塗り替えメモリー
ぱちぱちと音を立てる炎から火の粉が飛ぶ。妖精達が『赤い花』と呼び恐れるそれは確かに恐ろしい一面もあるが、使い方を間違えなければ暗闇の中でも心を安らかにさせる効果がある。
マジフト部が起こした焚火の傍に腰を下ろした芽唯は膝を抱え、すっかりと陽が落ち星々がちりばめられた空を眺めた。
「あの日は見上げる余裕もなかったなぁ」
ドワーフ鉱山。ここに初めて訪れたのは入学以前、今ではマブと呼んでいる二人とグリムの騒動に巻き込まれた時。
きっとあの日も夜空には同じように星が満ちていたのだろう。退学をちらつかされて余裕のない男の子二人とまだ扱いもわからない魔獣と同行しながら空を見上げようなどとは露にも思わなかったが。
「なにしてんだ」
隣に腰を下ろした男が風に煽られ顔にかかった芽唯の前髪を優しく梳く。
「レオナ先輩こそ」
「暇そうにしてるお嬢さんが見えたんで、退屈しのぎに相手になってもらおうかと思ってな」
暖かそうなジャケットを身にまとい、鬣と称されることもある髪をまとめて少しすっきりした印象を受けるレオナが芽唯の顔を覗き込みながらニヤリと笑う。
恋人の登場に嬉しくなった芽唯は少しでも距離を埋めようと、身体をずらして彼に寄り掛かれば当然のように受け入れられる。肩に頭を乗せればまんざらでもないのか、レオナが芽唯の肩を抱き寄せより密着する。
「お前、寒くないのか? 運動着なんて風通しが良いだろ」
「ちょっと寒いです。けど、どっちにしろ他にキャンプに着てくる服なんて持ってなかったし」
レオナを含め、一部の生徒は私服を着ているが大半の生徒は芽唯と同じように運動着で参加している。芽唯も例に漏れず、マブのお下がりTシャツに運動着を組み合わせた格好でやってきていた。
えへへ、と笑顔で返した芽唯だったがそれに反してレオナは眉を顰める。
「参加するなら先に言え。わかってたならお前の分だって買ってやったのに……」
「だって、驚かせたかったんです。別に服はこれで十分ですし」
「こんなに身体冷やしといてなに言ってやがる」
もっとくっつけと尻尾まで絡めたレオナはまるで体温をわけるかのように芽唯に身体を摺り寄せる。
尻尾も、指先も、すべて絡めて、目の前の弾ける炎を二人で見る。レオナにとっては一応部の存続もかかった合宿ではあるが、多少恋人同士の逢瀬を楽しんでも罰は当たらないだろう。
幸いな事に他の生徒達は自分のことに夢中か、既にテントの中で休んでいる者もいて、レオナと芽唯の様子を気にかける者はいない。
赤い花を恐れる妖精達も先ほど別の生徒が追い払ったばかりなので、すぐに引き返して襲ってくると言うこともないだろう。
「そういえば、ドワーフ鉱山でのことってレオナ先輩に話しましたっけ?」
「食堂のシャンデリアをぶっ壊したバカ話なら聞かなくても知ってる」
足元の小石を蹴飛ばしたレオナの浮かべる笑みは嘲笑だろう。入学早々、退学沙汰の事件を起こしたことはかなりの生徒に広まっていたのだから彼が知っていてもおかしくはない。
話の種に、と振った話を初手で笑われた芽唯の頬が薄らと朱に染まる。
「まさか、あんな馬鹿げた話に関わってた女をこうして抱き寄せるようになるとは思ってなかったがな」
「わ、私はほとんど被害者ですもん」
魔法も使えなければ体力も叶わない。暴れまわる魔獣と男の子たちをただ遠目に見ることしか出来なかった。
「でも、あの出来事がなければ生徒として学園に通うこともなかったし、本当に不思議な縁ですよね」
