多めに注いで


「おかえりなさいレオナさん」
「お前……先に寝てろと連絡しただろ……」

 ふふ、と笑ってごまかす妻を見つめたレオナは肩を竦める。
 深夜の帰宅になったため、わざわざ静かに音を立てないよう気を使って入って来たというのに無駄な努力以外の何物でもなかったらしい。

「ご飯食べる?」
「……ああ」
「すぐ温めますね」

 簡単なやりとりを交わしてキッチンへと引っ込んだ芽唯は最初からそのつもりだったのだろう。覗き込めば電子レンジのボタンを押して、自身は鍋をかきまわす。レオナがいつ帰ってきてもすぐに温められるように準備していたに違いない。

「………………」

 じっと芽唯の様子をしばらく眺めたレオナは上着を適当にソファに放るとキッチンに踏み込む。
 するとタイミングよく完了を知らせる音を鳴らしたので電子レンジの扉を開け、中身を取り出しラップを外すと恐らく芽唯の手作りであろうハンバーグが湯気を出してレオナの食欲を誘う。

「あれ、こっちに来たんですか? 休んでて良いのに」
「拘束時間が長かっただけで疲れてはいないからな。それにちょこまかと動くお前を見ている方が安らぐ」
「もう……。そこにいるならスープ用のお皿取ってください」
「ん」

 恥ずかしそうに唇を尖らせた芽唯に逆らわず、指示に従って皿を取り出したレオナが近付けば沸騰したスープが注がれる。
 なみなみと注がれたそれを零さないようゆっくりトレーに下ろし、ついでにそのまま自分で飲み物を取りだす。
 テキパキと用意された少し遅めの夜ご飯が完成したのを見計らって芽唯の腰を抱いたレオナは、魔法でそれらを浮かせて先にテーブルへと運ぶ。

「あっ、サラダがまだ!」

 こら!と飛んでいく料理に向かって叫ぶ彼女の手元にあったサラダはそのまま冷蔵庫へ戻したレオナを芽唯は不満げに見上げるが、すぐに諦めてレオナと共にリビングに戻る。
 自分の分だけが並べられた食卓は少し寂しさを感じるが、正面に座った芽唯が両手で頬杖をつきながら笑みを浮かべるので些細なことだった。

「ねえねえ、今日のハンバーグは久しぶりに私が作ったのなんですよ」
「だろうな。見てすぐにわかった」
「えっ、どうしていつも食べる前に当てちゃうの? シェフが作ったかもしれないじゃない」

 王族の嫁になったというに相変わらず芽唯は料理をするのが好きだった。
 もちろん、彼女の言う通りシェフも雇っているので昔よりは腕を振るう機会が減っているのも確かで。だからこそ、自分の手料理を食べるレオナを嬉しそうに眺めているのだろう。

「何年お前の手料理を食ってると思ってるんだ」

 オンボロ寮の監督生と呼ばれていた頃と比べれば使う食材の質は比じゃないが、形や味付けの癖は変わらない。
 適当な大きさに切った肉を口に運べば程よい焼き加減のそれが口の中でほぐれていく。

「俺の一番好きな味だ」

 目を細めてレオナが笑えば芽唯は一瞬きょとんとしたが嬉しそうに微笑んだ。

「そうだ、今度シェフが夕焼けの草原の家庭料理を教えてくれるんです。レオナさんはどんな味が好みなのか教えてくださいね」
「シェフが……?」

 いつも芽唯がキッチンで困らせている己が雇ったシェフの顔を思い浮かべる。
 彼は王子妃と肩を並べて料理するなど恐れ多いと委縮していたのに簡単に心変わりするとは思えない。となれば……。

「『対価にニホン料理を教える』とでも言って唆したのか。まったく、悪い嫁だな」

 片目を眇めながら芽唯を見れば肩を揺らし、バツが悪そうに視線を逸らす。

「だ、だって……じゃないと教えてくれなさそうだったから……」
「ハッ、取引で相手から情報を引き出すなんざ誰に似たんだか」

 特定の誰か……というよりはナイトレイブンカレッジでの経験がそうさせたのだろうとレオナが見つめていれば、指をもじもじとさせた芽唯はうーんと唸りながら「アズール先輩とかかなぁ……」と真剣に考えながら懐かしい名前をぽつぽつと呟く。

