俺と彼女の始まりの話


 開け放たれた窓から入るそよ風が彼女の髪を揺らす。
 婚約者、という名の契約を結んだ相手は口角をぴくりとも動かさず、ただ手だけを前に差し出すと「よろしく」と静かに告げた。

◇◆◇

 家柄、容姿、自分で言うのもなんだが最良の物件。加えて紋章持ちときた日には言い寄ってくる女は数知れず。ゴーティエ家の血統・紋章だけを求めているであろう縁談の話が尽きることはない。
 今日の相手も恐らくその類の人間だろうと気乗りしないまま、待ち人のいる部屋へと向かっていた。
 確か貴族の娘で両親は既に他界、祖父母に育てられたという経歴だけは頭に入っている。紋章も持っていると聞いたし、別にゴーティエ家に取り入らずとも困るような問題を抱えているわけでもなかったはずだ。だとすると、俺の容姿に惹かれたか、もしくは名門貴族という肩書に惹かれたか……。
 思考という迷路の中を彷徨っていると長いはずの廊下も短くなり、あっという間に彼女が待つであろう部屋にたどり着いた。
 重たい扉に手をかけ、きしむ音に耳を傾けながら人好きのする笑みを浮かべる。

「お待たせしました、本日は」
「あなたがシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ?」

 窓際、外からの風を受けながら振り向いた女性は被せるように開口一番俺の名を呼んだ。

「え、ええ……」

 しかし、その言葉が俺の登場を待ちわびていたという跳ね上がる音でも、ましてや媚を売るようなものでもなく。どこか値踏みをするようなものに感じて言葉が喉奥でつっかえる。せっかく張り付けた笑みは剥がれ、間抜けにも目を丸くした俺はゆっくりと背中越しに扉を閉めた。
 ふぅん……と、興味なさそうにこちらに視線を向けたかと思えばまた窓の外を見る女性は本当に縁談の話を持ち掛けに来たのだろうか。

「えーっと……ディアナ?」

 名を呼んでも振り向きもしない。唇に指先で触れながらぶつぶつと何かを呟く声に耳を傾ければ「確かに軽薄そう」「悪くない」「話の通りか」などと断片的に情報を拾うことが出来た。あまり、良い感想とは言えないが何かがお気に召したということだけはわかる。
 しばらくして、唇から音が紡ぎ出されるのが終わったかと思えば漸くこちらを見たディアナは冷え切った視線で俺を見る。

「わたしと契約しましょう、悪いようにはしないわ」
「はぁ?」

 待て待て待て、話が呑み込めない。
 声が裏返った俺のことは気にしていないのか、テーブルの上ですっかり冷めきった紅茶を立ったまま持ち上げると彼女はまた窓の外を見る。
 視線の先では一羽の鳥が木の枝にとまり羽を休めている。紅茶を啜りながら鳥を見る彼女は、俺を見た時よりも幾分か視線が柔らかいように思えた。
 ディアナはカップから唇を離すと再び俺を見る。やはり、俺と鳥とでは鳥の方が上なのではないだろうか。鋭利な刃物の様な冷たさが俺に突き刺さる。
「家柄、容姿、おまけに紋章。縁談の話、煩わしいでしょう?」
 つい先ほどまさに考えていた内容だ。しかし、問いかけの意図がわからない。微動だにしない俺を気にすることなく彼女は続ける。
「わたしもね、嫌いなの。面倒だし、無意味だし、はっきり言って興味がない」
 音をたてることなく空になったカップをソーサーに戻すと、少しだけ風で乱れた髪をかき上げる。部屋に入った時から驚かされっぱなしで気にしていなかったが、さらさらと流れる髪は美しく、切れ長の瞳も大きく、全体的に整ったパーツをしている。その容姿でなら大半の男を陥落させることが出来るであろう美しさを彼女は持っていた。
 つまり、先ほどの内容は俺だけではなく、彼女にも当て嵌まる、ということになる。

「誰と結婚することになっても構わないし、望みとあらば子供だっていくらでも産むわ。だけど、面倒なことは嫌なの」
「具体的にその面倒っていうのは……?」
「会いたいだの、手紙には返事をしろだの、愛想を振りまけだの、生きることに必要のないこと」
「つまり、婚約者……恋人らしいふれあい的な? 俺は嫌いじゃないけどなぁ」

