贈りもの


「えっ? アルハイゼンが喜びそうなもの?」

 投げかけられた言葉に反応したティナリの尻尾や耳が大きく動く。それだけではなく目すらも丸くして瞬きを繰り返しているあたり彼の動揺が伺える。
 目を見開いたままきゅっと眉間にしわを寄せたかと思えば大きな耳を垂れさせてうーんと唸りだすのを見るに彼にとってかなりの難問だったようだ。

「ご、ごめんなさい。困らせるつもりはなくて。その、誕生日祝いの参考にしたいというか。彼に限定しなくても、一般的に男性がどういうことに喜ぶのか教えてもらえれば嬉しいのだけれど」

 質問を投げかけた張本人であるアウラリアリアは慌てて長考しそうなティナリを止めようと両手を振る。まさかそこまで本気で悩んでくれるとは思ってもいなかった。『今日の夕飯は何が良いかな』くらいの気持ちでの問いかけだったのに。

「一般的? アルハイゼンがそんなものに当てはまらないのは君が一番よく知ってるだろうに」
「うっ……」
「適当なサンプルから得た情報を元にあいつへの贈りものを選んだ日には、まるで低評価すらつけるに値しない論文を読んだ時のようにねちねちとどうしてそれを選んだのか根掘り葉掘り一晩中聞かれかねないけど、君はそれでもいいの?」
「っ……それは、イヤ……」

 真っ直ぐな瞳に射抜かれながら言葉を雨のようにぶつけられている自分がすぐ想像できて身体をこわばらせたアウラリアリアは諦めたように背もたれに寄り掛かると大きくため息を吐く。
 珍しく──というよりも相手がティナリだからか──プスパカフェのテラス席に座っていたアウラリアリアの髪がそよ風と共に踊りだす。軽やかなその動きと違い気持ちは徐々に沈んでいく。

「アルくん……何なら喜んでくれるのかしら……。もう当日なのにまだ何も用意できてない……」
「うーん、そうだなぁ……」
「本が好きなのは知ってるけど、彼が好みそうな本はお父さまにお願いして普段から貸しているし、手料理もお家にお邪魔した時に一緒に作ったりしているの」
「へえ、関係が良好そうでよかった。一時はどうなるかと思ったのに」
「そ、その件に関しては本当にごめんなさい……!」
「別にいいよ。元はと言えばアルハイゼンが言葉足らずなせいだし。君にも多少なり非があるとはいえ、教令院の被害者って身の上を考えれば情状酌量の余地は十分ある」
「あはは……」

 ここで安易に『君は悪くない』と一方的に片方だけを悪者扱いしないのは実にティナリらしいと最近思うようになった。
 彼と交流するようになったのは記憶を失ってからが初めてでとても深い仲というわけではないが、多角的に物事を捉えられる人物で簡単に誰かだけの味方になったりしない。だからこそ教令院に対して疑問を持った彼はあえてシティから離れ、アビディアの森でレンジャー長をやっているのだろう。

「ところで、アルハイゼンは君が誕生日を祝おうとしてるのは知ってるの?」
「いいえ。そもそも日にちだってアルくんから直接聞いたわけじゃないの。お父さまのお仕事を手伝っていたら、その時ご一緒していた学者さんが教えてくださったのよ」
「じゃあそれがなかったら君は今も何も知らずに過ごしていた可能性もあるってことか」

 呆れたようにため息を吐いたティナリはなるほどねと目を細めると口元にゆるく弧を描く。

「ってことはサプライズパーティーでもするの?」
「それは……どうかしら。驚かせて跳ねて喜ぶ人ではないじゃない?」
「そうだね。断言できる」

 ティナリの事を知ったように、アルハイゼンの事も色々知った。本当はそこまで他人と過度に関わる人ではないこと。書記官という今の立場を気に入ってること。食べ物は読書の邪魔にならないよう固形のモノを好んでいること。これに関してはアウラリアリアと居るときにはあまり気にしていないらしいのだが。
 後は……『アルハイゼンさん』ではなく『アルくん』と呼ばれるのが好きということ──。
 名を呼ぶだけで好きな人が嬉しそうに頬を緩ませてくれるのだから何度だってその名を呼びたい。恐らく記憶を失ったアウラリアリアが命の恩人でもある彼に取った行動で一番喜ばれたのはこれだ。

