前編


 夜のとばりから戻ってからもラリスは変わらなかった。
 笑って、子供たちと遊んで、夜にはジョシュアの隣で眠る。
 兵士や娼婦たちに揶揄われた時間も彼女には何気ない日常そのものだったのだろう。
 けれど、ジョシュアだけが変わっていた。
 ラリスに向かって手を伸ばしては引っ込める。
 口付けしようとしては言葉に変える。
 触れたいのに、触れられない。どう触れていいのかわからない。
 ふとした瞬間、イサベルの言葉が脳裏をよぎってはジョシュアを引き留める。
 あの時返した愛という言葉に偽りなどないはずなのに、……愛しているからこそ何もできなくなっていた。

◆◇◆

 暗く静かな部屋を月明りだけが照らしている。
 読みかけの本をジョシュアがぱたりと閉じればベッドの端に腰かけていたラリスの肩が跳ねる。
 以前なら、本を閉じる音に気付いてラリスは自然とこちらへ来てジョシュアに身体を寄せていた。
 ジョシュアにとってもそれが自然で、その温もりが愛おしくてたまらなかった。
 けれど最近はその距離がわずかに遠く、今日に至っては彼女は隣にすら来てくれなかった。

「ラリス……?」

 手を伸ばせば触れられる距離にいるラリスは薄着で、すでに眠る準備を終えている。
なのに彼女はジョシュアに背を向けたまま、ベッドに入る素振りすらない。

「……ラリス」

 もう一度静かに名を呼べばラリスはゆっくりと振り返る。

「……どうしたんだい?」

 問いかければラリスはジョシュアから視線を外してしまう。
 今日はなにか彼女の気に障るようなことを言っただろうか。
 もしくは誰かに何か言われたんだろうか。
 読んだばかりの本の内容を記憶の片隅に追いやって一日の出来事を振り返る。
 けれど思い当たることはなく、首をかしげながら彼女を見ればラリスは諦めたようにぽつりと零した。

「……幻滅した?」

 水面に落ちる水滴のように、小さく、けれど大きく広がったそれが意味することがわからない。
 ぱちりと瞬きと繰り返したジョシュアは意味が分からず、はくはくと唇を震わせた。

「待ってラリス。一体なんのこと?」

 先にベッドに身を預けていたジョシュアが近づくとラリスはさらにベッドに浅く腰掛ける。
 そのままでは落ちてしまうのではないかというくらい端に座る彼女が心配で動きを止めたジョシュアは、一瞬手を伸ばしかけるが結局シーツを握りしめた。
 触れようとすればラリスが逃げる。何故かそんな気がしたからだ。

「私の昔話、たくさん聞いたんでしょ」

 シーツに視線を落としていたジョシュアは思わずがばりと顔を上げる。
 いつのまにか振り向いていたラリスは目を細め、口角を上げて笑っている。
 なのにその笑顔が寂しそうで、何かを諦めているようで、ジョシュアの胸が締め付けられる。

「…………」

 なんのこと、とは言えなかった。
 突然すぎる問いかけだったが、ジョシュアの脳裏にはすぐにマダムの……イサベルの姿が浮かんだからだ。

「……やっぱり」

 肩を竦め、努めて明るい声でふるまうラリスが痛々しい。
 本人は笑っているつもりだろうに、眉がきゅっと寄せられているのを見れば苦しいのだと言われているようなものだ。
 そんなラリスの姿に嫌な予感が膨らんでいく。
 イサベルとの会話をしたあの日、自分はどんな顔をしていただろう。どんな態度をとっていただろう。
 ……ラリスは、何を思ってしまったのだろう。

「ラリス、待って。……それで、どうして幻滅したなんて話になるんだ」

 石化が治ったはずの胸が痛む。
 一瞬、あの頃の痛みが蘇ったような錯覚に息を詰めた。
 良くないことが起きる前触れとしか思えない。
 空いている手を胸に当て、重い息を吐き出せばラリスが「だって」と小さく呟く。

