01


 私の人生は嘘で塗り固められている
 
 声音も、触れる指先も、向ける眼差しも。
 すべて相手の心を守る鎧を剥ぐためのものに過ぎない。
 
 どんな声なら警戒されないのか。
 どのくらいの距離まで近づけば不自然に思われないのか。
 いつ目を伏せて、いつ相手の目を見るべきなのか。
 私はそういうことばかり覚えてきた。

 そうして得た情報がやがて彼≠フ糧となって、その道を支えることができればそれが私の幸福だったから。
 ベアラーであることも、本来の立場も、素直な気持ちも、全部を嘘で塗り固めれば私は強い私のままでいられた。
 
 怖いと思っても怖くないふりをする。
 寂しくても、平気な顔をする。
 好きだと思っても、それを知られてはいけない。

 そうしていれば、私は誰かに傷つけられる前に自分を守ることができる。
 この世界で弱者はただ虐げられる。私はそうなるつもりはない。

 だから、嘘をつくことには慣れていた。
 自分自身に嘘をつくことにも。

 薄氷のような嘘で塗り固められた道はどこまでも続いていくと、……この頃の私は信じていた。



 すっかり見慣れた湖の景色。
 ここに来てから、何度この景色を眺めただろう。
 朝霧の向こうにぼんやりと湖面が浮かび上がる日もあれば、風に水面が細かく揺らされる日もあった。
 特別な景色ではない。
 けれど、私はここが好きだった。

 ここでは人もベアラーも等しく人として生きていて、違いがあるとすればその頬に大きな目印があるかないか。

 ……と言っても、私の頬に印はない。

 多くの人々と違って、私の父と母は我が子がベアラーだと知っても恐れなかった。
 むしろ彼らが恐れたのは、それを理由に生まれたばかりの我が子を手放すこと。
 幸いというか不幸というべきか。商業を営んでいた私の両親が都市間を移動しているときに私は産まれた。
 自分たちだけで赤子を取り上げるという無茶をした両親は、私がベアラーだとわかると故郷であるロザリスに帰るのをやめ、森の奥にある人里離れた小屋で暮らすことを選ぶ。
 その生活は私に物心がつき、大きな秘密を小さな体で抱え込めるようになるまで数年続いた。
 クライヴに連れられてこの隠れ家に来たばかりの頃、このことをオットーに話すと彼は「俺もそうすりゃよかった」と泣きそうな顔で笑っていたのが印象深い。

 隠れ家では毎日が穏やかに過ぎていく。
 子供たちなんてこんな私やミドのことを先生と慕って、最近は天秤を分解したものの戻せなくなったとクライヴに泣きつきながらも楽しんでいた。
 まだ幼い彼らの顔にはベアラーとしての印が刻まれている。けれどあの子たちはこの場所で人として生きている。
 それが隠れ家という狭い世界の在り方だった。

 この場所から湖を眺めていると、ときどき不思議な気持ちになる。
 私は今、ちゃんとここにいると思えるの。
 誰かの為でも、情報を集めるでもなく、ただ自分の意思でこの場所に立っている。
 ……それなのに、こうして一人でいると胸の奥が落ち着かない。
 静かすぎるからだろうか。
 それとも──。

 考えかけたところで、背後から気配がした。

「……また、湖を眺めていたんだね」
「っ」

 背後からの声に肩が震える。
 反射的に息を呑み、振り返るより先に背中へ力が入った。
 しまった、と思う。
 こんなところで何を警戒しているんだろう。
 ここでは誰も私を傷つけない、悪意を持って接しない。
 わかっているはずなのに。
 緊張した面持ちの私に声の主は「そんなに警戒しないでよ」とあくまで柔らかく声をかける。
 いまだに慣れない声。
 けれど、その声の持ち主が誰かはわかっている。……警戒すべき相手でないことも。
 むしろ本当なら誰よりも私に安らぎを与えてくれるはずだった人なんだもの。

 跳ね上がった心臓を抑えながら振り向けば、笑みを浮かべてその人は……ジョシュアはあの頃と変わらぬ瞳で私を見ていた。
 背が伸びて、声が低くなって、身長だって幼い頃は私の方が少し高いくらいだったのに、今では見上げなければ目が合わない。
 それでも、その瞳だけは変わらない。
 私を見つめると、いつも少しだけ嬉しそうに細められる。
 それを見るたびに、胸の奥にしまい込んだはずのものが、簡単に顔を出してしまう。

「そっちこそ、またタルヤ先生に叱られるわよ」
「大丈夫、ちゃんと許可はもらっているよ。というか、君を早く連れ戻して来いって怒られたんだ」

 口角を上げ微笑むジョシュアは私の手を取ると優しく引っ張る。
 あまりにも自然な動作だった。
 まるで昔からそうしていたみたいに。
 ──実際、昔からそうだったのかもしれない。
 幼い頃の彼も、私の手を取っては「こっちだよ」と笑っていた。
 そんな記憶まで蘇ってきて、私は慌てて視線を逸らした。

