契約完了


「異性から見て魅力的な女性になりたい……?」

 思いもよらぬ言葉に瞳を瞬かせたアズールの目の前で少女は恥ずかしそうに頬を染める。

「はい……」

 ただでさえ男性ばかりの学園で目立つ華奢な体をさらに小さくさせ、ソファの上でもじもじとする彼女……芽唯はおずおずと頷くとアズールを真っ直ぐな瞳で見つめ口を開く。

「その……無理でしょうか?」

 アズールの反応を不可能だと受け取ったのか。悲しそうに眉根を寄せる芽唯の姿を見てハッとしたアズールはズレた眼鏡を直してわざとらしく咳払いをする。

「ンンッ、ゴホン! ぐ、具体的に誰に……というのはあるのでしょうか。あまり抽象的すぎる願いでは僕とあなたの間で『叶った』と判断する基準がズレる可能性があります」
「えっ……⁉ あの、そのっ…………」

 一応問いかけてみたものの、口籠る芽唯を見つめるアズールの脳内には既に一人の男の姿が浮かんでいた。
芽唯はよっぽどその名を口にするのが恥ずかしいのか、困ったようにきょろきょろと意味もなく室内を見渡し逃げ道を探す。
 密室と呼んでいいVIPルームでそんなことをしても無駄だとわかっているだろうに……。いくらか冷静さを取り戻したアズールはじっくりとそんな芽唯の様子を見つめながら思考を巡らせる。
『魅力的な女性』というなんとも抽象的な願い。彼女のそれは不特定多数に対する者でなく、アズールの想像する人物に対してという意味で間違いないだろう。
 彼女の性格的にも、問いに対する反応を見ても『いろんな男の子にちやほやされたい』なんて頭の沸いた願いではないと断言できる。
 なにより、彼女はこの学園の中では大変珍しいことだが、他人の庇護欲を掻き立てやすいタイプで元々味方も多い。
 最初の内は事情を知らない者からのやっかみや謂れのない誹謗中傷。挙句の果てには仲良くなった生徒を絡めたバカな憶測が飛び交うこともあったようだが、今では平和な学園生活を謳歌している。
 もちろん、それは彼女が信頼という手札を自力で手に入れ。女王自慢のトランプ兵、獅子の群れに……と人脈を広げた努力の賜物。
 魔法も使えず、性別すら入学規定に沿わない彼女は特例で学園に籍を置いているせいで苦労もしただろうが、今更有象無象に囲われたいと願うような環境でもなければ、そんな性格でもないことはアズールもよく知っている。

「その……」

 遠慮がちにふっくらとした可愛らしい唇が震え音を紡ぎだす。
 男子校で聞くには不自然な、けれどアズールの日常にもすっかり馴染んだ声が鈴を転がすように響いた。

「れ、レオナ先輩……なんですけど」

 ようやく捻り出された名前を聞いたアズールには想像通りの名前だったが、馬鹿にすることもなく「レオナさんですね」とあくまで紳士的に頷く。

「……レオナさんとあなたはだいぶ親しいと思うのですが、関係性の進展をお望みと言うことでよろしいですか?」
「えっ⁉ ち、違います!」
「おや、違うんですか? てっきり僕はレオナさんと恋人になりたいと、そういうい願いなのだとばかり」
「えぇ⁉ な、なんでそうなっちゃうんですか! 魅力的に見えるだけ! 見えるだけでいいんです!」

 慌てたように両手を振って否定する芽唯はさらに顔を真っ赤にさせて狼狽える。
顔の血管が拡張して肌が赤く見えることを陸では「茹蛸のよう」と例えることがあるそうだが、光の届きにくい水中とは異なり、確かに熱せられた蛸のように見事に赤く映るものだとアズールは感心しながら首を傾げた。

「というより、僕はあなたとレオナさんは既にお付き合いをしているものだとばかり思っていたのですが」

 かちゃ、と眼鏡を直すアズールはレンズ越しに芽唯を見つめる。戸惑った芽唯は未だに「ち、ちが、ちがくて」と否定の言葉を続け、落ち着くまでにはしばらくかかりそうだ。
 耳まで真っ赤にさせた芽唯はもっと周囲の視線にさらされる場所であれば、揶揄われ続けて冷静さを取り戻すことはなかっただろう。
 けれど、ここにはアズールしかいない。少し温くなり始めた紅茶を啜りながら眺めていれば、芽唯は自分の両手で頬を冷やしながら少しずつ落ち着き、やがて自分から話を続けた。