「ジョシュア、帰ってきてから私に触らなくなった」

 ぴくりとシーツを握るジョシュアの指先が跳ね、否定の言葉が喉元までこみ上げる。
 けれど、声にはならなかった。──事実だからだ。

「……口付けもしてこなくなった」

 しなやかなラリスの指先が彼女のふっくらとした唇をなぞる。

「……嫌いになった?」

 震えた彼女の声が耳を打つ。
 ラリスの目元に涙は溜まっていないが、瞳にはじんわりと薄い水の膜が張っていて月明りが反射している。
 思わず息を呑んだジョシュアは言葉を探す。
 息が苦しい。胸が苦しい。けれど、それ以上にラリスは苦しいはずだ。
 きっと何日も飲み込んでいた言葉に違いない。
 いつ違和感を覚えたのだろう。いつから傷ついていた?
 彼女の傍にずっといたのに、その変化に気づけなかった自分が情けなくて仕方がない。
 ドクドクと音を立てて軋む心臓が思考を鈍らせる。

「ラリス……ッ」

 結局、絞り出すように彼女の名を呼ぶので精一杯だった。

「ち、がう」

 それでも喉の奥から声を絞り出す。

「違うんだ……」

 やっと絞り出せたその一言は、自分でも驚くほど弱々しくて頼りない。
 嫌いになどなっていない。嫌いになんて、なるものか。
 その言葉だけは今すぐ伝えなければならないのに喉が震えて続きが出てこない。
 どう説明すればいい。
 何から話せばいい。
 ラリスはどこまで思い詰めている。

「っ………」

 ひゅっと喉から息が抜ける音がする。
 あまりにも間抜けすぎるその音は部屋の中に静かに響く。
 やんわりと目を細めたラリスは何を思ったのだろう。ゆっくりと首を横に振って「私ね」と小さく続ける。

「最近ずっと考えてたの」

 細い指がシーツをなぞり、頼りないそれを握りしめる。
 まるで縋るような指先がなぜ自分に向けられないのか、ジョシュアはそればかりを考えていた。

「マダムに聞いちゃったんでしょう。あそこで何が起きたのか」

 へらりと笑った顔は傷ついている。
 そんな顔をさせたかったわけじゃない。
 けれど、頭の中から言葉が次々と消えていく。
 「待って」も「違う」もきっと今の彼女には届かない。
 ジョシュアがずっと彼女に触れなかったのは変えようのない事実だからだ。

「驚いた? ……そうでもない? それとも、知ってた……はないわよね。だって、態度が明らかにちがうんだもの」
「それは……」
「避けてるでしょ。私のこと」

 ラリスはジョシュアから視線を逸らす。
 部屋の片隅、暗くて光の届かない……そこに何かを見ているようだった。
 何もないはずのその場所に何があるというのだろうか。
 目を凝らして見つめてみてもわからない。
 まるでラリスへの言葉を見失ってしまった自分の心のようにぽかりと闇だけが広がっている。

「僕は……」

 そうじゃない。
 違うんだ。
 否定の言葉だけが転がり落ちて、肝心の想いが出てこない。
 ラリスが傷ついているのが……傷つけてしまったのが手に取るようにわかるのに、その傷を塞ぐ術をジョシュアは持っていなかった。

(大切にしたいだけなのに……)

 真っ白なシーツに思わず爪を立ててしまう。
 布地の上を爪が滑り、嫌な音が響く。
 まるでジョシュアの心臓の音を代わりに立てているようで苦しくなる。
 でも、きっとラリスはもっと苦しんだはず。

(僕が、傷つけてしまった……)