「医務室にいる理由なんてないんだけど……」

 すっかり男性らしくなった大きな手。
 私の手を包み込むそれに思わず胸が苦しくなる。
 早くなる鼓動を誤魔化すように首を横にを振れば、ジョシュアはまるでいたずらがバレた子供のようにくすりと笑う。

「君がいないと僕が落ち着かないから。ヨーテも『彼女に手でも握ってもらったら大人しく寝てくれるのか』って眉をつりあげていたよ」
「そんな……」

 とんだ迷惑な話。
 そう思ったのに、胸の奥では別の感情が小さく灯る。
 ──必要としてもらえている。
 その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
 たったそれだけのことで、さっきまで胸の中にあった不安が嘘みたいに薄れていく。
 私は本当に単純だ。
 ジョシュアに必要だと思われるだけで、それまでのことが全部どうでもよくなってしまう。
 だから嫌だと振り払うことができなくて、ずるずると医務室の方へと連れていかれる。

「寝物語に話を聞かせてよ。なんでもいい。君が見ている世界を君の口から聞きたいんだ」

 その言葉に、思わず足が止まりそうになった。
『君が見ている世界』
 その言葉は、昔と何も変わっていない。

 ねえラリス。ねえラリス。外の世界はどうなってるの。

 すっかり低くなった声音が、遠い日の幼い声の記憶を呼び起こす。
 大きな背中に真っ赤な仕立てのいい服を着た小さな少年の姿が重なる。
 外の世界で見つけたものを話して。
 知らないことを教えあって。
 時には眠るまで傍に居て……。

 ただ純粋に、傍に居られるだけで幸せだった。
 喜ぶ顔を見たくて、笑い声が聞きたくて、あなたになんでも話していたあの頃。

 今だって、きっと私は──。

「っ…………」

 ぎゅうぎゅうと締め付けられる心臓はジョシュアのことが変わらず好きと訴えてくる。
 私の世界は、いつだってジョシュアを中心に回ってしまう。

◆◇◆

 ロザリア公国の都ロザリス。
 そこは父と母の故郷であり、本来なら私が生きるはずだった場所。

 私がロザリスを初めて訪れたのはまだ両手の指に年齢が収まる頃のこと。
 両親が買ってくれた本も、たまに荷馬車で尋ねる街も、ほとんど新鮮味が失われていて当時の私は新しい刺激が欲しかった。
 それに、きっと両親もいつまでも私を人と関わらせないで生きさせることに無理があると思い始めていたんだろう。
 口を酸っぱく何度も言われたのは、人前で絶対に魔法を使わないこと、使えると言わないこと。
 世間との関わりが薄かった私でもベアラーがどう見られ、扱われるかは流石に理解していた。
 ロザリアは他国に比べれば優しいが、両親に連れられていった先で彼らが虐げられる姿を何度も見たことがあったから。
 人間同士じゃないみたい。まるでチョコボを走らせるため鞭打つように、人が人を苦しめている。
 幼い私は知らない場所への好奇心と、知られてしまったらどうなるのだろうという恐怖に板挟みされたままロザリスの門をくぐることになる。
 その時の私は、そこに私の人生を変える出会いがあるなんて知る由もなかった。



「君は誰?」
「えっ、あ、の……」

 ぱち、ぱち。
 星が瞬くように綺麗な瞳が私の顔をじっと見つめる。
 私の世界にきらりと突然瞬いたのは幼い可愛らしい男の子。

 けれど、私がそれまで見てきた同年代の子供たちとは少し違っている。
 服も、立ち姿も、周囲にいる大人たちの様子も。
 何より、その瞳に宿る光が妙にまっすぐだった。

 大公エルウィン様と私の父が旧友で、都に戻るなり登城することになった私たち親子。
 久しいな、と時間が作った溝などなかったように談笑する彼らを退屈しながら見ていると、まるで星が降りてきたような眩い金髪の男の子が私に声をかけてきた。
 少し丸みを帯びた頬はまだ彼が幼く、そして大事に育てられてきたことを物語る。

 この時、私の視界には入っていなかったけれど、彼の母上である大公妃アナベラは化け物でも見る目で私たちを見ていたそうだ。
 当時の私はその視線の意味を知らなかったけれど、あの人は血を何よりも尊び、民を下賤なものと見下していることを後になって知ることになる。
 特に森で暮らしていたような私たち親子は蛮族か何かに見えていたに違いない。
 エルウィン様と父が友人であることすら耐え難いのに、大事な大事なフェニックスのドミナントである愛息子が自らそんな平民の子供に声をかけているなんてあってはならない出来事だったはず。

 そんなことも知らずに、のんきに当時の私は父の顔を見上げた。
 名乗っていいのか迷ったからだ。
 うっかり口を滑らせてはいけないからと、父と母に城内ではなるべくしゃべらないようにと言われていたのもある。
 けれど父は何も言わず、ただ小さく頷いた。

