クリームのように甘ったるい女の話


 甘ったるい匂いが部屋に漂っている。


 やれ何時に来いだの席はここだの煩かった女の気配は遠いものの、食器がぶつかる音やパタパタと世話しなく動いていることを知らせる足音が彼女の存在を意識させる。
 女が数日前から何かを企てていたのは知っていた。いつも傍に居る毛玉やハーツラビュルの一年生。なによりラギーやジャックもレオナに対して露骨に「何か企んでいますよ」と口には出さないものの告げていたからだ。
 他はともかくラギーくらいは上手く隠してやったらどうなんだとは思うものの、あの狡猾なハイエナは自分の利益を生まないことはしない主義だということをレオナはよく知っている。だからこそ信頼出来るし、そばに置いているのだが。
 この件に関して知らぬ存ぜぬを貫き通したところで、得をするのは自身の満足感を満たすことが出来る芽唯だけだろう。

「レオナ先輩、まだそこに居ますよね」
「帰っていいならそうするが?」
「だめ! だめです! もう少しですから!」

 扉の隙間から顔を覗かせた芽唯に見えるようにレオナがわざとらしく椅子から腰を浮かせば慌てて首を横に振る。
 そんなものは無視して本当に帰ってしまっても良いのだが、彼女の言葉を借りるなら飼い猫よろしくだいぶ飼いならされている自覚のある体はその重い腰を再びあげることはなかった。

「グリムお願い、扉開けて」
「おまえ張り切りすぎなんだゾ。一人で運べないデカさとか普段なら絶対作らない癖に」
「今度またツナ缶買ってあげるから!」
「ふなぁ……お前オレ様をツナ缶で利用できる便利アイテムだと思ってるな!」

 一枚隔てた先から聞こえてくる一人と一匹のくぐもった声に耳を傾けているとギィッと錆びかけた金具が音を立てる。交渉は成立したといったところだろう。
 小さな前足がレオナ側からも扉の隙間越しに見えているが何故かぴたりと動きが止まる。不審な動きをする小さな毛の塊──グリムの尻尾が機嫌よさげに揺れるのが見えたレオナの口からはため息が零れる。
 どうやら彼女の思惑通りに事は運ばないようだ。

「そんなに重たいならちょっと食っちまえばいいんだゾ! 二段あるのが一段になったところであいつが気づくはずないんだゾ!」
「ちょ、グリム! やめて! ダメだって!」

 買収したはずの獣の早すぎる裏切りに芽唯は狼狽えたのか、彼女がバランスを取るために足に力を入れたのが床が軋む音でレオナにはわかった。
「あいつ」と呼ばれた当本人の耳に届いて時点で隠蔽出来るわけもないのだが、一度言い出したら聞かない小動物はじわじわとお目当ての品と距離を詰めていく。
 体格差を生かして文字通り一蹴してしまえばいいものを、小さくて可愛いだの猫みたいだのと言っては日ごろからグリムを甘やかしている少女にそんなことは出来るはずもなく、芽唯は小さな口が舌なめずりする様子を「あ、可愛いな」と呑気に思うことしかできなかった。
 可愛らしい口が大きく開かれ、もうだめだと芽唯はまるで自分が喰われるような錯覚に陥り強く目を閉じた。

「………、………グリム?」

 おかしい。手荷物はちっとも軽くもならないし、満足そうに美味いと騒ぎ立てる声も聞こえない。
 焦りから早鐘を打っていた心臓は急に訪れた静寂に別の意味で大きく音を立て始める。

「ふなぁ⁉ 離せ、離せ!」
「ピーピーうるせぇな……。おまえも、いつまで目閉じてる気だよ。さっさと運べ」
「え……あれ?」

 思わぬ人物の声が近くから聞こえ、ゆっくりと目を開くと親猫に咥えられた子猫のように首根っこを掴まれたグリムが短い手足を一生懸命抗議するようにばたつかせている。
 寸前のところでお預けを食らったグリムは耳元の青い炎を激しく揺らめかせ、いつ火を噴きだしてもおかしくない。
 だが、肉食獣はそんな毛玉の喚きを気にすることもなく、その小さな体を振り子のように揺らすと開いていた小窓目掛けて放り投げた。
 マジフトのディスクのように一寸のぶれもなく小窓に吸い込まれるように消えていくグリムがふなぁああ覚えてろよ…!!と叫んでいたことは気にしないことにする。
 無情にも小窓はレオナの手により鍵ごと閉められ、口酸っぱく言い聞かせたおかげで戸締りだけは完璧なオンボロ寮には室内にいる二人のどちらかが招かぬ限り、青い炎を吐く狸が入ってくることは無いだろう。

「先輩、ありがとうございました」
「別に……、俺はうるさい毛玉を追い払っただけだ」

 指定された席に戻りながらめんどくさそうに欠伸をするレオナに礼を言うと、芽唯は両手を塞いでいた原因を慎重に机の上に置く。

「それでこれはどういうつもりだ?」

 獅子の形を模した飴を中心に赤い果実で彩られたそれが何か説明されなければわからない訳ではない。
 不機嫌そうに片眉を吊り上げたレオナの近くに膝をつくと、先に運んできていた包丁を手に取り芽唯は首を傾げる。 

