手軽な幸せ


「レ、レオナ様! 私たちがやりますから……!」
「いや、いい。俺がやる」

 自分の周りで慌てふためく使用人を一瞥し、すぐ作業に戻ったレオナは冷蔵庫を閉じると手に持った卵を適当に割って土鍋に落とす。
 とろりと垂れるように落ち、ゆっくりと広がったそれは熱ですぐに固まり始めるので潰して米と絡めれば柔らかく煮込まれていた米たちが金色の衣をまとう。
 そんな金の粒の味見を軽くしたレオナは火を止め土鍋に蓋をすると鍋敷きを先に敷いておいたトレーの上に土鍋を移す。
 取り分け用の小皿と塩の入った瓶、それからコップと水も乗せるとお辞儀をする使用人たちに見守られながらキッチンを離れた。
 今日は屋敷がどこか静かだ。きっと彼女の笑い声がないからだろう。

「あ! 出来たのか?」
「ああ。開けろ」

 目的の部屋まで行くと扉の隙間からグリムが廊下を覗いていた。
 トレーを運ぶレオナを見て笑みを浮かべたグリムはレオナのために扉を大きく開く。
 小さな体がしっかり扉を押さえるのを見てから室内……寝室に入ったレオナはベッドの上で少し激しく上下する膨らみに息を吐いた。

「寝たのか?」

 ガチャっと音を立てて扉を閉めるグリムに振り向きながら問えば、その答えよりも先に「起きてます……」と息をたっぷり含んだ声がベッドの方から聞こえてくる。
 
「寝れないのか……?」

 ベッドサイドテーブルにトレーを降ろし、声の主である芽唯の顔を見ようと彼女にかかっている布団を少し剥がす。
 リンゴのように真っ赤な頬、苦しそうな呼吸。額には気休め程度の熱さまし。
 薬を飲ませるために飯を作った手前、起きていたことは好都合だが眠れないほどの苦しさに襲われているのではとレオナの眉間にきゅっと皴が寄る。

「ふふ、レオナさんの方が苦しそう。だいじょうぶ、ちょうど目が覚めただけだから」
「ならいいが……。腹は? 何か食えそうか?」

 こんな時にもくすくすと笑う芽唯に少しだけ安堵したレオナは彼女の額に手を当てる。
 だいぶ熱は下がったが、それでも平熱よりはかなり高い。手をかすめた吐息も熱く、まだまだ苦しさは続くだろう。

「ちょっとだけ減ってるかも……。何か作ってもらったの?」

 サイドテーブルに乗ったトレーを見て身体を起こそうとする芽唯を手伝っているとベッドの端からグリムが登ってくる。
 スンスンと鼻をならしたグリムは「良い匂いがするんだゾ」と芽唯と一緒にトレーを見つめた。

「少し待ってろ」

 土鍋の蓋を開ければ出来立てという証拠に湯気が上がる。
 
「もしかしておかゆ……?」

 鍋の中身を覗き込む芽唯の視線を感じながらレンゲで少しだけおかゆを小皿に移したレオナは最後の仕上げとして軽く塩を振りかける。

「その状態じゃ普通の味つけじゃ味がわからないかもしれねぇが確かこんなもんだっただろ。足りなかったら言え」

 ん、とレンゲで掬ったおかゆを芽唯の口元まで運べば彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返してからおずおずと口を開く。
 小さく開かれた唇におかゆを触れさせながらレンゲをしっかり奥まで入れて、ゆっくりと引き抜けばレンゲの上からおかゆが消える。
 じっくりと味わうように咀嚼する芽唯は少しだけ瞳を右往左往させると少し伏し目がちに土鍋を捕らえて「もしかして」と呟いた。

「レオナさんが作ってくれたの……?」
「……不味いか」
「ち、ちが! お、おいしかったというか、その…………私の味がするから……」

 もごもごと口を動かした芽唯はレオナに視線を移すと今度は自ら口を開く。
 わかりやすいおねだりに気分を良くしたレオナは二口目を掬って、食べさせ終えるとすぐに三口目の準備をした。