 笑顔の裏で何を思っていたのだろう。
 変わっていないと思っていた。
 変わってしまったと思わせていた。
 自分の浅はかさが嫌になってしまう。なぜ自分はいつもツメが甘いのだろう。
 アルテマとの世界を巡る戦いの時も、何度も何度も後悔を重ねてきたが何も変わっていないじゃないか。
 重い沈黙が室内を包み、ジョシュアは瞼を閉じる。
 どうすればラリスに想いが届くかを模索し続けた。
 けれど、ジョシュアよりもずっと早くラリスがその口を開く。

「さよなら、しましょうか」

 そう言って立ち上がる。

「えっ」

 まるで出かけてくると、何気ない会話のように凪いだ声でそう言ったラリスは困ったように笑っていた。
 彼女の白い寝間着がひらひらと視界の端で揺れ動き、彼女が本気で動き出したのだと脳が理解する。

「待って、待ってラリス」
「今夜は子供たちの部屋で寝るわ。明日からは……また夜のとばりに戻るのもいいかもね。私が居たらあなたも困るでしょう?」
「っ…………!」

 何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
 いや、理解したくなかった。
 夜のとばりへ戻る。
 その言葉だけが胸の奥へと鋭く突き刺さる。

(だめだ)

 思考よりも先に体が動く。

「待って!」

 踵を返したラリスの細い手首を、とっさに掴む。

「わっ……⁉」

 思ったよりも強く引いてしまった。
 体勢を崩したラリスの身体がこちらへ傾き、その勢いのままジョシュアも踏みとどまれず二人はベッドへ倒れ込む。

(しまった……)

 そう思った時にはもう遅かった。
 彼女の長い髪がベッドに広がり、ジョシュアの下で瞬きを繰り返す。
 咄嗟に顔の両脇に着いた両手が彼女との距離をギリギリ保つ。
 大きく見開かれたラリスの瞳は今にも零れ落ちそうで、けれどその前にずっと耐えていたであろう透明な雫が頬を伝う。
 きっとそんなつもりはなかったのだろう。ぱちぱちと瞬きを繰り返すラリスは頬を伝う感触に戸惑っているようだった。
 けれど、次の瞬間には困ったように眉がきゅっと寄り、優しく窘めるような声が「ジョシュア……」と呼んでくる。
 まるで聞き分けのない小さな子供を叱るその声にジョシュアは大きく息を吸い込んだ。

「っ、どうして君はいつも勝手に決めてしまうんだ!」

 ラリスの肩がぴくりと跳ねる。
 驚いてしまったのだろう。
 けれど一度溢れ出したものは止められない。
 感情が、言葉と共に濁流のように流れだす。

「僕がいつ君を嫌いになった!」
「ジョシュ……」
「誰もそんなこと言ってないだろ……っ!」

 ラリスが人一倍他人の感情に敏感なのはわかっている。
 伝えてないことまで汲み取って、勝手に想像を広げてどこかに行ってしまう。
 そんなことずっと分かっていたはずなのに、……十三年前彼女が手元を離れていった時と同じ過ちを繰り返しそうになっている。
 何よりもジョシュアはそんな自分が許せなかった。
 荒くなる声も息も気にする余裕なんてなくしたまま、ただ感情のままに叫ぶ。
 ぱちぱちと数度瞬きを繰り返したラリスは身動ぎもせずシーツを握る。

「だって、最近ずっと避けていたでしょう」

 繰り返された変わらぬ返事にジョシュアは言葉を失った。
 迷いのないラリスの瞳が、それだけが変わらぬ真実だと訴える。
 どれだけ自分の行動が彼女を傷つけてしまったのか、改めて突きつけられているようで胸が苦しい。

