成仏するくらい囁いて


 物語の終わりはいつだって「そしていつまでも幸せに暮らしました」で締めくくられる。それは死者になったお姫様だって変わらない。
 突然現れてイデア先輩を見初めたイライザという名前のお姫様。五百年もの間、理想の王子様を探し続けていたけれど、彼女の本当の王子様はずっと傍で彼女を思い続けていた従者のチャビーさんだった。
 彼女に振り回されたイデア先輩や占拠されたオンボロ寮、そして校舎のために奮闘してくれた皆さんには申し訳ないけれど、彼女が本当に大切な人との愛を見つけることが出来てよかった。

 頬を叩かれ、身体を動かなくされて床に転がっていたナイトレイブンカレッジが誇る彼女の語る理想の王子様像に近い生徒達。その中にはレオナ先輩も含まれていて、彼の体を丸太のように転がしたのはほんの数十分前。
 イライザ姫がチャビーさんや他の従者さん達とナイトレイブンカレッジを去って、漸く学校に平穏が戻ってきた。

「ほっぺた、大丈夫ですか?」

 まだ少し痛みが残るのか、頬を手で擦るレオナ先輩がなんだか可愛い。声をかければキュートと称されたお耳と尻尾がぺたりと力を失くす。

「硬まってた身体の方がいてぇ。床で何時間も寝せやがって……」
「ふふ、お姫様の機嫌を損ねちゃうからそうなるんですよ」
「俺だって王子だぞ。立場は変わらねぇだろ」

 グルルルと喉を鳴らしてすっかり不機嫌なレオナ先輩は大食堂の装飾を睨みつけると忌々しそうにため息をついた。
死者の国からやってきたお姫様に、この人は夕焼けの草原の第二王子様なんですよと言っても通じないのだろう。イライザさんから見たレオナ先輩は「私の歌に合わせてくれなかった男」以外の何者でもない。

「早く部屋に帰るぞ。ベッドで寝てぇ」
「あ、ごめんなさい。私、今日はお泊りできないです」
「あ?」

 レオナ先輩は背を翻しながら私の手を取ると、そのまま大食堂から出ようとするので引っ張られないように足に力を籠める。優しく取られた手はその感触を楽しむかのように大きな手でむにむにと握られる。
 騒動のせいで今日はほとんど一緒にいれなかったから、本当は私も約束通りお泊りしに行ってしまいたい。でも、学園長のお願いを聞くのはここに置いてもらっている身としては果たさないといけない義務だ。

「お片付け、するように言われてるんです」

 先ほど、先輩が恨めしそうに見ていた装飾。ゴースト風味にアレンジされた結婚式を意識したそれらは髑髏だったり、墓標だったり実際の式からはかなり縁遠い物で形作られている。これらを明日にはちゃんと大食堂が使えるように片付けなければいけない。
 学園長なら魔法でぱぱっと出来るんじゃないの?と思わなくはないけれど、雑用をするのが私の務めだ。今回は流石に規模が広すぎるのでエース達も手伝いに駆り出されているので、グリムと二人っきりで励んで虚しくなる……ということはなさそうでありがたい。

「そういや、さっきクロウリーがンなこと言ってたな……」

 余計なことを、といわんばかりに椅子や壁を睨みつける。少し力が緩んだので手のひらからそっと自分の手を引き抜いて後ろに数歩離れる。

「なのでレオナ先輩は一人でゆっくり休んでくださいね」

 今から片づけを始めて、終わるのは一体何時になるだろう。流石に夜遅くにお部屋を訪ねるのは申し訳ないので私が帰る先はオンボロ寮に変更だ。
 じとりと恨めしそうな視線を向けられるが、私だってこればかりは譲れない。手の力を緩めたのだから、先輩だって仕方がないことだと思ってくれてはいるんだろう。
 ダメ押しにとひらひらと手を振れば、またため息を零したレオナ先輩が歩き出す。

「……ジャックに終わったらオンボロ寮まで送るように言っておく。一人で帰んなよ」
「グリムが一緒ですよ?」
「毛玉は数に入らねぇんだよ」

 心配性なのか、グリムを信用してくれてないのか、サバナクローの誰かに私の送迎をさせるのは今に始まったことじゃない。疲れているだろうにいつも通り私を気にかけてくれるのが嬉しくてくすりと笑みがこぼれる。
 大食堂を出る直前、ちらりと振り返ったレオナ先輩は不服だと言わんばかりに眉間に皺を刻んでいる。それでも、片付けに参加をすると言わない辺りが先輩らしい。