「そういえば、アズール先輩が今度夕焼けの草原にお店を出すんですって」
「は? 初耳だぞ」
「私のマジカメに連絡があって『レオナさんと是非ご一緒に』って招待状も送られて来てて」

 ほら、と芽唯がスマホ画面と一緒に差し出したチケットを受け取ったレオナは訝し気にそれを眺めると机の上に放り投げる。

「どうせ『第二王子夫婦御用達』とでも謳いたいんだろ。簡単に箔が付く」

 昔のよしみで招待したい、なんて甘い言葉を使って自分たちを利用しようとする所は相変わらずだ。スマホは芽唯に手渡しで返して彼の店の何倍もレオナにとっては御馳走である芽唯の手料理の続きを食べる。
 屋敷には普段からシェフが常駐しているし、そうでなくても相変わらず野菜を食べろと強制してくるところを除けば芽唯の料理に勝るものなど存在しない。

「オープンからしばらくの間フロイド先輩とジェイド先輩たちもこっちに来るんですって。ノウハウを教えても実践できるかは別だから、落ち着くまでは必ず三人とも新店舗で働いてるらしくて」
「それで? いい機会だから同窓会でもしましょう、ってか。んなお寒いことを考える奴らじゃねぇだろ」

 なによりあの磯臭い三人組に自ら会いたいなんてレオナが思うはずがないのを知ってるくせに。
 不機嫌を隠さず返せば苦笑した芽唯が「でも……」と小さく呟く。

「どうした?」
「もう会いに行きますって返事しちゃって……」
「はあ?」

 一緒に行ってくれないか、という相談かと思っていたレオナは目を丸くする。
 スマホを少しだけスクロールさせた芽唯がもう一度画面を見せてくると先ほどのやりとりには続きがあり『レオナさんと一緒に伺いますね!』と確かに返信した形跡がある。

「お前な……」
「だ、だって……ここ見てくださいよ」

 細い指先がその少し前のやりとりを指差す。どうやら東方の国から珍しい食材の仕入れに成功したらしく、芽唯に調理方法を教わりたい旨とその報酬に食材をもらう約束が取り付けられている。

「メイ…………」

 ぐ、っと眉間にしわを寄せたまま芽唯を睨む。そのまま見つめ続けていると観念したように「ごめんなさい……」と芽唯は肩を落とした。

「で、でもレオナさんに食べて欲しくて……。王族御用達とかそういうのは勝手に言わないでくださいねって約束もしてあります!」

 指先でスマホ画面を突いた芽唯に従って文字を追えば、確かに彼女の言葉に「わかりました」と返事がされた形跡はある。

「だが、俺たちが足を運べばそれだけである程度注目はされるだろ。まさか自分たちにどれだけ世間が注目してるか第二王子妃様は御存じないと?」
「知ってます! それは、ちゃんと……その……」

 もごもごと口籠った芽唯は恥ずかしそうに頬を染めるとコレクションしている切り抜きを収めているアルバムが入っている棚を見つめた。
 最初の頃はレオナ単独の記事が多かった。けれど、二人の婚約発表や結婚式以降、公の場に芽唯が出る機会が少しずつ増えて『第二王子夫婦』として扱われることが増えた今では夫婦セットのものや芽唯単独の記事もちらほらとファイリングされている。

「で、でも! ちゃんと『レオナさんが許可をくれたら』とも言ってありますし、忙しいだろうから無理かもとも言ってあって……」

 しょんぼりと肩落とした芽唯は小さく縮こまりまた「ごめんなさい……」と小さく謝る。

「……別に、そこまで怒っちゃいねぇよ。上手いことタコ野郎に乗せられてるのが気に喰わないだけだ」
「ほんとに……?」

 申し訳なさそうに瞳を伏せていた芽唯がちらりと顔を上げてレオナの様子を窺う。
 そんなに萎縮されるほど怒ってみせたつもりはないのだが……。思わず少しため息をつきたくなったが、それも彼女を怯えさせかねないとそっと飲み込む。

