美粧の街編02
ホテルで買ったばかりのドレスに袖を通す。
レオナさんとお揃いのそれは闇夜を纏ったような黒に夜空を彩る星たちを散りばめたような美しい生地で作られていて、歩いて裾が揺れるときらりと瞬くのが気に入ったのだけれど本当の理由は別にある。
「メイ、着れたか?」
「えっと、背中のファスナーが上げれなくて……」
「ん」
すでに着替え終わったのか、こちらへ振り向いたレオナさんは鏡の前で戸惑っていた私に声をかけると後ろまで来てくれた。
ゆっくりと背中に伸ばされた手がファスナーを上げやすいように髪をかきあげて待つ。
けれど一向にファスナーが締まる様子がなく、不思議に思った私は顔だけ振り向いて「レオナさん?」と声をかける。
「……ああ」
どこか心のこもっていない返事に首を傾げながら再び待てば、つつ……と背中が何かでなぞられた。
なにか、なんて遠回しな言い方をしてしまったけれど、正体なんてわかりきっている。
「っ、もうっ、レオナさん!」
勢いよく振り返ればまるで降伏するように両手を上げたレオナさんが肩を竦ませながら笑う。
「悪い悪い、あまりにも無防備だったもんで。それに……」
「それに?」
不自然なところで言葉を区切ったレオナさんは私の腕を掴んで体を反転させると降りてしまった私の髪をかきわけ背中をまたなぞる。
「こっちとここ、それにここもだ」
「な、何がですか?」
ただいたずらに背中をなでられているわけではないんだろう。
つつつ、と何かの意思を持って私の背中を指で弄ぶレオナさんはくつくつと笑うと耳元に唇を寄せるとワントーン声を落として囁く。
「痕、残ってる」
「っっ⁉ なっ、ま、前もってダメって言ったじゃないですか! 美粧の街に着いたらドレス買いに行くから付けちゃダメって!」
「仕方ねぇだろ、興が乗っちまったんだ」
「だ、だからって……! えっ、ってことは選んでる時も見えてたってこと⁉」
「びーびーうるせぇな。店でもファスナーは俺が上げてたし、背中の開いてる服は着せなかっただろ」
思わず自分の体を抱きしめるが、それを許さないと言わんばかりにレオナさんが私の腕と体の間に逞しい腕を滑りこませる。
ぎゅっと抱きしめられたことは嬉しいのに、そんな戯れで起きる小さな風を感じる素肌に残っているであろう痕が脳裏をよぎって恥ずかしい。
「し、信じられない! なんでお願いちゃんと聞いてくれないんですか!」
「別にいいだろ、ああいう所のスタッフは慣れてるもんだ。気づいたところで夫婦仲がいいんだなと自分の中で飲み込んで、噂なんて漏らしやしねぇよ。店の信用問題になる」
「私が慣れません‼」
きっと、これだけは一生埋まらない価値観の違いだろう。
レオナさんは夫婦の……そういう生活を匂わせることに躊躇いがない。
私は学生の頃からレオナさんの匂いがすると言われるだけで恥ずかしかったのに、獣人属の人たちはそうやってパートナーがいることを示すことが当然と思っている。
もちろん、レオナさんに好意を持って近付いてきた女性が私の匂いをかぎ取って残念そうな顔になるのは……正直な話、レオナさん風に言うならば気分がいい。
私にはわからないけれど、レオナさんが私のものだという確固たる証拠はいつだって彼の傍にあるということだから。
「恥ずかしい……」
「ったく……確かに痕を付けるなとお前は言ったが、よっぽど忙しい時期でもない限り体のどっかしらには残ってるだろ」
「だっ、だって……よ、よりにもよって今日背中にあるのはダメです!」
何が不満なんだと頬をすり寄せてきたレオナさんは私の頭の上に顎を乗せるとむにむにとむき出しの腕を揉む。
もしかしたら、レオナさんなりに譲歩した結果の背中……なのかもしれない。
普段ならデコルテの辺りにだってぱらぱらと行為の痕が残っているのに、ここ最近は珍しくつるりとしている。
「なんなら今から付けてやってもいいんだぜ?」
「だ、ダメですってば! 他のドレスは王宮に送っちゃったからこれしか着ていけるものもないんだし」
「レストランなんてキャンセルすればいい」
