藪を突いて獅子を出す


「あっ……」

 随分と珍しい人と珍しい場所で会うものだ。

「……どうぞ」
「ん」

 重なりかけた指先を逃がして自分と少し色の違う褐色に譲れば、言葉は少ないが小さな返事と共に棚から一冊本が消える。
 そのまま世間話をするでもなく背を向けて適当な席に座る所が彼らしい。ジャミルが別の目当ての本を探して座ってもまだ獅子は──レオナはそこにいた。

(この人が図書館で読みふけるなんて珍しいな……)

 レオナが自ら足を運ぶこと自体が珍しい。彼の周辺で大体ここにいるのは読書好きの芽唯か使いを頼まれたラギーで、少なくともジャミルはレオナの姿を単体で見かけたことはなかった。
 こんな所にいるなんて珍しいですね。なんて口にしたらレオナは不快そうに眉をしかめるに違いない。そもそもでレオナに親しく話しかける理由もないが。
 さっさと自分の目的を果たそうと持ってきた本を開きかけたジャミルだったがレオナの傍らに積まれた本の山が目に留まって瞬いた。
 ただの本ならそこまで気になるものではない。なにせここは図書館なのだから。けれどジャミルの視線が釘付けになった理由はその本たちに簡易的なものだが認識阻害魔法がかけられているからだ。

(あれは古代呪文語か……? わざわざ魔法をかける必要なんて……)

 例えばこれが個人の蔵書や日記の類の所謂秘蔵の書物なら話は別だ。
 古から伝わる危険な魔法を記したもの。誰かに読まれたくない内容、もしくは研究について残した日記。そんな代物ならば他人に読めないよう魔法を施すのも不自然ではない。
 けれどレオナはただ自分が読むために集めた誰もが触れる図書館の書籍に一時的にそれを施している。
 レオナ相手に「そんなものを読んでるのか」と揶揄う愚か者などいないだろうし、彼が真剣に読み解くほどの書物の内容を正しく理解できる者も多くないはず。

「……そんなに見つめられたら穴が開いちまう。用があるなら声くらいかけたらどうだ」
「っ……、すみません。熱心に呼んでいたので邪魔になってはいけないと」

 気づかれた。これだけ不躾に見つめていれば当然か。相手はサバンナを統べる獅子の王子。気配には誰よりも敏感だろう。

「ハッ、お前の視線は違ったぜ? 『なんで魔法をかけて周囲から読めなくしているんだ』って聞きたく仕方ねぇって顔だった」

 読みかけの本を閉じたレオナは山の上にそれを重ねる。当然その本も魔法がかけられていて背表紙を見ても何の本かはわからない。だが、内一冊はジャミルが順番を譲った本だ。ならばきっとその内容は……。

「隠す必要はないのでは? 喜びはしても嫌がられることはないでしょう」

 言外に特定の人物のことを指して問えばレオナは不快そうに眉をしかめた。

「絶対に言うんじゃねぇぞ」

 レオナの行動がどうも腑に落ちない。首を傾げたジャミルは思い浮かべたこの場にいない少女の名を口にした。

「#メイ#の為だと周囲に知られるのが嫌、とか……?」
「違う」
「なら……」
「黙れ。詮索するな」

 鋭い視線がジャミルを貫く。少し踏み込みすぎたらしい。藪からでてきたのは蛇ではなく獅子だったがそろそろ引き際だろう。

「申し訳ありませんでした。彼女にはもちろん話さないので」
「当たり前だろ」

 チッと舌打ちをしたレオナは気分がそがれたのか魔法で本を片付ける。宙に浮いた本たちはそれぞれが元の棚に戻っていくが、ほとんど同じジャンルの棚から取り出されたのか行く先はすべて同じだった。

(物質の空間転移、鏡による移動方法の確立……どれも普通に広まっている魔法ばかりで異世界への通行手段に繋がるとは思えないが……)

 魔法が解かれて見えた背表紙を目で追うジャミルは首を傾げる。レオナほどの魔法士ならば元々知識としては頭に入っているだろうに。
 不機嫌そうに尻尾を揺らすレオナを見つめながらジャミルはいつもその隣にいる芽唯の姿を思い浮かべた。

