繋いだその先
オットーから託されたメモを眺めたラリスは今日の買い物経路を考えていた。
あの商品は彼が売っていたはず。けれどタルヤの欲しがっていた薬草は少し遠くの店に行かなければ売っていない。
軽いものから順番に買っていきたいが、幸い今日はジョシュアとヨーテも連れて三人で来ているから多少重たいものから買っても平気だろうか。
ヨーテはともかく、買い出しにジョシュアが付いてくるなんて不死鳥教団の団員が見たら驚くだろうが、すっかり彼も隠れ家の一員。
あの場所では大公家の王子様だろうが扱いは平等だ。
それに自ら志願して付いてきている。しっかりと役に立ってもらわなければ。
「わっ」
考え事をしていたせいか、砂利道を踏み外してしまい足がずるりと滑る。
ざりざりと音を立てて滑った体を、両手を振って立て直そうとしていると背中がぽすりと何かに当たる。
「大丈夫?」
「え、ええ……」
「この道、少し危ないね。段差も多いし……」
ラリスを軽々受け止めたジョシュアは先を見つめると体を離す。
「あ、ありがとう……」
突然のことに揺れる心臓が何に動揺しているのかわからない。
けれど、その苦しさから片手で胸を押さえていると空いていた方の手がジョシュアに自然な動きで攫われる。
「ちょ、ちょっと!」
あまりにも当然のように手を持っていかれるので慌てて引っ込めれば、きょとんとした顔で瞬いたジョシュアが首をかしげる。
「なんで逃げるの?」
「いや、あの、だって……」
「また転んだら危ないだろう」
そう言ってもう一度ラリスの手を掴んだジョシュアは、逃がさない為になのか今度はしっかりと指先まで絡めてくる。
「こ、子供じゃないんだから大丈夫よ!」
たまたま今はぼーっとしてただけ。
言い訳じみていると自分でも思いながら並べた言葉はジョシュアには響かず、ヨーテも肩を竦めるだけだった。
視界に入った彼女の姿にラリスは恥ずかしそうにぽつりと呟く。
「それに人前だし……」
手を繋ぐことが嫌なんじゃない。
そう訴えるように少しだけ握られた手に力を籠めればジョシュアはまっすぐな瞳でラリスを見る。
あの目にはどうも弱い。見つめられると何を返したらいいかわからなくなる。
少しでも平静を保つために視線を逸らせば今だと言わんばかりにジョシュアが口を開く。
「君と僕が手を繋ぐことに、何の問題もないだろう」
「いや、あの……」
「それとも嫌? 触れられたくない?」
「そうじゃないけど! そうじゃ……ないけど……」
加速していく心臓は限度を知らない。
グローブ越しに伝わってくる熱がラリスの体温を上げていくと混乱しきった頭の判断は鈍り、彷徨った視線は結局避けたはずの彼の顔を捉えてしまう。
慌てたラリスを正面から見据えるジョシュアは綺麗な瞳を柔らかく細めて微笑んだ。
「ならこのままでいいよね?」
語気は優しいのに、断らせるつもりがないのが伝わってくる。
力を込められているわけでもないのに、手を離してもらえる気がしない。
指先が少しだけ動いてラリスの手の甲を撫でると彼は小さく笑う。
「僕が君と手を繋いでいたいんだ」
そんなことを言われてしまえばラリスは断る術を持っていない。
いいよね?と優しく問うジョシュアの声にラリスはただ小さくうなずく。
「……うん」
ヨーテが見ている、なんて気にする余裕はもうどこにも残っていなかった。
◆◇◆
道中はラリスが先行していたはずなのに、いつのまにかジョシュアに手を引かれながら市場を歩く。
二人の後ろをヨーテが無言で付いてきて、品物を選ぶと彼女がてきぱきと店主と話をつける。
幾度目かの交渉の後、ラリスが渡したメモを確認したヨーテは残りの品を読み上げる。
「あとは薬草の買い出しですね。この道の奥だったかと」
「ああ、タルヤ先生が必要だって言ってたやつだね」
行こうか、と促すジョシュアの声はどこか弾んで聞こえる。
逆に黙りこくってしまったラリス消え入りそうな声しか出せず、知らない人から見れば赤く染まる彼女の顔を見て体調不良を疑うだろう。