「い、や、で、す! もう、やっとレオナさんと行けると思って楽しみにしてるのに……」
かつて、ヴィル先輩に連れて行ってもらった高級レストラン。
あの時は彼が用意してくれた服を纏って、彼のお父さんと緊張しながらも食事を楽しんだ。
そこにレオナ先輩と過ごした思い出を加えたいとお願いしての今日なのに……。
不満をアピールするように鏡越しに軽く睨めばレオナさんはやれやれと肩を竦める。
「わかったわかった。そう拗ねんなよ」
ようやくジジジッと音を立ててファスナーが上に昇ったのと同時にレオナさんが少し身体を離してくれたので鏡の前でくるくると自分の全身を見る。
でも、先ほどのやりとりのせいで気になるのは服が似合うかどうかより、身体に他に痕が残ってないかだ。
「ふっ、くくっ……んなにぐるぐる回ってどうした。まるで自分の尻尾を追いかける犬っころみてぇだな」
「もうっ! 絶対わかってるくせに……! 見えるところにはないですよね?」
翻る度にきらきらと光る裾が可愛いのに、頭の中が他のことでいっぱいで残念でならない。
……ううん。レオナさんのことで頭がいっぱいなのはいつものことだから、仕方がないことなのかも。
それでも、やっぱり悔しくて、腕を組んだ私は仁王立ちでレオナさんを睨みつける。
「くっ……はいはい、俺が悪かった。だが『見えるところに付けちゃダメ』には応えたつもりだぜ? くくっ」
「そ、そんなこと言ってないです! 痕自体付けちゃダメってハッキリ言いました!」
「まぁ、最初はそうだったかもな。だが、お優しいお前は最後には俺のお願いを聞いてくれてなァ? 『見えなければいいんだよな』と聞いたら快く承諾してくれたんだ」
「さ、最後って……そんなのもう……っ」
「もう?」
ニヤリと笑ったレオナさんは私の背中に手を回すと今度はドレス越しに背中をなぞる。
もぞもぞと動き回る感覚に負け、言葉の続きを吐き出すの躊躇った私は唇を噛み締めて言葉を飲み込む。
どうせ、レオナさんに口で勝てるわけがない。
それに……あまり記憶にないけれど、私が許可したっていうのは本当なんだろう。
レオナさんは私が本気で嫌がることは絶対にしない。……ぐずぐずになって判断が出来なくなってる状態の私に答えを求めるのはどうかと思うけど。
「……もう、いいです。服で隠れてるなら許してあげる」
多分、お店で服を選ぶ時もなんだかんだで店員さんに背中の痕が気づかれないような物を選んでくれていたんだろう。
「寛大なお心に感謝を。それで? ご所望のスーツを着てみたがどうなんだプリンセス」
窮屈そうにネクタイを少し緩める仕草をしながら私から離れたレオナさん。
少し離れた場所に立ってくれたおかげで見やすくなったその姿は、試着室で一度確認した時と同じく……ううん、その時よりももっとかっこいい。
ほとんど日が落ちて、外灯の灯りだけが差し込む暗い室内だからなのか。それとも、二人きりという状況がそう見せるのかはわからない。
レオナさんが動く度にわずかな光を反射して暗い中でも上品に光るその生地の質はドレスとは少し違うが、対になるようデザインされたことが誰にでもわかるほど似通っている。
「えっと、隣に立ってもらえますか?」
「ん」
姿見の前に横並びになるとレオナさんは私の腰をゆっくりと抱き寄せると腕を差し出す。
誘導されるまま腕を絡め、身を委ねれば鏡の中にはレオナさんにエスコートされる私の姿。
毎日のようにパーティーが……なんて絵に描いたようなセレブ生活ではないけれど王族としてそうした場に呼ばれることはもちろんある。
そんな立場の人間の姿としては満点すぎる絵面だろう。
「うん。……ふふ、完璧です」
レオナさんの魅力を引き出してるのはもちろんだけれど、私の……日本人特有の少し幼めの顔立ちもこのドレスなら少し大人っぽく見える気がする。
「……髪、少しアレンジするか」
そう言って私の髪を一束手に取ったレオナさんはそのまま私を化粧台の前に連れて行く。
ゆっくりと座らされ、レオナさんの大きな手に髪を委ねた私は鏡越しにレオナさんの動きを見つめた。