右も左もわからない世界で、流されるままだったあの頃。……今もそう変わらないが。大きな波に乗るように、あれよあれよと入学が決まったのは奇跡に近いだろう。
「怖い思いもしたけど、あの日頑張ってよかったなぁ……」
今思えば、鉱山の奥で出くわしたあのバケモノはオーバーブロットに関係があるのだろうか。ぽたぽたと落ちる黒いインクが記憶に焼き付いている。
ナイトレイブンカレッジでの学園生活で数度に渡って相対する羽目になったオーバーブロットいう現象への恐怖は未だ拭えない。
鉱山の怪物の傍に人の姿はなかったのは、きっとアレがオーバーブロットを起こした術者が陥る一番最悪の状態なのだろう。
「何考えてる?」
ぼーっと炎を眺めているとレオナが密着していた身体を揺さぶり意識を引き戻される。
「なんでも使い方を間違えたら恐ろしいんだなぁって」
目の前で弾ける焚き火も、皆が便利に使っている魔法も、一歩間違えれば大災害へと繋がりかねない。
便利と危険は表裏一体。使う者次第でどんなふうにも転がっていく。
「当然だろ。力ってのは使い方を知ってこそだ。無知ほど恐ろしいことはない。下手すりゃ身を滅ぼす」
「じゃあ今日いっぱいみんなに知識を授けたレオナ先輩は救世主ですね」
思い出したようにポケットからカメラを取り出し、データを振り返れば、部員に的確な指示を授け、天才司令塔と呼ばれる知性を遺憾なく発揮しているレオナの姿も数枚納められている。
「お前、俺のこと撮りすぎだろ」
「そんなことないですよ。むしろ先輩は指示を出したら引っ込んじゃうから唯一のシャッターチャンスだったんですから」
各部活がノルマを達成するために頑張っている現場へ向かうとそこにレオナの姿はなかった。
ラギーに聞けば指示を出した時点で「十分働いただろ」とテントに入ってしまったと言うのだから苦笑するしかない。
汗くせ働き頑張るレオナの姿は想像できなかったが、まさか早々に離脱しているなんて。
「そりゃあ活躍をお見せ出来ず大変失礼した。だけどこれが俺のやり方だ」
「そう思うだろう?」と口角を上げたレオナに頷けば満足そうに彼も笑う。
いつだって、どこだって、レオナは王様として踏ん反り返っているのが似合ってる。
「でも、バルガス先生がいい顔してなかったから気をつけてくださいね」
「んなもん放っておけばいいんだよ。結果は出してる」
「事実だから何も言えないかも」
確かにノルマはちゃんとクリアして、バッジを全て手に入れた。レオナの指示を受けた部員たちの手柄でもあり、的確に指示を出し人員を割り振ったレオナの功績とも言える。
これをどう捉えるかは人によるが、芽唯から見れば十分レオナは働いたと思う。
「じゃあ明日はもっとかっこいい姿を見せてくださいね」
立ち上がり、服についた砂埃を払えばレオナも同じように身を起こす。
「送ってく」
「テントすぐそこですよ?」
「多少距離はあるだろ。山では何が起きるかわからねぇしな」
有無を言わさず手を取られてしまえば振り解くのも違う気がして、レオナの後をついていく。
「レオナ先輩ってもしかしなくても過保護?」
「ばーか、お前ら鉱山でバケモノに会ったて話してたんだろ」
「信じてくれるんですか?」
あの一夜を共にした友人達を除いて、鉱山で見たあのバケモノを信じてくれる人はいなかった。
レオナも当然見間違いで、恐怖による幻覚を見た臆病者だと笑っているものだとばかり思っていた。
「噂で聞いた時にはそう思ったがな、好いた女の話を戯言だと笑うほど愚かな男じゃねえよ」
「好い……」
ぽぽぽ、と頬に熱が集まる。焚き火から離れ、冷え込むはずなのに身体が火照る。