(怠惰な獅子をあそこまでやる気にさせるなんて、とんだ人たらしだな……)

 彼女は特別な部分など何一つない変哲もない少女だ。
 それでもレオナを始め、自分も含むオーバーブロットの現場に何度も居合わせ生き延びて、今では彼の王子の恋人に収まっている。
 例えばカリムのようにあふれ出るほどの財力などあからさまな魅力があれば自然と人が集まるのもわかる。嘆きの島でタワーを降りていた時にレオナも言っていたが金は力だ。人心を掌握し、魅了し、カリムに恩を売れば見返りがあると思わせられる。
 もしくはレオナやリドルのように圧倒的な力の持ち主。アズールのように弱みを握ったり、ヴィルのようなカリスマ的な存在ならば周囲の人間が勝手に動くこともあるだろう。
 けれど芽唯には何もない。本当に何一つ。その身だけで異世界から渡ってきた彼女は学園の保護がなければ生きていくこともままならない。……今でこそ引く手は数多だろうが。
 そんな少女がサバンナの王子を魅了し、恐らく頼んでもいない調べごとを熱心にさせてしまうほどとは恐れいる。

「……かえしてしまっていいんですか?」
「あ?」
「彼女のことです」
「………………」

 それほど深くレオナを知らないジャミルでもレオナが芽唯に執着しているのは知っている。
 他人の惚れた腫れたのごたごたなど興味はないが、この男が自ら彼女を元の世界に逃がしてしまうとは思えない。

「くっ、ハハッ! 俺があいつを『元の世界に返してやりたい』なんてお優しい理由で調べてるとでも思ったのか?」
「まさか。そういう人ではないと知ってるから疑問に思っただけです」

 そもそもでそんな思考を持つ者はこの学園に入学していないだろう。……極一部の生徒は違うかもしれないが。少なくとも、目の前の獅子がそんな思考の持ち主でないことは確かだ。

「帰る方法を探すってのはな、帰さない方法を探るのと一緒なんだよ」

 ゆっくりと怪しく光るガラス玉のような瞳が細められる。美しい緑のそれに浮かんでいるのは正しく執着の色だ。

「……野暮なことを聞いてしまいすみません」

 ああそうだ。やはりこの男はそういう男だ。心の中で少しだけ芽唯に同情しながら、レオナらしい動機で安堵する。
 肩を竦めたジャミルは「それも含めて言わないと約束します」と首を横に振る。

「これ以上獅子の尾は踏みたくないので失礼します」

 長居すればするほど厄介なことに巻き込まれそうだ。こういう場所からは早く逃げてしまうに限る。急いで本を手に取ったジャミルは貸出手続きを終えて図書館を離れる。
 ジャミルが席を立ってからレオナが声をかけてくることはなかったが立ち去りもしない。彼を警戒しながら脇に数冊の本を抱えて扉を手で押すと反対側に人が立っていた。

「すまな……っ」
「あ、ジャミル先輩。こんにちは」

 息を呑むジャミルとは逆に軽く会釈し花が咲いたような笑みを浮かべた少女をじっと見つめれば彼女は困惑したように首を傾げた。

「どうしました?」
「い、いや。なんでもない。レオナ先輩なら奥にいるぞ」
「ホントですか? ありがとうございます!」

 道を譲れば芽唯は軽やかにジャミルの指差した方へ向かって駆けていく。
 その姿が自ら獅子の牙にかかりにいくように見えたジャミルはそっと瞳を伏せてから図書館を後にする。

「頼むから俺を巻き込まないでくれ……」

 ただでさえカリムという厄介な男を抱えているのに、サバンナの第二王子のご機嫌取りまでしなきゃならないなんて死んでもごめんだ。それに彼にはラギーという立派な腹心がいる。それをすべきなのは彼であってジャミルじゃない。

「精々頑張れよ」

 届くはずのない言葉をぽろりと零したジャミルの声を風だけが聞いていた。

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