獅子は待てと爪を隠す


 やけに疲れた顔をしている。
 理由はそれだけだった。

 いつも通り弁当を抱えてやってきた女の顔色が青白く、レオナは思わず勢いよく身を起こした。
 普段なら植物園に訪れた彼女に「あぁ」とか「座れ」とか端的な言葉を発する獅子の意外な動きに芽唯が驚いたのは言うまでもない。

「せ、んぱい?」

 こぼれ落ちるのではと思うくらい見開いた瞳を瞬かせ自分の顔を見る姿は悪くなかったが、いつもなら薔薇色がさした甘く柔らかそうな頬は青ざめ、まるでゴーストのようで落ち着かない。それに普段ならやかましいから連れてくるなと言い聞かせてある魔獣が彼女の肩の上に乗ったままで、その毛玉は心配そうに何度も彼女の顔を見ている。
 レオナは瞳を伏せ、数秒思案すると自分の隣を片手で叩き芽唯に座るよう促した。

「おいレオナ!今日は子分は…!」
「午後の授業おまえサボれ」
「ふなっ!?」
「え、でも!」

 噛み付くように話し始めたグリムの言葉を遮ってレオナが告げると一人と一匹は同時に驚く。

「いいからサボれ。毛玉が出てりゃ問題ねぇだろ」
「そういう訳には…私たち一応セットで一人扱いなので……」
「おい毛玉、こいつがいつもつるんでる奴らに言えば事情はわかるな?」

 ハーツラビュル生のハートとスペードの二人組を思い出す。グリムの反応からして周囲は恐らく彼女の不調に気付いているのだろう。レオナはポケットからスマホを取り出すと画面を開く。

「おまえに子分を任せるなんて不安なんだゾ!」

 ふしゃーと威嚇するように毛を逆立てる姿は猫そのもので、そんなグリムをレオナは鼻で笑う。

「おまえら腑抜けどもよりは大事に扱えると思うが?」
「なんだと!?」
「女の扱いがなってねぇんだよ。いいからさっさと行け」

 見もせずにしっしと手の動作だけで追い払えばグリムはぐぐぐ…と悔しそうな声を上げた。また何か言い返すのかと思えばすとんと芽唯の肩から降り、彼女が持ってきたバスケットを漁り始める。
 ガサゴソと小さな手で荷物を掻き分けると小さなお弁当箱を大事そうに抱えて取り出した。

「任せて大丈夫なんだな」
「当たり前だろ、俺を誰だと思ってる」
「オマエだから心配なんだゾ!」

 ぼっ!と小さく炎吐き出して威嚇すると「オレ様行くんだゾ!」と器用に両足で歩きながらグリムは植物園から出て行った。
 二人の会話を黙って聞いていた芽唯はグリムが去った方向を呆然と見つめている。

「ったく……やっと静かになった」
「ごめんなさいレオナ先輩。いつもは絶対に行かないって自分から拒絶するのに今日は一緒に行くって聞かなくって」

 眉尻を下げて謝る芽唯の顔色は少し座って休んだからか、先ほどよりは赤みが戻ってきている。と言っても普段からは程遠く、具合が悪いことは一目瞭然だ。レオナは用が済んだスマホを傍に置いて一息つく。
 
「いや、いい。手間も省けたしな」

 グリムがいなければラギーか、もしくは彼女と同学年のジャックに教師に一言伝えるよう頼む羽目になっていた。無断でサボればいいとも思うが生真面目な少女はそんなことをすれば休まるものも休まらないというものだ。

「あの、それで私何をしたら?」
「あ?」
「何かやらせたいことがあったからサボれって言ったんじゃないんですか?」

 こいつマジか。敷物を広げ、昼食の準備をし始めていた芽唯を見てレオナは目を丸くした。
 生粋な真面目人間だとは思っていたが、まさかここまでとは思っていなかったレオナは頭を抱え深くため息をつく。あ、幸せが逃げちゃいますよ。なんて子供のようなことを言う芽唯のことはこの際スルーする。

(まさか自分の体調なのに自覚がない?草食動物ってのはそこまでバカなのか……?)

 今朝鏡は見たのか、自分の体のことだろ、どんな言葉で指摘しようかぐるぐると脳内を単語が駆け巡る。
 いや、ダメだ。彼女は午前中はこの状態で授業を受けてきた。ということは周りが何を言っても自身の体調不良を認めなかったということに他ならない。
 ふわふわしているようで妙なところで頑固なこの少女が一度言い出したら聞かないことは、オンボロ寮を担保に取られた時にレオナは重々承知していた。
 朝まで騒ぎ通されたことを思い出し、こちらまで具合が悪くなってきそうだったがレオナは余計な思考を首を振って吹き飛ばす。

「来い」
「えっ!?」

 何を言っても無駄だと判断したレオナはバスケットの中身を取り出そうとしていた腕を引っ張り彼女を引き寄せた。
 突然のことにバランスを崩した芽唯だったが、レオナがすぐさま支えるように腰に手を添えたので何も倒すことなく綺麗に彼の腕の中に収まった。

