01
私の人生は嘘で塗り固められている
声音も、触れる指先も、向ける眼差しも。
すべて相手の心を守る鎧を剥ぐためのものに過ぎない。
そうして得た情報がやがて彼≠フ糧となって、その道を支えることができればそれが私の幸福だったから。
ベアラーであることも、本来の立場も、素直な気持ちも、全部を嘘で塗り固めれば私は強い私のままでいられた。
この世界で弱者はただ虐げられる。私はそうなるつもりはない。
薄氷のような嘘で塗り固められた道はどこまでも続いていくと、……この頃の私は信じていた。
すっかり見慣れた湖の景色。
ここでは人もベアラーも等しく人として生きていて、違いがあるとすればその頬に大きな目印があるかないか。
……と言っても、私の頬に印はない。
多くの人々と違って、私の父と母は我が子がベアラーだと知っても恐れなかった。
むしろ彼らが恐れたのは、それを理由に生まれたばかりの我が子を手放すこと。
幸いというか不幸というべきか。商業を営んでいた私の両親が都市間を移動しているときに私は産まれた。
自分たちだけで赤子を取り上げるという無茶をした両親は、私がベアラーだとわかると故郷であるロザリスに帰るのをやめ、森の奥にある人里離れた小屋で暮らすことを選ぶ。
その生活は私に物心がつき、大きな秘密を小さな体で抱え込めるようになるまで数年続いた。
クライヴに連れられてこの隠れ家に来たばかりの頃、このことをオットーに話すと彼は「俺もそうすりゃよかった」と泣きそうな顔で笑っていたのが印象深い。
隠れ家では毎日が穏やかに過ぎていく。
子供たちなんてミドのことを先生と慕って、最近は天秤を分解したものの戻せなくなったとクライヴに泣きつきながらも楽しんでいた。
まだ幼い彼らの顔にはベアラーとしての印が刻まれている。けれどあの子たちはこの場所で人として生きている。
それが隠れ家という狭い世界の在り方だった。
「……また、湖を眺めていたんだね」
「っ」
背後からの声に肩が震える。
息を吞んだ私に声の主は「そんなに警戒しないでよ」とあくまで柔らかく声をかける。
跳ね上がった心臓を抑えながら振り向けば、笑みを浮かべてその人は……ジョシュアはあの頃と変わらぬ瞳で私を見ていた。
「そっちこそ、またタルヤ先生に叱られるわよ」
「大丈夫、ちゃんと許可はもらっているよ。というか、君を早く連れ戻して来いって怒られたんだ」
口角を上げ微笑むジョシュアは私の手を取ると優しく引っ張る。
「医務室にいる理由なんてないんだけど……」
すっかり男性らしくなった大きな手。
私の手を包み込むそれに思わず胸が苦しくなる。
早くなる鼓動を誤魔化すように頭を振れば、ジョシュアはまるでいたずらがバレた子供のようにくすりと笑う。
「君がいないと僕が落ち着かないから。ヨーテも『彼女に手でも握ってもらったら大人しく寝てくれるのか』って眉をつりあげていたよ」
「そんな……」
とんだ迷惑な話。
けれど嫌だと振り払うことができなくてずるずると医務室の方へと連れていかれる。
「寝物語に話を聞かせてよ。なんでもいい。君が見ている世界を君の口から聞きたいんだ」
ねえラリス。ねえラリス。外の世界はどうなってるの。
すっかり低くなった声音が、遠い日の幼い声の記憶を呼び起こす。
大きな背中に真っ赤な仕立てのいい服を着た小さな少年の姿が重なる。
「っ…………」
ぎゅうぎゅうと締め付けられる心臓はジョシュアのことが変わらず好きと訴えてくる。
私の世界は、いつだってジョシュアを中心に回ってしまう。
◆◇◆
ロザリア公国の都ロザリス。
そこは父と母の故郷であり、本来なら私が生きるはずだった場所。
私がロザリスを初めて訪れたのはまだ両手の指に年齢が収まる頃のこと。
両親が買ってくれた本も、たまに荷馬車で尋ねる街も、ほとんど新鮮味が失われていて当時の私は新しい刺激が欲しかった。
それに、きっと両親もいつまでも私を人と関わらせないで生きさせることに無理があると思い始めていたんだろう。
口を酸っぱく何度も言われたのは、人前で絶対に魔法を使わないこと、使えると言わないこと。
世間との関わりが薄かった私でもベアラーがどう見られ、扱われるかは流石に理解していた。
