悪夢でも見てたんですか……?」
「夢……? あぁ、夢だ。あんなの夢に決まってる」
何が第二王子でよかった、だ。
あいつは俺の神経を逆撫でする天才か?
「起こそうか迷ったんですけど……」
「いや、いい。……驚かせたな」
与えたサバナクローのインナーを寝間着にしたメイからは俺の匂いと彼女の匂いが混ざった香りがする。跳ね起きたせいで昂ったままの鼓動を鎮めるために細腰を引き寄せその肩に顔を埋める。
どくどくと鳴り響く鼓動は己のものか、それともおずおずと背に手をまわす彼女のものかはわからない。
鼻腔の奥、そのさらに奥。いっそ脳まで満たして欲しくてメイの匂いを大きく吸う。
「ひどい汗。着替えますか?」
何も聞かずに背中に腕をまわしたメイは指先で俺の耳をくすぐる。ぐるぐると、まるで俺の感情を現すかのように揺れる指は俺だけのものだ。指だけじゃない。香りも声も身体も、その全てが俺だけのもの。兄貴になんて渡してなるものか。
「レオナ先輩……?」
どう声をかけても返事をしない俺にただことではない雰囲気を感じているだろうメイは名前を呼んでは背中を優しく叩く。
「レオナ先輩」
まるで幼児をあやすように繰り返される。
ぽんぽん、ぽんぽん。
リズム良く刻まれるそれは俺を眠りへとは誘わない。
答える代わりにもう一度深く息を吸い込み、彼女の肌に牙をたてる。決して傷つけないように甘く甘く柔らかく。メイはそれを咎めることはせず、むしろ食い込ませてもいいのだというように耳に触れていた指を離すと俺の後頭部をゆっくり撫でる。
背後から差し込む月明かりが床に作った影だけ見ればまるで親子のような絵面なのに、実際は一歩踏み間違えば男女の秘事に発展しかねない状況だ。そのアンバランスさがおかしくて、メイの背中にまわした腕が震える。
「……った……」
夢でよかった。この女まで兄貴に取られたら絶望なんて言葉じゃ足りなすぎる。
いや、夢の中の俺はきっと第一王子だったんだろう。あれは実力で王を決める世界じゃない。俺が先に生まれて兄貴が後で。そんなの俺が望んだ世界じゃない!
俺は第二王子のまま兄貴より優秀だと認められたいだけで、あいつになりたいわけでも、そんな形で王になりたいわけでもない。
あいつと俺の立場が逆転してみろ。義姉貴が俺の嫁に?チェカが俺の息子に?そしてメイは兄貴の女に?
そんなの認められるはずがねぇ!
「第二王子で……よかった……」
「レ、レオナ先輩……?」
らしくない言葉が思わず飛び出た。これじゃあまるで夢の中の兄貴と同じだ。
けれど首を傾げて心配そうに俺の様子を伺う女が腕の中にいる。ただそれだけで、そんな気持ちで満たされる。
俺は今の俺として王座を手に入れられなければ満足なんて出来やしない。
あぁ、夢の中の兄貴はさぞ満たされていたんだろう。俺の女を抱く腕が憎い。王になる道が無くともこの世の全てを手に入れたと言わんばかりの笑顔が恨めしい。
本当によかった。全部夢で本当によかった。
「お前が、俺のものでよかった……」
第二王子でなければ出会えなかった俺の唯一。他の女なんて死んでもごめんだ。
メイにはさぞ俺が錯乱しきったように映っただろう。それでも何も言わずに寄り添い続けるのは優しさか。
もう一度、もう一度だけだと自分に言い聞かせてメイの匂いを吸い込んだ。甘くて柔らかくて俺の、俺だけの女の香り。こいつが俺のもので本当によかった。