レオナは唐突に直球で愛の言葉を述べるのだから心臓に悪い。
「これ以上レオナ先輩のこと好きになったらおかしくなっちゃいそう……」
絡んだ手はそのままに、逆側の腕ごと彼にしがみつく。
「そりゃいいな。退屈な合宿もお前を惚れなおさせる機会になるなら悪くねえ」
ふは、と息を含んだ笑いをあげたレオナに連れられ小屋隣のテントへ戻れば既にグリムは夢の中へと旅立っていた。
送ってくれた感謝を述べようと振り返れば、暗闇の中でガラス玉のように透き通ったサマーグリーンだけがキラリと輝く。
(綺麗だなぁ……ずっと見てたい)
思わずぎゅっと手に力を込めれば、別れを惜しむようにレオナの力も強まった。
「……おやすみなさい。レオナ先輩」
「あァ、また明日な」と微笑むレオナの姿が翌日以降パタリと見えなくなるとは、この時は夢にも思っていなかった。
◇◆◇
「この俺がついてるって言ってんだろうが」
芽唯を背に庇い、他に集まった生徒達を叱咤するレオナがグルルと喉を鳴らす。
目の前では今にも襲いかかってきそうなバケモノが蠢いており時間の余裕はない。
「オデ……ノ……イシ……!」
色こそ違うがあの日見たバケモノと大差ない脅威が眼前に迫っている。
けれど不思議と芽唯の気持ちは落ち着いていた。
レオナとエースが戻ってきたのにデュースだけが行方不明という状況には肝が冷えたが、居場所の見当がつき、彼を見つけてからはバケモノなどどこ吹く風で、心配事がすべてが終わったような気すらする。
現実には目の前にインクをまき散らすバケモノがいて、あのインクに触れればどうなってしまうのか。捕まったらどうなってしまうのかと危険な状況である。
それでもそんな現実に焦ることもなく、この時間が終わるのをただ待つだけだと信じていられるのは目の前にレオナがいるからに違いない。
ニヤリと眼を細ませて笑うフロイドや、レオナに問い詰められ魔法石を全て出させられたラギーを静かに見ていれば不意にレオナが心配したように声をかけてきた。
「どうした、震えて声も出ないか?」
無意識に掴んでいたのだろう。彼のジャケットを握りしめていた手を優しく解かれる。
「あ、いえ。全然」
「全然?」
「まったく怖くなくて。……不思議だなって」
ここに来てから不思議な感覚を覚えるのは何度目だろうか。
あの日はあんなに怖かったドワーフ鉱山の夜の時間も、目の前のバケモノも恐怖を全く感じない。
「危険な目に遭いすぎて頭でもやられたか?」
呆れたような声音だが、触れる手は優しい。
日差しのない空間で役目を持たないサンバイザーが外され頭を軽く撫でられる。
あぁ、そうか。
「レオナ先輩が一緒だから怖くないんだ」
「は?」
芽唯の言葉にレオナが目を丸くする。珍しくぱちくりと切れ長の目が暗闇の中できらきら瞬く。
きっとかつてのこの地ではこの輝きと同じくらい綺麗な石が取れたに違いない。あのバケモノが石にひたすら執着する理由がなんとなく理解出来た芽唯は、未だ呆けたままのレオナの体に手を添えるとあれと向き合うようにレオナを促す。
「ほら、レオナ先輩。『俺がついてる』なんでしょう? 先陣切って、頑張ってください」
ぐいぐいと体を押すが、レオナの体躯が芽唯ごときの力で動くはずがない。
「あんたら、この状況下でいちゃいちゃしないでください!」
抱き着くような形でレオナを押していると半べそ状態で虎の子の魔法石を各自に配っていたラギーが中でも飛び切り大きな欠片を彼に渡す。
「そんだけご機嫌なら一番頑張ってくれるッスよね。レオナさん」