「おやすみなさい、レオナ先輩」
「……おやすみ」

 力なく垂れ下がったお耳や尻尾が見えなくなるまでその背を見送る。先陣を切って(真っ先に叩かれてしまったけれど)頑張ってくれたレオナ先輩は後日ゆっくり褒めるとして、今は目の前の課題を倒さなければと改めて大食堂を見渡す。
 暗い室内を怪しく照らす蝋燭たちがこれからの私たちの奮闘にエールを送るように揺らめいた。

 

 黙々と、というにはお喋りが止まらないお片付け。
 捗らないそれにストレスの溜まり切ったエース達はいつのまにか恋愛話で盛り上がっていた。
 みんなの声に少しだけ耳を傾けながらリボンやレースを壁から剥がす。男の子同士で行われる恋愛トークに口を挟むのは憚られるし、女の子の私が聞いてはいけない気がしてなるべく存在感を消すよう励む。
 門出を祝うために飾られたレース達をごみ袋に入れて一か所にまとめる。流石に椅子の方は男の子たちに任せるとして、この他に私が出来ることといえばテーブルの上に並べられた食器を棚に戻すことだろう。
 音を立てないように一枚ずつ皿を重ねてはある程度の枚数になったら厨房へ運ぶ。
 白熱する男の子たちの恋愛話はセベクの文通発言で違った意味の賑わいをみせていた。

「そうそう、白い便箋に筆記体でアイ・ラヴ…………じゃなくて!」

 何往復かしているとエースが大きな声をあげたのと同時に私の方を見る。まるで獲物を見つけたかのようにその目が輝くのがわかって、慌てて適当にコップを掴んでもう一度厨房に向かう。
 けれど、その前にエースに手を掴まれてしまった私は彼らが囲んでいた墓標の椅子に座らせられた。

「文、って言ったらやっぱメイの話は外せないよな!」
「まっ……エース! いきなり何言いだすの!」
「レオナおじたんへの熱烈なラブレター、結局何枚になったんだっけ?」

 ニヤニヤと笑うエース。手紙のことを知らないエペル達はなんだなんだと不思議そうな顔をしながらも、この話題が面白いことであるとエースの態度から判断したのか、彼の行動を止める気配はない。

「な、何枚でもいい、でしょ。……私だって、はっきりは覚えてないし」

 本当に、覚えてない。
 あの時は無我夢中で筆を執っていた。
 買い足しても買い足しても、すぐに足りなくなる便箋。それまで私の中でくすぶっていた想いたちが溢れ出して、いつか私自身をも飲み込んでしまいそうな勢いだった。

「えっと、話が見えてこないんだけど、メイサンは手紙でレオナサンに気持ちを伝えたってこと、かな?」
「気持ちを伝えた、っていうか。ちょっとすれ違っちゃって……」

 当時の事情を知らないエペル達にはなんて説明したらいいんだろう。
あの出来事の始まりだった日記。今は毎日書くということはなくなったけれど、ちょっとしたことが起きた時は以前のように書き記すことにしている。もちろん、寮に戻ったら今日の話も書くつもりだ。

「合わせる顔がなくて、でも伝えたいことは山ほどあって。それで手紙を書いたんだよね」
「なんだ、リリア様がおっしゃっていたことは正しかったんじゃないか!」
「流石に二十五回も満月は待ってないよ」
「なんだと……⁉」

 一週間にも満たない、けれどそれ以上に長く感じた懐かしい日々。
 レオナ先輩のことを想って手紙を綴るのも、嫌いじゃないけれど……。

「私は好きな人とはちゃんと隣に座ってお話したいよ。顔も見たいし、声も聴きたい」

 今日思ったことだって、今すぐ伝えに行きたい。
 ふと目に入ったテーブルの中央に彩を添えている花がブーケのようで、目の前にタキシードに身を包んだエースがいるのも相まってイライザさんにプロポーズをしに行った皆の姿が脳裏を過った。もちろん、その中にはレオナ先輩もいて。中継で見ていたプロポーズをするためにお姫様と向かい合う姿は真剣で……。
 その様子を見ていた時に現れた胸に重くのしかかる何かは見ないふりをしていたら消えたはずだったのに、再び現れてぎゅっと胸を締め付け始めた。暗くなる気持ちに自然と視線が床に落ちていく。心の中が靄がかかったように暗くなる。

