懐いたネコチャン


 元の世界で例えるならサバイバルゲームのような『ハッピービーンズデー』という行事を終えた私はすっかり足腰が立たなくなっていた。
 迷彩ジャケットを脱ぐことも忘れ、地べたに情けなく座り込んでいると上から影が差す。

「惜しかったな、メイ」

 夕日を背負ってにやりと笑うその人物を見るのは随分久しぶりに感じるが、まだ一日も経っていないという事実に苦笑する。

「つーか、グリムもう寝てるのかよ」

 すぴすぴと寝息を立てる塊──グリムは私の膝の上で丸くなってすっかりお休みモードなのか、ぴくりとも動かない。

「筋トレどうだったのエース」
「マジで最悪! 絶対明日から筋肉痛だよ」
「バルガス先生厳しいもんね」

 飛行術の授業の度に筋トレをさせられているけれど、きっと男子生徒相手なら私が受けている内容より過酷に違いない。

「トリックスターお疲れ様、お手をどうぞ」
「ルーク先輩!」

 敵として相対した人物の登場に一瞬肩が跳ねたけど、幕が降りた今、私たちの関係はいつも通り。ただの先輩と後輩だ。
 グリムを抱え上げてから、差し出された手を取れば絶妙な力加減で身体を引き起こされる。彼も一日戦い抜いたというのに、泥だらけという点を除けば、ほとんど疲れているようには見えない。

「君たちのおかげでとてもいい思い出が作れたよ。去年に続いて驚きと興奮の連続だった」

 三年生には最後のハッピービーンズデー。感慨深そうに語るルーク先輩は満足そうな笑みを浮かべている。

「アンタだいぶ泥だらけね」

 ザリッと足音が聞こえ、ルーク先輩の隣に並び立ったヴィル先輩が私を見ろして息を吐く。

「ヴィル先輩もなんだか凄いですね……」
「ほとんどこの食えない狩人のせいよ。ま、アタシも楽しんでたから人のことは言えないんだけど」

 棘のある言い方をしているけれど、ヴィル先輩もどこか満足そうで、きっと彼も今年のハッピービーンズデーを満喫したんだろう。
 本人は嫌がるかもしれないけど、泥に塗れた姿が年相応の男の子に見えて、なんだか微笑ましい。

「ルーク先輩、去年に続いて〜って前回もそんなヤバかったんスか?」

 エースの問いかけにルーク先輩は目を細めると大げさに両手をあげて高らかに声を張り上げた。

「ムシュー・ハート、よく聞いてくれた! 話せば長くなるんだが……」
「どうせあの話でしょ。レオナとマレウスが手を組んでた」

 レオナ先輩とツノ太郎が……?
 意外な名前が飛び出し、ドキリと跳ねた胸を押さえてエースと顔を見合わせる。

「ヴィル! どうして結末を先に言ってしまうんだい!」
「アンタに話させたら、それこそ月が頭上まで登りかねないからよ」

 がっくり項垂れるルーク先輩を一蹴すると、口角を上げながらヴィル先輩が私の顔を覗き込む。

「まったく、正直者ね。レオナの名前が出た途端、随分嬉しそうじゃない」
「そ、そんなことないです」

 隠すように両手で包み込んだ頬が少し熱を持っている気がするけれど、そんなに表情に出てしまっていたんだろうか。

「あら、じゃあ詳細は話さなくてもいいわね? そこまで興味ないんだもの」
「えっ……それは困ります……」

 ふぅん、とヴィル先輩の唇と瞳は弧を描く。挑発的な視線にこちらから逸らしてはいけないと思い、私は負けじと見つめ返す。すると、逃げの姿勢を見せなかったことが認められたのかヴィル先輩が数回頷く。

「なら、ちゃんと素直になることね。アンタ普段は素直な癖にこういう時だけ本心を隠そうとするの、悪い癖よ?」
「す、すみません……。あの、去年何があったのか教えてもらっても……?」