「アルくんのこと、一時期すごく困らせてしまったから。そのことに関しての謝罪というか、感謝を伝えたいの」
「感謝?」
「だって、あのまま私たち終わってもおかしくなかったんだもの。今は少し違うけど、あの頃は記憶のない私は彼が好きになった私じゃないって本気で思ってた。それなのに記憶が戻る保証もないまま彼を縛り付けたくなかった」

 仮にアルハイゼンが別れに納得してアウラリアリアに背を向けていたならば、同じ街に住んではいるものの二度と個人的な関わりを持つことはなかっただろう。それどころか、アウラリアリアは記憶を失った自分のことを嫌いなまま今も引きこもっていたかもしれない。
 一方的に拒絶した自分を見捨てず、彼が諦めずに手を伸ばしてくれたから糸のようにか細く千切れかけた関係は無事に修復され、その糸で新しく織り上げた思い出が、記憶がないにも関わらず不安を感じさせずにアウラリアリアに前を見させてくれている。

「うーん、そっか……ふふっ」
「なあに?」

 少し身体を震わせ笑ったティナリが一度伏せた瞼をゆっくり上げると肩を竦ませる。
「いや、君にとってだいぶアルハイゼンは優しい人って印象なんだなって思っただけ」

「アルくんは優しいけど……」
「別にいいんじゃないかな。そう思ってても。受け止め方なんて人それぞれさ」

 言葉の意味がわからなかったアウラリアリアが首を傾げればティナリはまた笑みをこぼした。

◇◆◇

 結局答えが見つからないままアルハイゼンの終業時間が近づいている。
 日が暮れる前に村に帰るとシティを立ったティナリと別れたアウラリアリアは手持無沙汰に街を一人ぶらぶらと練り歩く。
 ほんの少し離れているが護衛が傍にいるので正確には一人ではないのだが、気配を隠してくれているので気分的にはひとりぼっちだ。
 護衛なんて教令院の体制が見直されている今、もう今後必要になることは滅多にないと思うのだが娘の身を案じる親に「いらない」とは口が裂けても言えそうにない。アルハイゼンもこのことに関しては両親達と同意見なのでなおさらだった。

「これも優しさ、よね……」

 ただ街を歩くだけで護衛に見張られているなんて当人にとっては煩わしさしか感じないのだが、彼らをつけられている理由を辿っていけば優しさという言葉にたどり着くし、それ自体も愛情だとか、違った言葉に置き換えることができる。

「あら、悩み事?」

 ふわりと舞い上がった木の葉が地面に降りるように軽やかな足音と共に現れた人物の声がアウラリアリアの耳を打つ。

「クラクサナリデビ様……⁉」
「ふふ、驚かせてしまったかしら」

 ごめんなさいね、と笑みをこぼしたクラクサナリデビ──ナヒーダは近くのベンチに腰掛けると「あなたもこちらにいらっしゃい」とアウラリアリアに向け手を伸ばす。
 ナヒーダは以前アルハイゼンが仲間と共に助けたこの国の神。多忙な身でありながらたまに市政に顔を出しているとは聞いていたがまさか実際に自分が出会い、ましてや向こうから声をかけてくるなど夢にも思っていなかった。

「あの、わ、私……!」
「そんなに硬くならないで。私はただあなたとお話したいだけよ」

 少女と呼ばれるであろう姿形をしているが相手は神だ。緊張しこわばったまま隣に腰を降ろせば満足そうにナヒーダが微笑む。

「アルハイゼンを待っているのでしょう? よかったらその間私の話し相手になってもらえないかしら。悩みがあるのなら相談に乗らせてちょうだい」
「でも……」

 今抱えている悩みは言ってしまえば恋の悩みだ。草神に恋愛相談をするのはどうなのだろうか。「モーメントオブドリーム」というイベントが開かれた際、彼女が民の悩みを聞いては的確なアドバイスをしたことは噂に聞いているがこの小さな神様は恋愛にも通じているのだろうか。

