王様の耳は


 芽唯がキングスカラー家の……レオナが作らせた離宮に身を置くようになって随分経った。
 最初はただ礼儀正しいだけだった少女が王族としての教養を身に着け、作法を学び、第二王子妃になることを認められるため自分を磨き上げている。
 だが、時折心にも身体にも限界が来る。
 たった一年という学習期間で多くのものを学ばなければならない。その負担は想像に難くない。
 もちろん、成婚してからも多くを学ぶ必要があるだろう。それが自分が選んだ道だと彼女も理解している。
 だが、外部からの刺激はどうだ。
 しかも、本来なら彼女に向けられるはずのない嫌味、妬み、覚えのない悪意。強い心の負担は身体に出る。
 眩暈を起こした少女が大丈夫だというのを聞かずに、キファジは彼女を自室で休ませることにした。

「まったく……品性がないのはどちらなのだか」

 普段であれば冷や水を浴びせるように淡々とその間違いを指摘するキファジも、さすがに今回の件に関しては強い憤りを感じている。
 彼女は、レオナが連れてきた最愛だ。
 彼が芽唯を見る瞳を見たことはないのか。優しく触れる手。合わせる歩幅。
 あのね、と己に語り掛ける彼女の声を余さず聞こうと身体を傾ける姿を見ても悪女に騙されているなどバカげたことを言えるのだろうか。

「しかし、私が動くわけにもいかないのまた事実」

 これだから元教育係は……。そう言われるのが関の山。
 だが、育てあげた王子を贔屓にして何が悪い。
 子供の頃からずっと見守ってきた、恐れ多くも自分の子や孫のような存在であるレオナが、心から大切だと思っている少女を大切にしない理由がない。

「後でフルーツでもお持ちしましょう……」

 そして話を聞こう。
 きっと彼女は口を噤むだろうが、どうにか吐き出させねばならない。
 捌け口のない苦しみは毒のように身体を巡る。
 まだ今日は外でのお仕事があるだろうから、とレオナに黙っていて欲しいと言いながら自室に戻った芽唯の姿を思い出したままキファジは瞳を閉じた。

◇◆◇

「……よ。だっ…………から」
「話し声……?」

 扉をノックしようとした手が止まる。
 誰か彼女の部屋を訪ねているのだろうか。
 思わず周囲の使用人を見れば、誰も訪問者を見ていないのか全員が首を横に振る。

「誰かと電話でもなさっているのでは?」
「ふむ……」

 確かにその可能性はある。
 少しだけ扉を開いて芽唯の様子だけでも確認しようと覗き込んだキファジは扉の隙間から彼女の姿を探す。
 部屋の奥では開いた窓から風を受けてカーテンが波のように広がっていて、そのすぐ近くにあるベッドで芽唯が身体を丸めて寝転がっていた。
 
「あれは一体……?」

 電話をしているとばかり思っていたのに、スマホは芽唯の後ろに転がっていてその様子はない。
 代わりに芽唯の頭の向こうに黄色の塊が見える。
 それはグリムほどの大きさで、芽唯に寄り添っているようにも見えるが自我を持っているはずのないものだった。

「……ごほん、メイ様! キファジです。失礼しますよ」
「わっ」

 覗き込んでるだけでは埒が明かない。
 淑女の部屋を覗き見るというのも紳士としては恥ずべき行為だ。
 潔く入る決断をしたキファジは改めて扉を叩くと今やって来たと言わんばかりに咳払いと共に部屋に入る。

「なっなんだ、びっくりした……。キファジさんか……」
「驚かせてしまったなら申し訳ありません。……そちらは?」

 身体を跳ねさせ起き上がった芽唯がベッドから降りようとするので制止させるとキファジは彼女の膝に乗ったそれを指す。

「ら、ライオンさんです」
「……ライオン、さん。……ぬいぐるみのようですが、動いているように見えたのは私の錯覚でしょうか」
「えっと……」

 困ったように視線を彷徨わせた芽唯は膝上のぬいぐるみを一撫でする。
 するとライオンさんと呼ばれたそれは彼女の膝に当然のように座り込み、まるでこちらを睨むように見上げてくる。
 その姿は普段のグリムと重なる一方で、キファジの脳裏にはもう一人別の人物が浮かんでいた。

「これはこれは……。まるでレオナ様のようですな」
「あー……っと……」
「特に左目の傷が殿下に瓜二つ。その刺繍はメイ様が?」
「あっ、はい。そうなんです。昔、学園の購買部で買ったんですけど、傷を付けたらレオナ先輩っぽくなるかなって」

 柔らかなぬいぐるみを、まるで本物のように撫でる芽唯はライオンの顎から手を離すと傷を辿る。
 無理やり部屋に返した時は青ざめていた頬がほんのりと紅潮しているのは体調がよくなったからなのか、もしくはぬいぐるみのせいなのだろうか。

