早起きは三マドルの得


 ふと真夜中に目が覚める。そんな経験は誰にでもあることだ。

「何時だ……」

 妙に冴えた頭でスマホに手を伸ばしたレオナは表示された時間を見てぐっと眉間にしわを寄せる。陽が昇るのはまだまだ先だ。
 起きる予定の時間には程遠く、腕の中では芽唯が寝息を立てている。眠気が霧散してしまったが彼女を起こす訳にもいかず、手持無沙汰のままその顔をじっと見つめる。
 呼吸に合わせ肩が上下し、時折唇がむにゃむにゃと動く。獅子の腕の中で眠っているというのに安心しきったその寝顔を見て胸に湧き上がる甘く淡い感情になんと名前を付ければいいかはわからないが、心地いいものであることは確かだ。
 無性にもっとよく顔が見たくて芽唯の頬に触れている髪を自分とは違う位置についている彼女の耳に掛ける。
 さらさらと手触りの良い髪はまるで絹のように美しくレオナの指先を楽しませ、小さな耳は齧り付いてしまいたくなるほど美味そうだ。実際、何度か齧ったことがあるがその度に芽唯は耳も頬も真っ赤に染めてレオナを楽しませた。
 思わず緩んだ頬を抑えたレオナは少しだけ瞼を伏せる。ただ芽唯を見つめているだけで愛しいだとか可愛いだとか、とにかく己に似合わない言葉が脳裏を過ってしまう。昼間も牙を抜かれたなんとか……などと誰かが口にしていたが芽唯に関しては実際にそうなのだろう。

「ハッ……」

 そんな自分がおかしくて思わず笑いが漏れてくるが悪い気はしない。彼女に絆されている自分というものを存外レオナは気に入っていた。
 けれど芽唯自身にならともかく、他人にそんなことを言われて黙っていられるほどレオナは寛大ではない。昼間の鬱憤を今更晴らすようにさらさらと流れる髪を梳き、眠りを邪魔しない程度に触れるだけの戯れを繰り返す。
 そっと額に唇を寄せ、わざとらしくリップ音を立ててみても恥ずかしがる声が聞こえることもなく、頬が赤く染まることもない。平時であればもっと反応しろ、つまらねぇなと彼女を揶揄う言葉をかけるところだが、今は逆に反応がないことを喜んでしまう。
 何が返ってくるわけでもない。告げなければ彼女すら知ることがないレオナの一人遊びのような時間。だが、この時間は何にも代えがたい幸せだ。
 指先で芽唯の唇をなぞると少し瞼が震える。起こしてしまったかと様子を見ていれば、少ししてまたむにゃむにゃと眠ったままの芽唯がぽつりと「レオナ先輩……」と呟いた。

「……俺の夢でも見てるのか?」

 問いかけても答えなんて返ってくる訳がないのに言葉を投げかけ、レオナは静かに口角を上げる。
 寝ても覚めても自分のことで頭をいっぱいにしている芽唯が愛おしくてたまらない。
 夢なんて目覚めたら忘れてしまうだろうに朝が来たら「どんな夢を見ていたんだ?」と聞いてみたいとすら思う。
 きっと芽唯は困ったように首を傾げ「えっと……」とお決まりの言葉と共に微笑んで「幸せな夢だったと思います」と言うに違いない。
 まだ何か零しそうな芽唯を黙って見守っていれば縋るような手がレオナの服をぎゅっと掴む。
 そのまますりすりと頬を寄せ、胸板にぺたりと張り付くように移動した芽唯をさらに抱き寄せたレオナはくつくつと静かに喉を鳴らす。

「本当にお前は……」

 嫌われ者の第二王子。恐ろしい魔法を持つ忌み嫌われた存在。
 散々国で蔑まれてきた男の腕の中に眠った状態でも自ら飛び込んでくる女がおかしくて仕方がない。……おかしいと書いて愛おしいと読むのだとレオナは己の辞書に刻む。

「好きだ、メイ」

 どんな夢を見ているかは知らないが、この言葉が届けばいいのにと願いを込めながら芽唯の旋毛に唇を落とした。

◇◆◇

 ようやく陽射しが室内に入り込んできた。
 眩しさから逃れるようにレオナの胸に顔を埋めた芽唯の顔がくしゃりと歪み、声を漏らしながら片目を開ける。

「んっ……まぶし、……」

 朝であることは理解しただろうにもう一度夢の中に逃げ込みたいのかぎゅっと目を閉じた芽唯は掛け布団を引き上げるとレオナの腰に手を回した。

「っと……随分大胆だな」

 普段ならびくともしないくせにわざとらしく引き寄せられたように芽唯に身体を寄せたレオナは自分からも芽唯の腰に手を回すとその背中をゆっくりなぞる。

「っ……あ、れ……お、おはようございます?」
「あァ、おはよう」

 身体を跳ねさせ、首を傾げた芽唯は顔を上げるとレオナと目が合ったことが不思議だったのか、数度瞬きまた首を傾げた。
 そんな芽唯がおかしくてぎゅうぎゅうと抱き寄せれば、やわい彼女の胸が自分の胸とぶつかりふにゃりと潰れる。けれど芽唯は気にしてないのか同じように力を強めてくるのだから堪らない。
 少しだけ力を緩めて芽唯の髪を梳き、頭を撫で、耳も捏ねるように触れれば恥ずかしそうに首を竦めた芽唯が口を開く。