「深く考える必要はないわ。私という個の経験は乏しくとも知恵の神の名に恥じぬ程度には多くの知見を持っているのよ」

 彼女が胸に当てた手はとても小さく、外見から得られる印象からはその言葉を納得するのは難しい。けれど、確かにナヒーダの噂はそのことをものがたっている。

「じゃあ……。その、アルくんの誕生日祝いをどうするか悩んでて。彼の友人にも相談したのだけれど答えが見つからなかったというか、謎が増えてしまったというか……」

 ぽつぽつと悩みを打ち明ければナヒーダは真剣に耳を傾けてくれている。そして何度か頷くと迷うことなく口を開いた。

「答えを探すうちに他の疑問が増えてしまうのは不思議なことではないわ。迷路に迷い込んだとき、出口が見つからないどころか入口すら見失ってしまうのと同じことよ。増えてしまった謎というのは?」
「お祝いをしたいのは純粋に彼が産まれた日を祝したい気持ちだけじゃなく、諸々の感謝というか、……今日までに色々あって、そのことに対してのお礼の意味もあるんです」

 ナヒーダは自分たちの関係をどこまで知っているのだろう。
 以前、彼女が祝勝会の日に金髪の旅人の体を通して自分を助けてくれた面々にお礼をした現場に立ち会ったことはある。知識量は知恵の神の名に恥じぬとは言っていたが、他にも神と呼ばれるにふさわしい不思議な力をいくつも持っているのだろうか。
 そんな神様が民の身に起きた出来事や、人間関係を把握してるのかなんてただの人間にすぎないアウラリアリアには想像すら出来ない。
 じっとこちらを見つめる小さな神様を見つめ返せば彼女はやはり微笑んだ。

「なるほど。あなたの悩みはわかったわ。恋愛、という言葉は私に縁のないものだけれど要は人と人との繋がり、そしてあなたの感情に纏わる話ね。彼に喜んでほしいという気持ちが先走ってしまうのはよくないわ」

 それも仕方がないことだけれど、と付け足したナヒーダはくすりと笑うとアウラリアリアの瞳を覗き込むように顔を近づける。

「あなたも彼も等しく『恋人』という立場にあることを忘れないで。なにより形のあるものだけが贈りものでないことはあなた自身がよく知っているんじゃないかしら。星々を繋げば星座となるように、数多の事象をうまく結べば答えを導いてくれるはずよ」

 すべてを見透かしたような澄んだ大きな瞳でアウラリアリアの顔をじっと見つめてから身体を離すと、アウラリアリアが何かを返す前にベンチから立ち上がったナヒーダは振り返ると視線をアウラリアリアの背後へ移した。

「後は彼の役目だと思うから、私はこの辺りでお暇するわ。ありがとうアウラリアリア、いい時間が過ごせたわ」
「えっ、あ、クラクサナリデビ様……⁉」

 待って、と手を伸ばす前に歩き出したナヒーダはすぐに建物の影に姿を消してしまう。追いかけようと立ち上がるとすぐに誰かに手首を掴まれた。

「アウラリアリア、君がどうしてここに?」
「あっアルくん」

 少し息を弾ませたアルハイゼンはナヒーダが消えた方を見やるとすぐにアウラリアリアに視線を戻す。ナヒーダが言っていた彼とはアルハイゼンのことだったのだろう。
 辺りを見渡し、アルハイゼンは傍に護衛が控えていることを察したのか漸く深く息を吐くと彼の呼吸が少し落ち着く。

「あの……どうせならお迎えに行こうと思って近くまで来ていたのだけれど、偶然草神様にお会いして……」
「彼女といるのは見えていた。……だが、一人で出歩いていたのかと少し驚いた」
「そういえば私から会いにくるのって初めてだったかしら。いつもね、護衛の人はちょっと離れて見守ってくれているのよ」

 だから大丈夫だと微笑めばアルハイゼンは少しだけムッと唇を尖らせる。それもほんの一瞬のことなので知らない人から見れば彼の表情が変わったことにすら気付かないだろう。

「お嬢様、彼と合流できたようなので我々はここで」
「ええ、ありがとう」

 未だ不満そうなアルハイゼンを見つめていると護衛がそっと近づいてきて礼をして去っていく。言葉をかけるためにそちらを向いたのが気に喰わなかったのか、手首を握っているアルハイゼンの手に少しだけ力が込められたのがくすぐったい。
 あくまでも傷つけないように、それでも注意を引きたい。こちらを見て欲しいというささやかなアピールが可愛らしくて思わずふふっと笑ってしまえば、アルハイゼンはさらに不満そうに眉間の皴を深めてしまった。