「……もしかして、お話してるの聞こえちゃいました?」

 ぽ、っと色ついた頬を押さえた芽唯はライオンを見る。
 むにっと軟らかい腕が芽唯を抱きしめ、背中に周りきらない手がぱたぱたと彼女を慰めるように身体を叩く。

「申し訳ありません。聞く気はなかったのですが……」
「やっぱり……」

 ライオンさん、と呼んだぬいぐるみを抱きしめ返した芽唯は「この子は……」と語り始める。

「えっと、む、昔からこうして慰めてくれるんです。辛かったり、寂しかったり、恐かったりする時に必ずこの子が動くんです」

 柔らかな笑みを浮かべた芽唯はよほどこのぬいぐるみを気に入っているのだろう。
 信頼しているのが見ているだけで伝わってくる。

「この子になら素直に色々話せるんです。……一人で抱え込まずに済むというか。誰かに打ち明けただけでスッキリすることってあるじゃないですか」

 そう言うと芽唯はライオンの両脇に手を滑りこませ、ぬいぐるみをキファジの前に突き出した。

「多分、レオナ先輩が魔法をかけてくれてるんだと思ってるんですけど違いますか?」
「そう……ですな」

 眼前に突き付けられたライオンを見つめたキファジは愛らしい……というよりは太々しい顔のライオンのぬいぐるみと見つめ合う。
 目元の傷のせいだろう、強くレオナを連想させるぬいぐるみは片手を振り上げるとキファジの頬をぺちりとはたいた。

「あっ、こら! レオッ……じゃない、ダメでしょライオンさん! ごめんなさいキファジさん!」
「っ、お気になさらず……」

 ふいを突かれたキファジはズレた眼鏡を直す。

(レオ……?)

 叱られながらぬいぐるみは体を捻って芽唯の手から逃げ出すと、そのままごろりと膝の上にいつものレオナのように転がり込む。
 本当にレオナによく似ている。まるで本人がこの場にいるかのようだ。

「えっと……、とりあえずこの子のおかげでもう大丈夫です。心配してきてくれたんですよね……?」
「どうやら、そのようですな。……少しでも励みになればとフルーツをお持ちしました。我が国で採れたもので、どれも口に入れれば元気が出ますぞ。もちろん、レオナ様が帰宅なさってからでも構いません」
「美味しそう……ありがとうございます……! 後でレオナ先輩と頂きますね」

 嬉しそうに微笑む芽唯に口角を上げたキファジはゆるりと蓄えた髭を指で梳くと頭を下げてから部屋を出る。

「……まさか、あのレオナ様が魔法をこんな風に活用なさるとは」

 生意気に育ってしまったとばかりに思った王子は人を愛する心を身に付け立派になった。
 ───愛とはやはり良いものだ。

「しかし、聞かなければならないことがいくつかありますな」

 少し挙動不審な芽唯。会話の中に残る疑問。
 薄っすらと状況は把握したが、やはり本人の口から聞きださなければ。

◇◆◇

「アイツと随分楽しそうな話をしてたじゃねぇか」
「はて……なんのことですかな?」

 夜、帰宅したレオナにキファジは執務室に呼び出された。
 そして開口一番、レオナは不機嫌そうにそう言うと昼間芽唯を慰めていたぬいぐるみを机の上に置く。

「そのぬいぐるみは……」

 くったりと手足を伸ばし、完全に動かぬただのぬいぐるみと化している。
 動かない方が自然なのに妙に違和感を覚えてしまうのは芽唯を慰める姿が目に焼き付いているからだろうか。

「……レオナ様が魔法をかけてくれている、とメイ様は随分と喜んでおられました。とても優しい魔法の使い方を覚えましたな」

 まるで誰かに褒めて欲しくて懸命に知識を吸収し、魔法を鍛えていたあの頃のような純粋さを感じる。
 育っていくにつれ随分捻くれ、素直さを失ってしまったかと思っていたが、やはり根っこの部分は変わっていなかった。
 幼い王子の面影を感じながらレオナを見れば、彼はきょとんとサマーグリーンの瞳を丸くして瞬くとぷっ……っと音を立てて噴き出した。

「レオナ様?」
「くっ……ハハハッ! キファジ、まさかお前が俺をそんなステキな王子サマだと本気で思ってるのか?」

 声を出して笑うレオナは腹を抱え、目元に少し涙まで滲ませる。
 
「ふっ、くくくっ」
「…………一体どんな悪戯をなさっているのですか」

 肩を震わせ笑い続けるレオナの姿にキファジはスーッっと頭の片隅が冷えていくのを感じた。
 やはり、自分の直感は当たっていたのかもれない。
 そんな確信めいた予感のせいで目元が引き攣るのを感じながらレオナを見つめていれば、やっと息を整えたレオナがスマホによく似た機械を投げつけてくる。