「メイ? どうしたんだ?」
「子分、眠いのか?」
「日付も変わってるからな……俺もだいぶ眠い」

 心配そうに私の顔を覗き込むデュースとグリム。ジャックは本当に眠いのか少し欠伸をしているようだ。
 靄を振り払うように勢いよく顔をあげて席を立つ。急に動いた私に驚いたのかグリムが尻もちをついた。

「いきなり動くんじゃねー!」
「ごめん、でも、早く片付けないと。このままじゃ朝になっちゃうよ」

 わざとらしく音を立てて食器を重ねれば皆も「それもそうだな」と手近な物に手を伸ばす。
 無心で片づけを進めている傍ら、また盛り上がり始めた男の子たちの会話に耳を傾けて自分の中に生まれたよくわからないものからは目を逸らし続けた。



 疲れ果て、寝てしまったグリムを腕に抱きながらオンボロ寮への帰路に就く。レオナ先輩の言いつけ通りジャックが送ってくれると譲らなくて、あと数時間後には太陽が昇ってきてしまうことが気がかりだけどお言葉に甘えて一緒に帰ってもらうことにした。

「お前、元気ねぇよな」
「え?」
「片付けの途中、元気なくなってただろ」
「あぁ……」

 覚えてたんだ。一瞬のことだったのに掃除の間に忘れず気にかけてくれていた友人を横目で見る。
真っすぐとオンボロ寮への帰り道を見つめていて目が合うことはないけれど、心配してくれていることは伝わってくる。

「……ちょっともやもやしちゃって」
「もやもや?」
「羨ましいなって、イライザさん」
「……嫉妬した、とかじゃなくか?」

 ジャックの言葉に頷き自分の出した答えを振り返る。
 大食堂の片付けをしながら自分の中に生まれた感情と向き合ってみた。始めはジャックの言う通りきっと嫉妬だろうと、そう思った。恋人がフリとはいえ、他の女性にプロポーズをするのを見ていて気分が良くなる人はいない。だから自分の気持ちも沈んでしまったのだと。

「レオナ先輩にプロポーズなんて、私だってまだされたことないんだもん。イライザさんずるいよ」
「あれをそう呼んでいいかは微妙だけどな……。何もせず叩かれたし……」
「それでも、あの場にレオナ先輩は彼女にプロポーズをするために立ってたんだもん……」

 大食堂にかかった魔法のようにこの胸に抱えた羨望も解ければいいのに。
 足元に転がっていた小石を軽く蹴り飛ばす。変則的に転がっていく歪な尖った塊はまるで今の私の心みたいだ。

「……素直に話せばいいんじゃねぇか」
「え?」
「羨ましかったって。あの人はそういうのちゃんと受け止めてくれるだろ」
「そう、だとは思うよ。レオナ先輩優しいから」

 ばーか、って言いながら大きな手で頭を優しく撫でて笑って、私が隠し事をすると巧みな話術で誘導して聞き出そうとしてくれる。前みたいに黙って逃げられるのが嫌だから……、と教えてくれたのはいつだっただろう。
 素直に話して、聞いてもらって、一緒に考えるのが一番良いのはわかってる。……わかってるのに。私のちっぽけな自尊心がそれを許してくれない。

「……ま、なんにしろ一人で抱え込むのはやめろよな。あの時みたいなのはごめんだ」
「ふふ、大丈夫。あんなに拗れるのは後にも先にもきっともうないよ」

 すれ違ってしまったあの時……。レオナ先輩とお付き合いを始めるきっかけになった騒動。今となっては笑って流せるけれど、当時はこんな風になるなんて微塵も思っていなかった。
 巻き込まれたジャックやラギー先輩達は当時何を思っていたんだろう。先輩の瞳から逃げることに必死だったし、必然的にサバナクローからは距離を置いてしまったので想像することも難しい。