「ちょ、先輩!お昼は!?」
「んなもんあとでいい、寝ろ」
「まっ…もしかして先輩もサボる気なんですか!?」
「あ?当たり前だろ。だから飯は起きてからでいいだろ」
「そんな!もう!ラギー先輩困っちゃいますよ!」

 もぞもぞと腕の中で暴れる少女の力は弱々しく、抑え込むほどでもないなとレオナはあくびを一つ零す。羞恥心からか少し赤みがかった頬に気分は良くなるが人の腕の中で別の男の名前を呼ぶのはいただけない。

「そ、それにこんな…見られたら…」
「あァ…安心しろラギーなら来ねぇよ」
「まさかさっきスマホ弄ってたのって…!」

 そう、レオナは先ほどグリムとのやりとりの最中にラギーに連絡を入れていた。せっかく草食動物を囲って寝るチャンスなのに邪魔に入られたらたまったもんじゃない。

「わかったなら大人しくしろ。離す気もねぇし誰も助けにゃ来ねぇよ」

 己の足を彼女の足の間に割り込ませ、ついでに尻尾も巻きつけてしまえば漸く観念したのか芽唯は暴れるのをやめた。
 それでいいと背中を優しく撫でてやると自分の胸板に頭を預けてくるものだからレオナは心の中で笑いが止まらない。
 なんて無防備な草食動物なんだろうか。肉食獣の腕の中で甘える姿は愚かを通り越して哀れに思えてくる。これでは食ってくださいと言っているようなものじゃないか。
 ぽんぽんと王宮でチェカにするようにリズムをつけて背を叩けば段々と芽唯の頭がうつらうつらと船を漕ぎ始める。

「そのまま寝ちまえ」
「レオナ…せん…ぱ……」

 ゆっくりと目蓋が落ちて、キラキラと自分を見上げる宝石のような瞳が見えなくなれば彼女はもう夢の中の住人だ。

「イイ子だ」

 ふっと口角をあげるとレオナは芽唯の髪をかき分けその額に唇を落とす。わざとらしくリップ音を立てても芽唯はぴくりともせず、そうとう深い眠りに落ちていることがわかる。
 背中に回していた腕を頬に伸ばして優しく包み込む。起きている間は興奮で多少赤くなったが、やはりこうして見ると青白く苦しそうに眉間に皺も寄っている。

「無理しやがって……」

 起こさないよう慎重に指先で触れれば、いつもなら潤っている唇も少しガサついている。ヴィルに見つかれば「この芽じゃが!!」と怒声と共にリップクリームが飛んできただろう。
 どうせ気付かれないだろうしキスの一つでも落としてやろうかとレオナは顔を近づける。少し開いた唇の隙間から漏れた吐息がレオナのそれを掠める。

 あと少し、あと数ミリで触れ合う。

「…………ちっ」

 重なりそうな瞬間、レオナは舌打ちをして顔を離した。違う。違う。そうじゃない。奪うだけならいつでもできる。こんな病人の寝込みを襲ってどうする。

「……ったく俺は何してんだ」

 また噛り付きそうになっても次は止まる自信がなかったレオナはもう彼女の顔を見ないようにその頭を抱え込む。
 肩に流れた一房からヘアゴムを外すと滑らかだが少し痛んだ髪に指を這わせ、編み込まれた髪を丁寧に解く。ヴィルが何か与えていた気がしたが今度何か理由をつけて自分もヘアケア用品でも贈ってやろう。髪は女の命だとか何かで聞いた気もするし、学園長から支援されている身でどうのと宣っては自分のことを疎かにするこの女には多少強引にでも色々と与えていくべきだと今日の様子を見てレオナは判断した。
 ヘアゴムを芽唯のポケットに押し込むと自身も眠りにつこうと目を伏せる。抱きしめた身体は多少肉付いたがやはり少し痩せ細っているように感じる。隙間風も多いオンボロ寮でこんな不健康な体で過ごしていれば当然体調も崩しやすいだろう。昼飯だけでなく怪しまれない頻度で夕飯も作らせるか?いつかこの少女には想いを告げ、自分と共に国に来てもらう算段をしているというのに、こんな調子ではその前に体を壊してしまいそうでレオナは不安だった。
 頭頂部が顎を乗せるのに丁度いい位置にあったのでぐりぐりと押しつければ「んん……」と芽唯が少し呻き声を上げる。ぎゅっと自分のベストを握る手の力が強まりレオナは口角を上げる。

「起きてる時もこれくらい素直だといいんだがなァ?」

 そうやって自分にどんどん甘えてしまえばいい。縋り付いて、手放せなくなって願えばいい。
 お前のわがままなら例えどんな事でも叶えてやろう。

 レオナはそんなことを思いながら彼女が待つ夢の中へと己も落ちていった。



◆◆◆◆



「こりゃまたお熱いことで…」

 連絡を受け取ったラギーは指示通り放課後二人を起こしに植物園へと向かった。レオナのお気に入りの寝床に二人の姿を見つけたのはいいのだが、足はもちろん尻尾も絡ませた男女の姿は健全な青少年には少し目の毒だ。