 ヴィル先輩とルーク先輩の顔を交互に見る。それでいいのよ、とヴィル先輩は頷くとルーク先輩が笑顔で語り始めた。

「あの二人は去年怪物でね、同じく農民同士で竪琴を狙う私とヴィルの前に立ちふさがったんだ」

 情景をそのまま切り抜いたかのように詳細に語られる去年のハッピービーンズデー。
 寮ごとではないチーム分けをする行事だからこその組み合わせは、本来ならあり得ない共闘を生みだした。
 残念なことに私は見れてないけど、マジフト大会のツノ太郎の活躍は凄かったと聞いたし、そんな彼とレオナ先輩が組んでいたのなら、向かうところ敵なしだったんじゃないだろうか。

「そんなにすごかったんですね……」

 そういえば、今年はどうだったんだろう?
 思えば、丸一日会わないのは珍しい。隠れたり追われたり、慌ただしくて彼のことを考える暇もなかった。
 嬉々として語られるレオナ先輩の活躍に、今すぐ彼に会いたくなってくる。

「あ、あの!」
「どうしたんだい?」
「レオナ先輩がどこに居るかってご存じですか……?」

 フロイド先輩が農民最後の一人ということは、レオナ先輩は私よりも先に怪物にやられてしまっているはず。

「早々に捕まったらしいし、とっくに部屋に戻ってるんじゃない?」
「あのレオナ先輩がそんなに早く?」
「アタシが体育館に行った時には凄い怖い顔して筋トレしてたわよ。ラギーが役に立たなかっただの、ジャックがまた裏切っただの……。大方、楽に生き残ろうとして痛い目に遭ったってところかしら。アイツっていつもそうよね……まったく」

 今年はツノ太郎も農民側だったし、ヴィル先輩と三人で組めばかなりの戦力になっただろう。竪琴奪還だって夢じゃない。
 深くため息をつくヴィル先輩はまだ何か言いたげで、恐らく飲み込んだのはレオナ先輩が去年のように本気を出していればという言葉だろう。

「私、レオナ先輩に会いに行ってきます!」

 お疲れのところに押しかける形になるのは忍びないけれど、どうしてもレオナ先輩に今会いたい。
 腕にグリムを抱えたまま、私は三人にお辞儀をすると鏡の間へと駆け出した。



 閉会式から時間も経っていたのでサバナクローの談話室は生徒で溢れかえっている。誰の豆に当たってやられただの、お前を捕まえた後にアイツも捕まえてやっただの、自分の武勇を語る彼らの多くは、その耳や尻尾がご機嫌に動いていて可愛らしい。

「メイくん? どうしたんスか?」

 きょろきょろとあたりを見渡し、レオナ先輩の姿がないか確認していると背後から声をかけられた。

「ラギー先輩、ちょうどいい所に」
「レオナさんなら部屋ッスよ。無駄に筋トレさせられて疲れたから起こすなって」

 こちらの要件を告げる前に、レオナ先輩の居場所を教えてくれるラギー先輩にぱちくりと瞬きを数度繰り返す。

「君がここに来る理由、他にないっしょ」
「あ、あはは……」

 何も言わずとも私の疑問を拾いあげたラギー先輩は迷いなくそう告げるとニィと口の端を持ち上げた。完全に揶揄われている……。

「じゃあ、お部屋に行くのご迷惑ですかね……」

 ここで恥ずかしいと照れた素振りを見せれば、先程のヴィル先輩のように直接言葉で揶揄われるのが目に見えているので、特に何も言わずに知りたいことの続きを問う。
 普段から鍛えている先輩がそこまで疲労困憊になっているとは想定してなかった。
 レオナ先輩ならどんなトレーニングでも余裕でこなして、いつも通り寮で寛いでいると思っていたのに宛てが外れちゃったな……。

「メイくんなら大丈夫ッスよ。オレが行ったら噛まれそうだけど、ついでに晩飯も用意してあげてくれると助かるッス」

 腹空かしてると思うんで、と笑うラギー先輩に私はもちろん!と頷く。
 ちょうど私のお腹の虫もなりそうな気がするし、今日の出来事を聞きながら先輩とお夕飯をご一緒したい。

