灰かぶりと
ひらりと視界の端を布地がはためく。
本来この学校では見るはずがなかったプリーツスカートが揺れ動く様は、異様に視線を引きつける。
何を急いでいるのか髪を振り乱して走る姿は美しくない。
「ちょっと、そこの芽じゃが!」
声をかければ足を止めたものの、自分が呼ばれたという確信が持てないのか、きょろきょろと周囲を見渡しては不思議そうな顔で首を傾げた。
「アンタのことよ、オンボロ寮の監督生」
「あ、っと……ヴィル、先輩……?」
「えぇ、そうよ。なによ、ちゃんと覚えてるんじゃない」
まるで自分に声をかけるような相手が見当たらなかったような顔をしていたくせに。一度レオナと居るところに鉢合わせただけの関係なので、赤の他人と言っても間違いではないが、己の顔を忘れたのかと思ったヴィルは息を吐いた
「すみません。レオナ先輩が一緒じゃないのにヴィル先輩が声をかけてくる理由が思い浮かばなくて……」
たいして気も大きくなさそうな、どこにでもいる普通の少女。もっと委縮してこちらに視線を投げかけることも出来ないのではと思ったが、予想に反して長いまつ毛に縁どられた丸い瞳はまっすぐにこちらを見据えている。
きっと、親の教育の賜物だろう。何故あんな顔だけの男の傍を好んでいるのかは理解出来ないが、初めて会ったときから印象だけは悪くない。
「……その」
じっと見つめていれば小さな口がもごもごと動き、当然の疑問を投げかけてきた。
「芽じゃが……というのは、どういう意味なんでしょうか」
「そのままの意味よ。芽のついたじゃがいも」
管理を怠り、食べ時を逃したじゃがいもからは芽が伸びる。毒を持ったそれは食べることも出来ず、取り除いたとしても本体は発芽の際に膨大な量の栄養を消費し本来の旨味を失っている……。生きることに精一杯で手入れの足りない肌と髪を靡かせる少女には実にぴったりのあだ名だと思っているがどうやら気に入らなかったようだ。
「やっぱり、そう……ですよね」
そう呼ばれた理由はわかっているのか、恥ずかしそうに毛先や頬に細い指先を滑らせる。
「そんなに酷い、ですか……?」
「えぇ、アタシには信じられないくらいに」
肩を落とし、落ち込む姿にそろそろ言い訳でも並べ始めるかとも思ったが、困ったように笑うと少女は頭を下げた。
「お見苦しいものを見せてしまってすみません。本当はもっと綺麗になりたい、です、けど……」
「それって、レオナの為?」
「え、あ、あの、えっと……!」
頬をほんのりピンクに染めた少女に濁すことなく問えば顔を真っ赤に染め上げた。
「まったく、どこが良いんだか……」
確かに、顔は良い。それだけは認めている。だが、それ以上に他人を惹き付ける何かがあるというのだろうか。育ちから染みついた横柄な態度は反感は買えど、好意を持つ要素になりうるとは思えない。
「ヴィル先輩……?」
「あぁ、今のは気にしないでちょうだい。綺麗になりたい、なんて口先だけなら誰でも言えるわ。求めるなら相応の努力をなさい。アンタ、顔は何で洗ってるのよ」
「……お水で」
がくりと肩を落とす様子から、それが間違った手段だということはわかっているのだろう。──と、言うことはその方法以外を取る術がないということか。
「まさか、学園長に買ってほしいって言えない。なんて言うんじゃないでしょうね」
偶然とはいえ不慮の事故で迷い込んだ異世界の少女を保護したのだ。この学園を代表する者としてあの鴉にはこの少女に不自由な暮らしをさせない義務があるだろう。己の負担になるとはいえ、過度な節約を強いり、必要なものを与えていないなどと知れたら、出るとこに出れば訴えることも出来るのではないだろうか。
「もしかして……」
自然と眉間に皺が寄っていたのか、自分の顔を見上げて少女は慌てて両手を振った。
「学園長が悪いわけじゃないんです! 必要な範囲でお金はちゃんといただいてますし!」
「なら、なんで用意しないのよ」
「お化粧品って、高いじゃないですか……! 学園長は男の人だし……なんだか言いづらくて…………」
ケア用品はその“必要”の範囲には入らないのだろうか。そんな疑問を抱えつつも、なんとなくだが少女の言い分がわかってきた。要はこの少女は大人に甘えるということを知らないのだ。
これがもっと我儘な小娘ならばアレが欲しい、コレが欲しいと要求をエスカレートさせて、それこそ学園長に渋い顔で金を出し惜しみされたことだろう。
だが、彼女は昼食の量も控えめで細々とした生活を送っているとレオナが愚痴っていたことを思い出す。よくもまあ数か月の間この学園で生き延びてこれたものだと感心すら覚える。例えその後ろに獅子の影があったとしても、それで守りきれる世界などたかが知れている。
「……アンタが言いたいことはわかったわ」
つまり、彼女が他人に対して迷惑をかけている。負担をかけている。と、思わせなければいいのだろう。
これから行うことは自身の視界にボロボロのみっともない姿で現れて欲しくないからするのであり、決して施しではない。
「急いでたみたいだけど、これからアタシの部屋に来なさい」
「えっ!?」
「アンタの肌質や髪質に合ったものを用意してあげる」
驚いて身を引こうとするのを許さず手を掴むと、寮に向かうべく鏡舎へとその身体を引きずるように連れていく。
「ご、ご迷惑かけるわけには……」
「アタシはね、美しくないものが視界に入るのが許せないの。アンタ意外と目につくのよ。自覚はある?」
ふるふると首を振る少女は困ったように眉をハの字にさせてこちらを見ている。
まるで
「とびっきり美しくしてあげるわ。もちろん、アンタ自身が努力をする必要はあるけれど。足りない物があるから、なんて言い訳は二度とさせないわよ」
「ひえ……」
いや、これはまるで灰かぶりの少女に魔法をかけて舞踏会へ送り出す魔法使いそのものではないか?途中退場する悪役よりも、さらにもっと脇の存在じゃないか。
「アタシにこんな役をさせるんだから、綺麗にならなかったら承知しないからね」
「ぜ、善処します……」
まだまだ薄汚れたままのヒロインは小さく頷く。彼女が王子様と甘い夢を描くまで、ほんの少しなら力を貸すのも悪くないかもしれない、とらしくもなく思った。