あなたじゃなきゃ意味がない


 まだ眠い。
 そう言ってベッドから出てくれなかったレオナ先輩を置いて彼の部屋を出た私はサバナクロー寮の洗面室を借りて軽く朝の準備を済ませる。
 と言っても私は普段化粧の類をしないので顔を洗って、ヴィル先輩から頂いた化粧水や乳液たちを馴染ませる程度。
 後は部屋に戻ってから髪を整えれば朝の支度は終わったも同然だ。
 他の寮生たちが鏡の取り合いをしているのを横目に静かに準備を終わらせた私は「ここ空きますよ」と軽く声をかけてその場を離れる。
 ガタッ、バタッと場所を取り合う音を背に廊下に出た私が戻るのはもちろんレオナ先輩の部屋。

「流石にそろそろ起きたかな……」

 レオナ先輩はライオンらしく……というか、なんというか。
 夜行性なのか夜の時間を長く起きて過ごす。
 本を読んでいたり、一人でチェス盤と向き合ったり、時には私と遅くまで話をしたり……。
 昨日は私が寝落ちしてしまったのでその後のことはわからない。
 けど、私を抱えて眠るレオナ先輩の枕元には何冊か本が転がっていたので、きっとそういうことなんだろう。

「レオナ先輩、そろそろ起きられそうですか?」

 ノックをしてから部屋に入ればレオナ先輩が掛け布団の中から眠たそうに私を見つめる。

「もう、そろそろ準備始めないと間に合いませんよ」
「出なくてもいいだろ、授業なんか……」
「そう言って去年単位を落として留年したんですね……」

 このままじゃ今年も単位が危ないのに、レオナ先輩本人に危機感がないのが一番の問題。
 来年は同級生かもなんてラギー先輩の冗談が本当にならないように私が頑張らないと……。

「お願いだから起きてください」

 ベッドからはみ出している手をぎゅっと握る。
 だらんと垂れ下がっていたそれは、握ってみればちゃんと握り返してくるので意識はちゃんと浮上しているみたいで安心した。
 ぐい、ぐいっと数度引っ張り、ゆらゆら腕を振ればやめろと訴えるように腕に力が入る。

「ったく……起きるまでずっと騒がれそうだな」

 そう言って掛け布団をはがし、ため息とともにベッドから出たレオナ先輩は寝ぐせでいつもより広がった髪をうっとおしそうにかきあげる。

「なんだ、お前はもう準備を終えてるのか」
「さっき起こしてから結構経ちますよ? 洗面室もすごい人なんですから」
「ンなもん俺には関係ねぇって知ってるだろ」

 そう言って近くの椅子に座ったレオナ先輩はマジカルペンを握ると一瞬で顔の前に散らばる髪をヘアバンドで後ろに流し、自らの魔法で作り出した水で器用に顔を洗う。
 なんというか、こういう時が一番魔法士が羨ましいかもしれない……。
 もちろん、魔法を繊細に制御できるからこそ自室でこんなことできるんだと思うけど。
 洗顔を済ませたレオナ先輩は今度は化粧品を魔法で手元に持ってくる。
 何もしてなくても綺麗な肌に化粧水と乳液が塗り込まれ、髪の毛と耳にもヘアオイルを馴染ませる。

「なあ」
「はい?」
「どっちがいい」
「……はい?」

 ベッドの端に腰を下ろし、ぼーっと準備を続けるレオナ先輩を見つめていればぐいっと顔が近づけられる。

「えっと……?」

 質問の意図が分からず首を傾げればレオナ先輩の指が彼の左眉を指さす。

「あー……傷のこと?」
「ん」

 レオナ先輩の左目には傷がある。
 理由はいまだに知らないけれど、傷を受けたときに一緒に欠けてしまったのだと以前教えてもらった。
 不自然に切れ目のある眉を指さしたレオナ先輩は「どっちがいい」とまた繰り返す。