「レオナ先輩は親しくさせていただいてるだけでお、お付き合いはしてない、です」

 どもりながらやっとの思いで芽唯が吐き出した言葉。大抵の生徒ならば「そんなの嘘だろ」と否定するだろう。しかし、アズールに芽唯を揶揄う趣味はない。なにより、彼女の後ろには問題のレオナがいる。揶揄った、泣かせた、悲しませた。そんな表現が自分の名前と共に耳に入ろうものなら王族という太客とのパイプを失うことになるかもしれない。
 芽唯の自認はどうあれ、彼女がレオナの特別であることは周囲からすれば変えようがない事実であり、既に将来のことを見据えて日々を過ごしているアズールにとって、芽唯はかつて金庫に大事に保管していた大量の契約書と同じくらい大事に扱わねばならない存在だ。

「……それは失礼しました。では、詳しく願いの理由をご説明していただいても?」
「はい……」

 これはビジネス。しかも相手は大きな魚を釣ることが出来る大事な餌にもなる稚魚。
 それを踏まえて優しく声をかければ芽唯はぽつぽつと言葉を零す。

「出来る限りレオナ先輩の記憶にきれいな思い出として残りたいんです。いつか、遠い未来でふと振り返った時に『学生時代にこんな奴もいたな』って。私を思い出してくれた時に良い印象を持ってほしい……って言うんでしょうか」
「それは…………」

 つまりレオナの傍を離れると。そういうことか。
 思わず口先から出そうになった言葉を慌てて飲み込み「いえ、続けてください」と話を促す。
 一瞬きょとんとした芽唯は特に気にする素振りもなく「だから……」と続きを語り始める。

「レオナ先輩に好印象を持たれる感じになりたいというか……えっと……」

 上手く自分の気持ちを表現する言葉が見当たらないのか。芽唯はえーっと、えーっとと悩み、俯く。
 そんな芽唯の様子を黙ったまま見つめたアズールも、なんと返すべきか悩んで部屋を沈黙が包む。

 ──記憶。思い出。

 つまるところ、芽唯はいつか自分はレオナの中で遠い記憶の中にしか存在しない相手になる予定なのだと、そう語っている。
 そしてレオナが古いアルバムと化した相手との思い出を振り返った時に、自分という存在が彼にとってより良いものとして残ってほしい。
 多少かみ砕いているが、要はそういう願いを持って自分を訪ねたのだろう。

(なんとも面倒……じゃない、無駄な願いを……)

 彼の獅子が芽唯を気に入っていることは誰が見ても明白だ。
 常に手元に置き、有事には誰よりも先に彼女を支えて力になる。
 アズールがオンボロ寮を手に入れ損ねたのも、芽唯がレオナという怠惰な獅子を動かすに足る人物だったからだというのに。当の本人はいつかあの獅子から逃れられると本気で思っているのだから頭が痛い。

「……でしたら、僕ではなくまずはヴィルさんに相談すべきでは? 自分を魅せるという分野でこの学園で彼の右に出るものはまずいないでしょう」

 旨味もなければ面白みもない顧客を波風立てずに手っ取り早く追いだせないか考え始めたアズールはパッと思い浮かんだ人物の名を適当に挙げる。
 直感、というより誰でも辿り着きそうな答えだが最適解であることは間違いない。
 なによりヴィルが芽唯のことを妹のように可愛がっているのは学園内では有名な話だ。身なりを整える余裕もなかった芽唯にあれやこれやと世話を焼き、彼曰く泥のついたジャガイモだった芽唯は少しずつ蛹が蝶になるように美しさを身に着け始めている。
 だが、ヴィルの名を聞いた芽唯は「えっ」と驚いたように肩を跳ねさせ、次の瞬間には気まずそうに目を逸らす。

「ヴィル先輩にはその……結構お話を聞いてもらってて……」

 ぽぽ、と芽唯の頬にまた朱が差した。

「きれいな思い出として残りたい、なんて言ったらきっと怒られちゃうから」

 そう言って困ったように笑った芽唯は肩を竦めると唇を噛み締める。
 彼女の反応を見るに所謂『恋愛相談』というものを彼には日常的にしているのだろう。
 そしてヴィルのことだから、身を引こうとする彼女を叱咤し、場合によっては冷たく突き放す。
 アズールと同じく一分一秒を大事にして、自分の糧にする努力をしているヴィルにしてみれば、自分の世界とレオナの間で揺らぐ芽唯という存在はもどかしく、無駄なことをしているように映ることも多いに違いない。