「っ、……これは?」
「魔導通信機だ。言っちまえばほぼスマホだな。音声、映像の両方を受信し、その気になればこっちの声も届けられるって品物だ」

 手のひらサイズのそれを少し観察してからレオナに返したキファジは「まさか……」と独り言のように呟きながらぬいぐるみを手に取った。 

「流石、王家に長年仕える侍従長殿は察しが良いな」

 レオナはぱちぱちぱちとわざとらしいゆっくりとした拍手をするとニヤリと笑う。
 あれは、そう。チェスで相手が最高の一手を決めたと思った瞬間、とんでもない逆転の一手を罠として用意していたような、そんな獲物を捕らえた時の顔だ

「……メイ様はレオナ様が自分を慰めるための魔法をかけてくださっていると信じているようでしたが」
「そうだな。そういう魔法がかかってる」
「このぬいぐるみ相手には素直な気持ちを吐きだせるとそう微笑んでらしたのに……」

 キファジの口から大きなため息が零れ落ちる。
 せっかく素晴らしい魔法の使い方をしていると褒めようと思っていたのに風向きが怪しくなってきた。
 一体、この柔らかい体のどこにそんな機器を隠しているのか。
 持ってみても布と綿で出来ているとしか思えない。

「……メイ様がぬいぐるみに触れる。もしくは語り掛けると反応する魔導機器を使用している、といったところですかな」
「あァ、基本的にはそのどっちもだ。俺の持っているこっちが親機。ぬいぐるみには子機が取り付けられている」

 レオナが何かボタンを押すとモニターが鏡のような状態になる。
 恐らく、あれが親機の電源なのだろう。

「こっちを起動した状態でメイか俺が何かしらのアクションを仕掛けると鏡にはこいつの視界が映し出される」
「そのモニターで状況を判断し、場合によっては音声も聞く……ということですな」
「ご明察だ。ほんの少し前までは触れた人間を識別する方法がなかったから使用人が掃除で触れても起動して面倒だったが、最近その問題も解決してな。随分と便利になった」

 親機はキファジがぬいぐるみを動かしても反応しない。
 傍目にはレオナが手鏡で身だしなみを整えているようにしか見えないだろう。

「最近……? 技術の進歩、ということですかな」
「いや、アイツの中に残ってる俺の魔力に反応させた」
「…………、なるほど、そういうことですか」

 芽唯は非魔法士、それも魔法がない世界から来た。当然魔力回路も持っていない。
 となれば、身体に誰かの魔力が入りこんだ場合、その波長は変わることなく元の持ち主と同じ性質のまま時間と共に放出される。
 もちろん芽唯は魔法を使うことが出来ない。
けれど、触れた人物の魔力を自動で感知する機能を備えた魔導機器があればどうだろう。

「まったく……よからぬことをすぐ考える方だ」
「良いだろ別に。それに、これはアイツの安全のためにやってることだ」

 ぬいぐるみの頭を掴んだレオナはライオンを見つめると顔をしかめる。
 傷を指先でなぞり、不満そうに鼻を鳴らすとぬいぐるみを脇に抱えた。

「『何かあったら包み隠さずコイツに全部話せ。俺に言えなくても、コイツになら言えるだろ』」
「はい?」
「一人で抱えがちなオヒメサマとここに来る前に交わした約束でな。アイツはちゃんとこの約束を守ってるってだけの話だ」

 親機の電源を切り、ポケットに収めたレオナは出入口へ向かう。
 扉の前で振り向きながらキファジを見ると忌々しそうに片目を眇めた。

「西地区を担当してるローレン。アイツの行動を徹底的に洗い出せ。相当黒い部分があるぞ」
「その情報は何処から」
「俺の可愛い婚約者が恐ろしい話を聞いちまったらしくてな、最近やたらと嫌がらせを受けてるのもこのせいだろう」

 はぁー、っと深くため息をついたレオナのサマーグリーンが鋭く光る。

「アイツの不安が偶然消えたら、お勉強もまた捗るだろうなァ?」
「……承りました。その件についてはこのキファジの名に懸けて調べ上げましょう」

 深々とお辞儀をすればレオナの尻尾がゆらりと大きく揺れる。
扉をくぐる直前また振り向いたレオナは最後に一言だけ呟いた。

「メイはな、ただ素直なだけの甘い奴じゃねーよ」
「…………どうやら、そのようですな」

 バタンと音を立てて扉が閉まる。
 レオナを見送ったキファジは肩を竦ませると大きく息を吐きだした。

「似た者同士、ということにしておきましょうか」

 瞳を伏せ、口角を上げたキファジはぬいぐるみを抱えながら何かをごまかすように笑う芽唯の姿を思い出す。
 ナイトレイブンカレッジの生徒というのは曲者揃いと聞いているが、彼女も一筋縄ではいかない女性のようだ。

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