「あの……早起き、ですね?」

 言外に珍しいと告げている声音がレオナの耳を揺らす。

「そうだな。早起きは三マドルの得だとかラギーがよく言ってるがようやく理解できたぜ」

 普段あまりにも目を覚まさないレオナに対してぐちぐちとラギーが零していたほんの数マドル単位のことわざ。あまりにも小さな額で自分には縁のないものだと思っていたが存外悪くなかった。
 早起き、というよりは寝ていないと言った方が正しいのかもしれないが。

「そ、うなんですね? えっと……」

 ずっと困惑しっぱなしの芽唯は起き上がりたいのかレオナから身体を離そうとする。
 けれど、まだ起きたくなかったレオナは芽唯の身体に手を滑らせて固定すると片方の手で芽唯の顔を自分に向けて上げさえる。

「もう少しゆっくりしてようぜ」
「や、でも……そもそも今って何時ですか?」

 起きた時のレオナと同じようにスマホを探して芽唯の手が彷徨うが、ふわふわと舞う蝶のように動かされたそれを掴んだレオナはその勢いのまま起き上がるとベッドに縫い付けるように芽唯の手を押し付けて跨った。

「れ、レオナ先輩⁉」
「つれねぇじゃねぇか。ンなに急がなくてもいいだろ?」
「で、でも授業が……」
「まだたっぷり時間はある」
「本当ですか……?」

 眉をしかめた芽唯はレオナが起きていた時点で不安なのだろう。
 視線だけでも時計を探し、自分が寝坊したのではないかという疑問を晴らそうと必死にもがき続ける。
 そんな芽唯の行動を無視してぐっと体を倒したレオナは、芽唯の頬に手を添えると額にキスを落とす。そのまま頬に鼻に驚いて閉じた瞼に、……とキスを繰り返していれば眠っている時とは違って「あっあの……!」とか細く戸惑った声が聞こえてきた。

「どうした?」
「や、やっぱりレオナ先輩がこんなちゃんと起きてるなんておかしくないですか? 今って本当に朝なんですか? 本当はお昼だったりとっんんーっ!」

 少し早口で慌てたように捲し立てるうるさい唇をキスで塞いでやればくぐもった声が代わりに響く。
 まだ芽唯も少し寝ぼけているのか、それともキスに酔っているのかはわからないが、最初こそ驚いたものの舌を絡める頃には芽唯からもおずおずと背中に片腕が回される。
 その芽唯の反応に気分が良くなってきたレオナは押さえつけていた芽唯の手を放し、後頭部に手を回して抱き込むようにキスを続けた。

「っん……はぁっ…………」
「…………っは」

 息をするのも忘れたように夢中でキスを続けた二人が顔を離す頃にはお互い息が少し上がっていた。
 くたりとベッドに転がった芽唯が身を起こすので観察していると、まだ諦めていなかったのか芽唯の手がスマホを掴んでようやく時間を確認する。

「まだ五時……?」
「言っただろ、たっぷり時間はあるってな」

 肩をすくめたレオナにスマホを戻した芽唯は頷くが一拍置いて首を横に振る。

「だからって朝からこんな……」
「お前も乗り気だったくせに」
「うっ……」

 レオナの指摘に唇を手で隠した芽唯は恥ずかしそうに首を竦めると「と、とにかく退いてください」と抗議する。

「なんでだよ。まだ時間はあるだろ」
「ある、けど……せっかく起きたんだから早めに準備するとかいろいろあるじゃないですか……」

 頬を赤く染め、まったく説得力のない芽唯はそう呟くと上半身を起こしてレオナの胸を押す。
 早く退けということなのだろうが、その反応があまり面白くなくてレオナはわざと跨ったまま苦しくならない程度に体重をかける。

「ちょっと、レオナ先輩……!」

 下半身の自由を奪われたままの芽唯はぽかりとレオナの胸を叩くがまったく痛くない。
 それに本気で怒っているなら芽唯はもっと抗うはずだ。

「忙しい朝の貴重な時間をいただいて大変申し訳ないが、俺は一晩寂しい思いをしてたんだ。少しくらい構ってくれても良いだろう?」
「一晩……って寝てないんですか⁉」
「寝てはいた。目が覚めて、……そっから起きてるだけだ」
「それを寝てないって言うんじゃ……」

 目を見開いたままぱちぱちと瞬きを繰り返した芽唯は困ったように眉根を寄せるとぽんと枕を叩く。

「ならあと一時間仮眠くらいしてないと……レオナ先輩絶対寝ちゃいますよね?」
「……さあな」

 まあ確実に寝るだろう。そう思いながらも首を捻ったレオナになおも横になれと告げる芽唯を無視して彼女の頬に触れる。

「や、……だからレオナ先輩……」

 ちらりと枕を見てレオナに視線を戻した芽唯の唇を食めば、きゅっと眉を寄せたまま応える芽唯の腕が背中に周る。

「寝なくていいんですか……?」
「後でいい。今はお前が欲しい」
「……もう」

 芽唯は不満そうだが、レオナにしてみれば贅沢な一日の始まりだ。
 一晩中眠った芽唯を堪能し、起きてからは目覚めた彼女を心行くまで味わう。もちろん、ラギーには来るなととっくに連絡をしてあるのでタイムリミットはレオナの気が済むまで。
 そんなことも知らずに、きっと芽唯はラギーが来たらやめればいいとでも思っているんだろう。
 少しずつ身を委ね始めた芽唯を抱きしめながら目を細めたレオナは、早起きもたまには悪くないなと三マドルの価値を噛み締めた。

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