「埋めておいた方が自然……かなぁ」

 傷跡が目立っちゃうけど。
 そう付け足せば「そうか。……そうだよな」と最後は独り言のように呟いて眉の形を整えながら傷を埋める。
 以前ぽつりと「埋めると傷が余計に目立つ」と自分でも呟いていたから、前髪が決まらないとか化粧のノリが悪いみたいなのと同列のレオナ先輩特有の悩みなのかもしれない。
 ある程度準備を終えたレオナ先輩はヘアバンドを外して投げ捨てると櫛とヘアゴムを持って私の隣に座る。
 ヘアゴムを私の手のひらの上に乗せ、私がヘアゴムを落とさないよう手首に通しているうちにレオナ先輩がさっと自分の髪の毛を梳くのはいつもの流れ。
 普段は魔法でやってるらしいけど、お互いの部屋に泊まった時は私が最後の仕上げを担当させてもらっている。

「髪、触りますね」

 無言でうなずくレオナ先輩は多分まだ眠いんだろう。
 本当に何時まで本を読んでいたんだか。
 さらさらと手触りのいい髪を少しだけ引っ張ってトレードマークである二本のみつあみを作るのが私の仕事。
 最初の頃はあまりにも距離が近くて恥ずかしかったけど今はこの時間が凄く好き。
 身をゆだねるように目を閉じたレオナ先輩の髪を編み上げて、先端をヘアゴムで縛る。
 ライオンの獣人にとって鬣である髪は大切なものだと言うレオナ先輩が最後の仕上げを任せてくれているのが凄く嬉しい。
 ご実家に居た頃は使用人の人に任せてたんですか?と聞いたことがあるけれど、レオナ先輩は「まさか」と鼻で笑うだけだった。
 今思えば面倒だという割に歯の手入れも髪の手入れもしっかりと行うレオナ先輩はライオンの獣人としてのプライドが高く、その象徴を適当な相手に触らせるわけがない。

「はい、完成です」

 つまり、それを任されている私は大層レオナ先輩に心を許されているわけで……。
 きっと普段言葉にしてくれている何倍も私はこの人の深い深いところに触れさせてもらっているのだろう。

「……レオナ先輩?」

 終わったのにレオナ先輩が動かない。
目は開いていて何度名前を呼んでも私の顔を見つめてるけど……何かゴミでも付いてたのかな。
 自分の頬に触れ、首をかしげてみせればレオナ先輩はおもむろに先ほど投げ捨てたヘアバンドに手を伸ばす。

「……これ付けろ」
「え?」

 何かと思えば突然強制的に前髪を上げさせられる。
 無理やり付けられたヘアバンドに触れ、ぱちぱちと瞬きを繰り返す私に「いいから」と押し切るレオナ先輩は魔法でまたいくつか化粧品を呼び寄せた。

「じっとしてろよ」

 そう言って、自分には使わなかったものまで取り出して私の顔に手を伸ばす。

「ちょ、ちょっとレオナ先輩?」
「動くな」

 突然のことに戸惑う私を他所にレオナ先輩はもう譲る気がないらしく、アイライナーを私の目元にそっと当てるので、流石にこの状況で抵抗すれば自分の顔が悲惨な状況になるのはわかりきっている。
 仕方なく言われたとおりに動きを止めればレオナ先輩の右手は問答無用で私の顔に筆を走らせた。

「あの……」
「ヴィルにもやらせてただろ。なら俺がやっても問題はないはずだ」
「え? あ、あぁ……この間の……」

 多分先週くらいだったか、ヴィル先輩にモデルを頼まれたことを言っているんだろう。

「でもあれは単に自分に合わない色だからって……」

 どうやらメーカーから贈られてきた化粧品を見て私の顔が浮かんだらしい。
 当然ながらヴィル先輩が私に好意を寄せているからとか、そんな理由はなくて、色が私に合うだろうと直感的に思ったの、と言っていた。

「理由なんてどうでもいんだよ」
「は、はいっ」

 不機嫌そうにそう言われてしまえば頷くしかない。
 レオナ先輩に言われるがまま目を閉じたり、横を向いたり、唇を尖らせたり。
 手持ちの化粧品で私の顔を彩るレオナ先輩は先ほどまでの眠そうな顔が嘘だったかのように真剣そのもの。

「……レオナ先輩、そんな化粧品持ってましたっけ?」
「お前に合うと思って最近買った」
「へえ……って私……⁉」

 買ったことがないので詳しくはないけれど、確かレオナ先輩が持っているのは高級メーカーのものだったはず。
 それを自分で使うからでなく……?

