ただいま、レオナ先輩
鞄一杯とは言わないけれど、旅の思い出を詰め込んだそれを抱えながら芽唯はサバナクローへの鏡をくぐる。
会わなかったのはほんの数日だというのに話したいことが山ほど出来た。パタパタとせわしない足音に振り返る獣人達がその姿を見て口角を上げたことに彼女が気づくことはない。
もちろんラギーもその一人で、レオナなら部屋に居ると奥を示すと芽唯の邪魔にならないように道を開けた。
「ありがとうございます! ラギー先輩にもお土産あるので後で渡しますね!」
「はいはい、君が元気に部屋から出てこれたらね」
「元気?」
今こんなにも元気なのに何故そんな心配をされるのか。
足を止めかけたが追い払うようにラギーの手がひらひらと揺れるので疑問を抱えたまま前を見る。まっすぐ進んで角を曲がる。その先にある階段を上りきればレオナの部屋は目と鼻の先だ。
そんなに遠くないはずの道のりなのに、距離がいつもより長く感じるのは逸る心がそうさせるのか。すれ違う寮生達が口々に「がんばれよ」と鼓舞してくるのが気がかりだが、漸く目的地にたどり着いて一息つく。
まずは走って乱れた前髪を整えようと鞄に沿えたままだった手を離した。
その瞬間、隙を付いたように扉の隙間から褐色の手が伸びてくる。
「えっ⁉」
ぬるっと出てきたそれは、まるでお化け屋敷でよくある演出のように芽唯には思えた。ドキリと跳ねた心臓と脳の反射が自然と後ろに身体を逃がす。けれど、そんなことは許さないと言わんばかりに手首を掴まれ、芽唯はあっという間に室内に引きずり込まれてしまった。
これが怪談話なら芽唯の悲鳴が寮の廊下に響くところだが、高鳴る鼓動は置いておき、彼女は至って冷静だった。ばたりとしまった扉はすぐに鍵をかけられ、目の前にチョコレートブラウンの髪がカーテンのように広がっていようと、とても冷静だ。
少し強引にも思えたが、一歩室内に入ってしまえば褐色の手の持ち主は先ほどの俊敏さが嘘のようにゆっくりと芽唯の額に己のそれをこつりと合わせた。
「……ただいま、レオナ先輩」
「おせぇよ……」
ぐりぐりと額を押し付けられて互いの前髪が乱れていく。整えたところで無駄だったな、と止まることを知らないレオナの求愛行動に呆れつつも胸が躍る。
手首から離れた手が背中にまわる。離れていた時間を埋めるように身体がくっつく。乱れた前髪のまま芽唯の首筋に顔を埋めてレオナが大きく息を吸い込んだ。
「もしかしてずっと待ってました?」
「ばーか、帰ってくる時間くらい覚えてる」
「じゃあ時間に合わせて扉の前で待ってたんですね」
まるで主人が帰ってくる時間に合わせて玄関で待っているペットのようだ。彼らと違うのは扉が開く瞬間を待たずとも、部屋の前に来た瞬間自らの意志で中に引きずり込むことができるところか。
「先輩、お土産たくさん……は買えなかったけど、足りない分はお話いっぱいしますから」
だから離れてと鍛えられた胸板を押し返すが、レオナはまったく動かない。
それどころか背中を扉に押し付けられ、逃げることは許さないと言わんばかりに四方をすべて塞がれる。
「そんなに拗ねるなら一緒に来ればよかったのに」
「トカゲ野郎が居なけりゃな」
「出た、レオナ先輩のツノ太郎嫌い」
「……お前がそうやって親し気に呼ぶのも気に食わねぇ」
「はいはい」
マレウスの名を出したのは悪手だったか。尻尾まで足に絡んで本格的に動けそうにない。
せめて荷物だけでも降ろさせて欲しいのだが、そんなことを口にしたら益々拗ねてしまうのはわかりきっている。
仕方なしに芽唯の方からも背中に手をまわせば応えるようにレオナの力が強くなる。
「レオナ先輩、潰れちゃいます」
「お前が? それとも荷物が?」
「どっちもです」
二人の間で可哀そうなくらい潰れた鞄。潰れて困るようなものを買った覚えはないが、そろそろ助けてあげたい。