「今悩んでることだってね。多分、レオナ先輩に会ったら全部バレて言わされちゃうの」

 ちっぽけな見栄を張ったところで、私は彼を前にしたらきっと全てさらけ出してしまう。少しずつ、私たちの手で魔法が解けていった大食堂のように。心をゆっくりと開かれる。
 無理やり押し入るわけでもなく、ぷつりと牙を肌に食い込ませるように。
 じわりと血液の代わりにあふれ出る私の気持ちを飲み干してしまう。

「なら、明日にでもすぐ吐かされるんだろうな」
「そうだね。明日きっと全部言わされちゃう。でも、早く会いたいなぁ」
「惚気なら聞かねぇぞ」
「いじわるっ」

 肩を揺らして笑う私達とすやすやと眠るグリムを月明かりだけが照らしている。
 転げて、角が取れてすっかり丸くなった小石が再び足先に弾かれて草むらの中に消えていった。



 寮に戻ると占拠された時が嘘のような静けさを取り戻していた。
 ゴースト達も流石にお姫様達の押しの強さに疲れたのか、その姿を見せる様子はない。
 明日は休みなので寝坊しても許されるだろうと疲れた身体を労わるために少しだけ長風呂をしたせいもあり、遠くの空が僅かに白んで朝の訪れを感じさせていた。
 まだ半乾きの髪をタオルでまとめ、漸くベッドの淵に腰を掛ける。先に寝かせたグリムは未だに寝息を立て熟睡中だ。
 小さな手をぎゅっと握ればふなふなと寝言が零れる。

「オレ様……がんば……ゾ。ツナ缶……」
「またツナ缶の話してる」

 大方、ご褒美にツナ缶でもねだっているんだろう。今にも涎をたらしそうな緩んだ口が気になって頬をつつけばイヤイヤと首を振る。
 可愛い相棒の睡眠妨害も程ほどにしてサイドテーブルに視線を移すと置きっぱなしにしていたスマホに通知が届いた。 
 こんな時間に誰だろう……?お日様すらもまだ半分眠っているような、早朝と呼ぶには少し早い時間に起きている人物が一緒に帰宅した一年生組以外誰も思い浮かばない。
 スマホを手に取ってディスプレイを見てみれば、短く簡潔な文章が表示されている。

『起きてるか?』

 簡潔な要件だけのそれは、名前を見なくても差出人が誰かわかる。

『これから朝練ですか? 早いですね』

 手短に返事を返す。差出人……レオナ先輩がこんな朝早くから起きるなんて、多分そういうことだろう。

『窓、開けれるか』

 続けて送られてきたメッセージに首をかしげた。とりあえず、スマホはテーブルの上に戻して、問われるがまま窓の近くに歩み寄ってみるとコンコンと見慣れた褐色の手がガラスを叩いている。

「レオナ先輩⁉」

 私がその存在を認識したと判断した先輩は片手に握っていたスマホを胸ポケットにしまうともう一度窓をノックする。
 慌てて鍵を外して窓を開ければ、いつも立ち上がって箒に乗っているレオナ先輩は同じ向きのまま今日は箒に腰を下ろしている。
 まるでベンチにでも座っているかのように宙に浮いているレオナ先輩は「よお」とゆっくり片手を上げた。

「その様子だとまだ寝てないのか」

 濡れたままの私の髪を一瞥するとマジカルペンを取り出して一振りする。ふわりと風が通った感覚と共にタオルは畳まれテーブルへと飛んで行った。

「もう少し起きてられるか?」
「寝かせる気なんて最初からないくせに」

 わざとらしく首をかしげるレオナ先輩が手を差し出してくるので、迷わず自分の手を乗せればぐいっと引かれて彼の膝の上へと横向きに座らせられる。

「わかってるじゃねぇか。どうせ休みだ。付き合えよ」

 開け放たれた窓はそのままに、レオナ先輩が箒を飛ばす。陽も出てきて気温も上がってきたからグリムが風邪をひいてしまうことはないだろう。
 振り落とされないようにレオナ先輩の首に腕を回しながら、遠ざかるオンボロ寮を横目に彼の胸板に頭を預けた。

