頁をめくる


「ラリス先生、これ読んで!」

 一人の子供が少し厚めの本を持って駆け寄ってきた。
 子供だけで読むには難しく、かといって大人が愛読するかと言えば少し幼稚な物語。
 どこで見つけたのか聞こうかと思ったけれど、ねだってくる子供の向こうには赤と黒の見間違えるはずのないシルエット。
 ゆっくりと瞳を伏せたラリスは本を受け取ると子供の背を押し、近くの椅子へと促した。

 指先でなぞりながら文字を読み上げる。
 自分ひとりで読むのならばそんなことはしないのだが、今は観客がいる。
 隣で本をのぞき込んでくるテトとクロにせがまれてラリスが始めた朗読会。
 いつもは子供たちだけが彼女を囲み、まじめに聞いているかと思えば「そんなのやだ!」「俺ならこうする!」と脱線したり、難しい言葉が出てくるとその意味を教え始めたりして授業になってしまうのだが、今日はみんな静かにただ耳を傾けている。
 それというのも子供たちの意識が逸れそうになるとラリスが本から顔を上げる前に彼らを落ち着かせてくれる第三者が混ざっていたからだった。

「こら、続きを聞きたいんだろう?」

 柔らかな声に、騒ぎかけた子供たちがむずがるように口を閉じる。
 しーっと人差し指を唇に当て注意をしたジョシュアの抑えた声に耳を傾けながら、ラリスは続きを読むのをやめなかった。
 お話はまだ中盤で、彼がああやって子供たちを宥めるのは数回目になる。
 普段であればもうとっくに読み聞かせなんて出来ない状態になっていただろう。

「ねえ、この人はなんで旅に出たの?」
「会いたい人が居たんだよ」
「どんな人? 会えるの?」

 小声で誰かが疑問をこぼす。
 ラリスの声を邪魔しないように始まるそれももう数回目。
 なのにジョシュアは嫌そうな顔一つせず丁寧に答える。

「どうだろう? 答えは自分で探してみて」

 ほら、と彼が促すと頷いた子供はまた物語に集中する。
 ジョシュアにとってはきっと退屈な時間だろうに、彼は穏やかな笑みを浮かべてラリスの声に耳を傾け続けていた。
 なんだかそれが妙にむず痒くて、けれど一緒に子供たちの面倒を見てくれているのにわざわざ中断して追い払うのも違う気がする。
 結局、ラリスに出来ることはただ集中して読み聞かせを続けることだけだった。

 物語が佳境に差し掛かった頃、テトはラリスの肩に寄りかかるようにして舟を漕ぎ、クロも膝を抱えたままこくこくと頭を揺らしていた。

「……眠いなら寝ればいいのに」

 小さく零せば、ジョシュアが可笑しそうに目を細める。

「君の声、安心するんだろうね」

 その言葉に返事はしなかった。
 代わりにラリスは一枚頁をめくり、続きを読み上げる。
 けれど次の頁に進む頃には、とうとう最後まで起きていた子供までラリスの膝に額を押し付けるようにして眠ってしまった。
 静かな寝息がいくつも重なる。
 ラリスは困ったように息を吐いた。

「……動けないんだけど」
「諦めなよ」

 向かい側に座るジョシュアが笑う。
 仕方なく本を閉じれば、その音に反応するように彼が首を傾げた。

「なんでやめるの?」
「読み聞かせは終わりよ。もうみんな寝ちゃったんだから」

 自分の膝の上で寝息を立てる子供の頭を撫でる。
 数年前までラリスの膝の上では同じように兵士が寝ていた……なんてこの子達はきっと知らない。
 指で髪を梳く感覚は一緒なのに、今感じる重みは随分軽い。

「……なによ、続きが気になるの?」

 黙って自分を見つめるジョシュアにラリスは本を差し出した。

「そんなに気になるなら、ほら。自分で読んだらいいじゃない」

 机に下ろし、指先で本を彼の目の前まで押し出す。
 けれど、ジョシュアは受け取ろうとしない。

「僕がまだ聞いてるよ」

 そう言って、ジョシュアは挟まっていたしおりを目印に本を開くと「続きをどうぞ」とラリスの前に本を戻す。

「なんでそうなるのよ……」

 頑なに自分で読もうとしないジョシュアにため息が出る。

「子供みたい」

 呆れ半分で零せば、ジョシュアは少しだけ肩を竦めた。

「君に読んでもらうの、好きなんだ」
「っ……だ、だから子供みたいに甘えないでよ……」

 あまりにもまっすぐな言葉に息を呑んだラリスは彼から視線を逸らす。
 膝の上では子供たちが眠っている。
 向かいではその子供たちを宥めていた大人が、当然のような顔で続きを待っていた。

「もう……」

 少しだけ瞼を閉じたラリスは小さく息を吐く。
 彼にそんな風に見つめられたらラリスに逃げ道なんてない。

「……少しだけ、だからね」

 ぱらりと頁をめくり、再び文字を読み上げる。
 なんてことない予定調和の物語。
 子供たちだって退屈で寝てしまうようなお話なのに、ジョシュアだけはずっとラリスの声に耳を澄ませていた。
 時折本から目線を上げれば彼はそれに応えるように首をかしげる。
 彼に対するいくつもの疑問が浮かんでは消え、ラリスの唇はただひたすらに物語を追いかけた。
 静かな声が隠れ家の日常に溶けていく。
 背後を通った誰かがくすりと笑った。
 それをきっかけに顔を上げると、いつのまにかジョシュアは頬杖をついたまま静かに目を閉じていた。

「……聞きたいって言ったくせに」

 思わず呆れた声が漏れる。
 けれど、その表情があまりにも穏やかで。
 ラリスは結局、本を閉じることなく続きを読み上げた。

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