旅の約束


 耳元でコール音が響く。スマホを片手に窓から美粧の街を見下ろした芽唯は夜景のまばゆさに目を細める。

「……もう寝ちゃったかな。それとも授業中?」

 遠く離れた輝石の国と賢者の島ではそれなりに時差もあるだろう。いつでも電話してこいという言葉に甘えて自分が落ち着いたタイミングでかけてしまったがじわじわと不安が押し寄せる。
 そろそろコール音が機械音声に変わってもおかしくない。どれだけ離れていても繋がれる便利なアイテムも相手が応えてくれなくては意味がない。
 ため息と共に諦めた芽唯が耳を離そうとした瞬間ぷつっとコール音が途切れて『どうした』と優しい声が耳を打つ。
あと少しで真っ赤な拒否マークに触れそうだったが慌てて指を引っ込めて耳元に押し当てる。

「あっ、あっ、あのっ!」
『く、くくっ……。落ち着けよ。別に逃げたりしない。それとも何かあったのか?』

 そう問いかけながらも笑うのをやめない相手──レオナの声を聞きながらこわばった体から力を抜く。
 近くにあった椅子を引き寄せ腰を下ろした芽唯は改めて街を見下ろしたが頭の中はもうレオナのことでいっぱいだった。

「すごいことはいっぱいあったけど特に危険なことはなかったですよ」
『そりゃよかった。エスコートに問題があったなら俺は今からヴィルにクレームの電話をしなくちゃならねぇところだった』
「ふふ、レオナ先輩がそう言うだろうってヴィル先輩結構気を使ってくれましたよ」
『この俺の大事な恋人を連れて行くんだ。それくらい当然に決まってるだろ』

 不服そうなレオナは芽唯を連れ出されたこと自体に文句があるのだろう。少し拗ねた声の最後にはふんっと不機嫌な音が混ざっていた。
 レオナは旅立つ直前も文句たらたらで、呆れ顔のヴィルは最後までレオナを白い目で見ていたし、当てつけのようにヴィルが芽唯の手を引いて鏡をくぐったものだから今日悶々としていたに違いない。

「貴重な経験をさせてもらってます。VIP待遇って言うんでしょうか。まるでお姫様か何かになったみたい」

 もちろんヴィル・シェーンハイトという大きな肩書のおかげなのだが、上質な服や豪華なディナーに煌びやかなホテルを滞在先に与えられれば自然と心は弾んでしまう。

『お姫様みたい? 馬鹿言え、お前は実際プリンセスだろうが』
「へ?」
『俺に見初められたんだ。第二だろうが王子は王子。まだ婚約もしてないから正式なもんじゃねぇが、未来≠フプリンセス、だろ』
「えっ……あの、えと………はい」

 電話越しで見えないはずだが頷きながら返せばレオナの声が満足そうなものに変わる。

『少し早い研修だとでも思っとけ。分不相応なもてなしだと固くなる必要はない。どうせ相手にはお前らのプロフィールを伝えてあるんだろう? あいつの肩書の力もあるだろうが、未来の夕焼けの草原のプリンセスとして堂々としてろ』

 何度も何度もプリンセスという言葉を使われ芽唯は少し頭がくらくらしてきた。
 一緒にこの旅に同行することになったエース、ジャミル、アズール、そしてグリムは満更でもなさそうだったが芽唯は過分なもてなしだと肩身が少し狭かった。
 だからこそレオナに一日分の溜まった心労をほぐして欲しかったのに当然の扱いだと肯定されてしまえば弱音を吐くのを躊躇ってしまう。

「でもキラキラしててなんだが眩しすぎるくらいです。お店の人もヴィル先輩のお父さんも、皆良くしてくれてありがたいんですけど……」

 そもそも美粧の街の華やかさが芽唯には合っていないのかもしれない。一日中どこかそわそわとし続けて落ち着けた時間はスイーツを選んでいる時くらいだった。

「エースたちは満足そうだけど、もてなし以外もなんだかちょっと私には合わないみたいです」 
『ヴィルが好む街がお前に合うとは俺も端から思っちゃいねぇよ』
「それどういう意味ですか?」
『別に。それよりこれまであちこちの国を回ったんだ。そろそろ気に入りの国の一つや二つ見つかったか?』
「うーん……そうですねぇ……」

 この世界に来てから幸運なことに色々な国に足を運ぶ機会をもらった。
もちろん賢者の島自体も芽唯にはとても珍しいのだが、学友たちの出身地はどこもそれぞれの異国情緒あふれるもので、どれ一つとして似たような場所は存在しなかった。
 今まで訊ねた国の名産品、文化、人。色々なモノが脳内で浮かんでは消えていく。ああ、いつか極東にあるという和の文化がある国にもいつか行ってみたい。もしかしたら日本と同じような国かもしれない。
 目を閉じて考えていた芽唯はゆっくりと瞼を開ける。美粧の街のまばゆい輝きが目に入る。きらきら光るそれを見て心の中にある景色が浮かぶ。

「夕焼けの草原……夕焼けの草原が一番好きです」
『……っ』

 電話越しに息を呑むのが聞こえる。きっと目を丸くして耳や尻尾をピンッと立てているに違いない。

「ふふ」
『っおまえ、適当なこと言ってねぇだろうな』
「ちゃんと本音ですよ。……レオナ先輩の国って贔屓ももちろんありますけど」

 大切な人が生まれ育った国を案内してくれたのはもちろんレオナ。
 都心には大きなビルが並ぶ一方でいまだに井戸水で暮らしている地域やスラムも存在する。
 すべてがいい国とはとても言えない。ライフラインや環境について言及したらどうしても他国には劣ってしまう。けれど──。