ロザリアは他国に比べれば優しいが、両親に連れられていった先で彼らが虐げられる姿を何度も見たことがあったから。
人間同士じゃないみたい。まるでチョコボを走らせるため鞭打つように、人が人を苦しめている。
幼い私は知らない場所への好奇心と、知られてしまったらどうなるのだろうという恐怖に板挟みされたままロザリスの門をくぐることになる。
まさか、そこで運命の出会いがあるとも知らずに──。
「君は誰?」
「えっ、あ、の……」
ぱち、ぱち。
星が瞬くように綺麗な瞳を瞬かせたのは幼い可愛らしい男の子。
大公エルウィン様と私の父が旧友で、都に戻るなり登城することになった私たち親子。
久しいな、と時間が作った溝などなかったように談笑する彼らを退屈しながら見ていると、まるで星が降りてきたような眩い金髪の男の子が私に声をかけてきた。
少し丸みを帯びた頬はまだ彼が幼く、そして大事に育てられてきたことを物語る。
この時、私の視界には入っていなかったけれど、彼の母上である大公妃アナベラは化け物でも見る目で私たちを見ていたそうだ。
当時の私はその視線の意味を知らなかったけれど、あの人は血を何よりも尊び、民を下賤なものと見下していることを後になって知ることになる。
特に森で暮らしていたような私たち親子は蛮族か何かに見えていたに違いない。
エルウィン様と父が友人であることすら耐え難いのに、大事な大事なフェニックスのドミナントである愛息子が自らそんな平民の子供に声をかけているなんてあってはならない出来事だったはず。
「わ、私はラリス。ラリス・ルティナと言います」
教わっていた通りに名乗れば男の子は丸い頬を綻ばせるように笑って手を差し出した。
「僕はジョシュア・ロズフィールド。よろしくラリス」
握手の意味を知らなかった私は、ただ見様見真似で彼の手を握る。
きっと、私はあの小さな手の温もりを生涯忘れることはないだろう。
◆◇◆
「やっと戻ってきた。ラリス、あんたがいないとその王子様すぐ抜け出しちゃうんだから。一緒に大人しくしててよね」
「そんなこと言われても……」
ジョシュアに手を引かれたまま医務室に入ればタルヤ先生が当然のように彼のベッドの傍に椅子を用意する。
彼女は繋がれた私たちの手を一瞥すると「まったく……」と肩をすくめて少し笑う。
「兄弟揃って私の居場所で盛り上がるんだから」
「も、盛り上がってなんかないでしょ!」
慌ててジョシュアの手から抜け出せば、彼は不満そうに私を見つめる。
「は、早く寝て! 無茶できる体じゃないんでしょ!」
事実と一緒に恥ずかしさを込めて体を押せば、ジョシュアは意外にも簡単に宛がわれたベッドに戻る。
大きな戦いを経てクライヴと合流したジョシュア。
隠れ家に滞在することになって以降は体のこともあり医務室で寝泊まりするのが当たり前になっていた。
タルヤ先生とヨーテが煎じた薬を服用しているらしいけど、それでも咳は止まらず、酷い時には吐血もする。
私にはジョシュアの体を蝕んでいるものの詳しいことはわからない。
けれど、それを理由に立ち止まる人でないことも知っている。
「……傍に居てくれる?」
ベッドに横になったジョシュアは不安そうに私を見上げ、小さくこぼす。
仕方なくタルヤ先生の用意してくれた椅子に腰を下ろした私は、掛け物から少しだけ飛び出していた彼の手を今度は自分から握る。
「自分を労わる、って約束してくれるなら」
両手で握りしめればジョシュアの骨ばった指先が頼りなくて、胸の奥がひどく痛んだ。
私と比べれば太いけど、クライヴのような健康な成人男性と並べたら心配になるくらい細い腕。
この体で背負っている重圧を代わってあげることは誰にもできない。
「うん、約束するよ」
少し目を細めながらそう言ったジョシュアは空いている方の腕を伸ばして私の頬に触れる。
男性らしいごつごつした指先が輪郭を撫で、髪を絡める。
そうして満足そうに笑ったジョシュアは少しすると静かな寝息を立て始めた。
「……本当に無茶ばっかり」
ずっとずっと限界で、いつ崩れてもおかしくない。
そんな状態で張り詰めて生きてる彼を、今の私はどうやって支えてあげればいいんだろう。
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