「もしかして……」

 もごもごと口を動かした私は思ったことを口にするのを一瞬躊躇う。
 だって、なんだか、すごい自惚れだ。
 そんなことはないと思いながら、多分そうなんだろうという確信がある。
 相反する二つの感情に揺すぶられたままレオナ先輩を見れば、リップを片手に先輩は口角を上げる。

「私のために、って言ってくれていいんだぜ」
「なっ、ち、ちが」
「違わねぇから言ってんだよ。俺が、お前を想って、お前のために買ったんだ」

 少し笑ったレオナ先輩は指先で少しはみ出てしまったリップを拭うと次の化粧品に手を伸ばす。
 それもまた見たことがない品で、つまり……そういうことで。
 むにむにと唇同士をすり合わせてリップを馴染ませながら私は視線を彷徨わせる。
 レオナ先輩が王子様で、金銭感覚もお金の余裕も人と違うことはわかってるつもり。
 けれど私の為に一から化粧品を新調するとは思わないじゃない。

「その……」

 なんとなく、レオナ先輩がこんなことをし始めた理由はわかる。
 さっき飲み込んだばかりの言葉が喉まで出かけて、それを察したレオナ先輩が「ん?」と促すように目を細めるのでぽろりと飛び出す。

「ヴィル先輩に嫉妬した……とか?」

 突然レオナ先輩がこんなことをするなんて、それ以外に理由が思い浮かばない。
 私としてはお化粧品売り場の店員さんにお試しで施してもらうのと近い感覚だったけど、レオナ先輩には何か思うところがあったかのかも。
 たまにエースは私が無神経だから「レオナ先輩に同情するわ」と呆れたように言ってくる。
 多分、今回の件もきっとそうなんだろう。
 手持無沙汰で遊ばせていた両手をもじもじとさせながら見つめれば、レオナ先輩はただ何も言わず化粧を進める。

「レオナ先輩……?」

 返事が返ってこないのが怖い。
 口元は笑っているのに目が笑ってない。
 すっかり委縮しきって首をすくめれば「おい、顔を上げろ」と怒られる。

「だって……」
「『だって』? ……だって、なんだよ。嫉妬した恋人が怖くてたまらないです、ってか?」
「いや、あの……っ。や、やっぱり嫉妬してるんですか……?」

 先輩自ら嫉妬してると言うのだからそうなんだろう。
 でも、なんだか信じがたくて思わず聞き返してしまう。
 私の問いをハッと鼻で笑ったレオナ先輩は顔に触れないよう丁寧にヘアバンドを外してくれて、態度とは裏腹なその様子に心臓が変な音を立てる。

「しないわけないだろ」

 ぐいっと私の体を反転させたレオナ先輩は髪を梳きながらそう呟いた。
 少し離れたところにある鏡越しに見えるその顔は明らかに怒っていて……ううん拗ねていて、おもしろくないのだと訴える。

「大事な恋人が、今みたいに他の男にべったりと触れられて、お前は無防備に目を閉じたり唇を尖らせたりしてたんだろ」
「それはお化粧してもらうんですから……」

 当然じゃないですか。
 そう言おうと思ったのに、私は寸前で言葉を飲み込む。
 ああ、こういうところが無神経だってエースに言われる理由なんだ。

「……その、ごめんなさい」
「あ?」
「ま、前にエースに言われたんです。私によくないところがあって『レオナ先輩に同情する』って」
「へえ? それが今だと?」
「ち、違いましたか……?」

 少しだけ振り向きながらレオナ先輩の顔色を窺えば、先輩はまた鼻で私の言葉を笑い飛ばす。

「ツンツン頭くらいお前も察しがよければ俺も安心なんだがなァ?」
「ご、ごめんなさい……」
「別に謝ってほしいわけじゃない」

 優しい手つきで私の髪を弄るのに、言葉にすごい棘がある。
 ちくちくとしたそれに胸を痛めながら、レオナ先輩が何を望んでいるのかを私なりに考えてみる。
 謝る……のは違うって怒られた。
 嫉妬してるっていうのは本人が認めてたから、ヴィル先輩にもうお化粧はしてもらわないですって誓う?
 ううん。多分それも違う。
 ぼんやりとしか輪郭がつかめない感情をなぞるほど答えが掴めなくなっていく。