「マーケットで食べた飴とか、エレファント・レガシーの温泉とか、レオナ先輩が案内してくれた場所全部素敵でした。また行きたいな、食べたいなって思うんです」

 乾いた風が頬を撫でる感覚、燃えるような陽射し。目を閉じると自然と思い出す。

「多分、案内してくれた人が素敵だったからかも」

 茶化すようにそう言えばレオナは黙り込んでしまう。

「それとですね」
『……まだあるのかよ』
「ふふ、はい。……レオナ先輩と一緒に見たあの夕焼け。忘れられないんです」

 レオナの案内であちこちを巡った後、タマーシュナ・ムイナに向けての特訓は陽が沈む時間まで続いていた。
 空がオレンジ色に染まった世界で芽唯とグリム、そして練習で疲労したメンバーを乗せて車を転がすレオナ。その助手席で一緒に見た夕焼けは今も目を閉じれば鮮明に思い出せる。

「美粧の街もすごく綺麗なんですけど……」

 視線の先では整備された美しい街並を人々の営みの証である灯りが照らす。

「……隣にレオナ先輩がいてくれたら感想も変わったのかなぁ」

 なんだか物足りない。その言葉に尽きる。
 何が悪い訳じゃない。何が劣っているわけでもない。ちょっと過分なもてなしに委縮はしたがそれが嫌だったわけでもない。
 だとしたら、足りないものがあるとしか思えない。

「ヴィル先輩に言ったら怒られちゃいそう」
『どうだかな。呆れてバカップルだと罵られるだけかもしれねぇぜ』
「事実だから言い返せないですね」

 街は素敵だけどレオナが居なくて物足りない、なんてヴィルに伝えたら呆れて肩を竦めるだろう。
 エースたちもやれやれと首を振り相手にしてくれないかもしれない。
 唯一構ってくれるのは今はすぴすぴとベッドの上で寝ているグリムくらいか。

『……いつか』
「はい?」
『いつか、お前だけで行った国に一緒に行ってやる』
「え、いいんですか……?」
『俺も観光くらいする』

 レオナの突然の提案にぱちぱちと瞬きを繰り返した芽唯はレオナとこの街を巡る自分を想像する。

「そしたら、あの、レオナ先輩に似合いそうなお洋服もあったので着て欲しいです!」
『お前、そんなこと考えながら歩いてたのか?』
「だって、おしゃれなのはわかるんですけど値段がすごくて自分が着るイメージはわかなかったんですもん……」

 ハッキリ言って桁が違う。例え芽唯がモストロ・ラウンジでバイトを頑張ったところで手が届くことがない。そんな素敵な品だった。
 それを着こなす自分はまったく想像出来なかったがレオナに変われば次々にイメージが浮かんだ。誰かと一緒に店に入る度にレオナに似合いそうな服を手に取っては相手に茶化されたのは内緒にしたい。

「本当はお土産として買って帰りたかったくらい似合いそうな服もあったんですよ!」
『はいはい、お前が俺のことばっかり考えてたのはわかったよ』

 少し煩わしそうな棘のある言葉。けれど声は柔らかく嬉しそうに弾んでいる。

『なら、その時は俺もお前に似合いの服を選んでやらなきゃな』
「……総額を考えたらちょっと怖いんですけど」
『ははっ安心しろよ。次は正真正銘俺のプリンセスとしてエスコートしてやる。もてなしや金額に委縮する暇なんて与えてやらねぇよ』
「もう……」

 自信満々にそう告げるレオナとは裏腹に、彼の隣で慌てふためく自分が簡単に想像できる。
 けれど、レオナと歩く美粧の街はきっと今日見たのとはまた違った輝きを見せてくれるに違いない。

『……国際映画祭は明日だったか、ヴィルの怒りを買わねぇうちにとっとと寝ろよ』
「はい、部屋に入る時も同じようなことを言われました」

 眠そうな顔をして合流しようものなら、そこを起点にあらゆる指摘をされて出発する頃にはくたくたになってしまいそうだ。
 容易に想像できる光景にくすくす笑えばレオナも少し喉の奥を鳴らす。
 くつくつと耳を打つその声と別れ難くてスマホを耳から離すことが出来ない。

「さっきの話、約束ですよ」
『あ?』
「一緒に観光してくれるって話!」
『もちろん、二言はねぇよ』
「それじゃあ、その時を楽しみにして今日はいい子にちゃんと寝ますね」

 グリムをベッドの端に寄せ、その隣に転がり込む。

『寝坊するなよ』
「レオナ先輩じゃないんだから大丈夫です!」
『おい……』

 レオナの声を聞きながら目を閉じればまるで一緒に寝ているようだ。
 そっとグリムに寄り添った芽唯は少し低くなったレオナの声に笑いながら目を開ける。

「おやすみなさい、レオナ先輩。お土産話をいっぱい持って帰りますね」
『ああ、楽しみにしといてやるよ』

 おやすみ、と柔らかな声を最後に通話が切れる。
 急に温度が消えたようにただの無機物に戻ってしまったスマホはどこか寂しくて、すぐにベッドサイドに備え付けられたテーブルに置くと掛け布団の中に潜り込む。
 まだ耳に残るレオナの声と柔らかなベッドのおかげで心地よく眠りに付けそうだ。
 瞼を閉じて浮かぶのは煌びやかな美粧の街をレオナと見る自分の姿。
 明日、もし手の届きそうな金額でレオナに似合いそうな服が見つかったら手土産として持ち帰りたい。
 そして、いつの日かそれを着たレオナとまたこの街を訪れる。

「楽しみだなぁ……」

 そっとグリムを抱きかかえた芽唯はゆっくりと眠りに落ちる。夢の中でもレオナに逢えたらいいのにと、そう思いながら。

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