「アルくん……かわいい」
「君は、人の気も知らずに」
「ふふっごめんなさい。でも心配してくれたから怒ってくれてるんでしょう? それが嬉しくって」

 くすくすと笑い続けるアウラリアリアにまた大きく息を吐いたアルハイゼンは不満というよりは少し照れくさそうに見えるのは彼の事を好いていて、可愛らしいとすら思ってしまうからなのだろうか。少なくとも、教令院内で学者が彼にこんな態度を取られたら体を震わせ提出した自分の論文を血眼で見返して何が悪かったのか思い悩み始めるだろう。
 掴まれたままの手首を捻り、彼の手から少し逃れさせる。そうして開いた隙間をすぐ埋めるように彼の指の間に己の指を差し込めば当然のように握り返される。

「帰りましょう、お家に」
「……ああ」

 頷いたアルハイゼンが優しく手を引いてくれる。
 いつのまにか当たり前になった光景を見かけても振り向く人は誰も居なかった。

◇◆◇

 事前にお願いしてあるので今夜カーヴェが帰宅することはない。というよりも彼の方から「十一日は帰らないさ」と断言していた。邪魔をしようものなら家主に何をされるかわからないとおびえた様子が少し可哀想だった。
 居候とはいえ帰る家がない場合、彼はどこに行くのだろうか。また酒場で酔いつぶれていなければいいが、少しだけ明日の朝が怖い。
 カーヴェがいないのでいつも通りアルハイゼンと一緒に作った二人分の夕飯をテーブルに並べ、一つのソファに座って肩を並べる。ささやかだけれど一応彼の好みのモノを中心に作ったつもりだ。
 アルハイゼンが気づいているかはさておき、誕生日を祝いたいというアウラリアリア自身の気持ちは多少なり満たされた。

「今日はお仕事どうだった?」
「特筆すべきことは何もないよ。そもそも書記官の仕事は日常を彩る華やかモノではない」
「そうかしら? その割には創神計画だとか凄いことに巻き込まれていた気がするけど」

 アルハイゼン曰く書記官は必要なことを書き記すのが仕事らしいが、彼の基準で書き残すに値したモノはいったいどれだけあるのだろうか。少なくとも今日はなかったに違いない。
 一つ、また一つと皿の上から料理が消える。それとは逆に話題は尽きることがないので話は弾む。アウラリアリアがくすくすと笑う声が響き、時折アルハイゼンが目元や唇を優しく緩ませる。
 確かに平穏で平凡な日々は特筆すべきことは何もない。けれど、何物にも代えがたい大切な時間が過ぎていく。
 ふと時計を見たアルハイゼンが視線だけでアウラリアリアにどうするのかと問いかける。少しだけ傾けられた彼の首と同じようにアウラリアリアも少しだけ首を傾けた。そのままふるふると頭を横に振ればアルハイゼンは「そうか」とだけ小さくこぼす。今日は当然泊まるつもりでここに来ている。

「ね、ねえアルくん?」
「ん?」

 瞳を伏せ、飲み物に手を伸ばしていたアルハイゼンの名を呼べばすぐに特徴的な瞳がこちらに向けられる。
 その眼差しにひるまぬよう、意を決して二人の間を詰めるために彼の方へと身を寄せる。手を伸ばしたままだったアルハイゼンはすぐに何かを察したのか身体を起こすと自分からもアウラリアリアに近づいた。

「今日って、その、お誕生日……でしょう?」
「ああ」
「だから、……お祝いしたくて」

 ぎゅっと膝の上で握った手を見つめながら考えていたことをぽつりぽつりと告げればアルハイゼンは静かに耳を傾けてくれている。

「晩御飯はね、アルくんが好きなのを選んだのよ。一緒に作ってくれたからお祝いっていうのはなんだか変な気もするけれど」
「知っている。謙遜する必要はない。君が俺を想って考えてくれたメニューだ。共に作ったとことがそれを否定する理由にはならない」