「わ、私はラリス。ラリス・ルティナと言います」

 教わっていた通りに名乗れば男の子は丸い頬を綻ばせるように笑った。
 そして、ためらいもなく手を差し出す。

「僕はジョシュア・ロズフィールド。よろしくラリス」

 差し出された手を思わず見つめる。
 握手の意味を知らなかった。
 それでも、せっかく差し出してくれたのだからと、私はただ見様見真似で彼の手を握った。
 小さな手だった。
 温かくて、柔らかくて……。
 私が知っているどんなものよりも眩しく感じた。
 なのに目が離せなかった。
 きっと、私はあの小さな手の温もりを生涯忘れることはないだろう。

◆◇◆

「やっと戻ってきた。ラリス、あんたがいないとその王子様すぐ抜け出しちゃうんだから。一緒に大人しくしててよね」
「そんなこと言われても……」

 ジョシュアに手を引かれたまま医務室に入ればタルヤ先生が当然のように彼のベッドの傍に椅子を用意する。
 彼女は繋がれた私たちの手を一瞥すると「まったく……」と肩をすくめて少し笑う。

「兄弟揃って私の居場所で盛り上がるんだから」
「も、盛り上がってなんかないでしょ!」

 慌ててジョシュアの手から抜け出せば、彼は不満そうに私を見つめる。

「は、早く寝て! 無茶できる体じゃないんでしょ!」

 事実と一緒に恥ずかしさを込めて体を押せば、ジョシュアは意外にも簡単に宛がわれたベッドに戻る。
 大きな戦いを経てクライヴと合流したジョシュア。
 隠れ家に滞在することになって以降は体のこともあり医務室で寝泊まりするのが当たり前になっていた。

 タルヤ先生とヨーテが煎じた薬を服用しているらしいけど、それでも咳は止まらず、酷い時には吐血もする。
 初めてその姿を見たときは、……怖かった。
 ジョシュアが纏うのと同じ赤。けれど、それは彼を失う未来を予感させる。
 血の色を見るたびに、胸の奥が冷たくなって、息が詰まる。
 けれど何度も繰り返すたびに、私はその光景に慣れてしまった。
 ……慣れてしまった自分が酷く嫌だ。

 ジョシュアが咳き込めば背中をさする。
 血を吐けば布を用意する。
 薬を飲む時間になれば声をかける。
 そうすることが当たり前になっていく。
 まるで、これが普通のことみたい。

 私にはジョシュアの体を蝕んでいるものの詳しいことはわからない。
 だからこそ、怖い。
 何が起きているのかわからないまま、それでも彼は前へと進もうとしている。
 けれど、それを理由に立ち止まる人でないことも知っている。
 私に出来ることは、少しでも彼の体調が落ち着くようにと祈ることくらいだった。

「……傍に居てくれる?」

 ベッドに横になったジョシュアは不安そうに私を見上げ、小さくこぼす。
 さっきまであんなに堂々と私の手を引いて歩いていたのに、なんだか迷子の子供のよう。
 その姿に幼いジョシュアが重なって私は無意識に視線を逸らす。
 それでも仕方なくタルヤ先生の用意してくれた椅子に腰を下ろした私は、掛け物から少しだけ飛び出していた彼の手を今度は自分から握る。

「自分を労わる、って約束してくれるなら」

 両手で握りしめればジョシュアの骨ばった指先が頼りなくて、胸の奥がひどく痛んだ。
 私と比べれば太いけど、クライヴのような健康な成人男性と並べたら心配になるくらい細い腕。
 この体で背負っている重圧を代わってあげることは誰にもできない。

「うん、約束するよ」

 少し目を細めながらそう言ったジョシュアは空いている方の腕を伸ばして私の頬に触れる。
 ごつごつした指先が輪郭を撫で、髪を絡める。
 そうして満足そうに笑ったジョシュアは少しすると静かな寝息を立て始めた。

「……本当に無茶ばっかり」

 眠った顔はわずかに苦しそう。
 起きている時は、何もかもわかったような顔をして笑うくせに。
 ずっとずっと限界で、いつ崩れてもおかしくない。
 そんな状態で張り詰めて生きてる彼を、今の私はどうやって支えてあげればいいんだろう。

 手を握ることならできる。
 話をすることも出来る。
 ……彼が望むなら、いくらでも傍に居る。
 でも、それだけ。
 ジョシュアが背負っているものを、私が代わりに背負うことはできないの。
 彼の痛みを、私が引き受けることも出来ない。
 石化も、吐血も、その身にかかる負担のすべてを見ているだけ。

 ならば、せめて彼が眠っている時くらいには素直になろう。
 望まれたのだからという建前と一緒に、私は眠るジョシュアの指先をそっと握りなおす。
 ──せめて、目を覚ましたときに隣にいる人間くらいにはなりたい。
 それだけでいい。
 それだけで、いいの。

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