優しく握られた手は無理に引っ張られることはない。
それどころか、先ほどのように踏み外してしまいそうな道からさりげなく安全な方へと誘導されて、それでもダメなら腰ごと体を支えられてふらつくことすらなくなった。
一体彼はどこでこんなエスコートの仕方を学んだのだろうか、なんて余計なことが脳裏を巡る。
思えば挨拶代わりに相手の手の甲に唇を落とそうとしたり、一般的な男性ではまずしない仕草をジョシュアはよくする。
それが次期大公として育てられたからなのか、教団で学んだことなのかをラリスは知らない。
けれど、おそらくその辺を歩いている男性には真似できないだろう。
「ラリス?」
「えっ⁉」
急に顔を覗き込まれて肩を跳ね上げればジョシュアは首を傾けた。
「僕の話聞いてた?」
「聞いてたわよ」
「じゃあ今何の話をしていたのか言えるよね」
「…………」
思わず口を噤んでしまえばすぐさま後ろでヨーテが口を開く。
「聞いていませんでしたね」
間髪入れないその言葉があまりにも気まずくて、ラリスはまた体の体温が上がっていく。
どうにもこの二人に挟まれると何も言い返すことが出来なくなってしまう。
ジョシュアに見つめられると頭がくらくらしてくるし、ヨーテの言葉は容赦ない。
「ひ、ひどいわヨーテ……」
「事実です」
少しぐらいこちらの味方をしてくれてもいいのに。
縋る思いで彼女を見れば、荷物を抱えたヨーテは相変わらず感情の読めない瞳でこちらを見ている。
「ラリス」
名を呼ばれ、彼女からジョシュアに視線を戻せば柔らかな笑みがまたラリスを待っていた。
「うっ」
「君、さっきから全然僕の話を聞いてくれないね」
責めるような口調ではない。
むしろ楽しんでいる。
それがわかるから余計に悔しい。
少し甘さを含んだ声と視線がラリスの心臓をまた少し早めて、このままでは足元の悪さ以外の理由でも倒れてしまいそうだ。
くらくらと自分を揺るがす何かに耐えながらラリスは子供のように小さく零す。
「だって……」
そんな言葉しか出てこない。
ハッキリと「あなたのせいよ」なんてラリスには言えない。
ジョシュアと手を繋いで歩くこの時間が嫌なわけではないし、むしろ幸せすぎるくらいだ。
噛み締める前に幸せが溢れてしまって、手一杯になっている。
それをそのまま言葉にしてしまえば「あなたが好き」と言っているようなもので、そんなことをこの場で口にする勇気を流石に今日は持っていない。
むしろ、そんな簡単に素直になれるのならば何年もの間拗らせてなんていなかった。
「ごめん」
「え?」
見つからない言葉を探し続けていれば、思わぬ謝罪が転がってくる。
何を意味するかわからなくて瞬けば、ジョシュアはそっと握る力を強めた。
「もう少しこのままでいさせてほしい。……君が許してくれるならずっと」
そう言って、握りしめた指先がまたラリスの手を優しく撫でる。
まるで壊れ物を扱うように丁寧に、けれどやたらと熱が籠ったそれを嬉しいと思わないわけじゃない。
はく、と唇を動かしたラリスは結局耐えきれなくて視線をジョシュアから逸らす。
「ずっ……」
……ずっと、なんてジョシュアにしては随分重い言葉だ。
少なくとも今までの彼なら軽々しく口にしなかった。
少し先に広がる海は青いのに、きっと自分の耳は驚くくらい赤い。
やっぱりジョシュアの前だと自分はずっと燃え続けてしまう。
このまま本当の灰にされないように、どうにか耐え続けなければいけないのだと思うと未来の自分が不安になるが、嫌じゃないのだから仕方がない。
「す、好きにしたら」
結局ラリスにはそう返すのがやっとだったのに、ジョシュアは迷わずすぐさま頷いた。
「うん。そうする」
満足そうなジョシュアの声と真っ赤なラリス。
二人が並ぶのを後ろから眺めていたヨーテから小さなため息が聞こえる。
「……本当に、遠回りをするお二人ですね」
「何か言った?」
思わず振り返ればヨーテはすぐに頭を振る。
「いえ、買い出しを続けましょうか」
その言葉に促されるように歩き出す時、少しだけヨーテが微笑んだ気がした。