「あ、でもグリムどうしよう」

 調理を始めれば匂いできっと起きるだろうけど、レオナ先輩はグリムが一緒に居ると騒がしいと嫌がるかもしれない。

「オレの方で預かるッス。起きてもご飯与えておけば手もかからないだろうし」
「ありがとうございます!」

 腕の中のグリムをラギー先輩にそっと渡す。すやすやと眠る小さな相棒は「ツナ大盛がいいんだゾ……」と寝言を零すので二人顔を見合わせて笑ってしまった。



 鍵はかかっていないと言われたものの、念のため数度ノックをしてから扉を開く。
 部屋の奥、ベッドの上にレオナ先輩の姿が見えるが私に気付いている様子はない。本当にお疲れなのかもしれない、と私は息をひそめて近くまで忍び寄る。
 ゆっくりと腰を下ろしてベッドがギィと小さな音を立てても、レオナ先輩は夢の世界から帰ってこない。
 もしかしたらたぬき寝入りかもしれないと手を伸ばして頬や髪に触れてみる。サラサラの髪が先輩の頬を滑り落ち、寝息が私の掌にかかる。
 警戒心が強いのか、狩りをする生き物の獣人故か、先輩がここまで無防備に寝顔を見せてくれるのはとても珍しい。というか、初めてな気がする。

「筋トレお疲れ様、でもちゃんと活躍してるのが見たかったです」

 いつサマーグリーンの綺麗な宝石が顔を覗かせるかと見つめても、本当に熟睡しきっているのかその瞳は開かれない。

「先にご飯作っちゃおうかな」

 ぺたりと伏せられた耳をひと撫でして腰を上げる。
 立ち上がる時、尻尾が絡んでくるかも……と振り返ってみたけれど、私の過去の経験が活きることはなく、私は本当に『無防備に眠るレオナ先輩』と言うものを目の当たりにしたのだ、と言うことを実感した。
 静かに部屋を後にして、厨房をお借りする。先にグリムと自分用のご飯を用意していたラギー先輩は、すぐに戻ってきた私に目を丸くしていたが、すぐに何か納得したように「あのレオナさんがねぇ……」と感慨深そうに呟いていた。
 流石に私も疲れていたので簡易的なメニューを二、三用意してトレーに乗せる。疲れていても、むしろ疲れているからこそレオナ先輩はお肉を要求するだろうから、そこだけは外さないけど。
 二人分のご飯で両手を塞がれた私が、どうやって部屋に入ろうかと考えながら来た道を戻っていると誰かがドアの前に立っている。

「レオナ先輩……?」

 遠くからでも見慣れたシルエットは名前を呼ぶと振り返り、すぐに近づいていて私からトレーを両方奪う。

「おまえ、いつ来た……?」
「えっと、ついさっき」
「……飯を作る前に、部屋に寄ったか?」
「あ、はい。熟睡してたので声はかけなかったんですけど、傍まで行きました」
「マジか……」

 信じられない、と言わんばかりに目を見開くレオナ先輩。

「ダメでしたか……?」
「そういうわけじゃねぇが……。いや、いい。気にするな」
「はい……」

 歯切れの悪いレオナ先輩が気になるが、二人して部屋の前で立っているのもおかしいので部屋に入る。先輩が持ってくれたおかげで両手が自由になったので、もちろん扉を開いたのは私だ。
 その私の後ろをトボトボと音がつきそうなくらいゆっくりとついてくる先輩が心配で、トレーを置いてベッドに腰を下ろしたのを見計らい、隣に座ってその顔を覗き込む。