「ちょっとレオナさーん!起こしに来させてこりゃないんじゃないッスかー」

 学園唯一の女生徒を独り占めしてぐうたら惰眠を貪る自分たちの王様の姿に多少なりとも腹が立つ。
 もちろん二人が想い合ってることも知っているし、元の世界になんて帰らないで一生この獅子と添い遂げてしまえばいいのにとひっそりと思っているラギーにとってこの光景は良い方向へと向かっている証でもあるのだが、それとこれとは話が別である。
 男の園な男子校で青春の甘いも酸っぱいも感受できる満ち足りた男に嫉妬の一つや二つしたところで許されるはずだ。俺こそが飢え、俺こそが乾きなどよくも唱えられたもんだ。

「レーオーナーさーん!」
「あ゛ぁ…ったくうるせぇ…」

 一度目を開けてラギーを睨みつけたものの、耳をパタンと伏せると芽唯をぎゅっと抱え込むレオナの姿にラギーはちょっとー!っとさらに声を張り上げた。

「うるせぇって言ってんだろ!起きちまったらどうするんだよ!」

 力強そうに見えるものの意外とソフトに抱え込んでいるのか、もぞもぞとレオナの腕の中で芽唯が動く。彼女を起こさないようその耳を塞いで吠えるレオナの方がよっぽど煩かったのだがそんなことを言えば喉笛を噛みちぎられかねない。

「こんなとこで寝てたら、いくらレオナさんの体温分けてやっても本格的に風邪引いちゃうんじゃないッスか」

 ラギーの言葉にレオナは機嫌こそ直らなかったものの少し考え込む。その間にラギーは中途半端に広げられた彼らの昼食をバスケットにしまっていつでも移動出来るように準備を始めた。

「部屋は」
「もう掃除済みッスよ。ジャックくんにメイくんはうちで預かるってことをグリムくんに伝えるよう言伝も済んでるんで問題なしッス」

 芽唯を抱き抱えたまま身を起こしたレオナはそのまま立ち上がる。どうやらやっと移動する気になったらしい。
 自分の体に彼女を寄りかからせたかと思えば、そのまま器用にポケットからマジカルペンを取り出し、ラギーが手にしていた敷物がふわりと宙を舞う。風もないのに舞い上がったそれはゆっくりと芽唯の足をレオナの手ごと覆い隠した。

「あららー随分お優しいんスねぇ」
「うるせぇな、冷えるし見えるし出してていいことなんてなんもないだろ」

 腰から足先まですっぽりと覆われたので例え風に煽られても彼女のスカートの中身が露呈することはないだろう。本当にいつものレオナからは想像ができないくらい芽唯に対してこの男は甘かった。
 片付け終わったバスケットを片手にラギーも立ち上がるのを確認するとレオナは歩き出す。

「いい加減言っちまえばいいんじゃないッスか?」
「何をだ」
「わかってるくせに」

 ここまで大事にしておいて、距離を詰めておいて、肝心な部分には踏み込んでいないことに第三者でしかないのにラギーはやきもきしていた。
 誰がどう見てもお互い好き合っていることはわかっていたので他の男に盗られるなんてことはないだろうが、やはり確実に自分のモノにしておきたいというのが普通だろう。
 どこまでラギーの意図が伝わったのかはわからないがレオナはラギーの顔をちらりと見やるとすぐに視線を前に戻した。

「今言ったところで素直に受け取らねぇだろ。俺は同じことを二度言うつもりはねぇ」
「そうッスか」

 受け取らない。
 
「やっぱレオナさんらしくないッスね」

 相手の気持ちなんて考えずに押し付けてきそうなのに。元の世界になんて帰るな、俺を選べ。そう言って自分の手を取らせるのがこの人のやりかただった気がするのに。”今は”とか”受け取らない”とかまるで選択肢を与えているかのような物言いじゃないか。
 吠えられるのを覚悟でストレートにぶつけてみたが、特に何も言い返してこない部分もやっぱりらしくない。
 
「オレ、嫌ッスからね。失恋したアンタを慰めるなんて」
「ばーか。誰を捕まえて言ってんだよ」

 牙をチラつかせてレオナがニヤリと笑う。

「獲物が罠に落ちるのを待つのが狩りってもんだろ」

 前言撤回。らしくないなんて誰が言ったんだ馬鹿野郎。
 このライオンは彼女が自分という罠に落ちるのを虎視眈々と待っているのだ。元の世界と己をいつか天秤にかけることも見越したうえで。

「俺は爪も牙も女に向ける趣味はねぇからな。お優しく、ずっと待てをしてやってるのさ」

 眠りこけた彼女がずり落ちないよう抱え直すレオナの腕がまるで彼女を捕らえる檻のように見えてラギーは震えたフリをする。

「おー、こわ。心配して損したッス」

 でも、とラギーは続ける。

「それでこそオレたちの王様ッス!」

 爪を隠したライオンの隣でハイエナはにやりと笑う。いつかおこぼれに預かる為にも彼女には早く堕ちてきてもらわなければ。
 芽唯の頬を優しく掠める獅子の尻尾を見てラギーはその笑みを深くした。

    TwstMenu/INDEX

ALICE+