初めて


 シルヴァンの兄・マイクランが賊として討たれた。
 コナン塔での出来事はディアナにとってはその程度の出来事だった。
 聞けば、彼は紋章を持たないので家督を継げず、その腹いせにシルヴァンを殺そうとした過去がある。要は元からそういう人間だ。
 塔へ向かう直前、シルヴァンはマイクランに対しゴーティエの人間ではないと語る一方で「兄貴の尻を拭ってやるのは弟の仕事」と渇いた笑みを浮かべていた。
 
「…………」

 そんな軽薄な男が今はなりを潜めている。
 いや、あの出立の時点で既にいつもの面影はなかった。
 廃嫡されたとはいえ兄だろう、というディミトリの問いかけはきっと間違いではなかったのだろう。
 戦いを終えて修道院に帰った今も、いつもなら場を明るくしようと多弁に振舞う彼が口を閉ざし、ただ行き交う人々を項垂れるように見下ろしている。

「何か用か」

 静かな、重たい声が響く。
 後ろから見つめていたことなどとっくに気づかれていたのだろう。
 振り向きもせず発せられた声が自分宛だとディアナはすぐに気が付いた。

「……声をかけなくていいの? そろそろ日が落ちる。女性を誘うならもうすぐ時間切れよ」
「まぁ……そうだな」

 やはりそうだ。
 いつもの彼なら「それじゃあ今日こそ君を口説き落とそうかな!」なんて軽い口調で返すだろうに声が弾みすらしない。
 そんなシルヴァンを事情を知るものは誰もが腫れもののように遠巻きにする。
 その片手に握られた破裂の槍が怖いのだろう。
 兄を失くした男にかける言葉がないのだろう。
 兄を自ら討った男がわからないのだろう。

「……顔」
「なに、……ん⁉」

 少しだけ彼の顔が自分に向けられた瞬間、頬に触れ、背伸びをする。
 幸いなことに元々シルヴァンが柵に寄りかかって下を覗き込んでいたおかげで身長差はそこまでなかった。
 触れるだけの口づけは情緒と呼べるものではない。
 しいて言えば、男の瞳が異様なまでに見開かれているのが面白かった。
 
「えっ、なっっ⁉」
「慰めが欲しいなら別に相手はわたしでもいいでしょう?」

 まるで初な少女のように唇に触れ、顔を真っ赤にさせたシルヴァンはパチパチと瞬きを繰り返す。
 そんなことをしたって何が変わるわけでもあるまいに。
 
「それじゃ」
「いや、待て待て待て!」
「……なによ」

 シルヴァンの顔に血色が戻ったことに満足したディアナは背を向けて去ろうとする。
 けれど、急にいつもの調子を取りもどしたシルヴァンに肩を掴まれ進むことを許されない。
 掴んでくる手が煩わしくて、身をよじりながら振り返ればシルヴァンは未だに目を白黒とさせている。

「い、今のはいったい⁉」
「元気、出たでしょう?」
「そうだな……じゃなくて! いや、えっと、誰かが落ち込んでたら君は必ずこういうことを?」
「するわけないでしょ……何を馬鹿なことを……」

 呆れて思わずため息を零せばシルヴァンはさらに食い下がる。

「まさかアッシュの時も⁉」
「……してない」

 ぐいぐいと迫ってくるシルヴァンを押し返しながら数歩後ろに下がったディアナは面倒なことになったと思う反面、確かに何故だろうと自分でも内心首を傾げる。
 数節前の課題で討ったロナート卿はアッシュの義父で、彼もシルヴァンと同じように影を背負っての帰還となった。
 けれど、彼に対してこんなことをしようとは思わなかった。
 というより、身内が討たれ気落ちするのは人間の持つ当然の感情であり、それを癒すのは時間や彼の周囲の心優しい人間たちの仕事であって、間違っても自分の領分ではないと関りもしなかった。

「……もういいでしょう。あなたにしか口づけはしていない」
「っ、ディアナ!」

 逃がさないと縋るシルヴァンの手を無理やり払い、ディアナはその場を後にする。
 これ以上長居するともっと面倒なことになりそうだ。
 自分の目的は果たされたのだから、早く自室に戻りたい。
 
「……初めてだよな、多分。ディアナのことだし……」

 自分の唇をなぞりながら呟くシルヴァンだけが残された。

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