「先輩はちゃんと寝ましたか?」
「一応な。お前はバカ正直にクロウリーに押し付けられた仕事をやってて寝てないんだろ」

 ゆっくりと、安全運転で飛ぶ箒は当てもなくふわふわと空の旅を楽しむ。風を切る感覚が心地よく、この分だと髪も早く乾きそうだ。

「そうですよ。だから凄く眠いです」

 わかってるくせに連れ出そうとするなんて、と抗議の意味を込めて逞しい胸板に頭をぐりぐりと押し付ける。レオナ先輩の体温が心地よくて欠伸が漏れそう。

「寝たら当分起きないだろ。今のうちにちゃんと話しておきたかったんだよ」
「話? なんのですか?」

 欠伸を必死に噛み殺しているとレオナ先輩の手がゆっくりと私の頬を撫でる。
 いつのまにか動きを止めていた箒はナイトレイブンカレッジすらも遙か遠く。雲と同じくらいの高さに停止した私たちは登り始めた朝日が眩しくて、二人して目を細めた。

「お前が意外と嫉妬深くて驚いたって話」
「……ジャックに聞いたんですね」

 ククク、と喉を鳴らして笑うレオナ先輩に話の発端が誰だったのかがすぐに浮かぶ。

「そう責めてやるなよ。あいつは群れの一人として報告の義務を果たしただけだぜ」
「もう! 群れの決まりと友達、どっちが大事なんですか」
「そんなの王とその番が仲睦まじく過ごすのが一番だろ」

 あいつもだいぶサバナクロー生らしくなってきただろ、と自分の教育が行き届いていることを誇るレオナ先輩の前でいくら頬を膨らませても無駄なことはわかっている。
 どうせレオナ先輩に会ってしまえばバレると思っていたことだから別にいいけれど。知らない所で自分のことを明かされていたとなると妙にむず痒い。

「別にこと細かく説明させた訳じゃねぇよ」
「そういうことを言ってるんじゃないです!」
「怒んなよ」

 そんなことを言われても、こっちは昨日からイライザさんを羨んだり、学園長に片づけを押し付けられた末に恋バナに巻き込まれたりと感情をぐちゃぐちゃとかき乱されている。その上、寝る直前に連れ出された先でそのことを好きな人に揶揄われたら怒るくらい許されると思う。

「寂しがってる恋人をせっかく甘やかしに来たんだ。つれなくするなよ」
「別に寂しいわけじゃ……」

 指先で顎を掬われ視線が絡み合う。真っすぐ見つめてくるサマーグリーンの瞳はハチミツを混ぜ込んだかのように甘いものを秘めている。

「じゃあなんだよ?」
「……羨ましかったです。動機はさておき、レオナ先輩にプロポーズされるイライザさんが」

 あくまでもあれはイデア先輩を助けるためのお芝居だ。それはわかってる。それでも、本気でレオナ先輩はお姫様に自分を選ばせてみせるとヴィル先輩と張り合っていた。

「って言われても俺は何もしてねぇがな」
「いきなりばっちーん、ってされちゃいましたもんね」
「うるせぇよ。思い出させんな」

 片手を首から離してそっと頬を撫でる。綺麗な紅葉が刻まれていたのが記憶に新しい頬が妙に愛おしい。
 滑らかな頬に触れているとレオナ先輩の手が重ねられる。もっとと言わんばかりにすり寄る頬も離れないように引き寄せる手も、甘やかしに来たという割には自分の方が甘えているように見えてなんだか可愛い。
 相変わらず逸らすことなく向けられるレオナ先輩の瞳を見つめ返しながら、今の自分の気持ちはどうやったら伝わるだろうと考える。
 お芝居でも他の子なんて見ないでと、包み隠さず言ってしまえばいいんだろうか。
 きっと、もっと気の強い女の子だったらそんな風に言えるんだろう。けれど、いい子の私はどこまでも「あれはイデア先輩とオンボロ寮の為だから」と口を噤んでしまう。
 じっと黙った私を急かすでもなく、待ってくれるレオナ先輩の指が重なったままの手の甲を撫でる。

「強情な所はいつまでも変わらねぇなァ」
「もっと素直な子が好みなら他を当たってください」
「手紙のお前は素直だったろ」
「て、手紙の話は今日はもういいです!」
「むぐっ⁉」

 まさか一日に二回も掘り起こされるとは思わなくて、事情を知らないレオナ先輩がニヤニヤと話し始めるのを手で押さえて遮る。
 目を白黒させながら驚いているレオナ先輩には悪いけれど。今日はもう、本当にその話はしたくない!

