馬鹿な女


『──王になりたい』
 それが愛した獅子の願いだった。

 シーツの海に沈んだはずの意識が浮上した。一緒に大海原に漕ぎ出した男はまだ夢の中で、規則正しい呼吸音だけが聞こえてくる。
 腰に回された手と尻尾から逃れようと身じろいだ芽唯だったが、本当に寝ているのか疑わしいくらいにビクリともしない。諦めて胸板に頬をすり寄せ、腕をそっと撫でてやればごろごろと喉が音を鳴らす。

「本当に、生まれてきてくれてありがとう。レオナ先輩」

 昨日何度も言った言葉が自然と零れた。
 誕生日を『自分が生まれただけの日』と言い放ったレオナにとって、今日は特別な日ではないのだろう。もしかしたら『誕生』という言葉自体に良いイメージが無いのかもしれない。

 ファレナが生まれた日。彼には次の王座が用意された。
 チェカが生まれた日。その次の王座が用意された。

 王族として生まれた他の男児には王座が約束されていた。……ただ一人レオナを除いて。
 自分にだけ用意されない、欲しくて欲しくてたまらないもの。
 その苦しみも、悲しみも、絶望も芽唯に理解できる日は来ないだろう。王なんて知らない誰かがなるもので、自分とは全く縁がないものと思って生きてきたからだ。
 けれどレオナは違う。父が王で、兄も王で、やがて甥も王になる。
 今は隣で穏やかに寝息を立てているが、感情に押しつぶされそうになった夜もあったのではないだろうか。
 傷があってもなお……いや、その傷がより一層美しさを際立てている顔にそっと触れてみる。
 今年の誕生日、レオナは楽しいと思えたのだろうか。生まれてきてよかったと、そう思ってくれただろうか。

「私が持ってるものなら、なんでもあげるのにな……」

 自分に用意できるものならすべて捧げてもいいと思っている。

「レオナ先輩が誕生日を待ち遠しいって思えるように、頑張りますね」

 来年も、その翌年も、そのもっともっと後も、何度でも彼におめでとうを伝えよう。
 誕生日は特別な日なのだと、彼が心の底から思えるように。

◇◆◇

 目を閉じたまま、耳を澄ましていたレオナは『馬鹿な女』と彼女の腰を強く引き寄せた。
 もちろん、寝たふりは続けたまま。ただ力だけを強く籠める。
 胸板に顔面を押し付けられた芽唯の苦し気な悲鳴と吐息が素肌を掠めてくすぐったい。
 こぼれそうになる笑いをなんとか堪えながら、腕の中のお人好しな少女で思考を満たす。
 

 きっと彼女はこう思っているのだろう。
「王様になれない第二王子は誕生日というものを忌み嫌っている」
 確かにそうだ。自分が生まれた時点で一つしかない椅子は既に埋まっていた。ほんの数年遅く生まれただけで「あれはお前の席じゃない」と王になれないと突き付けられた。
 兄と比較され、何かあればダシにされては扱き下ろされる。
 そんな環境でレオナに出来ることと言えば兄とは無関係な場で実力を持って相手をねじ伏せることだけだった。
 レオナ自身を認めなくても「負けた」という事実だけは認めざるを得ない。
 いつもはねちねちと嫌味を言う大人たちの表情が歪んでいく様は何よりも楽しい娯楽だった。
 けれど、遊戯で一時満たされたとてすぐに虚しくなる。
 誰に勝とうが王にはなれない。所詮は王の弟として生まれた存在。永遠に王座を指をくわえて見ることしか出来ない。
 退屈で、不公平な人生を歩み続ける。それがレオナ・キングスカラーという王弟になることを定められた男の一生……のはずだった。
 甥の存在によってうまみの消えた実家から出る為に訪れたナイトレイブンカレッジで、まさかこんな拾い物をするなんてあの頃の自分は露にも思っていなかっただろう。
 身じろぎ、苦しくない位置を見つけたのか、気が付けば安心しきってまた眠りについた番になった少女の腰をひと撫でする。柔らかく男とは違うまろい身体。例え拒まれようと手放す気のないレオナだけの宝物。
 お優しい彼女はレオナが何も言わない限り、今日という日がレオナにとってつらい日だと勘違いし続けるだろう。そんな芽唯の気持ちを利用できるまたとない日でしかないというのに。
 悲しいのだと、王になりたいと嘆けば彼女は「それ以外のものならなんでもあげる」と自分自身すら捧げてくる。
 嘆いて足掻いて、それでも無駄だということは嫌というほどわかってる。駄々をこねれば何でも手に入ると思ったことなど一度もない。兄や甥を手にかけることでしか得られない王座なんてとっくの昔に興味はなくした。そんなことをすれば唯一初めから自分の手の中に転がり込んできた少女を手放すことになりかねないからだ。
 指通りの良い髪をゆっくり撫でる。同じシャンプーを使っているはずなのに僅かに香りが違う。肺を満たすように、鼻先を芽唯の頭部に押し付け息を吸う。
 心から欲したモノの中で初めて自分を選んでくれた少女。
 ニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべて、甘い言葉を投げてくる。他の誰でもないレオナの為だけに。
 彼女が頑張らなくてもレオナにとって「自分の誕生日」は芽唯が自分の為に身を捧げてくれる特別な日に既になっている。けれど彼女は気づかない。レオナがそんな素振りを見せないから。
 来年も、その翌年も、未来永劫、憂いを秘めた獅子の瞳に騙され続けるのだろう。その奥に彼女にだけ向けたどろっと重たい熱があることに気付かないまま。
 どうしようもないくらい狂おしく、愛おしくてたまらない馬鹿な女。
 くくく、と喉を鳴らしながらレオナは芽唯を閉じ込めた腕に力を籠める。

「まァ、来年もよろしく頼むぜ?」

 自分を満たせる唯一の存在。
 その温もりを感じながらレオナはもう一度眠りについた。

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