「そりゃあお前に教わったからな」
「レオナのやつ『自分が作るから手を出すな〜』って使用人たちを全員キッチンから追い払って作ってたんだゾ」
「そ、そこまでしたんですか?」
「愛する妻の急病だ。手ずから看病してやりたいなんて健気な夫だろ」
「もう…………」

 思っていたよりも元気そうで、少しばかり茶化しながら続きを運べば、唇を尖らせながらも芽唯はやはり素直に口を開いた。
 はふはふと熱さを逃がしながらおかゆを咀嚼する芽唯がどこか嬉しそうに見えてこちらも自然と口角が上がる。
 
「ふふ、おいしい……。レオナさんが作ってくれたってわかったからもっとおいしくなったかも」

 口元に手を当てながら笑った芽唯は時折苦しそうな咳をしつつも、レオナが小皿に移した分のおかゆをすべて平らげた。

「随分美味そうに食うもんだから俺まで食いたくなってきたな」

 まだまだ芽唯も食べれそうだと判断したレオナは小皿にまたおかゆを移すと芽唯に食べさせる前に自分の口へと一口運ぶ。

「あっ! う、うつっちゃいます。せめて違うレンゲを使ってください……!」
「こんなんでうつされるほど俺はやわじゃねぇよ。ん……悪くねぇな」
「レオナーオレ様の分は?」
「あ? あー……キッチンに行ってこい」

 グリムの問いに少しだけ思案したレオナは扉を指差す。
 彼の分の用意はしていないが、きっと誰かしらがレオナの調理を真似てグリムの分を作っているに違いない。
 この屋敷で働いている人間はそういう根回しが出来る者ばかりだ。
 芽唯に食べさせながら自分の分をつまんでいればグリムの腹がきゅるきゅると鳴る。
 腹の虫が鳴き始めて限界を感じたのかグリムは少し後ろ髪を……いや、後ろ毛を引かれるような思いでベッドから降りると扉へ駆けた。

「オレ様が腹ごしらえしてる間、子分の面倒ちゃんと見るんだゾ!」
「言われるまでもねぇ。テメェはとっととその腹の虫をどうにかしてこい」
「ぐぬぬぬ……、子分もちゃんと食べて、ちゃんと薬飲むんだゾ!」

 最後の最後まで扉の隙間からこちらに声をかけてきたグリムが扉を閉める。「腹減ったんだぞー!」と廊下を駆けているであろうグリムの声が遠ざかるのを聞きながらレオナは何口目かわからないおかゆを口にした。
 
「はふ……おいしい……」
「この“DONABE”ってのは便利だな。火から離してだいぶ経つのにまだ熱いくらいだ」
「買ってよかったですよね。一人用土鍋」

 芽唯の希望でサムの伝手を使って東方の国からよく物を取り寄せているがこの土鍋もその一つだ。
 大きい土鍋と一人用の物を三つ、合計四つをまとめて購入したいとねだられた時は大きさ以外すべて同じそれらの使用用途がわからなかった。
 詳しく話を聞けば彼女の国では家族で大きな鍋を囲んでつつき、かと思えば一人用の鍋で一人分の食材を煮込んで使ったりと使い道は様々で、実際に今日こうして役立っている。

「よし……全部食べきったな」

 レンゲで丁寧に米粒を最後の一粒まで拾ったレオナは最後の一口を芽唯に食べさせた。
 素直に口を開く彼女に手ずから食べさせる時間は楽しく、終わってしまったことが少し残念だったがこれでやっと薬を飲ませられる。
 侍医の用意した錠剤を銀色のシートから押し出したレオナはすでに何度か飲ませた水入りのコップと一緒に芽唯に手渡す。

「げほっ、私が……というより最後はほとんどレオナさんが食べてましたけどね」
「その状態であれだけ食えりゃ十分だろ」

 咳をする芽唯の手を水が零れないよう支えたレオナは彼女の喉笛を見つめて薬を飲み込むのを見守るとコップを取り上げトレーに乗せる。
 
「後はゆっくり寝て、しっかり治せ」
「はぁい……」

 触れれば熱い身体がふらふらと揺れるのでゆっくりと横にしてやれば芽唯はぱちぱちと瞬きを繰り返しながらレオナを見つめる。

「レオナさんの手料理が食べられるなら風邪も悪くないかも……」
「なにバカなこと言ってんだ。来週はお前がずっと楽しみにしてた物産展に行く予定があんだろ。まァ、俺はのんびり家で過ごすことになっても構わねえが?」
「あっ、や、やです。レオナさんと見たかったのに。ちゃんと、ちゃんと治すから……」