 ディアナは頷くと上から下まで俺をじっくりと見る。

「イングリットから聞いた通り。女癖、悪いんですって?」
「なっ、あいつ何てこと言いふらしてるんだ!?」
「誤解しないで、わたしが聞いたの。あなたが街中で女性を口説いているのを彼女と一緒にいるときに見かけたのよ」

 なんて場面を目撃されてるんだ俺!
頭を抱える俺を気にすることなくディアナは目を細めるとほんの少しだけ笑みを浮かべた気がした。

「だから、あなたが良いって思ったの」
「どういう意味だ?」
「わたし、あなたがどんな女性と遊んでも咎めないわ。ただ、わたしの婚約者という肩書を背負ってくれればそれでいい。そうしたら誰もわたしに縁談を持ち込まなくなる」
「……そして、俺も自由に女の子と遊べる?」

 その通り、と頷くディアナの考えが分からない。

「あぁ、都合が悪ければ婚約のことは伏せてくれても構わないわ。私もなるべくあなたの名前を出さずに婚約者がいるとだけ公表するから」

 つまり、それはどういうことだ。彼女は俺と同じで持ち込まれる縁談に嫌気がさしていて、かといって婚約者という立場になった人間に血を継ぐ以上の対応を求められるのが嫌だと。そういうことか?

「わたしもあなたも、いつかはそれなりの相手と結婚しなければならない。覚悟はもちろん出来てるわ。でもね、今それに振り回されるのは嫌なの」

「君ぐらいの年頃の女の子なら好きな異性との結婚とか、そういうのを望むんじゃないかい? そんな俺みたいなのを盾にしなくたって……」

 まだ家族に縁談を勧められているが実は好きな人がいるんだ、と言われた方がわかりやすい。俺はいったい今何を持ちかけられているんだ……?
 状況を飲み込めないまま俺は一歩後ろに後退る。すると、ディアナは静かに首を横に振る。

「あなたがいいの。邪魔になったらあなたの方から破談にして。あぁ、もちろんご希望なら本当にそのまま結婚してもいいわ」
「なんで、そこまで……」

 俺の問いかけに応えることなくディアナは窓際に戻っていく。後を追うように俺も窓際へと歩を進めると、彼女はまた外を見つめて「だめ?」と小さく首を傾げる。
 わからない。彼女が本気で何を考えているのかわからないし。俺がどうすべきなのかもわからない。
 黙ってディアナの横顔を見つめていると木の葉が揺れた音がする。ちらりと外を見るといつのまにか一羽だったはずの鳥が二羽に増え、互いの羽を繕っている。小さな命の戯れを見るディアナの横顔は俺と話している時よりも数倍人間らしい温かさを感じさせる。

「……わかった」
「え?」
「その話、受けるってことさ。君は俺を盾として思う存分利用してくれればいい」

 にこりといつも通りの軽薄そうな笑みを浮かべて見せれば、ディアナは眉間に皺を寄せて訝し気に俺を見る。あぁ、やっぱりわからない。

「……さっきまで戸惑ってるだけだったのに、随分態度が変わったわね」
「少し考えてみて魅力的な話だと気づいたからさ。俺を縛らず自由なまま、かといって本気になったらこんな美人が応えてくれる。百利あって一害なし!」
「逆でしょ、それ……」

 むっとして唇を尖らせた彼女は身体の向きを直すとまっすぐに俺を見つめる。向けられる視線はやはり鋭く、温かさの欠片もない。

「でも、受けてくれるならわたしはそれ以上のことは望まないわ。本当にいいのね?」
「男に二言はないさ」

 ディアナという人物に興味を持った、と言えば君はこの契約をなしにして俺の前を去るのだろうか。
 とりあえず、彼女と繋がりがあるらしいイングリットに詳しく話を聞くところから始めよう。大丈夫、俺の婚約者は他の女性をお茶に誘っても一切咎めはしないのだから。

「よろしく」

 差し伸べられた手に応えながら、他に彼女と付き合いのありそうな女の子はいたかどうか記憶を探る。
 軽薄で女好きのシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエだからこそ良いのだと言う不思議な女性。わからないことだらけの婚約者を知りたいという気持ちだけが膨れ上がる。

初めてのその感覚にこれから大きく振り回されることも知らずに、一切笑わないディアナに笑顔を向ける。
 ──これが、俺と彼女の始まりだった。


    FE3HMenu/INDEX

ALICE+