「……手紙に愛してるって書いてくれたの嬉しかったわ。でも、娼館でのことを聞いて……嫌だなって、汚いって思ったんでしょう……?」

 そう言って目を閉じるラリスはすべてを諦めたように静かに笑う。
 まるで別れの言葉を待っているかのようでジョシュアは奥歯を噛み締めた。

「違う」

 ぽつりと零れる。

「違う、ラリス」

 先ほどまでよりも強く。

「そんなこと、一度だって思ったことはない」

 ハッキリとした言葉で否定する。

「汚いなんて、誰が言ったんだ」

 そんな言葉を自分に向けて、自分で自分を傷つけていたんだろうか。
 イサベルの語った過去のラリスが脳裏をよぎる。
 客に女として求められ、無理やり暴かれかけたあの夜からずっと。
 そうやって何度も自分を傷つけて、心に傷を作り続けていたのだとしたら。
 自分の行動は傷ついたラリスの膿んだ心をさらに追い込んでしまったのではないだろうか。
 汚いなんて、彼女に言わせてしまった自分がジョシュアは憎くて憎くて仕方がない。

「僕がそんな風に君を見ると本気で思っていたのだとしたら心外だ」

 悔しくて、視界が歪む。
 誰よりも泣きたいのはあの日のラリスだろうに、ラリスは涙を流さなかったとイサベルは言っていた。
 どうして、何よりも守りたい人をこんなにも傷つけて……いつまで経っても守ることが出来ないのだろう。

「確かに僕は……君を避けていた」
「っ……」

 ぽたりと雫がラリスの頬を濡らす。
 息を呑んだ彼女の顔が歪み、ジョシュアから目を逸らす。

「でも理由が違う」

 けれど、続く言葉にぱちりと瞬き視線が戻る。

「君が大切だから、触れられないんだ……っ」

 ぽたぽたと情けなく雫と本音が零れていく。
 はく、と唇を動かしたラリスは何かを言いたそうにするけれど、今度は彼女の方が言葉に困っているようだった。
 お互いの呼吸だけが聞こえてきたかと思えば、ラリスの細い指先がジョシュアの両頬にそっと触れる。
 まるで壊れ物を扱うように慎重に、けれどしっかりと触れるそれの心地よさに目を閉じれば柔らかな声が名前を呼ぶ。

「ジョ、シュア……なんだか、苦しそう」

 顔が青いわ。
 そう続けるラリスの手のひらがジョシュアの頬に熱を移す。

「月明りのせい……じゃないのよ、ね?」

 零れ落ちる涙が止まらず、口を閉ざしたままのジョシュアは何も答えない。
 代わりにラリスが何度目かの瞬きを繰り返し、ジョシュアの頬に滴る雫を拭う。

「わ、私のこと嫌いになったんでしょう……?」

 尋ねるラリスの言葉に黙って首を横に振る。

「幻滅したんでしょう?」

 また首を横に振る。

「別れたらあなたはもう大丈夫でしょ? 自由になれるでしょう?」

 ラリスが何をもってそう言っているのかはわからない。わかりたくもない。
 けれど、違うと主張するように首を横に振り続ければラリスは困ったように考え込む。

「……愛してるって一度言った手前引けなくなった?」
「どうしてそうなるんだ……」

 自分で思っていた以上に不機嫌そうな声が出る。

「ラリス」

 こんなにも低い声で彼女の名を呼ぶのは初めてだった。

「君はどうして、僕の言葉を信じない」

 ぱちっと驚いたように目を見開いたラリスが気まずそうに眉根を寄せ、唇を尖らせる。

「だって……全部ジョシュアのために考えたのに……」

 本当に困ったように零すラリスにジョシュアはぐっと息を呑む。
 その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。
 まただ。またラリスは、自分を最後にしてしまう。
 ジョシュアを苦しめないためにと自分が消えることを選んでしまう。
 いつだってラリスの導きだす答えはあまりにも頓珍漢で「ジョシュアのため」なんて耳障りのいい言葉を使った地獄でしかない。
「自分のため」と言うならまだ許せただろう。
 でも「ジョシュアのため」と言いながら、ジョシュアから一番大切なものを奪おうとしている。
 それだけは、なんとしてでも止めなければいけないとジョシュアは静かに息を吸い込んだ。