「……ったく」
「ごっ……じゃなくて……えっと……」
「もういいもういい。お前がそういうやつだってのはわかってる」

 大きくため息をついたレオナ先輩は器用に髪のアレンジを終えると私の正面にまわって顎を掬う。
 レオナ先輩自身に彩られた私は彼の目にどう映っているんだろう。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら先輩を見つめていれば、やっぱりまた大きくため息をつく。

「お前が自分を飾るのはなんのためだよ」
「え? ……えっと……レオナ先輩に見てほしくて」

 可愛い、綺麗。どんな言葉で褒められてもレオナ先輩がそう思ってくれないなら意味なんてない。
 ヴィル先輩にお化粧された時だって、真っ先に「レオナ先輩に見せてきます」と駆け出した。

「……お化粧、似合いませんか?」

 日本人の私の顔は学園では年齢の割に幼いとよく言われる。
 四つも年上のレオナ先輩からしてみれば、特に子供に見えるだろう。
 背伸びするなと咎められても仕方がない。

「そうじゃねぇよ……あー……伝わらねぇな……」
「……?」

 珍しく言いよどむレオナ先輩に首を傾げれば、レオナ先輩は私をまっすぐ見つめて口を開く。

「他の奴に、先にその顔を見せるなってことだよ。俺のところに来る前に他の奴に捕まってただろ。綺麗だの、可愛いだのいろいろ言われて……」
「見てたんですか……⁉」
「お前がいつまでたっても来ないから探してたんだよ」

 ふんっ、と顔を逸らしてしまった先輩の背中越しにゆらゆらと揺れるしっぽが見える。
 よく見れば先輩の頬はうっすらと赤く染まっていて、不機嫌な態度は照れ隠しだと伝わってくる。

「ふ、ふふ、あははっ」
「おいっ」
「大丈夫ですよ。レオナ先輩」
「あ?」
「他の人に褒められても意味ないんです。レオナ先輩が褒めてくれるのが私は一番嬉しいんです」

 レオナ先輩を探す道中、確かに私は珍しく化粧をしている姿を何人かに褒められた。
 まさかそれを見られてて、それに対しても嫉妬してたなんて思ってもみなかった。
 
「ふふ、ごめんなさい。レオナ先輩ってあちこちに嫉妬してて大変じゃないですか?」
「……お前も俺と変わらねぇだろ。すれ違ったやつが俺を見てたとか、知らないやつに声かけられてただろとか……」
「そ、それは……」

 否定できなくて言葉に詰まれば、レオナ先輩は「ほらな」とおかしそうに喉を鳴らす。

「お互い独占欲が強くてなによりだ。後はもう少しお前が俺の気持ちをわかってくれりゃいいんだがな」
「うぅ……善処します……」

 けどヴィル先輩のお話を断るのは気が引けるし、レオナ先輩を理由に断ったら「アンタねえ……」と冷ややかな視線で見られちゃいそう。

「でも……」
「あ?
「私は、レオナ先輩に褒めてほしくて全部やってるんです。それだけは覚えていてください」

 そう言えば、レオナ先輩は一瞬だけ目を細めたあと「ならいい」と満足そうに呟いた。
 ゆらゆらと揺れるしっぽが今度は機嫌がよさそうで思わず笑ってしまう。

「……笑うな」
「だって、可愛いから」
「調子に乗んな。まだ許してねぇからな」

 ぐいっと頬をつままれて、慌てて謝ればレオナ先輩は小さく笑った。

「ほら、行くぞ。そろそろラギーが呼びに来る」
「え⁉ もうそんな時間なんですか⁉」

 慌てて立ち上がった私の鞄をレオナ先輩が当然みたいに持ち上げると「レオナさーん、メイくーん、開けても大丈夫ッスか〜?」とノックが響く。
 あまりにもタイミングのいいそれに顔を見合わせた私たちはくすりと笑い、授業へ出ろと促すラギー先輩の元へと急いだ。

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