顔を埋めたままレオナが動けば必然的に豊かな髪が芽唯の首筋をくすぐる。くすぐったくて漏れた笑い声を甘えたなレオナに対してだと勘違いしたのか、ぐるると喉が唸る。
そんなところが可愛くて、また笑ってしまうのだが今度は本当にレオナに対してなので彼の怒りを多少は受け止めなければいけないだろう。
宥めるように背中を擦れば、また少し力が強くなる。
「先輩、先輩、本当に潰れちゃいます。ぺちゃんこです」
「そりゃいいな。その方が勝手にふらふら男に着いて出かけたりもしなくなる」
「風が吹いたら飛ばされちゃいます」
「ならタペストリーにでもして壁に固定するしかねぇな」
抱きしめられたまま身体を持ち上げられ、身長差もあって簡単に運ばれる。床につかなくなった足をぶらぶらと揺らそうとしても巻き付いた尻尾が邪魔をする。
「歩きにくくないですか?」
「大した距離じゃねぇ」
扉からベッドまで、レオナの足ならほんの数歩。芽唯を抱えていたってそれは変わらない。
ゆっくり降ろされ、ベッドの淵に座らせられた芽唯は漸くレオナが離れたことでぺちゃんこだった鞄を助けてあげた。
中を開けば気持ちばかりのお土産と瓶詰にしたジャスミンの花が顔を出す。
どうしても持ち帰りたかった自由の花。日持ちしないことは分かっていたが、やはり既に少し元気がない。
鞄から取り出して机の隅、レオナの部屋にある小さな芽唯の為の場所。そこに我が物顔で鎮座する片目に傷のあるライオンのぬいぐるみに瓶を抱えさせれば完璧だ。
「そんなのどうすんだ」
「旅の思い出、です」
ふぅんと興味なさそうなレオナは目を細めるとぬいぐるみの頭をわしゃわしゃ撫でる。
いつだったか購買で見かけて買ってしまったぬいぐるみ。一度はレオナの機嫌を損ねる原因になった彼を思わせる刺繍を施したそれは彼の部屋には不釣りあいだったのに今ではすっかり馴染んでいるから不思議なものだ。
芽唯の隣に腰を下ろしたレオナは彼女の鞄を覗き込むとお土産というには物の少ない鞄に瞳を数度瞬かせる。
「かなり膨らんでると思ったが瓶出したら大したことねぇな」
「お土産の大半は思い出話です。現地のお料理美味しかったですよ」
「他の野郎と味わった飯の話なんかつまんねぇよ」
「もう!」
置いて行かれたことがよほど不服だったのか。そのまま横になるとレオナは耳をぺたりと伏せた。
甘えてきたり不機嫌になったり、コロコロと変わる態度。彼のことを深く知らない人は『気難しい』と解釈するのだろうそれも、慣れてしまった芽唯には全てが愛おしくてたまらない。
甘えてきたのは離れていた間の寂しさを埋めたかったから。不機嫌になるのは自分以外との楽しい思い出にやきもちを焼いているから。なんてことはない、何処にでもいる恋人のそれと変わらない。
シーツに広がるチョコレートブラウンごと耳の裏を撫でてあげればピルピルと動いて可愛らしい。あのヴィル・シェーンハイトすらも認める美貌を持った王子様を可愛いと称すのはどうかと思うが、レオナに対してそんな感情を持つことが出来るのが恋人の特権というものだ。
先ほどとは違った意味でぺしゃんこになった鞄を床に降ろして隣に寝転がる。鼻先が触れ合う距離でサマーグリーンの瞳と視線がかち合う。
「……ただいま、レオナ先輩」
「ん」
「……次にどこか行くときはレオナ先輩と一緒が良いな」
「……ん」
芽唯自身、寂しくなかったと言えば嘘になる。話したい事が山ほど出来た。それは隣に彼が居なかったが故に他ならない。
次にどこかに行くときは、鞄に詰め込む思い出に彼と作ったものも欲しい。キラキラとしたそれらを取り出したとき、説明するのでなく、あったことを一緒に振り返りたい。
こちらからすり寄るように距離を縮めれば、すぐにレオナの手が伸びてくる。
外からの光を反射して瓶がきらりと輝いた。彼に思い出話をするのはまた今度。今はただ、恋人の香りに包まれてゆっくりと瞼を閉じる。
視界の隅で瓶を抱えたライオンが少しだけ微笑んだ気がした。