「……当然だろ」
拳の中で魔法石の欠片がぶつかりカチカチと音が鳴る。
それを合図にしたようにバケモノが咆哮を上げ、手を振りかざす。
「イシハオデノダアアァア!」
ぽたぽたとインクをまき散らしながら暴れまわるバケモノとナイトレイブンカレッジが育んだ魔法士達の戦いの火ぶたが切って落とされた。
◇◆◇
後ろ髪引かれる、とはまさにこのことだろう。
ラギーがフロイドとの約束により泣く泣く諦め、鉱石場を後にした一行は落ち込む彼を先頭に集合場所へと移動する。
背面からだと良く見えるラギーの尻尾が分かりやすく垂れ下がっていて、思わず口元が緩んだ芽唯の頭をレオナの拳が軽く小突く。
「いたっ」
「どこ見てんだよ。足元見てねぇと転ぶぞ」
「ふふ、ごめんなさい」
そんなことを言いつつ、もし本当に転びそうになったら真っ先に支えてくれるのだろう。絡んだ指先が芽唯の手の甲を撫でる。
「にしても、だ。あれはどこで覚えた口説き文句だ?」
「なんのことですか?」
思い当たる節がない。レオナの突然の言葉に首を捻れば、言いにくそうに数度口をぱくぱくとさせたレオナがわざとらしく尻尾で芽唯の背を叩く。
「俺が一緒だからとかなんとか……言ってただろ」
ごにょごにょと言葉を珍しく濁したレオナの視線が右往左往して芽唯に戻る。
「だって、本当のことですし」
レオナがいるから怖くない。レオナがいるから大丈夫。
あの頃何も持っていなかった芽唯が、今ではこんなに信じられる人が隣にいる。どれだけ幸福なことなのだろう。
「これなら次にここに来るときは、楽しいことだけ考えて来れますね!」
「また来る気があるのかよ……」
「だって、ラギー先輩は石を取りに来る気満々ですよ?」
「一人でやらせとけ」
わざわざ坑道奥への道を石で塞ぎ、取りに来る宣言をしたラギーが魔法石という宝の山を諦めるわけがない。
その時にはきっと自分達も付き合うことになるのだろうと、何故かそんな気がしてならない。
「頼られるの、まんざらでもない癖に」
「うるせェな、余計なことを言うのはこの口か?」
「あ、やだ、つままないで! ん〜っ!」
頬をぎゅっとつまむ大きな手は、意地悪なのにやっぱりどこか優しくて。
怖い思い出が詰まっていたはずの鉱山も、今では特別な場所に思えてくる。レオナといればどんな場所でもきっと楽しい思い出が作れるのだろう。
「ぶふ、ふふっ」
「なんだよ、気持ち悪いな……」
笑い出した芽唯にレオナがぱっと手を離せば、芽唯は力の限りレオナの腕にしがみつく。
「私、レオナ先輩のこと信じてますから。またいっぱい思い出作りしましょうね!」
同じように、幾度もレオナと思い出を塗り替えていく。きっと何年も先には世界中がレオナとの思い出の地になるだろう。
本当に、あの日恐怖に負けて学校を追い出されることにならなくてよかった。
順風満帆とは言えないけれど、悪い思い出だってレオナがいれば良いものへと変わっていく。
意外とこの地に住まう妖精だって、火の正しい扱い方を教えてあげれば仇のように消しにかかることだってなくなるのかもしれない。
要は、誰とどんな思い出を作るかで物や場所への印象は変わっていく。
ドワーフ鉱山という、この世界で最初に覚えた学園外の恐怖の地名は、レオナとの思い出ですっかり塗り替えられてしまった。
魔法は筋肉からとバルガスは言うが、芽唯の楽しい日々はレオナを信じる心から作られている。
ふくふくと笑い続ける芽唯を呆れたような、慈しむようなレオナの瞳がいつまでも見つめていた。