「レオナ先輩……?」

 何を問えばいいのかがわからず、ただ名前を呼ぶ。
 絡まった視線が一度は逸らされるけど、すぐに戻ってくる。

「おまえ……」
「あんなにぐっすり寝てるレオナ先輩、初めてみました」
「俺だって……初めてだよ」

 そう言ってレオナ先輩はこちらへ腕を伸ばし、ごろんっと私ごと深くベッドへ沈む。
 ぐりぐりと肩に顔を押し付けられ、同時に匂いを嗅がれていることを何となく察する。

「ふと目が覚めてお前の匂いがして驚いた。しかも見渡しても既に部屋に居やがらねぇ」

 腕に絡みつく尻尾をひと撫でしてあげれば、もっとと言わんばかりに頬をすり寄せてくる。

「いつもならすぐ起きるか、狸寝入りで意地悪されるのでびっくりしました」

 だって、あのレオナ先輩だよ?
 声をかけても、触れても、指一本動かさない。何度も何度もレオナ先輩に騙された私は未だに信じられないでいる。
 本当に無防備な寝顔を見れるなんて、それこそ動物が警戒心を解いて心の底から相手に懐いたような。……そんな、そんな。
 あれ……?
 自身で導き出した答えに驚いてレオナ先輩の顔をじっと見る。

「レオナ先輩、そんなに私に心許しちゃってるんですか……?」

 だって、そういうことでしょう?

「おまえなっ……」

 ぐりっと後頭部に回った掌が私の髪をかき乱す。とっくにボロボロだった私の髪からは髪紐が滑り落ち、解かれた髪が広がっていく。
 乱れた髪の隙間から、ほんのり赤く染まったレオナ先輩の顔が見える。どうやら、これはレオナ先輩なりの照れ隠しらしい。
 甘んじて受け入れていると、優しい手付きがくすぐったくて笑いが零れる。

「ふふっ、くすぐったいです。レオナ先輩」

 その原因はきっと大きな掌だけじゃないけれど、胸元にすり寄ればもっともっとくすぐったくなってくる。

「私も、先輩のこと大好きですよ」
「そうかよ」

 なかなか言葉にしてくれないけれど、それ以上に私のことを信頼していると、好きだと言ってもらえた気がして嬉しくなる。
 あぁ、こんなことなら、もう少しくらいあの寝顔を見ていればよかったな。
 惜しいことをしたなと振り返っていると、本来の目的を思い出した。

「レオナ先輩、去年は怪物側で大活躍だったって聞きました。頑張る先輩、見たかったなぁ」
「まさか、それを言いに来たのか?」
「はい! ルーク先輩達が教えてくれたんです。あ、今年同じチームなんだから一緒に頑張るっていうのも有りでしたね。農民側が勝ててたかも」

 そしたらきっとかっこいい先輩が見れたのに。もったいないことしちゃったな、と付け足せばレオナ先輩は頭を抱える。

「そういうことはもっと早く言えよ……」
「え、言えば本当に頑張ってくれたんですか……?」

 意外な答えだ。レオナ先輩のことだから『面倒だ』とか『そんなことして何になる』とか言われるものだとばかり思っていた。
 がばり、と勢いよく身を起こせばベッドに沈んだままのレオナ先輩が恥ずかしそうに視線を逸らす。

「好きな女に頼られて、本気を見せない男がいるわけねェだろ」
「そ、う……ですか……」

 真っすぐな言葉に、今度は私が照れる番だった。
 ついさっき、なかなか言ってくれないと、そう思ったばかりだったのに。
 レオナ先輩って本当にずるい。

「じゃあ、来年は一緒に頑張ってください」

 なんて、無事に進級出来れば今年が最後のハッピービーンズデーになるレオナ先輩に言ってしまった。

「バーカ、別チームかもしれないだろ」
「うっ……」
「ま、その時は俺がお前を捕まえてやるよ」
「倒す側かもしれないじゃないですか」

 身に着けたままだった農民側のワッペンを既に寮服に着替えていたレオナ先輩に貼り付ける。

「こういうのは男側が怪物って相場は決まってンだよ」
「そういうものですか……?」

 すぐに剥がされたワッペンは床へと投げ捨てられる。裏返しに落ちたそれがどちら側だったのか、見た目だけではもうわからない。

「それに、追うのも追われるのも似たようなもんだろ」

 そう言って牙を見せて笑うレオナ先輩に腕を引かれ、また身体が沈む。腕の中に囚われた私はレオナ先輩相手ならそうかもしれない、と静かに目を閉じた。

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