夢に勝つ
渡された新しい衣装を見た瞬間目を見開いたレオナに従者は首をひねったが「下がれ」と一言かければ疑問を口にすることなく大人しく引き下がる。
少し迷った末にため息と共に袖を通したレオナは初めて着るはずなのに何度も着用したことがある感覚に眩暈を覚えた。忌々しい記憶が嫌でも蘇る。暗く、濁り、そして渇いた世界……。
「…………まさかな」
記憶の片隅に追いやった遠い夢の記憶の中で己の傍にいた唯一にして愛しい存在と瓜二つの姿が脳裏を過る。
別の控室で同じく着替えているであろう妻を訊ねるため身なりを急いで整えるとレオナは二つの部屋を繋ぐ扉を軽くノックした。
「メイ、入ってもいいか」
「あっ……。は、はい。どうぞ」
「…………」
少し戸惑った声にレオナは眉間に皴をキュッと寄せる。
そして躊躇いがちにドアノブを回せば姿見の前に立っていた芽唯が気まずそうに振り返る。
「レオナさん……」
苦笑し、スカートの裾をつまんで広げて見せた芽唯にレオナは立ち止まって彼女の姿を上から下までじっくり見ると額を抑える。
「やっぱりか……」
ひどい頭痛がレオナを襲う。似合っていない訳じゃない。自分と揃いの衣装は実に気分が良くなる。彼女が自分のもので、自分が彼女のものである証拠のようなものだ。だが、それとはまた違う感情がレオナを覆い。芽唯もきっと同じ感情を抱いている。
「懐かしい……ですね? 私が着るのは初めてだけど」
芽唯を包んだ黒と金で作り上げられたドレスは夫であるレオナの隣に立つことを想定して彼の衣装に合わせたデザインだ。レオナはさらに王家の象徴でもあるライオンの意匠が施された肩掛けを纏っていて、今の自分たちはあの日マレウスに見せられた夢の世界で並んでいた姿そのものだった。
……と、言ってもこのドレスを着ていたのはNPCの芽唯であり、本物の彼女は学園指定の制服で夢に囚われていたレオナを起こしに来ていたのだが。
数年前の悪夢を嫌でも思い出し固まったレオナに肩をすくませながら近づいてきた芽唯はレオナの腕に触れる。額を抑えていた手を離して芽唯を見たレオナは「……似合ってる」と呟くように零してその腕の中に彼女を閉じ込めた。
顎を彼女の肩に乗せたレオナは姿見で自分と芽唯の姿を見てまた眉根を寄せる。
「ん……くすぐったい。見たくないなら他の服に変えてもらう?」
「そういう訳じゃない」
「ふふ、レオナさん自分の夢思い出しちゃった?」
「お前な……人の気も知らずに……」
彼女からも背中に手を回してくれるのでレオナは目一杯抱きしめる力を強くする。腕の中でくすくす笑う芽唯は「懐かしいね」とまた同じ言葉を零して目を細めた。
「どんな気分?」
「最悪で、最高で……訳が分からねぇ」
素直な言葉を口にすれば芽唯がうんうんと頷いて少しだけ身体を離す。
「私も同じかも。夢の中でレオナさんの隣にいた私が羨ましかったから」
「……初めて聞いた」
「初めて言うもん」
困ったように笑った芽唯はレオナの頬に口づけを贈る。
そのまま逃げようとさらに身体を離す芽唯を無理やり捕まえたレオナは彼女の後頭部に手を回し、仕返しと言わんばかりに唇を重ねた。
自分とは違う顔の横についた耳を塞いでやりながらわざとらしく音を立てれば芽唯の頬に熱が集中し始める。少し長めに遊んでから口紅の味がする唇を離してやれば芽唯が少し涙ぐんだ瞳でレオナを見上げる。
「もう……。色移ってる……」
指先でレオナの唇を撫でた芽唯は自分の唇にも触れて「はげちゃった」と呟く。
「いつものことだろ。出る前に直せばいい」
式典の前にレオナが芽唯に噛みついてしまうのは本当のことだ。この後長々とくだらない話に付き合わされるのだ。大人しくしている代わりに少しばかりご褒美を前借りしたって罰は当たらないだろう。
今日は特に芽唯と自分の姿に面食らってしまったのだ。もう少しばかり貰ってもいいくらいには動揺している。