 ぺらりと近くにかかっていたカレンダーをめくったレオナは来月の初旬に芽唯の文字で書かれた「おでかけ」の文字を指差す。
 なんでも薔薇の王国や珊瑚の海、輝石の国とあらゆる国からグレートセブンにまつわる商品が集められているらしい。
 大半は伝承や逸話に絡めただけの土産品で、実際の彼らとは縁もゆかりもないのだろうが芽唯が行きたいと言うのだから内容自体はどうでもよかった。
 レオナにとって大事なのは芽唯が自分と過ごしたいと思うこと自体で、それが外出だろうと巣ごもりだろうが関係がない。
 最愛の妻に「この日の時間を自分にください」とねだられたのだと確固たる理由があれば仕事の予定だって簡単に跳ねのけられる。
 今日だって本来ならば気が遠くなるほど長く、そのくせ何も進捗のないこの世の無駄をすべて詰め込んだような会議に拘束されるはずだったのに「メイが体調を崩した。心細そうな彼女を一人にしたくない」とお優しいお兄様に一報を入れただけでレオナは晴れて自由になった。
 もちろん「大丈夫か?チェカに何か持って行かせようか?」というありがたい言葉は「絶対に来るんじゃねぇ」と丁重に辞退させていただいたが。

「治る……治るもん……レオナさんがおかゆ作ってくれたし……」

 すっかり布団にもぐった芽唯は布越しに何かもごもごと呟いている。

「……やけに俺の料理にこだわるな」

 そんなに特別なことだったろうか。
 ただ、かつて芽唯自身に教わった味を再現しただけ。
 風邪を引いた己にそれを振舞い。元の世界にいた頃は体調を崩すと母親が作ってくれたのだと懐かしそうに語る芽唯の顔がやけに記憶に残って、後日作り方を教えろと迫ったメニュー。
 たったそれだけのことだ。

「ふ、ふふ……げほっ、だってレオナさん昔は電子レンジでチンもまともに出来なかったのに……」

 くすくすと笑いながら何を言うかと思えば未だに定期的に語られるマスターシェフでの一幕にレオナはきゅっと眉間にしわを寄せた。

「一体いつまでその話を掘り返すつもりだ。ンなもんすぐに使えるようになっただろ」
「ふふ、うん。そう、そうですね。それも私が教えました」

 頷く芽唯は瞼を閉じると「なんだか……しあわせ……」と呟いて動かなくなる。

「ハッ……随分手軽な幸せだ」

 ぐずぐずになるまで米を煮て、卵を混ぜて、ほんのちょっと塩をまぶしただけ。
 そんなものが幸せなのかと鼻で笑ったレオナだったが、力の抜けきった芽唯の手を包んで、自分のものより一回り以上小さい指先を撫でながら目を細めた。

「こんだけ満足させられたなら見習いシェフの称号は返上してもいいよなァ?」

 シェフゴーストの話も聞かずに適当に済ませた結果、失敗の烙印を押されたパンナコッタ。
 あれだって今のレオナは完璧に作れる。……もちろん芽唯が望むならば、だが。

「第二王子が手料理なんて、記者連中が聞いたら卒倒しそうだ」

 まあ、今では愛妻家として名を馳せるレオナだ。
『愛しの妻のために』と見出しが付けられ、家事をパートナーに任せきりにしてはいないかと世間に問いかける“出汁”に使われこそすれ、『あの第二王子が⁉』なんて衝撃的事実として書き立てられることはないだろう。
 笑みを浮かべて眠る芽唯の頬をふわりと撫で、自身も上半身をベッドに預けたレオナは不思議な満足感に包まれ目を閉じた。
 早くよくなって、また料理の一つも教えてくれよと願いながら。

    TwstMenu/INDEX

ALICE+