「君は僕のためと言うけれど、僕はそんなこと一言も言っていない」

 そうだろう?
 そう問いかければラリスは気まずそうに視線を逸らす。
 頬を包んでいた手がぴくりと揺れて、唇が小さく開閉を繰り返す。

「僕はどれだけ君に愛を語ればいい?」

 あの手紙だけでは足りなかったのだろうか。
 あれほどラリスの元へと帰りたいと願って綴った想いさえ届かなかったというのか。
 どうすればラリスは自分勝手な想像よりも己の言葉を信じてくれるようになるのだろう。
 事故とはいえ、組みつくように下に敷いてしまった愛しい人を見つめながらジョシュアはゆっくりと考える。
 少なくとも、今この場で離れてしまうのは得策ではない。
 いつラリスがまた逃げ出して「子供たちの所へ」なんて言い出すかわからない。
 どうにかこのまま彼女に伝えなければならない。
 夜のとばりを否定したいわけではないけれど、ラリスがまたあの場所で働きだすなんてジョシュアには到底許せることではなかった。
 そもそも十三年前に「ジョシュアのため」と謡いながら離れたことも許していないというのに、ラリスはどうしていつもそうなのだろう。
 ふつふつと怒りのようなものが湧いてくる。
 どれだけ傍に居てほしいと願っても、ラリスはいつもジョシュアのためだと手を離す。
 けれど今度こそ、ラリスを逃がしてなるものかとジョシュアは彼女に視線をまっすぐ向けた。

「君はどうして僕の幸せを勝手に決めてしまうんだ」
「か、勝手になんて……」
「勝手だよ。すぐに僕の答えを決めつける。汚いとも、別れたいとも言っていないだろ」
「それは……」

 瞳を震わせたラリスが視線を逸らす。
 離れていってしまいそうな手を掴み、自分の頬に押し付ければラリスの肩が小さく跳ねる。
 力が抜けて、唇の目の前にやってきた指先に口づけを落とせばラリスは「ひっ」と悲鳴を上げた。
 怖がらせてしまうかとも思ったが、赤く染まった頬を見るに嫌がられてはいないだろう。

「ねえ、ラリス」

 彼女の名を呼び。視線を絡める。
 ラリスの心の奥底に届く言葉があるとすれば、それはきっと一つだけ。

「今の僕を、ちゃんと見て」
「っ……」

 オリジンへの旅立ちの前、同じように言い争った時に出た言葉。
 ラリスの想像の中のジョシュアばかり見ないでほしい。
 今、目の前に居る僕を見て。
 そんな思いを込めて伝えれば、ラリスは大きな瞳を見開いた。

「わ、たし……」

 それから少し考えこんで、震える指がジョシュアの頬に触れる。
 優しく包み込む両手に導かれるままジョシュアはゆっくりと目を閉じた。
 柔らかな唇がそっとジョシュアの唇を食むように触れ、すぐに離れる。
 次にジョシュアが目を開けた時、目の前にはぽろぽろと涙をこぼすラリスの顔が映っていた。

「なんで君が泣いてるの」

 泣きたいのは急に別れを切り出された僕の方だよ。
 そう呟いて、まだ瞳に溜まっていた涙を拭ったジョシュアは笑う。
 けれど、ラリスはそんなジョシュアを気にすることなく涙に濡れた睫毛を瞬かせると呟くようにそっと零す。

「傍に居ていいの?」

 なんて当たり前のことを聞くのだろう。
 今更すぎる言葉にジョシュアはくすりと笑う。

「うん」
「娼館で起きたことは聞いたんでしょう?」
「聞いたよ」
「あなたの傍に居ない間、私がどんな暮らしをしていたか知ったんでしょう?」
「それは知っていた、の間違いないかな」