「……まさか瓜二つの衣装に袖を通す日が来るなんて、レオナさんの夢の再現度って本当にすごかったんですね」
「当たり前だろ。誰のイマジネーションで作り上げられた世界だったと思ってる」
レオナの夢はイデアも驚くほど事細かにこの国のすべてが再現されていた。
王宮やそこに勤めるものたち、近くの市場や果てはスラムの住人まで。国のシステム……国のすべてを完璧なまでに写したあの世界は都合のいいことは何も起こらないが、現実の仮装シミュレーションとしての機能は完璧だったことがまた証明されてしまった。レオナは無意識下で王家の衣装デザイナーがこの服を用意するのを当ててしまったということだ。
「あの私が着てた私の服……」
ひらりと裾を持ち上げてスカートを揺らした芽唯はレオナを鏡の前へ連れて行き自分たちの姿をじっくりと見る。
「……レオナさんがね、夢の中でも私を好きになって私を奥さんにしてくれてたの嬉しかったの。でも、それは私自身じゃないから複雑で……早く目を覚まして欲しかった」
「………………」
当時は芽唯とこの話をする機会がなかった。早くハーツラビュルの面々を起こして対マレウス戦への準備を進めなければならず時間が一秒でも惜しかった。周りに彼の取り巻きやイデアとオルトが居たのもある。
事件解決後も互いに蒸し返すこともなく、きっときっかけがなければ芽唯は当時の気持ちを一生伏せたままだっただろう。数年越しに明かされる心境を黙って聞いていると瞳を伏せた芽唯がレオナに振り向く。
「結局みんなで王宮に突撃した時は逃げられちゃって目を覚ますことができなかったけど、あの私になんか勝った気分」
「勝った?」
レオナの胸に飛び込んだ芽唯は見上げながら笑みを浮かべ頷く。
「だって夢の中のレオナさんずっと苦しそうだった。何も楽しくなさそうだったし、嬉しくもなくて、あんなの夢が叶ったなんて言えないもの」
王様になる。レオナのその夢が叶った世界であったはずなのに、彼女の言う通りレオナはずっと苦しみの中にいた。現実と同じで思い通りにならないことばかりだった。
あの世界でNPCの芽唯はレオナのために存在した唯一の心の拠り所と言っても過言ではない。けれどそれだけではレオナの心は満たされなかった。渇いて渇いて、レオナも渇いて国も渇いて、すべてが乾いた世界は本物の芽唯たちが来なくてもハッピーエンドが迎えられないと断定されて強制的な終焉か、もっと悲惨な未来を迎えたままだらだらと地獄のような状況で続いていた可能性だってある。
乾いた世界で抱えていた重苦しい感情を思い出してしまったレオナが眉間にしわを寄せれば腕の中の芽唯がレオナの頬に手を伸ばす。重ねるように手に触れれば目を細めて芽唯が微笑む。
「夢の中より今の現実の方が幸せでしょう?」
「っ、あァ……そうだな……」
自信に溢れた笑みは実に幸せそうで、確かに夢の世界の芽唯はこんな笑みを浮かべることはなかった。
己も、彼女も、……夢の彼女はレオナのイマジネーションが作り上げたNPCだったが、間違いなく今生きている現実の方が幸せだ。
王になる夢が叶わない不公平な世界の方が幸せだなんて夢で揺蕩っていた時の己が聞いたら疑うだろうか。あの日相対した野心は現状を生温いと罵るかもしれない。それでもレオナにとって腕の中に芽唯がいて、間違っていれば顔を顰め、本当にダメだと思えば対立してでも止めに来る本物の芽唯と生きる今の方がずっとずっと価値がある。
少なくとも、あの夢でこの服に袖を通していた時にこんな穏やかな感情になったことも、満ち足りていると思えたこともなかった。
「確かに、お前の勝ちだな」
レオナの描いた夢も、NPCの芽唯も本物の彼女がもたらすものの足元にも及ばない。レオナの答えに満足そうに頷いた芽唯越しにもう一度鏡の中の自分たちを見れば確かな幸せがそこにある。
忌まわしい記憶が上書きされるのを感じながらレオナは腕の中にある愛する女の形をした幸福を壊さないよう、けれど強く強く抱きしめた。