 アルハイゼンの大きな手がアウラリアリアの手に重なる。分け与えられる体温に引かれるまま彼の肩に頭を預け、身を委ねればしっかりとした体躯が揺らぐことなく受け止めてくれた。
 視線だけを動かしてアルハイゼンの顔を見れば「それで」と話しの続きを促される。

「他にプ レゼントは用意できてなくて。……アルくんが喜んでくれるものがわからなかったの。だってね、アルくんが読みたい本を探すのも、一緒に過ごすのも、特別なことじゃないでしょう?」

 誕生日だからと言って特別なものを用意しなければいけない決まりはない。祝い方なんてそれぞれだ。その日を気に留めず、ただの一日として終える者もいるだろう。

「君が何をもって特別と称するのか判断しかねるが、俺は誕生日を非日常的な一日したいという願望は持ち合わせていないよ。いつも通りの仕事をして、残った時間は君と過ごす。それこそが何事にも代えがたく、可変なく実現するのが最も難しいことだ」
「誕生日を祝う必要はない、ってこと?」
「そうじゃない。例えば……そうだな。本来ならば俺が君を迎えに行くだろう。だけど今日は君から会いに来た。悪いことではないが、俺の想定していた日常からは反している。それと同じように毎日必ず同じ動きをするというのは現実的に考えて不可能だ」

 感情を持って動く生き物の一日一日の行動が異なるのは当然のことだ。

「以前のように君の身に何かが起きればこうした時間を過ごすことも難しくなる。考えたくはないが何かしらをきっかけに心変わりしないと言い切ることもできない。俺の隣に君が居て、平穏な暮らしを送れることが俺の一番の願いであり、君はそれを毎日叶えてくれている」

 空いてる方の手をアウラリアリアの髪に絡ませたアルハイゼンは自らの手をすり抜けてなめらかに滑り落ちるそれらを見て口角を上げる。

「今日もこうして俺と君が共に過ごしている。それが他の何にも代え難い贈りものだよ」
「アルくん……」

 言葉にされたことはないが、アルハイゼンの中ではやはりアウラリアリアの身に起きた出来事や、拒絶され会うことすら出来なくなったあの日々が何かしらの形で残っているのかもしれない。
 自身の規則を重んじ、それに反することがあれば自らの危険すら構わず国を巻き込んだ計画を打ち砕きに向かう男にとって、仕方がなかったとはいえアウラリアリアの取った行動は彼を傷つけたに違いない。
 やはり何かしらでその謝罪。いや、感謝を形にしなければ。

「アルくん! 私、私ね……!」

 ぐいっと勢いよく顔を覗き込めばアルハイゼンが驚いたように目を丸くする。そのまま抱きつくように彼の体をソファに押し倒す形で転がればアルハイゼンが咄嗟にアウラリアリアの身体を受け止める。
 下敷きにする形でアルハイゼンに覆い被さってしまったアウラリアリアは慌てて身を起こすが背に回された腕の力が強くてあまり離れられそうにない。
 仕方がなく彼の胸板に乗る形で身を固定すれば、それでいいと肯定するようにアルハイゼンの手が背を撫ぜる。スメールの気候に合わせ、少々露出の多い衣服を纏っているためアウラリアリアの肌にアルハイゼンの手が直接触れる。

「っあの……」

 想像以上に顔が近い。触れられている部分もゾワゾワと感じたことがない感覚に支配される。
 否、きっと知っているのだ。この身体は。いつだったかアルハイゼンは言っていた。どう触れれば喜ぶか知っている、と。
 まだ彼とは手を繋ぐことしかしたことがないが、記憶を失う前は恋人と呼ばれる男女が体験することの最後まで既にしていたのだろう。