「けれど、あいつらに手に入れられるもんなら俺にだって用意してやることくらい……」
「あっ、それに関してはルートが複雑というか、アズール先輩からケイト先輩を通じて、そこからさらにサムさんが関わってるとかなんとかで」

 なんだっけ、と芽唯は記憶を辿るように視線を彷徨わせながら複雑な入手ルートとやらを教えてくれた。
 黙って聞いていればアズールだけでなくナイトレイブンカレッジで彼女と深く関わっていた人物の名前がつらつらと挙げられ、最後はマレウス・ドラコニアの名前で締めくくられ、一瞬レオナの動きが止まる。

「おい待て。そこでトカゲ野郎が関わってくるならお前にだって入手できるだろ。そもそも、最初からタコ野郎を通す必要がない面子ばかりじゃねぇか」
「そう……なんですけど」

 しまった、と顔に書いてありそうな表情で口に手を当てた芽唯は視線を逸らして口を閉じる。
 えーっと……と呟いた芽唯は以前レオナと婚姻をする際に後見人が必要となり、立候補した名だたる人物の中からマレウスがじゃんけんで勝ったため書類上は彼の養女ということになった。
 二人の関係性は友人であり、義親子であり、実際に会えば彼の少し精神的にまだ幼い部分がそうさせるのか芽唯の方が姉に見えることもある。
 例の事件を経て生ける災害認定されたマレウスだが、そんな男が後見人として芽唯についたのはレオナと芽唯の婚姻を強く後押しする結果となった。二人の結婚に反対派だった者たちが一斉に掌を返したのだ。
 それもそうだろう。義理とはいえ彼の娘が嫁いでくるとなれば夕焼けの草原の王室に茨の谷の王室に深い繋がりができることになる。
 実際、結婚式に招待されて機嫌のいいマレウスはこの国の末永い繁栄と二人の子孫には必ず祝福を贈ろうと参列者の前で誓った。
 もちろん、義娘である芽唯や、いつか産まれてくるかもしれない子供たちが幸せである限り……という条件付きで。

「……お前、何を隠してる?」

 マレウスだけじゃない。レオナと芽唯なら熱砂の国の大富豪であるアジーム家とも簡単に取引が出来るし、そもそもで芽唯が頼めばすぐに頷く者たちの名前しか挙がっていないのも不可解だ。

「………………」

 困り果てて口を閉ざした芽唯が諦めたようにスマホを伏せる。

「……本当は食材をわけてもらうって話は嘘なんです。あ、ツノ太郎を通して私が直接譲ってもらうので手に入らないわけじゃないんですけど!」

 どこから話すべきか悩んだように視線を彷徨わせた芽唯はカレンダーをちらりと見る。

「今月ってレオナさんの誕生日でしょう……?」
「……そうだな」

 芽唯の手書き文字で彩られ、誕生日!とその日は今月の末にやってくる。

「だから、お祝いどうしようかなって考えてたらアズール先輩から夕焼けの草原でお店を開けることになったって連絡が着て」
「それは嘘じゃねぇのか」

 そこも含めて嘘であってほしかったが、どうやら彼の事業はだいぶ成功しているらしい。

「レオナさんが気にしてた通り、私たちに来てもらえればそれだけで宣伝になるから……って招待されたのも本当で……」

 言葉を選びながらたどたどしく説明する芽唯はレオナの顔をちらちらと覗き見る。きっと怒られないか不安なのだろう。そんな彼女を欠伸交じりに見守るレオナは「それで?」と続きを促す。

「さっきやりとりを見せた通り『宣伝に使われるのは困る』って伝えて。そしたら今月の末はレオナさんのお誕生日だからサプライズパーティーでもしないかって……」
「パーティー?」

 わざわざアズールの店に集まらなくても屋敷で出来るであろう催しにレオナは首を傾げる。

「今年はレオナさんがとびっきり驚くパーティーにしたいって相談はずっと前からしてたんですけど、会場としてオープン前の新店舗を貸してあげるからあの頃のナイトレイブンカレッジ生を呼んだらいいって」
「あの頃……ってのはお前が入学した年のってことか?」
「はい! うちで準備すると全部レオナさんにバレちゃうから、だったらお店の方でこっそり準備してあげるってフロイド先輩とかも言ってくれて」