「お誕生日って言ったらケーキですよね?」
「そういう意味じゃねぇよ」

 なんでお前が俺の誕生日を祝うんだよ、そう言ってやりたいがレオナは言葉を飲み込んだ。この草食動物にそんなことを聞いてもろくな答えが返ってこないことはよく知っている。
 周りに疎まれ続けた第二王子の誕生日を嬉々として祝う者など世界中探してもこの女くらいだ。いや、国に帰れば太陽を彷彿とさせる色鮮やかな鬣を揺らしながら「おじたん、おじたん!」と自分を慕う毛玉が足元にまとわりついてくる姿は想像できるが、それは今は置いておくことにする。

「えーっと……私がお祝いしたいので?」
「なんで疑問形なんだ。自己満足のままごとならあの毛玉とやってろよ」

 追い払った手前すぐには戻ってこないだろうが、戻ってきて手付かずのケーキが残っていればあの生き物は喜んで食べるだろう。それでも余るというなら今日の企みを知っていた連中に食べてもらえなかったと涙話を手土産に慰められながらその胃袋に収めてもらえばいい。

「だって、レオナ先輩の生まれた日ですよ? お祝いしないと損です!」
「本人が乗り気じゃねぇって言ってんだろ」
「ケーキ嫌いでしたか……?」
「あのなぁ……」

 こいつと会話をしていても埒が明かない。レオナは深くため息をつくと不安そうに眉を下げる芽唯の顔を一瞥して視線を逸らす。
 きっとこの草食動物にとって誕生日とは「特別」な日なんだろう。レオナにとっては二番の烙印を押された日であり、チェカの誕生と共にそこに永遠の二文字が書き加えられた。「誕生」と付いてまわる日はレオナにとっては厄日であって、手と手で音を鳴らしてはしゃぎまわるなどと言うことからは程遠い日であった。

「先輩のおっしゃる通り、お祝いしたいのは私のただの自己満足です。お誕生日って特別なんです。その日が来るのが楽しみで、お料理を豪華にするために直前はいつもよりちょっと節約頑張って、あまり大きな我儘は言えないけれど、今日だけはいいよって普段なら絶対買わないちょっとお高めな食材を買い込んで」

 そわそわする芽唯の視線を辿れば、今日の日付に丸が付けられたカレンダーが隙間風に煽られ少し捲れ上がる。一週間ほど前には「この日から!」と書かれている。彼女の言う節約が始まった日だと推測できる。
 出会った頃、グリムのツナ缶の為に自分の昼食代を削っていた彼女が、一体今度は何を削って目の前のケーキを準備したのかと考えると少し頭痛がしてきた。

「…それで? 祝って媚び売って、何が望みなんだよ」
「最後までちゃんと聞いてくださいよ!」

 皮肉めいた言葉で口を挟めば彼女の頬がぷくりと膨れ上がる。
 彼女の行動に打算的なものが基本的にないことはレオナも重々承知しているが、真っすぐ向けられた感情をただ受け止めてやれるほど純粋な心は持っていない。

「その人が自分にとって大切な人なんだって、堂々と想いを形にしていい日、なんです。私にとっては」

 そう言って照れ臭そうに微笑む女は自分がこっぱずかしいことを言ってることに気づいてるのだろうか。

「随分熱烈な告白だな?そうかそうか、俺が大切か」

 くくく、と先ほどまでの気怠さはどこへやら。肩を揺らして笑うレオナに芽唯は顔を真っ赤にして慌てだす。おろおろと慌てふためく様子が愉快でレオナは深い緑の瞳を細めると「気が変わった」と顎で切り分けるように促す。

「は、はい!」

 ずっと持っていた包丁を握りなおすも肉食獣の前で可哀そうなほど震え上がる草食動物に任せていてはせっかくのケーキが台無しになりそうだ。震え上がる、と言ってもそれは恥ずかしさと動揺から来るもので本人は「あれ?あれ?」と震える手を押さえつけるのに必死だ。

「おい、もっとシャキっとしろよ。ぐちゃぐちゃなケーキを俺に食わせる気か?仕方ねぇな」
「ご、ごめんなさい……ひゃっ」
「どうした? 前見てろ。ご自慢の愛情たっぷりのケーキがどうなっても知らねぇぞ」

 仕方ないと言いつつその声は明らかに楽しんでいる。後ろから抱きかかえるような体勢で震える手に自分のそれを重ねれば女の肩が跳ね上がる。耳元で囁かれ芽唯の頭の中はパニック寸前だ。いや、もう限界はとっくに超えているかもしれない。目尻に溜まった溢れかけの雫が何を示しているのかもわからない。

「あ、あの!」
「あ?」
「お肉もちゃんと用意してあります、から!」

 やっとの思いで必死に絞り出せた言葉は冷蔵庫で眠っている今日の為にとサムに用意してもらったお肉のこと。自分でもなんでこのタイミングで言ったのだろうと首を傾げる芽唯だったが、フッと耳元でレオナの笑う声がして思わず振り返ると至近距離で目があった。

「上出来だ」

 一瞬、レオナが柔らかく笑った気がして動揺した芽唯の手が揺れ、包丁の刃先で突かれた獅子の飴細工が甘く柔らかなクリームの海に包まれた。

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