完売御礼!
カリカリと音を立てながら齧りつくそれは少し焦げた味がする。
真っ黒とまではいかないが、商品として出せるレベルではないチュロスをベンチに腰掛け海を眺めながら一人齧る私はポートフェストにやってきたお客さん達にはどう見えているのだろうか。
いつもは閑古鳥が鳴いている港にこんなに人がいるのが物珍しくて幸いなことに退屈はしていない。
けれど、私の相棒を叱りつけると連れて行ってしまった恋人の姿がそろそろ恋しくてため息が出てしまいそうだ。
「……苦い」
チョコとアーモンドのかかった上部分は兎も角、下に進めば進むほど苦味が口を支配する。
食べ進めるのを一旦諦め、行きかう人の波を目で追ってみる。すると、少し遠くの方に待ち望んでいた人の姿が目に入った。
「レオナ先輩……!」
思わず立ち上がって声をかければ可愛らしい獣の耳がぴくりと動く。何か小さく呟いた先輩は他の人よりも長いコンパスを使ってすぐに私の隣にたどり着く。
どかりと音を立てながらベンチに座った彼に倣ってその隣に腰を下ろすと、レオナ先輩は片手に持っていたコットンキャンディーを私に押し付けるように渡し、代わりに私が握っていたチュロスを奪っていく。
そのまま自然な仕草でチュロスに噛みつくとすぐに「苦ぇ……」と零した先輩がおかしくて、渡されたばかりのコットンキャンディーを思わず彼に差し出す。
「口直しします?」
「いや、いい。お前が食えよ。」
「だって……それが焦げちゃったのグリムのせいですし……」
いつもグリムは元気いっぱいで、それ自体は良いことだけれど今日は特にはしゃいでいた。
きっとお祭りの空気に呑まれてしまったんだろう。私も少し浮足立っている。
そのせいで少しグリムから目を離した隙に真っ黒なチュロスとちょっとした惨事が出来上がってしまったので同罪だと思う。
平謝りする私とは反対に、踏ん反り返って自分は悪くないと騒ぐグリムの頭目掛けてレオナ先輩の拳が垂直に落とされたのが少し可哀想だった。
「甘い方が好きな癖に無理してこんなに食って……。どうせ勿体ないとか言うんだろ?」
「商品にならないだけで食べれないわけじゃないから……」
だいぶ短くなっていたチュロスを少し眺めたレオナ先輩は躊躇することなく再度齧りつく。
あっという間に彼の口の中に消えていったチュロスは包み紙だけになった。その包み紙もくちゃくちゃに丸められ、放物線を描いてゴミ箱へと消えていく。
残ったのは私の握っているコットンキャンディーだけで、申し訳ないと思いつつ彼の優しさに甘えて、そんな彼よりもっともっと甘いそれを少し手でちぎる。
小さな雲のようなそれを口に入れれば、それまで口の中を支配していた苦さなんて簡単にかき消されていく。
「おいしい……!」
「お気に召したようでなによりだ」
「先輩も食べますか?」
「俺はいい」
ベンチの背凭れに身体を預けたレオナ先輩は水平線をつまらなそうに眺める。凪いだ海のように穏やかな瞳が何を思っているのかはわからない。
食べ進めながら同じように海を見渡しながらふと思う。そういえば、この海の向こうには先輩の国があるんだろうか。
「夕焼けの草原ってどっちですか?」
「あ?」
「だって、海だから。どこまでも繋がってて……先輩の国はどっちかなぁって」
この海の向こうには夕焼けの草原だけじゃない、熱砂の国、薔薇の王国、陽光の国。他にもたくさん私にとって未知の世界が広がっている。
「……夕焼けの草原は賢者の島の南東だ。この港は西側。例えハゲワシ並みに視力が良くても見えねぇよ」
「別に見えるとは思ってません!」
「そうか? 『あっちだ』って言えば懸命に覗き込みそうな顔してたぜ」
「いじわる!」
ニヤニヤと笑うレオナ先輩の尻尾が楽しそうに揺れ動く。
本当にこの人は私を揶揄うとイキイキするのだからタチが悪い。
「もう……」
どうせ口では何を言っても勝てやしない。
諦めて直接コットンキャンディーに齧り付いた私を未だに弧を描いたレオナ先輩の瞳が見つめ続けるのが少し恥ずかしかったが、気づかないふりをした。
半分ほど食べ終え、口の中がかなり甘さで満たされた。
大きなコットンキャンディーは苦味をかき消す以上の甘さを与えてくれて、また口直しがしたくなってくる。
こういった催しの食べ物が少し濃い味付けをしている理由がなんとなくわかった気がする。
きっと次から次に他の店の品物を食べたいと思わせるため、わざと口の中に残りやすい味付けをしているんだ。
「C組のサラダ食べたらさっぱりするかな……」
「草なんて食わなくていいだろ」
「だって、口の中すっごく甘いんですもん」
まだこんなにあるのに!と顔よりも大きいコットンキャンディーを見せれば、レオナ先輩は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
焦げたチュロスよりは絶対にサラダの方がおいしいだろうに、どうしてこの人はこんなに野菜を拒絶するんだろうか。
普段お弁当にして出した分は渋々ながら食べてくれるのに、本当に食生活が心配になってくる。
「甘いのが中和されればいいんだな?」