「……あなたがとても複雑な立場だということは僕も理解しています」

 いつ元の世界に帰れるかわからない。裏を返せば、いつレオナと離れ離れになってもおかしくない。
 こちらに突然来たように、帰還も突然でしかも一方通行。もう二度と会えない存在に一秒後になっていた……なんて未来が目の前に迫っている可能性は十分ある。
 だからこそ芽唯は「レオナの記憶に良いものとして残りたい」という願いを携えて自分の前に現れた。
 幾多の願いを叶えてきたアズールにとって複雑に捻じれた芽唯の願いを理解することは簡単だった。だが、叶えられるかといえば微妙なところだ。

「大体の事情はわかりました。いくつか質問してもよろしいですか?」
「は、はいっ」
「では……。レオナさんの良い思い出になりたい、とおっしゃいましたが、その時あなたの中でレオナさんは良い思い出として残るのですか?」
「え……?」

 問われたことが一瞬わからなかったのか一瞬固まった芽唯はぱちぱちと瞬きを繰り返してから目を見開くと悲しそうな、辛そうな表情をして目を伏せる。

「どう……でしょう。大切な思い出として残るとは思いますけど……振り返って……すぐ寂しくなっちゃうかも……」

 恐らく元の世界に戻って、離れ離れになって二度と会えない状態を想定しているのだろう。
 この学園での日々を芽唯が楽しんでいることはアズールも知っている。たまに見かける彼女はいつもレオナやトランプ兵、そしてあの魔獣と一緒に学生生活を謳歌している。
 同じ世界の住人であれば卒業後も続くのだろう。そんな縁を他人である自分にも感じさせる程度に仲がいい。
 しかし、芽唯が抱えている問題はそんな未来を簡単に打ち砕く。
 異世界人である芽唯との時間は互いにとってつかの間のもので、別れが訪れた後は生涯会うことは叶わなかった……。そんな未来が訪れた場合、相手を振り返ってただ笑みだけを浮かべられる人間はそう居ないだろう。
 質問を受けて目を伏せたままの芽唯を見つめたアズールは次の言葉を投げかける。

「レオナさんもあなたと同じ……とまでは言いませんが、彼が『あなたに会えてよかった』なんて単純な思い出として処理する方だと僕は認識していないのですが、メイさんから見てどうでしょう?」

 レオナの芽唯への執着は明らかだ。関りの薄い生徒なら二人は既に付き合っていると勘違いしてもおかしくない程度には。
 実際、アズール自身もどちらなのか判断しかねていた。
 怠惰な獅子と言われるあのレオナが傍から見てもわかる程度に一人の女性に執着していて。そんな相手が自分の手元を離れた時に彼が簡単に過去にするとは思えない。
 持てる知識や財力に権力を総動員し、文字通り世界の果てまで追いかけてくる。異世界などという訳のわからない場所に逃げたって逃してなんてもらえない。

「それは……」

 戸惑いながらゆっくりと目を開けた芽唯もきっとわかっているのだろう。

「一生ただの後輩として在りたい、という願いなら叶えてさしあげられますがリスクが大きすぎる」
「そうなんですか……?」
「特殊な魔法薬を服用させることができれば……ですが、危険性の多い薬ですし、なによりレオナさんの鼻の良さでは薬に気づかれてまず口にさせることは出来ないでしょうね」
「……そっか。そうですよね……」

 残念そうに肩を落とした芽唯を見てアズールは少し肝が冷える。
 もしも簡単な願いだと伝えていたなら芽唯は「是非それを」と強請ったのだろうか。
 元の世界に帰ることを諦めていない芽唯にとってレオナはただの足枷にすぎないのかもしれない。この世界への未練であり、帰る手段が見つかった時には迷いになる。
 下手をすれば「レオナを忘れたい」なんて願いを持ち込んでくる可能性もあるだろうとアズールは思っている。

「役に立てなさそうで申し訳ありません。ああ、それと……こちらはお返ししますね」
「はい……」

 指先でアズールが芽唯に押し返したのはラウンジのポイントカード。
 まだ願いを聞き届けるには点数が足りないが、集めきった際に自分の願いを叶えられるかを確認したいと手渡されて預かってそのままだった。
 時折彼女がモストロ・ラウンジに来ていたのは把握していたが、まさか願いがあんな内容だとは思わなかったのでだいぶ意表を突かれてしまった。上手く対応できただろうか。