 潜入していた教団員から報告自体は受けていた。
「あ、そっか……」と呟いたラリスはえーっとと言葉を続ける。

「愛してるって……」

 言いにくそうに、けれど丁寧に言葉をなぞるようにラリスはもう一度繰り返す。

「愛してるって、あなたはまっすぐな言葉で伝えてくれたのに、私は自分がそんな気持ちを向けてもらえてることを心の底からは信じられていなかったのよ」

 知っている。
 そう返すのは簡単だった。
 けれどラリスの言葉はまだ続くようなので、ジョシュアは早く返事を返したい気持ちを必死に飲み込む。

「これまでの人生で『愛されない理由』はたくさん見つけてきたの。けれど『愛されていい理由』は一つも見つけられなかったの」

 ジョシュアに触れていた手がふと離れ、彼女は指折り何かを数える。

「ベアラーだってことを隠してた。娼館で働いてたし、間違いが起こりそうな夜もあった……」

 まるで自分の罪のように過去を振り返るラリスは一度瞼をぐっと強く閉ざすと濡れた瞳でジョシュアを見上げる。

「それでも愛してもらえるの?」

 まっすぐな瞳に迷いはなく。心からの疑問であることが見て取れる。
 きっとラリスはそれをずっと、ずっと、抱えていた。
 だからこそ、ジョシュアは静かな声でラリスに返す。

「僕は全部知ったよ。マダムから聞いた」

 それはラリスがジョシュアにだけは生涯知られたくなかったことだ。
 知ってしまったからこそラリスはジョシュアを疑っている。
 けれど、ジョシュアは自分は知らなければならなかったと今でも思っている。

「君がどんな思いで、どんな覚悟で生きてきたかも聞いた」

 夜のとばりで語られたラリスの過去は、想いは、痛くて、苦しくて、とても大切なものだった。

「それでね」

 少しだけ呼吸を置いてジョシュアは続ける。

「僕は苦しかった」

 ラリスがどんな目で見られていたか。
 どんな危険な場所で生きていたか。
 どれだけ一人で耐えていたか。
 それを知ったから苦しかった。

「けれど、君がそんな風に自分を見ていることの方が苦しい」

 ぽたりとまたラリスの目から涙が落ちる。

「ねえラリス」

 月明りの中でジョシュアはラリスの額にそっと額を寄せる。

「今の僕を、ちゃんと見て」

 間近でそう伝えればラリスがぴくりと震えた。

「きっと、君は僕が責任感から同情して言っていると思っているんだろう」

 ふわりと触れた前髪がくすぐったくて目を閉じれば、ラリスも目を細めてジョシュアを見る。

「でも違う。違うんだラリス」

 この言葉は今度こそ君に届くだろうか。
 届いてほしい。いや届け。
 そんな願いを込めながらジョシュアは続く言葉を口にする。

「僕は君を失うのが怖い」

 それは何よりもジョシュアが恐れていることだ。

「君が夜のとばりに居た頃も。オリジンへ向かう前も。今も、ずっと……」

 自分の命を失うことよりも怖かった。
 もう二度とラリスが自分の元に戻ってきてくれないなんて、そんなの死んでいるのと変わらない。
 額をすり合わせるようにジョシュアが動けばラリスが小さく息を呑む。

「……っ、傍に」

 声を合図に瞼を開けばラリスと視線が絡む。
 ぽろぽろと涙も言葉も零れていく。

「居ていいの……?」

 何度もそう言っているのに、やっと届いた。

「違うよ」

 だからこそ、ジョシュアはそっとその言葉を正す。

「傍に居てほしいんだ」

 頷くラリスが「……本当に?」と不安そうに零すので、ジョシュアは優しく微笑んだ。

「ラリスでいいんじゃない。……ラリスがいいんだ」

 そうジョシュアが返せば、ぽたぽたと涙をこぼしたラリスがゆっくり微笑む。
 見つめあった二人の唇が自然と触れ合うまでにそう時間はかからなかった。

「ラリス……その……」
「……ジョシュアなら、いいよ。ううん。ジョシュアがいい」

 そう言って手を伸ばすラリスの首筋に、ジョシュアはそっと顔を埋めた。

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