「そう、ですけど……?」
何か思いついたのか、レオナ先輩の動きが一瞬止まり、彼の言葉に同意すれば肩を掴まれた。
「あ、あのっ、先輩……?」
向き合うように体を捻らされた私は何故かコットンキャンディーを握った腕も掴まれ、二人の顔を隠すように腕が少し上げられる。徐々に近づいてくるレオナ先輩のご尊顔は喜びに満ち溢れているのだろう。口角がこれでもかというほど弧を描き、同じように瞳も先ほどの何倍も反った月を描いている。
「わっ、まっ、ひ、人が……んぐっ!」
人が見ている。そう言って拒絶したかったのに、言葉ごと飲み込むように唇が食べられた。まるで先ほどチュロスを食べた時のように、けれど決して牙は立てずに。はむはむと唇の表面の味を確かめるかのように食らいつかれる。
「んんっ……!」
正面からはコットンキャンディーで隠れているとはいえ、私たちが何をしているかなんて丸わかりだろう。
羞恥心から上がっていく熱でキャンディーが溶けなければいいな、なんて少し馬鹿なことを考えながら彼に翻弄され続けた私の唇はとても脆い要塞だ。
あっけなく彼の舌の侵入を許してしまい、ほろ苦さを引き連れて肉厚なそれが口内で暴れ出す。
わざとらしく、ちゅっと音を立てながらレオナ先輩が離れる頃にはすっかりくたくたの私の手からコットンキャンディーが落ちないように、いつのまにか重ねられたレオナ先輩の手が上から包み込むように棒を支えていた。
「なっ……、なっ、……何考えてるんですかっ!」
息も絶え絶えに、やっとの思いで絞り出した声は少しくぐもっている。
こんな往来で彼に翻弄され続けた私の心が大きい声を出すのを躊躇ったからだ。これ以上注目を浴びることはしたくない。
「口直し」
悪びれる様子もなく、むしろ当然のようにそう言ってのけるレオナ先輩はコットンキャンディーを私の手から奪い取ると、食べかけのそれを見せつけるかのようにゆっくり皮を引きはがす獣のように表面に少しだけ噛みついてちぎり始めた。
ふわふわで、雲のようだと例えられるそれが、何故だか狩られたばかりの私のように見えてしまうのは錯覚だろうと信じたい。
「こっちは甘すぎるな。さっき食ったもんの方が美味かった」
「さ、さっきって……」
「お前。口の中、丁度良くなっただろう」
ぺろりと先ほどまで口内に侵入していた舌がわざとらしく唇を一舐めする。
レオナ先輩の言う通り、彼の食べたチュロスの苦さで中和されたのか、口内の甘さは気にならなくなった。……他の刺激が強すぎて味なんて問題じゃなくなったと言うべきかもしれないけれど。
「も、モラル! 場所! 色々考えてください!」
「サラダなんて言い出すお前が悪い」
「別に先輩にも食べて欲しいなんて言ってません!」
いや、買ったら確実に先輩にも食べてもらおうときっと思うけど……。そ、それでも、口にしてないのは事実だし。
ぷくりと頬を膨らませた私を笑うといつのまにか身体から離れていたもう片方の手が私の頬を柔らかく撫でる。
「出店してるフードよりも食いでのありそうなもんが目の前に転がってんだ。食べない方が勿体ない≠セろ」
「私は食べ物じゃありません……!」
愉快そうに笑いだすレオナ先輩に口で何を言ったところで叶わない。
諦めた私は最後の抵抗に彼から少し離れてベンチに横向きに座り直す。
「勿体ない、なんてチュロス食べるんじゃなかった……」
多分、今日の敗因は間違いなくあれだ。そもそも、ツノ太郎のクラスが出しているのにレオナ先輩がコットンキャンディーを片手に現れた時点で疑うべきだったのかもしれない。
「俺はお前やラギーが言う勿体ない≠ェよーく理解出来たぜ?」
「絶対意味が違います!」
「勉強になったな」と笑うレオナ先輩が心底楽しそうなのが背中越しから伝わってきて、怒っているのに「許してあげてもいいかな」と思えてしまうのは絆されているというのだろうか。
こんな往来でキスをしていたのが誰の目にも止まっていないことを祈りながら、行きかう人々を眺めているとお腹から小さく虫の鳴き声が聞こえてくる。
「……クラムチャウダーなら一緒に食べてくれますか?」
「くく、俺もまだ食い足りねぇなと思ってたところだ」
「……言っておきますけど、私はもう完売ですからね」
「そりゃ残念。一番のご馳走だったんだがな」
「いい加減にしてください!」
背を向けている間に食べ終わったのか、振り向けば棒すら彼は手に持っていなかった。
完全に開いた手が私の片手を絡めとり、引き上げるように立ち上がらせられる。
「E組の出展だったか?」
「はい。えっと、リリア先輩にだけ気を付けましょう」
「なんであいつを調理に関わらせてんだよ。品質面でアウトだろ……」
「目を光らせてるはいるけど、抑えきれないみたいで……」
元々神出鬼没な人だ。彼を完全にコントロールするのは難しいだろう。
「流石にその場合は勿体ない≠ネんてのはなしだからな」
「ジャックたちのステージを見れなくなったら困っちゃうから、しょうがないですね」
寂れた港だったのが嘘のように活気づいたレンガ街をレオナ先輩と共に歩く。
ポートフェストはまだ始まったばかりだ──。