 もじもじと指を動かす芽唯はレオナの顔色を窺いながら続ける。

「シェフに日本料理を教えるって約束したのもそのパーティーが理由なんです。私は事前に会場を出入りするわけにはいかないでしょう? だから、彼にあっちでいくつか作ってもらうことになってて」

 芽唯の話を整理すると、レオナの言った同窓会というのはあながち間違っておらず、ただそのメンバーがレオナの想像よりもかなり多く、振舞われる料理は芽唯の故郷のものも含まれている。
 そしてレオナに内密にするために調理するのは自由が利くシェフであり、だから芽唯は前もって彼に日本料理の作り方を伝授することとなった……と。

「ハッ、多忙な身の上でわざわざ集まって直接俺の誕生日を皆様がお祝いしてくれるって? どうせこいつに会う理由を作りたかっただけだろう」

 そう言って鼻で笑ったレオナは揺り籠の前に移動すると寝息を立てている我が子の頬にそっと触れる。

「ったく、この俺をダシにしやがって」

 起こさないよう慎重に柔らかな頬を押せば小さな唇がむにむにと動く。
 家族であるグリムとレオナの側近として働いているラギーを除けばこの小さな命に会うことが叶ったのはアジーム家として堂々と王家に赴けるカリムとジャミル。そして芽唯の義父ということになっているマレウスと彼の護衛としてやってきたリリア、シルバー、セベク。
 エースたち一年生組や元サバナクロー寮生たちもこちらの都合に合わせてもらう形で呼んだことはあったが、一部の多忙を極める者たちは未だに会ったことがない。

「うっ……、ヴィル先輩とかも『いい加減会わせて』って凄くて……。気が付いたらとんとん拍子で決まっちゃってたんです……」

 きっと流石に猛獣使いと呼ばれてきた芽唯も口を挟む隙がなかったんだろう。あのメンバー全員が同じ考えを持って動けばオーバーブロットしたマレウスだって止められる。
 隙のない計画に勝手に組み込まれた芽唯は黙って頷く以外の選択肢を与えられなかったのが目に浮かぶ。
 隣に並び、小さな声で「ごめんなさい」ともう一度謝ってきた芽唯の腰を抱いたレオナは黙って首を横に振る。

「俺にもしつこく連絡を寄越してきてたからな。そろそろどうにかしないと押しかけてきそうな勢いだったのもわかってる」

 お忍び、という形にはなるのだろうがあのヴィル・シェーンハイトが第二王子の屋敷を出入りしその子供を抱えて喜ぶ姿などパパラッチが喜びそうなシーンでしかない。

「タコ野郎のことだ、その辺の配慮は抜かりなくしてあるんだろう?」
「はい。ゲストのプライバシーは守るって約束してましたから」
「ならヴィルの野郎がギャーギャー騒いでも平気そうだ」

 何度か聞いたことがあるヴィルの肺活量を惜しみなく発揮した悲鳴を思い出したのか、耳をぺたりと伏せたレオナは肩を竦める。

「この子がびっくりしちゃうから流石にそんなに叫ばないとは思いますけど……」

 苦笑し、レオナに寄り添った芽唯は我が子を見つめながら頬を緩ます。

「みんなに愛されてますね」
「俺たちからの愛情だけで十分だろ」
「ふふ、いいじゃないですか。愛情は多くても困りませんよ」

 ぎゅっと腕を絡めてくる芽唯の頭を撫でながら目を細めたレオナは我が子を見つめる。
 嫌われ者の第二王子と何度も称していた自分の子供がこれほど誰かに愛されることになるなんて、あの頃は夢にも思っていなかった。
 この小さな命は幼い自分のように誰かに恐れ、忌み嫌われながら生きることはないと願いたい。
 もしかしたら未だにレオナを良く思わない者の言葉を聞くことはあるかもしれないが、少なくともこの屋敷にそんな愚か者は踏み込ませない。
 じっと見つめていると小さな瞼が震えて持ち上がる。
 蕩けたサマーグリーンと目が合ったレオナは同じ色の瞳で見つめ返して笑みを深めた。

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