「……キス、したい。って言ったら怒る? それとも喜んでくれる?」

 余裕そうに状況を楽しんでいた気がするアルハイゼンの動きが急に止まる。
 見開かれた瞳はアウラリアリアをじっと見つめて数度瞬きを繰り返した。

「ぷ、プ レゼント本当は一つだけ思い浮かんでるの」
「それがキスだと?」

 こくりと頷けばアルハイゼンが理由を問うように首を傾げる。けれど、どこか満足そうで口元には笑みが浮かんでいる。

「アルくんが今までで一番喜んでくれたのって名前の呼び方を変えたことだと思うの。アルくんが喜んでくれることは私も嬉しい。草神様も言ってたの、お互い立場は同じ恋人なんだから、って。だから喜んでもらえることじゃなくて、自分がアルくんにされて嬉しいことを考えてみたの」
「つまり、君は俺にキスをされたいと。そういうことになるが?」
「キスというか、恋人らしいことならなんでもしたいわ。人並みに興味だってあるもの」

 頬に集まる熱を逃すようにアルハイゼンの胸板に顔を擦り付けてみるが、かえって身体が熱くなる。

「私アルくんが好きよ。記憶がなくてもまたあなたを好きになった。アルくんになら何をされても平気なの。手を繋いで、キスをして、……その先もいつかはしたい」

 ごくりとアルハイゼンの喉が鳴る。上下した喉仏を辿るように顔を見れば薄っすらと彼の肌も赤く染まっている気がする。

「形があるものは何も用意できなかったけれど、それじゃあ……ダメ?」

 ぐっと身体を近づけて、ほとんど触れ合うか触れ合わないかの距離まで迫ればアルハイゼンの両腕が背中に回る。
 言葉は返ってこなかった。けれど肯定するように、早くと言わんばかりに身体が抱き寄せられて唇同士が触れ合う。角度を変えて何度も重なり、アウラリアリアの下唇を食むようにアルハイゼンの唇が動けば彼女から自然と声が漏れる。アウラリアリアが彼の上に乗り、アルハイゼンの方が襲われているような体勢なのに自分の方が食べられていると錯覚してしまう。
 すっかりソファに乗り上げて、床から離れた両足は身体ごと彼の足の間に挟まれて動かせそうにない。

「ん……っアルく……」

 必死に空気を吸い込もうとすればその隙を狙って口内に舌が入り込む。その間にも抱き寄せる力は強くなり、すっかりアウラリアリアは彼に寄りかかってしまっている。
 キスされた瞬間、驚いて閉じてしまっていた目を必死に開けば猛禽類を思わせる鋭い瞳と視線がかち合う。

「んんっ……!」

 ドキリと跳ねた心臓が苦しくて思わず顔を逸らしかけるが許さないとでも言いたげな大きな手がアウラリアリアの後頭部を軽々掴んで固定する。
 それどころか、そのままアウラリアリアを抱え込んだアルハイゼンはぐるりと器用にソファの上で転がってアウラリアリアに組み付くように彼女の身体に跨った。
 ひじ掛けに打ち付けないように気を使っているのか、それとも逃がさないためか。片手は後頭部に添えたまま、もう一方の手だけがアウラリアリアの身体を撫でる。
 ただ腕や腰に触れられているだけなのにその場所に熱が集まっていく。もっと敏感な場所に触れられた日にはどうなってしまうのだろう。

「っぁ……! はぁ、はぁ……」

 漸く唇が離れていく。名残惜しそうに残った銀の糸もぷつりと切れて、アウラリアリアの荒くなった呼吸だけが部屋に響く。

「アル……くん……」

 縋るように手を伸ばし、彼の服を引っ張れば労るように手が重ねられる。

「あのまま君にキスを贈られるのも嫌いではないが、俺としてはやはりこの方がしっくりくる」

 蒸気した頬に触れる手に擦り寄ればアルハイゼンは満足そうに目を細める。
 嫌いではない、ということはかつての自分は今日みたいに彼を押し倒してキスをしたことがあるのだろうか。きっと記憶をなくす前の自分なことは確かだ。
 自分が知らないアルハイゼンとの思い出に想いを馳せるように目を閉じればアルハイゼンの唇が降ってくる。先ほどとは違って一瞬だったそれは目を開けろという催促だろう。

「もう少しこのまま続けても構わないだろうか」
「アルくんの、好きにして?」
「……その言い方はあまりよくないな。都合よく受け取ってしまいそうだ」

 少しだけ狼狽えたように身体を跳ねさせたのがおかしくて笑いが込み上げる。
 ふふっと漏れた吐息ごとアルハイゼンに唇を喰われてしまったアウラリアリアは満足そうに目を閉じた。

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