「ひゃっ」

 口を塞いだ手のひらを生ぬるい何かがぬるりと撫で上げる。
 驚いて手を離せば落下してしまわないように片手に添えられていたレオナ先輩の手が肩と連動して震えていて、その唇からは少し分厚くてざらりとした感触の舌が顔を出していた。

「な、なにするんですか!」
「こっちの台詞だ。バランス崩して落としちまっても知らねぇぞ」
「レオナ先輩がそんなミスするわけないって知ってますから」

 わざと箒を傾けるレオナ先輩を睨みつける。相も変わらず横向きに箒に座って、両ひざの上に私を座らせているのに不思議と態勢に不安感も怖さも感じない。……といってもあまり下を向いていると小さく見えるナイトレイブンカレッジや、もはや豆粒サイズのオンボロ寮との距離を実感してしまって胃がきゅっと締め付けられるけど。
 命綱のように腰に巻き付けられたレオナ先輩の尻尾の先が落ち着かせるように背を撫でる。
 何往復かするとレオナ先輩は困ったように眉根を寄せては口元緩ませた。

「この俺がこんなことするのはお前くらいなんだが、それでも不服か?」
「……先輩はプロポーズ、なんて言うつもりだったんですか?」

 ヴィル先輩のように情熱的な言葉をぶつけるつもりだったんだろうか、それとも自分を選べばどんなものが得られるとちらつかせる?

「特に考えてねぇな」
「あんなに自信満々だったのに?」
「俺に迫られて頷かねぇ女はいないだろ」
「……本気で言ってます?」
「あぁ」

 頷くレオナ先輩にぱちくりと目を瞬かせる。

「レオナ先輩、プロポーズって意味わかってます?」
「バカにしてんのか?」
「そうじゃなくて……」

 どうしてそれで自分を選ばせるなんて言えたんだろう。
 あまりにも雑なレオナ先輩の作戦に何も言えなくなった私は黙って胸板に頭を預ける。
 静かになった私の髪を片手で梳きながらレオナ先輩は再び箒を飛ばす。
 ゆっくりと降下した箒は学校の一番高い塔の屋根の上でその動きを止めた。

「足、滑らせるなよ」

 斜めのそこは意外にも足場として悪くなく。レオナ先輩に支えられながら箒を降りると腰を下ろすことに成功する。
 膝を抱えるように座って待てば、同じように隣に腰を下ろしたレオナ先輩は屋根の上で胡坐をかくと地平線の向こうからすっかり飛び出た太陽を睨みつけた。

「俺から逃げ回る女なんてお前くらいだろ」
「逃げてなんて……」
「選べねぇだのびーびー書き連ねてたのはどこの誰だよ」
「私ですね……」

 今だって、レオナ先輩を選べるかと言われれば悩んでしまう。
 相変わらず元の世界とレオナ先輩を両端に乗せた天秤は、たまにゆらゆらと揺れては均等を保っている。

「俺は自分の世界と俺を比べて悩んでる女を口説くのに忙しいんだ。カイワレ大根の為に興味ねぇ女を口説いてる暇なんてねぇんだよ」
「……じゃあ、その人にはいっぱい素敵な言葉考えて口説かないとですね」
「それで落ちてくれるならいくらでも囁いてやるよ」

 そう言って頬を寄せてくるレオナ先輩は私の横髪を耳にかけると頬に一つキスを落とす。くすぐったさに身を竦めれば身体ごと引き寄せられた。

「機嫌は直ったか?」
「もうちょっとだけ時間がかかるかも」
「そりゃ困ったな。どうすりゃ直る?」

 口ではそういうくせに、口角が上がりきってる私だけの王子様。
 眩しいものを見つめるように目を細めると額を合わせて目を閉じた。

「私がゴーストだったら満足して成仏しちゃうくらいにいっぱい口説いて欲しい、です」
「仰せのままにオヒメサマ」

 弧を描く唇は音を紡がず、私の唇に重なった。

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