普段、レオナさんの髪を整えるのは私の役目だけれど、逆に私の髪はレオナさんが弄ってくれている。
弄る……と言っても、それこそお揃いの三つ編みをするだけなんだけれど、魔法を使えば一瞬なのにわざわざ私と同じく手を使って丁寧に編んでくれるのが少しくすぐったい。
「項が見えた方がそれっぽいだろ」
「そこには痕付けてないですよね……?」
「あァ、もちろん」
口角を上げて笑うレオナさんは私の後ろ髪を上げると項を撫でる。
「信用ならねぇか?」
「そうじゃないけど……。レオナさんならちゃんと考えてくれてるとは思ってます」
私のお願いを都合よく曲げちゃうところはあるけれど、それもちゃんと計算してのこと。
こうして自分から髪をまとめ上げようとしているなら項は出すのを前提として我慢してくれたんだと信じてもいいと思う。
「ハッ、そうかよ」
少し馬鹿にしたように、でも嬉しそうに笑ったレオナさんは大きな手でするすると器用にシニヨンを作ってくれる。
ライオンの獣人の伝統的な髪型である三つ編みも混ぜた可愛らしいそれは、首回りをすっきり見せてくれるのと同時に少し私を大人っぽく見せる。
「後は……これでも付けとくか」
魔法で呼び寄せたネックレスを髪を上げたことで寂しくなった首に付けるとレオナさんは満足そうに頷いた。
「ふふ、ありがとうレオナさん」
彼が頷いたのを合図に立ち上がった私はもう一度その隣に並び立つ。
先ほどよりも一段と大人っぽくなった姿に満足した私は、レオナさんに自ら腕を絡めると肌触りの良い生地越しに彼の肩に顔を埋める。
「後は緊張しないで振る舞えたら完璧だな」
「うっ、そ……それは、頑張ります」
「ハハッ、期待はしないでおいてやるよ」
「もうっ! 意地悪ばっかり!」
パーティーはもちろん、高級店も未だに少し慣れない私は緊張するとせっかく覚えたテーブルマナーが時折頭から抜けてしまう。
外でそんなミスをしようものならマナーがなってないと叱られるべき場面だけれど、レオナさんはどうやらそれを楽しんでいるようでくつくつと喉を鳴らしながら笑って「プリンセス、そちらは……」なんてわざとらしい口調で窘めてくるのだから意地が悪い。
王宮とお屋敷でなら完璧に出来るのに、出先の緊張感は今の私にとっての大きな課題だ。
今日は以前も行ったことがあるお店なので多少は落ち着いて振る舞えると信じたい。
「レオナさんが変なこと言うから行く前から緊張してきちゃった……」
魔法で戸締りをしてくれるレオナさんを少しだけ睨みつけるけど、レオナさんは相変わらず楽しそうに笑うだけで私の怒りを気に留めない。
本気で怒っているわけじゃない。ただ、手のひらの上だとわかっていても少し悔しかった。
パタン、と閉まった窓が施錠されるとレオナさんは最後に部屋の鍵を持って歩きだす。
躊躇いながら私も一緒に部屋を出ると廊下の灯りが少し眩しい。
思わず足元を見つめればオートロックの扉に鍵がかかったのを確認したレオナさんの指先が顎を掬う。
「おら、ちゃんと前見ろ。堂々としてればそれなりに見える。何度言わせりゃ気が済むんだ?」
学生時代から耳にタコが出来るほど聞いた言葉を囁くレオナさんに引きずられるように廊下を進む。
真っ赤な絨毯に視線を落としてしまいそうになるのを我慢して真っ直ぐ前を見れば「良い子だ」とレオナさんが呟いた。
「どうせあいつらと来た時はお前だけじゃなくツンツン頭と毛玉もマナーなんてないも同然だったんだろ。その頃よりマシになったと胸張っとけ」
「うう……頑張ってみます」
堂々と……あの頃よりはマシ……。かけてもらった言葉を心の中で繰り返す。
カチッとレオナさんがエレベーターの呼び出しボタンを押すのを見つめて、息をゆっくり吐いた私は言われた通りほんの少し胸を張る。
キファジさんに教えてもらったことはちゃんと覚えているし、レオナさんにだって何度も付き合ってもらった。
第二王子妃として認めてもらえたんだから実力が発揮出来れば問題ないはず。
「……行くぞ、プリンセス」
「はい、王子様」
私とレオナさんは静かにエレベーターに乗り込んだ。