「でも、アズール先輩にも叶えられないお願いってあるんですね。意外でした」

 少し落ち込んだ様子はすぐになりを潜め。いつもの柔らかい笑みを浮かべた芽唯がくすりと笑いながらアズールを見る。

「叶えられない? まさか。僕はそんなこと一言も言っていませんよ」
「えっ、でも……」

 返したポイントカードを鞄にしまった芽唯が首を傾げると同時にこんこんと控え目なノック音がVIPルームに響く。

「アズール、メイさん。少しよろしいですか」

 口を開いたままだった芽唯は遮るようなジェイドの声に慌てて口を手で押さえるとアズールを見て頷いた。

「構いませんよ。ちょうど話がまとまったところです」
「失礼します。メイさん、あなたにお客様ですよ」
「私に……? ……っ⁉」

 ゆっくりと開かれる扉を見つめていた芽唯は、ジェイドが入室すると彼の後ろに居た人物の姿を見て肩を跳ねさせ驚く。
 ずるりとソファから滑り落ちてしまうのではないかというくらい跳ねた身体はどこか怯えているように見えて、捕食される寸前の小動物と姿が重なる。

「なっ、なななななっ、なんでここに⁉」
「それはこっちの台詞だ。なんでこんなところに居やがる」

 不機嫌そうな声が響くと同時に、海の中にあるはずのオクタヴィネル寮に乾いた風と砂の匂いが運ばれきたような錯覚を覚えたアズールはため息をつく。
 彼の声がどこか飢えを滲ませているように感じたのはアズールの気のせいだろうか。
渇いて仕方がないと、そう訴えるような低音を響かせ眉根を寄せたレオナがつかつかとやってくると芽唯の前までやってきて彼女の腕を掴む。
 掴む、と言ってもそのまま無理やり立たせるなんてことはせず。するりと服の上を滑って大人しくレオナに身を任せていた彼女の手まで辿ると、その手をぎゅっ握って黙り込む。
 捕まっていない手を不安そうに胸の前で握りしめた芽唯は戸惑いながらも「あの……」と口を開くとアズールをちらりと横目で見たかと思えばすぐにレオナに向き直る。

「す、少し相談に乗ってもらってて……でも、もう大丈夫です。それよりレオナ先輩こそなんでここに?」
「…………さあな」

 互いに歯切れの悪い会話を続ける二人を黙って見ていれば、レオナは開いている方の手で芽唯の荷物を掴むと「行くぞ」と声をかけた。

「でも……」

 レオナが目の前にいる手前、具体的なことが言えなくなってしまった芽唯が困った顔でアズールを見るが、彼女の視線が逸れたと同時にレオナが露骨にため息をつくのですぐに視線が戻される。

「もう終わったんだろ。なら、こんな磯くせぇ場所からさっさと出るぞ」
「ちょ……っ待ってください、レオナ先輩っ!」

 するりと芽唯の手を離すと、有無を言わさず部屋を出たレオナに慌てて立ちあがった芽唯は出入口付近で一度立ち止まると律義に頭を下げてから部屋を出る。
 無情に置いていったように見えたが、ぱたぱたと彼女が駆ける音と「レオナ先輩!」と必死に呼ぶ声はすぐに止んだので、レオナはただ出ていく口実を作りたかっただけなのだろう。

「これで無事願いは叶えられましたね、アズール」

 慌ただしい二人が去るとくすりと笑ったジェイドが扉を閉め、それを合図にソファに座ったままのアズールがマジカルペンを振って机からポイントカードを取り出した。

「まったく……こんなことを願うのは彼くらいですよ」

 ポイントの貯まりきったカードを預かったのはいつのことだったろうか。
 そもそも、アズールへの相談がモストロ・ラウンジでの飲食によるポイント制になったこと自体がつい最近だ。
 このカードの持ち主があっという間に溜めきることが出来たのは、莫大な財力を持っているだけでなく、提供されたメニューを食いつくすことが出来る人員を揃えられる人物だったからで。学園内にそんな人間は数えるほどしかいない。

「『メイさんが僕に相談を持ち込んだ場合すぐにレオナさんに知らせ、話は聞くだけで願いは叶えない』たったそれだけの為にここまでするとは……」
「ですが、僕たちにしてみれば『たったそれだけ』のために売り上げも伸びて、面倒な願いを叶える必要もない。良い事じゃありませんか」
「旨い話過ぎて落ち着かない……。これならまだ『彼女の相談内容は聞くだけに留めて、全部自分に横流ししろ』と言われた方がしっくりくる」

 もちろん、そんなことは守秘義務に反し、イメージダウンに繋がる恐れがあるので出来ないのだが。
 用済みになったレオナのポイントカードを魔法で処分したアズールは肩を竦め、どうにも腑に落ちないが願いを叶えて仕事を終えたのは事実なのだと自分を納得させて立ち上がる。

「……なにはともあれ契約完了。さあ、次の仕事をしないと」

 今日はこれ以上あの少女とも、彼女を歯牙に掛けようとしている獅子と会うことはきっとない。
 モストロ・ラウンジに満ちた乾いた砂のような気配は、あの二人が去ると泡のように消えてなくなっていた。

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